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あるマーケティング研究者の思考と行動

「最後の政治家」の運命

2010-02-01 14:47:53 | Weblog
小沢一郎氏を好きか嫌いか,支持するかどうか別にして,彼がこの四半世紀,最も存在感のある政治家だったことを認める人は多いと思う。小泉純一郎氏の存在感もまた大きかったが,小沢氏が自民党を弱体化させたからこそ,自民党の救世主として登場できた面がある。その意味で小沢氏のインパクトは非常に大きかった。一方,首相の座についた小泉氏とは違い,小沢氏は自らの政策を十分実現するには至っていない。「小泉改革」ならぬ「小沢改革」と何なのかは必ずしも明確ではない。

正月頃の話になるが,テレビ東京の「カンブリア宮殿」という番組で,作家の村上龍が小沢一郎と対談した。番組のエンディングで,村上氏は小沢氏を「最後の政治家」と評した。番組のウェブサイトには,次のように書かれている:
村上龍の編集後記 小沢一郎ほど、誤解されている人はいないのではないだろうか。日本の政治家には珍しく論理的だが口下手で、経済から外交まで3次元的な構想と戦略を持っ ていながら演説は苦手で、頭は切れるが社交的ではなく、基本的にシャイな人だ。本当は政治家には不向きかも知れない。きっと孤独なのだろうが、決して孤立はしない「最後の政治家」だと思った。
では,小沢氏の「構想と戦略」とは何だろうか。以下の『小沢主義』は,かつて話題になった小沢一郎『日本改造論』を現代に合わせて改訂したものだという。文庫本なので,手軽に小沢一郎の「構想と戦略」を理解できるかもしれないと思い,読んでみた。

小沢主義(イズム)―志を持て、日本人 (集英社文庫),
小沢 一郎,
集英社


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冒頭で小沢氏は選挙について語る。いわゆるドブ板選挙は悪いこととして語られがちだが,これこそ議会制民主主義の原点だという。つまり市井の人々の話に耳を傾け,実際に支持を受けて当選する。公約を果たせず支持されなくなれば落選する。そこが原点だと。そこでぼくが思い出したのが,かつての青島幸男氏の選挙だ。一切選挙運動はしない。有権者は候補者の政見をメディアで読んで投票する。確かにカネのかからない「清潔な」選挙だが,青島氏ほどの知名度がないと実行できない。

小沢氏の選挙至上主義は,選挙ではなく試験で選ばれた官僚たちに重要な意思決定を任せるのはおかしい,政治家がリーダーシップを発揮すべきだという主張につながっていく。官僚には,選挙のように,結果責任を問われる機会がないというのがその理由だ。鳩山政権が発足早々実施したいくつかの「政治主導」の取り組みは,2006年に出版されたこの本のとおり行なわれているように見える。つまり,小沢氏が長く構想し,本書でも重点的に扱っている政策が,最優先で実行されたといえる。

では,政治家主導の体制で,小沢氏はどんな政策を実施したいのだろうか。本書の前半に,農産物の輸入を自由化しても,農産物価格が生産費を下回ったとき政府が補填する制度があれば大丈夫だという話が出てくる(ただし民主党自体は,農家の所得補償だけ主張して,自由化のほうはあいまいにしている感がある)。しかし,これを除くと経済政策への言及はそう多くない。小沢氏の関心は議会や行政の制度改革に集中している(経済への関心の低さは,民主党自体の特徴かもしれない)。

小沢氏は本書で,尊敬する人物として,織田信長,大久保利通,原敬といった名前を挙げている。そこで思い出したのが,池田信夫氏のブログの一節だ。かつて池田氏の取材に対して,加藤寛氏は「行政改革をやった原敬も犬養毅も暗殺され、戦後も福田赳夫のように行革をやろうとした内閣は短命に終わった。私は命が惜しいから、霞ヶ関には手をつけない」と笑いながら語ったという。池田氏は「鳩山政権の苦境をみていると、犬養を殺した官僚の力は健在だなと思う」と結んでいる。

小沢一郎氏あるいは民主党が掲げる「脱官僚」や「政治家主導」というスローガンは,その意味で非常に困難な課題である。「カンブリア宮殿」で小沢氏は,自分たちは「無血革命」を目指していると語っていたが,それが革命という呼称に相応しいものなら抵抗は半端ではないはずで,「無血」では済まなくなる。原敬を尊敬する小沢氏はそのことを覚悟していても不思議ではないが,他に改革を叫ぶ議員たちはどうなのか。彼らにその認識がないとしたら,小沢氏はやはり「最後の政治家」だということになる。

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