Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

底なしの無反省とほぼ完璧な無為

2008-07-02 23:38:02 | Weblog

業務とか何とかいろいろ煮詰まってくると本屋に飛び込んで本や雑誌を買いまくる。そうして溜まった書物で居室や研究室が埋まっていく。ああ… なんてボヤキながらも,こんな表紙を見せられたら,何があっても買わざるを得ないでしょう…

PLAYBOY (プレイボーイ) 日本版 2008年 08月号 [雑誌]

集英社

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「ジャズ,男のスタンダード」… ジャズってのは,男がカッコをつけたくなるときの音楽なわけである。現実がどうであろうと関係ない。島耕作のようには女にモテず,出世もできず,仕事に恵まれなくても,ジャズはむしろそんな敗者を癒してくれる。こんなオレだって,見方によってはカッコいいかも,少なくともこのカウンターでジャズを聴いている瞬間は… という自己幻想をほんのひと時だけ味あわせてくれる。そのためかどうか,このぼくにも,ジャズの店に足繁く通う時期があったぐらいだ…。

…てな独白はともかく,この特集の冒頭にある,辺見庸によるチェット・ベイカー「没後20年のオマージュ」は心に刺さる。掲載された若き日のチェットの写真はあまりに美しく,祝福された未来を予想させるが,彼はそうは生きなかった。辺見氏がいうように,天才ミュージシャンとして夭逝する「幸運」に恵まれず,かといって権威を身にまとうでもなく,麻薬に溺れたまま58歳でアムステルダムで客死する。 辺見氏は,チェットの歌う I am a fool to want to you のすごみは,

…恩寵のゆえではなくして、神をもあきれさせ、ふるえあがらせた底なしの無反省とほぼ完璧な無為をみなもととしていることにあるのだ。

と書く。あるいは,

…徹底した落伍者の眼の色と声質は、たいがいはほとんど堪えがたいほど下卑ているけど、しかし、成功者や更生者のそれにくらべて、はるかに深い奥行きがあり、ときには神性さえおびるということなのだ。

とも書く(その詳細は,このコラムの本文でぜひ)。

実は最近,車で繰り返し聴いているのが下の CD だ。そういう巡り合わせがあったから,この雑誌を買ったのかもしれないが,このコラムを読んでさらに「深く」チェット・ベイカーを聴きたくなった(こういうリコメン効果をどう解すべきか…)。

Chet
Chet Baker
Riverside/OJC

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 チェット・ベイカーもクルマ好きであったらしい。彼の涙を誘うバラードを聴きながら,

ENGINE (エンジン) 2008年 08月号 [雑誌]

新潮社

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とか 

Motor Magazine (モーター マガジン) 2008年 07月号 [雑誌]

モーターマガジン社

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のページをめくりながらワイングラスを傾ける,というのが,麻薬漬けになってホテルから転落死するほどの危険は冒さない,ささやかな「無反省と無為」の愉しみ方であろう。酒と音楽とスピードは,太古以来の人間の快楽だ。それは何も生み出さず,ときには破滅をもたらすが,人を惹きつけてやまないものなのだ。

ジャズもクルマもワインも,しばしば際限のないウンチクという,それ自体何の意味もない(そしてときにははた迷惑な)知識の蕩尽を生み出す。それは,生産的価値のない技芸といってよい。だが,そこに人間の嗜好の,ある本質が表れているのではないか。だとしたら,「選好」形成を「技能」形成としてみることができる。実はいま,これはかなり重要な視点だと思っている。

…てなことはともかく,快楽の本質を知りぬいた人間がいて,その悪魔のささやきにわずかな時間だけ耳を傾け,眠くなったら寝る,明日の平凡な一日のために… というのが当面「持続可能」な消費(人生)なのだ。