Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

進化・行動・神経マーケティング

2010-02-04 20:54:00 | Weblog
いま,ビジネスパーソンも含め,行動経済学に関心を持つ人々が増えている。行動経済学は意思決定者の「限定合理性」に光を当てた。その延長線上に,感情や無意識の重要性が認識され,神経経済学(ニューロエコノミクス)が登場した。行動実験中心の行動経済学に対して,脳神経科学的な基礎づけを行うのが神経経済学だ。さらに,そうした実験に基づく知見に進化論的な基盤を与えるのが進化心理学である。人間の意思決定の特徴を,人類の長い進化プロセスにおける適応として説明しようとする。

この3つの学問はお互いに関連しながらも,独自に発展している。それをマーケティングあるいは消費者行動という観点から総合的に捉えるとどうなるか。それを非常に読みやすい文章でコンパクトにまとめたのが,ルディー和子『売り方は類人猿が知っている』である。ルディーさんはダイレクト・マーケティングの世界で活躍されてきた,どちらかというと実務家に属する方である。しかし,その読書範囲はビジネスから神経科学,しかも海外の専門学術誌にまで及ぶ。その博覧強記ぶりは,並の学者をはるかに凌駕している。

売り方は類人猿が知っている(日経プレミアシリーズ),
ルディー 和子,
日本経済新聞出版社


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この本は,主に消費行動に焦点を当てた行動経済学やニューロエコノミクス,あるいは進化心理学の啓蒙書として,幅広い人々にお薦めできる。タイトルからも,日経から出版された新書であることからも,ビジネスパーソンが主なターゲットであることは間違いないが,個人的には,マーケティングや消費者行動に関心を持つアカデミックな研究者に強く推奨したい。今後この領域で必読となるであろう最先端の論文の読書ガイドになるし,今後研究すると面白そうなテーマを探すのにも役に立つはずである。

なお,ぼく自身がいつか研究したいと思っていることで,本書を読みながらさらにその思いを強くしたのが,消費行動における再現性の高い特性の進化論的基盤を問うことである。本書でもたびたび紹介される進化心理学は,それを「長きにわたった狩猟社会における適応的行動」として説明する。その視点に反対ではないが,よくできているが反証不能な「物語」で終わっていることが多く,不満が残る。完全な方法はないとしても,進化ゲームのような,一定の厳密性を持つ方法でないと,ぼく自身は納得感を得られない。

たとえば,本書で,人間が嫉妬という感情を持つのは,そのほうが狩猟という集団行動でうまくいくからだという説明が紹介されている。嫉妬心があることによってある程度平等な分配が実現する結果,みんなが互いに協力して(集団の)適応度が向上する,というのだが,それは人が平等な分配を好むことが前提とされているから,いえることではないだろうか。進化論的には,偶然誕生した嫉妬心が,同義反復的になることなく,人々の間で協力行動あるいは集団への忠誠心を「創発」することを示す必要がある。

それはともかく,マーケティング教員として本書の問題提起を真摯に受けとめることも重要だ。消費者の感情や無意識の役割をもっと全面的に考慮した講義をしないと,本書から最新の研究動向を学んで知的に武装する実務家たちから遅れをとることになる。いや,すでにそうした講義を行っている先生は多くいるかもしれない。自分自身の課題として,本書の刺激を踏まえて,講義内容をいかに「進化」させるかを考える必要がある。それはもちろん「突然変異」に頼ることになる。問題は「自然選択」の役割を誰(何)が担うかだ。