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非国民通信

ノーモア・コイズミ

当然の結果ではある

2018-02-04 22:05:56 | 雇用・経済

「1年前より深刻」が半数以上 企業の人手不足(NHKニュース)

企業の人手不足の実態を財務省が全国の企業を対象に調査した結果、半数以上が1年前よりも深刻になったと答え、景気の回復が続く中、人手の確保に危機感を強めていることがわかりました。

この調査は、財務省が、人手不足の実態を調べるため、全国の企業1341社を対象に、去年11月下旬から先月中旬にかけて行いました。

それによりますと、全体の71%に当たる952社が「人手不足を感じている」と回答し、中でも52.1%に当たる412社が、1年前よりも人手不足が深刻になったと答えました。

特に専門的な知識や技術を持つ正社員が不足しているという答えが目立っていて、人手が確保できないために休日出勤や長時間の残業が増え、従業員の負担が重くなっているとしています。

一方、人手不足を解消する対応策をきいたところ、80%以上の企業が、会社説明会を増やしたり初任給の引き上げたりして、採用の取り組みを強化していると回答しています。

財務省は「今回の調査では、製造業でより人手不足が深刻化している。景気回復が進む中で、専門的な人材の不足が顕著になっているのも特徴的だ」と分析しています。

 

 真偽の疑わしい「人手不足」報道には事欠きませんけれど、現実世界の求人情勢はいかほどのものなのでしょうね。世の中には人手不足を託ちつつ頑なに最低賃金ギリギリでしか求人を出さない事業者なんかも普通に存在していますし、アルバイトの奪い合いなんかはそれこそ「正規雇用する気がない」事業者側の姿勢を顕著に反映していると言えます。マトモな会社のマトモな求人であれば今も昔も人は殺到する、ただ単に低賃金非正規労働者の調達が少しばかり難しくなっただけなんじゃないか、そんな気がします。

 なんでも全体の71%が「人手不足を感じている」と回答、52%が1年前よりも人手不足が深刻になったと回答しているそうです。有効な対策を打てていない企業が、半数以上あると言うことでしょうね。対応策としては「会社説明会を増やしたり初任給の引き上げたり」しているとのことですけれど、効果は薄いようです。まぁ日本企業のやる「初任給の引き上げ」なんて誤差のようなものですし、引き上げる前の大元が低すぎるわけでもあります。中国ファーウェイの日本向け求人は大卒初任給が月40万超で話題を攫いましたが、こうしたグローバル企業の足下にも及ばない低賃金を続けている限り、微々たる賃上げで人材確保など出来るはずがありません。

 「専門的な知識や技術を持つ正社員が不足している」「専門的な人材の不足が顕著になっている」とも、報道されています。それが求人情勢に反映されているか、この辺もまた幾分か疑わしくもありますけれど、本当に専門人材が不足しているのなら、対応策として何が必要になるのでしょうか。金満クラブなら、高年俸を餌に他球団から有力選手を引き抜いてくるのが当然の経営努力になります。では、資金力のないチーム、あるいは資金を使いたがらない日本企業には何が出来るのでしょう。

 ヨソから選手を取ってこない(取れない)チームが成功するには、自前での育成しかありません。組織を牽引してくれるような逸材が空から降ってくることは未来永劫ないわけで、そこは時間と労力を費やし人を育てていくしかないのです。しかし、この育成に失敗を続けてきた結果として今の日本企業の惨状があるのかも知れませんね。目先の勝利/利益を言い訳にして若手に機会を与えなかった(特定世代の採用を控えてきた)から中堅世代がスカスカになる等々、駄目なチームの典型です。

 人材育成に努めてきた「つもり」の会社は、結構あるとは思います。しかし、育成と言いつつ実際にやることはコンサルタントと称した占い師に、研修と称して新興宗教のまねごとをやらせているだけ、本当に業務で必要な専門知識については組織として教育してこなかった、現場の個人レベルの先輩後輩間の指導に丸投げ(O!J!T!)だった会社も多いのではないでしょうか。私の勤務先なんかも研修機会だけはやたらと多いですが――仕事で使う技能に関しては何一つ教えてもらえない、そんな有様だったりしますし。

 新人採用にしてから、企業が求職者に求めるのは馬鹿の一つ覚えの「コミュニケーション能力」が不動の一位であり続けている限り、大学など高等教育機関による人材の育成も望み薄でしょう。勉強するために勉強する奇特な学生を除けば、どこの国でも「良い会社に入るために」進学するのが普通です。そこで「○○の専門知識を身につけておけば就職に有利/高給取りになれる」とハッキリしていれば、どこの国の学生も自身の将来のために勉強するわけです。一方で専門知識よりもコミュニケーション能力とやらが問われる日本国では、学生は勉強するよりも面接の練習やエピソードの捏造に励みますし、大学だって「生徒が就職先に困らないように」最良の指導を考えるわけです。自分を粉飾することが上手な若者なら育ちそうですけれど、現環境で専門的な人材が育つのを期待するのは、木に縁りて魚を求むって奴でしょう。

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マトモな賃金を払えない事業者が潰れていくのは正常

2018-01-21 23:24:26 | 雇用・経済

飲食店の倒産、2000年以降最多に 個人消費低迷など(朝日新聞)

 2017年の国内企業の倒産件数は8376件で、8年ぶりに前年を上回った。飲食店の倒産が2000年以降で最多となり、全体を押し上げた。長引く個人消費の低迷や人手不足による人件費の高騰が経営の重しになったようだ。

 帝国データバンクが16日公表した通年の全国企業倒産集計でわかった。

 景気の緩やかな回復に伴って倒産件数は7年連続で減少を続けていたが、17年は前年より2・6%増えた。特に、飲食店の倒産が増え、前年比約27%増の707件だった。焼き鳥、おでん、もつ焼き屋などの「酒場・ビアホール」の倒産が最も多かった。飲食店の倒産件数が最も多かったのは東京都、前年比で件数が最も伸びたのは大阪府だった。

 

 まぁ勤務先の近辺でも行列の絶えない人気店が普通に潰れていますので、飲食店とはそういうものなのではないかとも思います。昼時にどれだけ人が並んでいても、結局は夜に酒を飲んでくれる人がいないと利益なんて出ないものなのでしょう。それが世界的に見て普通のことなのか、あるいは日本固有の現象なのか、もしくは現政権下で突発的に発生するようになったことなのか――この辺は人それぞれの政治的立ち位置によって見解が割れそうですね。

 さて、報道では「個人消費の低迷」と「人件費の高騰」がなんの疑問もなく並べて書かれています。人件費が本当に高騰しているのなら相応に個人消費が増えていなければおかしいはず、人件費が高騰しているのに個人消費が伸びないのなら、せめて代わりに預貯金残高が急騰していなければおかしいでしょう。しかし、鰻登りなのは企業の内部留保だけです。人件費が高騰していると伝えられているにもかかわらず、消費も個人の預貯金も低迷を続けているのは何故なのやら。

 結局、ブルジョワ新聞の目から見た「人件費の高騰」なんてのは、都合良く奴隷を調達するのが昔より僅かに難しくなっただけのことでしかありません。働く人に払う賃金を惜しむ意識が強いからこそ、微々たる賃上げを「高騰」と呼び習わしているだけの話です。そもそも人件費が下がっていった時代の政権を熱烈に支持してきたネオリベ新聞社にとって、賃金の上昇とは企業の倒産を招く絶対悪なのでしょう。

 なお日本では今なお現金払いが圧倒的に強い、電子マネー普及が進んでいないとも言われます。評論家目線では消費者の意識が低いと嘆息してみれば済む話のようですが、実際のところはどうなのでしょうか。特にこの「飲食店」界隈では現金払いオンリー、カード支払いはお断りの店舗も目立つわけです。装置を導入するための資金にも不足している、あるいは決済の手数料を引いたら利益が出ない、そんなレベルの飲食店も多いのではと推測されます。じゃぁ、現金で払うしかないよな、と。

 ある意味、飲食業界はデフレ時代の花形でした。「人を安く長く働かせる」ことで利益を上げる事業者にとって、安倍政権登場前夜こそが黄金時代だったと言えます。その後は景気と反比例する形で浮き沈みしているところですが、こうした業界の「社会」への貢献って、果たしてどれほどのものなのでしょうね。「人を安く長く働かせる」ことでしか存続できない事業者なんてのは、それこそ社会の寄生虫でしかありません。駆除されることが、我々の社会への貢献です。

 よその国だと外食は高く付く、とよく聞きます。その辺は例外もあるでしょうけれど、確かに諸外国の飲食店の値段を日本円に換算してみると、ちょっと気軽には利用できない水準だったりすることは珍しくありません。高級店に限らず、街の食堂やチェーン店レベルですら、ですね。逆に言えば、日本は外食が安い国ということになります。では店で安く食べられる国であることが社会の繁栄をもたらしているかと言えば――むしろ随所で歪みをもたらしているわけです。日本の飲食業界の低価格競争は実に激しいですが、それは持続可能なのでしょうか。

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時間が解決してくれるかも知れませんが

2017-12-17 22:53:01 | 雇用・経済

外国人実習生の失踪急増、半年で3千人超 賃金に不満か(朝日新聞)

 日本で働きながら技術を学ぶ技能実習生として入国し、実習先の企業などからいなくなる外国人が急増している。法務省によると、今年は6月末までに3205人で半年間で初めて3千人を突破。年間では初の6千人台になる可能性が高い。実習生が増える中、賃金などがより良い職場を求めて失踪するケースが続出しているとみられている。

 近年の失踪者の急増を受けて、法務省は失踪者が出た受け入れ企業などへの指導を強化。賃金不払いなど不正行為があった企業などには実習生の受け入れをやめさせたりした。その結果、一昨年に過去最多の5803人となった失踪者は昨年、5058人にまで減っていた。

 今年の失踪問題の再燃を、法務省は「率直に言って遺憾だ。さらに分析しないと、何が原因か示せない」(幹部)と深刻に受け止めている。

(中略)

 法務省が、昨年に不法滞在で強制送還の手続きをとった実習生、元実習生の計約3300人に失踪の理由を聞いたところ、大半が「期待していた賃金がもらえなかった」「友人から『もっと給料が良いところがある』と聞いた」といった賃金を巡る不満だった。最低賃金未満ではないものの、より手取りの多い会社を求めて失踪するケースも少なくないとみられる。パワハラやセクハラの被害を訴える声もあったという。

 厚生労働省によると、監督指導した実習実施機関のうち7割に、実習生への賃金不払いや過重労働などの労働基準法違反があったという。(織田一)

 

 さて法務省「幹部」とやらは「さらに分析しないと、何が原因か示せない」と語っているようですが、既に3000人以上を対象とした聞き取り調査結果が同時に報道されていたりします。恐らく「幹部」は何か他の理由を作って矛先をそらすべく「分析」したいのでしょうけれど、誰かどう見ても理由は明らかですよね?

 外国人「実習生」への違法な低賃金長時間労働と人権侵害は広く知られるところです(まぁ法務省幹部にとってのそれは、警察庁にとってのパチンコの換金みたいなものなのかも知れませんが)。その内、ベトナムの日本大使館前に実習生像が建てられるようなことがあっても不思議ではないでしょう。実習生は軍隊によって強制連行されてきたわけではないとしても、日本が恨みを買うであろうことは必至と言えます。

 もっとも、以前にも書きましたがこの問題は将来的には解決する可能性が高いと考えています。ほんの数年前まで外国人実習生の中心は中国人でしたが、ここでも伝えられているように現在はベトナム人が最多で中国出身の実習生は減少傾向にあるわけです。そしてベトナム人も増え続けることはない、いずれ中国人のように減少していくであろうと予測されます。現在のベトナムが占める位置に他の国が入ることはあるとしても、その国の人もいずれは減っていくのではないか、と。

 中国からの実習生が減っている理由はまさに、「(日本では)期待していた賃金がもらえない」「もっと給料が良いところがある」辺りではないでしょうか。例えば中国企業のファーウェイなど、日本で新卒を募集するに当たって40万円/月を超える初任給を提示しました。グローバルな賃金水準からすれば特別に高くもないとはいえ、賃金抑制を至上命題としてきた日本企業の一般的な初任給の2倍程度でもあります。今や日本人から見ても、日本(企業)で働くより中国(企業)で働いた方が裕福になれる、そういう時代に入りつつあるのです。

 中国でも一流の企業に入れるのなら、日本で働くよりも賃金は高い、そうでなくても日本で「実習生」として働くくらいなら国内で働いていた方が給料が良い――そうなったら、もはや好き好んで日本に働きに来る人はいませんよね。親日派ブローカーに騙されて日本に売り飛ばされる人もいずれは減っていく、外国人実習生の問題は中国出身者に限っては、そう遠くない内に解決(というより自然消滅)することでしょう。

 ベトナムも然り、中国に比べれば幾分か時間は要するものと思われますが、日本で働くより国内で働いた方が稼げる時代はいつか必ず訪れます。そうでなくても、日本で働くよりも中国や韓国に出稼ぎに行った方が給料が良い、ぐらいなら今でも普通に起こりうるケースです。給与面で日本に働き先としての魅力を感じない人は、当然ながら増えていくわけです。だから外国人実習生の問題は、消滅という名の解決の可能性があるのだと言えます。

 まぁ従軍慰安婦とかその辺の問題も、当事者が死んだり、その身内も老いていったりすれば「消滅」に近づきます。そういう「解決」を待っている人も政府筋には多いのではないでしょうか。外国人実習生の問題も時間の経過によって消滅に向かうであろうと私は予測していますけれど――それで良いのか、とも思いますね。これで問題が解決した(非難してくる人がいなくなった)としても、あまり誇らしい解決法とは感じられないので。

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信頼できない人に裁かれるぐらいなら

2017-12-11 00:08:08 | 雇用・経済

 さて先週の続きではありませんが、「(他人の)礼儀を直す」というのは色々と難しいものがあります。「話せば分かる」人ってのは本当に希少で、そんな悠長に構えていては撃ち殺されないまでも無礼を働かれるばかりです。非礼な人はどこまで行っても非礼であり、言うことを聞かせるには暴力なり権力なりの「力」で押さえつけるしかない、残念な人はどこにでもいますから。

 そこで、根強い体罰容認論を考えてみましょう。確かに、暴力でしか制御できない人も学校には数多いるには違いありません。学校教師が「話せば分かる」などと手をこまぬいている間にも、別の生徒が暴行なり恐喝なり窃盗なりの被害に遭っていることも多々あろうと推測されます。ならば教師の体罰を解禁して、教師の暴力によって学校の治安を維持できるようにすれば良いと、そう主張する人が出てくるのは頷けるところです。

 ただ、そうした体罰待望論者が、いったいどこまで学校の先生を信用しているのか、この点に私は疑問があります。もし学校教師が全面的に信頼するに足る高潔かつ公正な人間であるならば、その手に「力」を持たせるのは良いことかも知れません。しかし私利私欲や好き嫌いにまみれた人間の手に「力」が渡れば、その「力」がどのように振るわれるかは考えるまでもないことでしょう。

 学校教師の言うことは常に正しい、先生の判断に一切の誤りはない――そう信じている人が体罰容認を説くのなら、まぁ賛成反対はさておき一定の合理性はあるかなと思います。しかし学校教師に信頼を抱いていない、むしろ不信感を持っているにもかかわらず、教員による体罰が事態を改善しうると考えている人がいたならば、率直にって「頭の弱い人だなぁ」ぐらいに感じますね。信用できない人の手に、どうして力を持たせようとできるのやら。

 次善の策として、学校現場への警察権力の介入が必要だと説く人もいるわけです。相撲協会を飛び越して警察に被害を訴えた貴乃花親方も、考え方としてはこれに似るパターンと言えます。まぁ、教師や相撲協会関係者よりは警官の方が信頼できるところはあるのでしょうか。でも警察関係も、色々と信用を失墜させるケースは多々ありますし、そこで警察不信を説く人は多いですよね……

 信頼がないにもかかわらず、そこに「力」を持たせることを望んでいる、そうした奇妙な構図は非暴力的な面でも多々あるように思います。例えば雇用主と労働者の権力関係はどうでしょう、とりわけ矛盾に溢れているのは「成果主義」や「能力主義」への評価です。とかく「年功序列」は悪とされ、その対概念として成果主義なり能力主義なりが称揚されがちですけれど、労働者を評価する雇用主の目がどこまで信頼されているのか、そこに私は疑問があります。

 もし、自分自身の勤務先の人事評価が高度に信用できるものと感じているのならば、その人が成果主義や能力主義を支持するのは分かります。しかし自分の会社の評価に納得していないのに、成果主義・能力主義を支持しているのなら、ちょっと筋が通りませんよね? もしかしたら「隣の芝生は青く見える」よろしく、自社はさておき他社では適正な評価が行われていると、そう信じているのでしょうか?

 少なくとも私は、大半の日本企業における人事評価は誤った基準で行われており、能力のある人よりも「粒選りの馬鹿」を昇進させる制度になっていると感じています。だからこそ、日本の経済は伸びなくなったのだ、と。むしろ過去に存在したとされる年功序列の方が、まだマシだったのではとすら思います。年功序列なら、有能も無能もどちらも昇進します。しかし日本の成果主義の元では、無能が権力を握ってしまうわけです。そうして失われた10年は失われた20年となり云々。

 まぁ現代において地位を得ている人ほど、自分は正しい評価によって今に至るのだと、そう信じたがるところはあるのでしょう。そして経済系のメディアほど、顕著に権力へと擦り寄るところもあります。さらに「偉い人」の言動を受け売りして、自身も偉い人になったつもりの論者も少なくありません。しかし会社の舵取りを任された人の残した「結果」は今や火を見るより明らかです。まぁ、選べるものもあれば選べないものもありますけれど、信頼するものを間違えたツケは庶民にも回ってきます。

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マルクスと餅屋の憂鬱

2017-11-26 22:00:46 | 雇用・経済

 マルクスの説くところによれば共産主義は資本主義の後に来るものであったようで、現に共産主義の理想に近づいている例としては80年代の日本や現代なら北欧の福祉国家が挙げられたりもします。その一方で共産主義あるいは社会主義を看板に掲げて成立した体制は軒並み資本の蓄積段階を経ていない国に限定されていたわけです。乗り越えるべき資本主義の段階を飛ばして共産党独裁政権を作り上げた国家がマルクスの構想を実現できたかと言えば――結果は既に出ていますね。

 「社会主義国」の特徴としては、上述のように「資本主義の段階を飛ばして成立する」ことが挙げられますが、今回もう一つ注目して欲しいのは「党の指導者が万事の権威になる」辺りです。典型的なのが社会主義国におけるマルクス主義解釈で、学者ではなく時の党指導者がマルクス主義の権威になるわけです。ソ連におけるマルクス主義理論家の頂点はレーニンでありスターリンであり、中国のそれは毛沢東であり、まかり間違ってもマルクス主義の研究者ではなくなってしまうのですね。

 こうして時の権力者の都合や信条によってマルクス主義はレーニン主義やスターリン主義、毛沢東主義へと改変される運命を負ってしまうのですが、幸か不幸か権力者による歪曲を受けるのはマルクス主義ばかりではなかったとも言えます。権力闘争のエキスパートのはずが、いつの間にか「あらゆること」の指導者としての地位が確立される、そうしてトップの思い込みによって経済や農業、軍事や外交もまた専門化ではなく権力者によって動かされるようになるわけです。

 伝え聞くところによると北朝鮮の先代の将軍様は、大学時代の3年間で1500冊の本を書き6本のオペラを作曲、初めてゴルフクラブを握った際には11回のホールインワンを含む38アンダーを記録したそうです。そして金正恩もまた、あらゆることに専門的知識を持つ全能の存在として全土を行脚、各地で「指導」を行っていることが知られています。父子ともども権力闘争に関しては相当な手腕を持っているであろうと推測されますが、なぜかゴルフやリンゴ栽培においてすら専門化として扱われてしまうのです。

 さて、その辺を対岸の火事と思っていられれば良いのですけれど、時に我が国でも似たようなケースは見られるのではないでしょうか。2011年の大災害時には、時の総理大臣が自身を原子力の専門化と勘違いした言動や振る舞いで色々と混乱を招きました。曲がりなりにも総理の椅子を手にした人である以上、権力闘争に関しては間違いなく専門化であったと言えますが――対処すべき個々の具体的な問題に対してどこまで専門的な知見を有していたのか、その辺は毛沢東の農業知識と同程度のような気がしないでもありません。

 そして日本の「会社」ではどうでしょう。実務を、現場をより知っているのは誰なのか。しかし「知っているとされる」のは誰なのか。実作業者の声が真実として受け入れられる、現場で働く人の声が実態として受け止められる、そんな組織は意外に希少なのではないかと思うわけです。むしろ実作業の手順は何一つ知らない、現場からも離れて久しい会社幹部の声の方が「真実」として扱われる会社の方が一般的であるとすれば、そこで望める経済的発展が社会主義国と同レベルに落ち込むのも必然なのかとすら感じますね。

 ことわざに「餅は餅屋」とありますが、少なくとも私の勤務先であれば「餅は部門長」「餅は社長」だったりするわけです。実務者が直面している問題なんかは相手にされず、役員の想像した課題こそが組織として対処すべきものとされる、第一線の営業が必要と感じているものではなく、社長の取り巻きが思い描いた「こうすれば売れるだろう」という妄想が会社の施策になる、そんな会社は珍しくないのではないでしょうか。現場で何が起こっているか、そこに最も精通しているのは誰なのか――単に地位が高いだけの人の夢想が「真実」として会社の事業計画に反映されてしまうようなら、当該の組織に発展は望めないと言えます。

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企業の利益だけは確保されているが

2017-11-19 22:36:36 | 雇用・経済

企業の現預金、最多の211兆円 人件費はほぼ横ばい(朝日新聞)

 企業が抱える現金と預金が、2016年度末に211兆円と過去最高にふくれあがっている。アベノミクス前(11年度末)と比べ3割(48兆円)増えた。人件費はほぼ横ばいで、企業の空前の利益が働き手に回らない構図が鮮明となった。

 財務省の法人企業統計調査(金融・保険除く)のデータを分析した。調査対象は国内企業で、海外子会社は含まれない。

 16年度の純利益は、5年前の2・6倍の50兆円で、バブル最盛期の1989年度(18兆円)を大きく超える。円安で輸出企業を中心に業績が伸び、4年連続で過去最高を記録した。

(中略)

 一方、人件費は5年前から1%増の202兆円にとどまり、ピークだった98年度(204兆円)を下回っている。

 三菱UFJリサーチ&コンサルティングの土志田るり子研究員は「企業の好業績が従業員に還元されない。これが日本の経済成長が低迷する原因になっている」と指摘する。

 

 さて空前の伸びを続ける日本企業の内部留保ですが、ある種の信仰を持った人々に言わせれば内部留保とは使えないお金なのだそうです。よくある詭弁は「内部留保の大半は設備なのだ」という代物ですけれど、しかるに設備投資が伸びていないこともまた日本の経済が成長しない理由であったりもします。そして「そのものズバリ」であるところの現金と預金額はと言えば、今回報道されているように過去最高を更新し続けているわけです。日本が世界経済を席巻していた1989年は18兆円だったのに対し、日本が先進国から脱落しようとしている現在はなんと211兆円……

 「一方、人件費は5年前から1%増の202兆円にとどまり、ピークだった98年度(204兆円)を下回っている。」こともまた伝えられています。おかげで今となっては日本は人件費の安い国となりましたが、それで豊かな国、強い国にはなれたのでしょうか? 日本企業は、より人件費の安い国が自国の競争相手なのだと錯覚していたのかも知れません。しかし、競争相手の真の姿は「人件費の安い国」ではなく、「人件費の伸びている国」であった見るべきだったのではないでしょうか?

 結局、人件費の伸びていく国は、その国で働く人も豊かになる、その国で働く人が豊かになることで国内市場の購買力も伸びていった、この結果として経済成長を続けて来たわけです。しかし徹底した賃金抑制を続けてきた日本では、当然の結果として日本で働く人が貧しくなっていった、日本では働く人々の購買力は低下し、国内市場は世界に例を見ないデフレへと突入していきました。日本の人件費の安さは他国とのコスト競争の面で有利に働くことがあるのかも知れませんが、それでは外需頼み、輸出頼みの経済しか作れません。

 

保育事業 全産業の平均利益率上回る 内閣府調査(毎日新聞)

 内閣府は14日、認可保育所や幼稚園を対象にした経営実態調査を発表した。私立保育所の平均利益率は5.1%、私立幼稚園は6.8%。全産業の平均利益率(4.5%)を上回っており、今後、保育事業への公費支出などが議論になりそうだ。

(中略)

 他の施設の平均利益率は、幼稚園と保育所の機能を併せ持つ「認定こども園」が9.0%▽家庭的保育所17.8%▽事業所内保育所11.0~12.0%だった。制度が始まったばかりの小規模保育所は11.8~16.2%で、若い職員が多いため、人件費が抑えられ利益率が高めになった。

 

 なお保育事業の利益率は全産業の平均を上回る、なんて調査結果が出たそうです。公定価格のみで運営した保育所に限定すれば利益率は低くなるようですが、小規模保育所は軒並み利益率10%超えであることが報じられています。理由はもちろん「人件費が抑えられ」ていることなのだとか。人件費を抑えて利益を確保する、保育所もまた経営方針に関しては、日本の普通の民間企業と全く同じ感覚を持っているのでしょう。

 まぁ利益率だけでは一概に言えない、小規模な事業所ほど個別の事情はあるのかも知れませんが、保育士不足の最大の原因が給与水準の低さであることは広く知られるところでもあります。給料が低いから仕事が集まらない業界で、人件費が低い分だけ利益率が高くなっている、というのはどうしたものでしょうか。それが21世紀の日本的経営であることは否定のしようもありませんけれど、綻びは至る所に見えているわけで……

 現政権は外交面では圧力云々と宣っているところですが、北朝鮮とのプロレスごっこよりも優先的に圧力をかけるべきは別にあるような気がしますね。富を滞留させ、日本の国内経済が発展していくことを妨げている害悪にこそ、政府は圧力をかけるべきでしょう。肥え太らせることにはまずまず成功したのですから、そろそろ収穫の時です。企業の懐で金の流れが止まっている限り日本の発展はない、それを自覚して経済界に大ナタを振るわなければいけません。

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社長や役員が自社のことを分かっていないのは普通なのかも知れない

2017-10-22 22:02:08 | 雇用・経済

神戸製鋼、不正発覚を隠蔽 数社からコスト負担請求も(ロイター)

 神戸製鋼所(5406.T)は20日、製品の性能データ改ざん問題で、不正行為が明らかになったにもかかわらず、自主点検や緊急監査の際に報告していなかった事案があったと発表した。一部管理職を含むグループ従業員が行っていたという。自主点検の信頼性にも疑問符が付きかねない状況だ。

 会見には、梅原尚人副社長、山本浩司常務執行役員、勝川四志彦常務執行役員が出席。川崎博也会長兼社長は、体調不良のため出席しなかった。会見に出席した3人は、一連の不正について「全く知らないし、関与していない」と述べた。

 

 さて日本企業の信用を損ねるような話題には事欠かない昨今ですが、神戸製鋼も将来が危ぶまれる事態となっています。一昔前は「メード・イン・ジャパン」が高品質ブランドとして通用していましたけれど、遠からず「日本製=駄目な安物」のイメージが根付いていくのではないでしょうか。

 なお神戸製鋼を揺るがせている一連の不正について副社長と役員はいずれも「全く知らないし、関与していない」と述べたそうです(社長に至っては欠席……)。責任ある立場の人々の言動としてはいかがなものでしょう。「把握した上で、続けるよう指示していました」と自白するような人は流石にいないとしても、今回の事態を知らぬ存ぜぬでやり過ごそうとするのは無責任の誹りを免れないだろうと思います。

 まぁ、会社を傾かせたポンコツ経営者ほど、プロ経営者と賞賛されて退職金で焼け太りしたり他社に厚遇で招かれたりするのが日本の資本主義です。銀行マンは社長を死なせて初めて一人前、消費者金融なら3人自殺させて一人前――そう言われることもありますね。ならば社長や役員はと言えば、業績を悪化させて一人前、従業員を路頭に迷わせてこそ一人前なのかも知れません。

 いずれにせよ、社長や役員が不正を知っていながら続けていたのなら、当然ながら大問題であり罪に問われるべきものです。逆に、本当に不正を知らなかったのならどうでしょう、責任のある立場として相応の報酬を受け取りながらも自社で行われていることを把握していなかったのであれば、それもまた問われるべきものがありますよね。

 今回の一連の不正は特定の部門や特定の工場限定で行われていたものではなく、グループ企業も含めて広範囲に続けられていたことが報道されています。ならば「密かに」行われてきたのではなく、組織全体の方針に沿ったものであろうと考えるのが自然ではないでしょうか。全社で行われてきたものなのに、経営層だけは全く知らないとは、いったいどういうことなのやら。

 「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」とは小沢一郎の発言だそうですが、こうした感覚が政界だけではなく財界でも流通した結果として、自社で行われていることを「全く知らないし、関与していない」などと宣う無能を経営陣に据えている、とも考えられます。いくら何でも自社で組織的に行われてきたのだから知らないわけがないだろう、と思うのが普通の感覚かも知れません。しかし、日本の企業のトップとは我々の想像を絶する馬鹿の集まりである、という可能性はありそうです。

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給料を上げて人を増やして……とはならないのが日本的経営

2017-09-10 22:44:09 | 雇用・経済

ヤマト、荷物8千万個削減の計画撤回 値上げでも減らず(朝日新聞)

 宅配便最大手のヤマト運輸が、2017年度に扱う荷物量を前年度より約8千万個減らす計画を撤回したことが分かった。大口の法人客などと荷物量の抑制を交渉し、疲弊する宅配現場の労働環境の改善につなげる方針だったが、当初計画を見直して削減幅を3600万個に下方修正した。想定以上に法人客が値上げを受け入れて取引を継続するためとしている。

 当初計画では、荷物量を16年度の18億6700万個から17億8500万個に減らす目標を掲げたが、この目標を18億3100万個に修正した。値上げを嫌って他社に流れる顧客が思ったほど出ず、計画の修正を余儀なくされた形だ。

 ヤマトが6日発表した8月の荷物量は1億5027万個。前年同月を2・6%上回り、8月として過去最多だった。前年同月を上回るのは2年5カ月連続で、インターネット通販の荷物量の増加が続いている。17年度に入ってからの累計の荷物量も4・2%増となっている。

 ヤマトは4月、荷物量の抑制やサービスの見直し、基本運賃の改定などを柱とする「働き方改革の基本骨子」を発表。9月末までを目標に、大口の顧客や低運賃の荷物が増えている顧客と、値上げや扱う荷物の削減に向けた交渉を進め、その成果を荷物の総量抑制につなげることをもくろんでいた。法人客との交渉が想定通りに進んでいない結果、「働き方改革」の前提が揺らぎかねない事態となっている。(石山英明)

 

 ブルジョワ新聞に言わせれば「『働き方改革』の前提が揺らぎかねない事態となっている」そうですが、ブルジョワではない普通の人から見ればどうなんでしょうか。まぁ、ヤマト運輸経営陣の考える「働き方改革」もあれば、安倍内閣の唱える「働き方改革」もある、会社や論者の数だけ「働き方改革」はあるのかも知れません。

 ともあれヤマト運輸は荷物量を「減らす」計画を立てており、その削減目標に届かなかったわけです。それを目標未達と捉えればマイナスのイメージもつきまとうのかも知れないですけれど、ヤマト運輸にとって荷物の量とは販売の量であり、荷物量を減らすことは即ち販売件数の減少でしかありません。客が「減らなかった」のですから、何を悲嘆することがあるのでしょうか。

 この「ヤマト流」働き方改革の発端となったのは、従業員の過重労働が巷で問題視されるようになったことでした。これ以上の荷物を現状の人員で対応させるのは世間的に厳しい、ならば荷物の方を減らすしかない、そういう発想に(経営陣が)思い至ったわけです。ところが運賃を値上げし、荷物量の削減を交渉してもなお、顧客は減らなかったのです!

 今回の結果から明らかになったのは、顧客の大半は値上げされても今まで通りにヤマト運輸を利用したいと考えていることです。運賃が高くなっても、需要は減っていないことが分かります。この現実が示唆するのは、需給のバランスが取れる点よりも遙かに低い価格でヤマト運輸がサービスを続けてきたこと、ですね。

 需要のあるサービスは値段が上がっても相応に売れるわけです。しかるべく利潤を追求する「資本主義的に正しい」経営者なら、自社の利益を最大化するために、売れる範囲で高く値段を付けようとするものでしょう。ところがヤマト運輸の場合、高くても売れるサービスであったにもかかわらず、長年に渡って安値で自社サービスの販売を続けてきたのだ、と言えます。

 「普通の」国では、需要のあるサービスは会社に収益をもたらし、儲かった会社は従業員を増やし賃金を上げ、働く人の給料が高くなることで国内市場の購買力も上昇する――そうやって経済成長していくものです。ところが極東のガラパゴス列島だけは例外で、需要のあるサービスでも安売りし、安売りを維持するために人件費を切り詰め、その結果として働く人は貧しくなる、国内市場の購買力も低下する――そんなサイクルを続けてきました。

 ここで引用したのはヤマト運輸のケースですが、類似の事例は他でも少なくないのではないでしょうか。高く売れるモノでも安く売る、それは日本的経営の美学に適ったことなのかも知れません。しかし、それは資本主義的には間違いです。高くても買い手が付くなら高く売るべきですし、販売増で従業員の負担が増えるというのなら、儲かった分だけ給料と人を増やせば良いだけです。値上げしても客が減らないのなら、その原資は当然あります。

 それでも日本の企業は利益よりも理想を追うもののようです。21世紀の日本的経営は成長よりデフレを好みます。人を増やすことで解決できるにもかかわらず、まず先に荷物を減らす(=取引量を減らす)という「改革」が前面に出てくるのが日本の経営判断ですから。それは日本だけの常識のような気がしますが――人件費抑制を続けるためなら商取引まで抑制してしまうのは、会社の偉い人にとっては常識なのでしょう。

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日本的人手不足

2017-09-03 22:45:04 | 雇用・経済

日本一豊かなホタテの村も人手不足で四苦八苦、オホーツク沿岸の猿払(Bloomberg)

 ベルトコンベヤーの両側にずらりと並んだパートの女性たちが手作業でホタテのウロやミミを取り除く。地方自治体の所得ランキング上位の北海道・猿払村の干し貝柱加工場。自動化が進んだとはいえ、加工は人の目と手に頼るところが大きい。日本で最も豊かな村でも、最大の課題は人手不足だ。

 加工場を運営する漁業協同組合の木村幸栄専務理事(73)は「やる気になれば24時間稼動して生産を3倍に増やせるが、それにはあと100人以上必要だ」と語る。加工場の従業員90人のうち19人は中国などの技能実習生。木村氏は「日本人従業員の多くは高齢者で、あと7、8年したら日本人はいなくなる」と悲鳴を上げる。

(中略)

 猿払村は東京23区をやや下回る面積に人口2764人(8月1日現在)を抱え、昨年の住民の平均所得は港区、千代田区、渋谷区に続き4位。高級住宅街が立ち並ぶ兵庫県芦屋市を上回る。村の平均所得を押し上げているのはホタテ漁に携わる約250人の漁業組合員で、加工場の時給は最低賃金の786円にとどまっている。

(中略)

 漁業協同組合の木村氏は「時給を多少上げたところで日本の若い人は来てくれない。2、3倍にすれば来るかもしれないが、それでは採算が合わない」と述べた。漁業が先細る中、省力化投資しようにも特殊な技術が必要な機械は量産が難しく、コストも高くつくという。

 猿払産ほたてを冷凍加工している稚内市の「稚内東部」は従業員73人中18人が中国人。「せっかく海にホタテというお金があるのに、人手がない」と、実習生の受け入れ枠拡大を望む。しかし、同社も採用当初は最低賃金で、仲村房次郎相談役(79)は「うちだけ賃金を上げると、より小さな会社から人を奪うことになる」と話す。

 

 昨今は景気回復(十分とは言えない水準ではありますが)を否定する反政府系メディアさえもが人手不足を連呼する時代ですけれど、ここに引用した記事などは「人手不足」の正体を伝える典型例と言えるでしょうか。なんと「住民の平均所得は港区、千代田区、渋谷区に続き4位」という富裕層の集う自治体が人手不足に悩まされているのだそうです。曰く「最低賃金の786円」で求人を出しても人が集まらないのだとか。

 「平均」の所得が日本で4番目に高いにも関わらず、そこで働く人の賃金は時給800円すら下回る最低賃金で、職場によっては2割以上が外国人技能実習生であることも報道されています。なぜ「平均」すれば圧倒的に豊かなのに、村で働く人の賃金は最低水準なのでしょう。ましてや外国人実習生ともなれば、給与は最低賃金の半分にも満たないことと推測されます。村全体の「平均」は日本でも最も豊かな部類に入っているはずですが……

 もちろん100年あまり時代を遡れば、奴隷を非人道的に酷使することで莫大な富を築いた例は珍しくなかったのかも知れません。しかし21世紀の日本で、最低賃金の労働者や外国人実習生を働かせることで「日本一豊かなホタテの村」とやらが築かれているのはいかがなものでしょうね。「豊かに」なったとしても、それは前時代的な富の築き方であり、進歩ではなく退行によって得たものだと言うほかありません。

 「時給を最低賃金の645円でスタートさせたのは、周辺の需給バランスが崩れると、他の企業が参入しにくくなるからです。」とは、2012年にワタミが陸前高田市にコールセンターを開設したときの言葉です。その当時に比べれば最低賃金が多少マシ(これも不十分ではあります)になっているわけですが――最低賃金ギリギリで人を働かせようとする経営者が後を絶たないことも同時に伝わるでしょうか。(参考、競争しないワタミ

 世の中には経営難を隠れ蓑に人を安く働かせようとする経営者も多いです。最低賃金で人を働かせることでしか成り立たない企業を存続させることにメリットはありませんが、労働の規制を緩和してゾンビ企業を延命させるのが日本の「構造改革」でした。しかるに収益力が低いからマトモな給与を払えない会社ばかりでなく、ワタミのような大企業や、今回の猿払村のように経済的に強いはずの雇用主すらもが、人を最低賃金で働かせることに固執しているわけです。マトモな賃金を「払えないから払わない」のではなく、もっと別の意思が介在していることが分かります。

 本来ならば、市場には競争原理が働くものです。カビの生えた新旧古典派の理論では、需要が供給を上回れば価格も上昇することになっています。だから「労働力」の需要が供給を上回る(即ち人手不足!)ならば、労働力の価格は必然的に上がる、要するに給料が上がらなければなりません。しかし、それを阻もうとする堅固な意思が日本の経済界には存在します。市場原理よりも強い経営者の「理想」があるのですね。

 高額の給与を提示することでライバルから有力選手を引き抜いてくる、そんなことはプロスポーツの世界では当たり前です(色々と制約の多い護送船団リーグがないこともないですが)。勝利のためには有能な人材が欠かせませんし、それを集めるためにはヨソより好条件を提示するのは当然のことです。企業経営も然りで、他社より有能な人材を求めるならば他社より好待遇を提示するのが競争というものでしょう。しかし、それを頑なに避ける、決して人材獲得競争にならないように心を砕いているのが日本企業と言えます。人手不足を託ちつつも、他社より高い給与を提示して人材を奪うようなことは決して行わない、それが21世紀の日本的経営であり、人手不足の正体なのです。

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大和総研ファンタジー

2017-08-27 23:02:19 | 雇用・経済

残業規制で所得8.5兆円減=生産性向上が不可欠-大和総研試算(時事通信)

 残業時間の上限が月平均で60時間に規制されると、残業代は最大で年8兆5000億円減少する-。大和総研は、政府が掲げる働き方改革で国民の所得が大きく減る可能性があるとの試算をまとめた。個人消費の逆風となりかねないだけに、賃金上昇につながる労働生産性の向上が不可欠となりそうだ。

 政府は働き方改革の一環として、罰則付きの残業上限規制の導入を目指している。実現すれば繁忙期を含め年720時間、月平均60時間が上限となる。

 試算によると、1人当たりの残業時間を月60時間に抑えると、労働者全体では月3億8454万時間の残業が減る。年間の残業代に換算すると8兆5000億円に相当する。

 残業時間の削減分を新規雇用で穴埋めするには、240万人のフルタイム労働者を確保する必要があるが、人手不足の中では至難の業だ。

 

 もちろんシンクタンクとは特定のイデオロギーを擁護するのが仕事ですので、多少の無理筋をも厭わず脅し文句を並べ立ててくることもあるのだ、と言えます。曰く「残業時間の上限が月平均で60時間に規制されると~国民の所得が大きく減る」そうで。しかし、大和総研の語る夢はどこまで正しいのでしょうか。

 残業時間の規制で残業代が減る――それが成り立つのは、残業代が支払われている場合に限ります。しかし日本では、残業代を支払わなかった程度で経営側が罰則を受けることはきわめて稀です。とりわけ超長時間残業が常態化している会社ほど、不払いも一般的、払われているとしても雀の涙なのではないでしょうか。常人の倍以上の時間を働いているはずの飲食店の従業員が豪邸住まいなら話は別ですが……

 とりあえず試算によれば「残業時間の削減分を新規雇用で穴埋めするには、240万人のフルタイム労働者を確保する必要がある」とか。本当に240万人のフルタイム労働者の雇用を生み出すのならば、現政権の働き方改革の賞賛されるべき部分であると言えますが(当然その分だけ「所得」も増えますから)、どこまで上手くいくでしょうね。人件費削減を至上命題にする日本企業がそう簡単に雇用を増やすかは微妙です。

 嘘も百回言えば真実となる、とばかりに人手不足を連呼するメディアも多いです。報道側にも色々と思惑はあるのでしょうけれど、職にあぶれている人はいくらでもいます。結局のところは企業側がえり好みしているだけ、「(薄給で無制限に働いてくれる即戦力の)人手が足りない」とワガママを続けているだけ、と言うのが実態でしょう。

 人手不足が現実のものであるならば、他社に明確な差を付けた好待遇で人材を奪いに来る会社が出てくる、人材の獲得競争が始まるはずです。しかし、それを日本国内で行っているのは本当に一部の外資系企業ぐらいで、大半の国内企業は横並び初任給と伝統の過重労働を堅持しているわけです。人手不足と言われるのに人の奪い合いは全く起きない、起こそうとする企業もない、それって本当に人手不足なんですか?

 どのみち、60時間を越える残業をしないと消費に金が回らないほど賃金が低いとしたら、そっちの方が大問題です。60時間を大きく上回るような残業ありきで従業員の生活が成り立っているのなら、それこそ異常な社会と言えます(まぁ国民の所得もGDPも上がっていないのに内部留保だけは鰻登りという時点で異常には違いありません!)。生産性よりもまず先に、低すぎる日本の人件費を引き上げる、それを企業に「強制」することを働き改革に盛り込んでも良さそうです。

 そもそも大和総研と、それを無批判に伝える時事通信の主張が正しいなら、業務の効率化で残業時間を削減することすら即ち「所得が減る⇒個人消費の逆風」になってしまいます。それを避けるためには、非効率的な働き方でダラダラ残業することが求められてしまいますが――まさに21世紀日本の経済言論の水準を象徴している感じですね。

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