Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

与野党という役割構造

2010-02-25 09:51:32 | Weblog
今朝のニュースによれば,自民党は審議拒否をやめて国会審議に復帰する。にしても,何のため審議拒否を続けていたのかよくわからない。いま,民主党政権は「政治とカネ」以外にも,経済政策や普天間問題など,突っ込まれたくない問題を山ほど抱えている。先日の自民党・与謝野氏による「平成の脱税王」発言は,賛否はともかくかなり反響があった。自民党が審議拒否して得するのは与党や自民以外の野党で,自民党ではないと思うのだが・・・。

なぜ自民党は審議拒否戦術をとったのだろう? 自民党は与党時代,当時野党の民主党,あるいはかつての社会党が審議拒否するのを批判していた。もしかするとそのとき,与党の立場として野党の審議拒否がよほど苦痛だったのだろうか? だから野党となったいま,経験上「効果的な」戦術を採用しているのだと。これは,あくまで論理的にあり得る仮説でしかない。当事者に聞いてみるしかないが,素人目には,どうもありそうにない理由のように思える。

もう1つの仮説は,審議拒否は与党に打撃を与えないが,世論に自分たちが「頑張って戦っている」姿勢を示すことができるメリットがあるというもの。ただ,これも説得力があるようには思えない。かつてもいまも,世論に審議拒否が支持されているという話を聞いた記憶がない(知らないだけかもしれないが)。特に,自民党の支持層は,かつての野党の審議拒否に対して批判的だったはずで,いま自民党が同じ戦術をとっていることに好意的であるとは思えない。

このように審議拒否に合理的根拠を見出すのは難しいが,限定合理性を考えれば説明できるかもしれない。長く与党の座にあった自民党は,野党としてどう行動すべきかがわからない。そこで,かつて野党がしていたことが,とりあえずの役割モデルになる。かつての野党であれば,ここは怒って審議拒否する場面だと思えば,そのように行動する。この説明はもっともらしい。ただし,少しでも合理性があれば,学習によって行動を修正するはずだが・・・。

社会学者なら,個々の政治家の思惑を超えて,構造が行動を規定する,と説明するかもしれない。すなわち,野党であるのが自民党であれ民主党であれ,野党という構造的役割を担う限り,そこでどうふるまうかは,ある範囲に制約されてしまうと。政権奪取後の民主党が,地方選挙で利益誘導を匂わせたりしている話を聞くと,この説明も説得力を帯びてくる。つまり,与党としてのふるまいもまた,自民党であれ民主党であれ,結局は同じになると。

政権交代したが,与党,野党という役割から見ると,やっていることは昔とほとんど変わらない・・・ というのはいいすぎだとしても,そういいたくなる場面をしばしば目にする。そう思う有権者が少なくないことが,民主党が最近の地方選挙で負け続けている要因の1つであり,また,それにもかかわらず自民党の支持率が上昇しない要因の1つではないだろうか。民主党,自民党ともに,かつての与党,野党の役割構造を超えてほしいものだ(と,やや優等生的な結び)。