Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

学生が熱心に聴く授業

2009-10-28 12:47:11 | Weblog
昨夜,経営戦略論の大家,三品和広先生の講演を聴いた。タイトルは「経営戦略は、観と経験と度胸」。「勘」でも「感」でもなく「観」であることに深い意味がある。それはビジョンではないという。ビジョンはしばしば具体的すぎて,制約的だ。それに対して観は大まかな方向を決めるだけであり,柔軟性に富む一方,数十年にわたって維持される。そうした観を持つ経営者は,そう多くないという。

非常に興味深い講演だったが,ここで書きたいことは,講演の冒頭に示された,三品先生の授業を聴く学生たちの姿である。百人以上の神戸大学経営学部2年生の学生たちが,教壇のほうを向いて座っている(それを正面から撮影している)。その写真を見せたのは,最近の大学生は昔と違い,真面目に授業に出てくることを理解させるためであった。しかし,ぼくにはそのこと自体,驚きではない。

驚いたのは,多くの学生が真剣な眼差しで聴いているだけでなく,寝ている学生が見当たらないことだ!もちろん,ぼくの授業だって,一生懸命ノートをとりながら聴いている学生はいる。ただその反面,少なくとも1割は,机に突っ伏して寝ている(その点は「昔」と変わらない)。 それが見当たらないのが,さすが神戸大学経営学部ということなのか,三品先生の授業が圧倒的に面白いのか・・・。

そのとき,脈絡なく思い出したのが,月曜の日経朝刊に出ていた,立命館の川口清史総長による「大学院充実 私大を主役に」という論文である。そこに示されていた数字によると,文科省による国立大学の大学院充実化政策の効果もあって,日本の大学院生総数の74%が国立大学に属している。一方,学部では75%の学生が私立大学で学んでおり,ほぼ真逆の関係にあるということだ。

そこから容易に想像されるのは,学部は私立で学び,院は国立へ進む学生が多いということ。立命館大学の理工系学部は1学年1,700人ほどで,40% が立命館の院に進むが,100人以上が国立大の院に進むという。文系学部は「さらに状況は深刻」とのことで,定員が未充足なので授業規模が過小になり,さらに受験者が減るという悪循環が起きている(国立大でも他人事ではないはずだが)。

「そもそも私立大学に大学院はいるのか」と自問しつつ,もちろん,そうではないというのが川口総長の主張だ。COEなどを核にしつつ,国立大とは違う特色ある大学院を作っていく,そのために国の支援もよろしく,と話は進む。革新的で有名な立命館のことだから,その先頭に立って突き進んでいるに違いない。本当に力のある大学だけが大学院を維持できる時代になっていくのだろう。

多くの(私立)大学にとって,大学院は本当に維持すべきかどうか,真剣に問われることになる。理工系学部の場合,大学院を持たないと「手足になる」院生がいなくなり,研究力低下に直結する。文系はそこまでいかないにしろ,最先端のテーマを研究し,柔軟な頭で人生で最も勉強している(はずの)院生がいないと,教員たちの研究活力が失われていくおそれがある。

そうなると,教員たちの講義内容は十年一日のごときものになり,なぜか出席に熱心な学生たちの睡眠比率が向上していくことになる。文学や哲学ならそれでよいかもしれないが(偏見?),少なくとも経営やマーケティングのような分野で,研究や実務の最先端から外れた話題ばかり講義されるようになったら・・・。三品先生の授業はそうなっていないからこそ,活気ある学生であふれているのだろう。

教員と学生たちの間で正のフィードバックが働き,盛り上がっていく大学と,負のフィードバックが働いているのではと疑わせる沈滞に包まれた大学。大学が(あるいは同じ大学内で)そのように二極化していくかもしれない。その境目がどこにあるのか,どうしてそこで起きるのかが,大学教員にとって重要な問題になってくる(それが重要だと思わない心境に立てれば,幸せに生きていける)。

ぼくはいま,大学院生を指導しなくてよい立場にある。おかげで楽になったが,楽になることで自分の成長が妨げられているとも思う(研究会等での接点はあるし,院生に限らず若手研究者と一緒に仕事をする機会がないわけではないが)。自分の最近の研究業績を振り返ると,院生や学生との共同研究がけっこうあったことに気づく。今後はそんなことを期待しないスタイルに適応するしかない。