Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

2007年の回顧 世の中編

2007-12-30 17:13:19 | Weblog
今回は,2007年の世界や日本の政治と経済について大いに語る・・・何てぼくにできるわけない。世の中で起きている森羅万象に対して意見を述べる「評論家」や「ジャーナリスト」って,何てすごいんだろう。だが,そこまで広い知識を持ち,責任を持って評価を加えていくなんて,辛くないだろうか・・・そんなこと誰もできっこないのに・・・できっこないことを引き受けるなんて,勇気があるのか厚かましいのか・・・。

どんなことにも知識を持つかのようにふるまい,評価を下していく人々は,つねに存在した。特定の知的な人々にはそれができるという考え方は,政治的立場を超えて存在した。その考え方は,世間からはエリートに見える人々のなかでさえ,急速に失われている。それを端的に表すのが,今の日本の政治状況ではないかと思う。それを嘆く気は毛頭ない。だが,それに代わるものが見えないのは困ったものだ。

今年のニュースのうち「歴史的」といえるのは,参院選で自公政権が過半数を失い,衆参ねじれ現象が起きたことだろう。いまさらいうまでもなく,次の総選挙で自公が勝っても,この事態は変わらない。あと3年間は,総選挙で民主党が勝つか,大連立が出きるか,あるいはセーカイ再編成とやらで新たな多数派が形成されない限り,ねじれは続く。こうした,前代未聞の不安定な状態に,攻める側の民主党の党首でさえ立ちすくんでいるとわかったのが,大連立をめぐる騒動だ。

民主党が攻め手を欠く理由はいろいろあるが,最も深刻なのが,魅力ある首相候補の不在だろう。米国の大統領選挙には,かつてのクリントンやいまのオバマのように,無名の候補が予備選を通じて徐々に知名とカリスマ性を獲得していくプロセスがある。従来の自民党では,ミニ政党である派閥形成を通じて首相の座を目指すプロセスがあったが,いまや無力化したように見える。結局,リーダーは安倍氏や福田氏,あるいは麻生氏のような「元首相の子息」に頼るしかない。

プロの政治家が役不足となる一方,芸能人の政界進出はあとを絶たない。今年1月,そのまんま東=東国原宮崎県知事が誕生したとき,「児童福祉法並びに東京都青少年健全育成条例」違反の疑いで事情聴取され,謹慎した過去があっても当選できたことに驚いた。やはり「知名度」の高さが奏功したとは否定できない。それから1年経ったいまでも,彼はTVで引っ張りだこだ。メディアへの露出が続けば知名だけでなく好意が生じるという,古典的広告モデルが「そのまんま」成り立っている。

知名度を生み出すのは,テレビというメディアだ。政治は,ワイドショーのフォーマットで理解されるようになった。しかし,メディアで得た地位は,メディアによって奪われる。先の衆院選での自民党の大勝を象徴する小泉チルドレンは,次の選挙での公認をめぐって厳しい立場に置かれ,メディアから意地悪な視線を浴びている。民主党の参院選勝利を象徴する横峯パパや虎退治の姫は,スキャンダルでマスコミの袋叩きになった。それでも,高い知名度があることは,決して不利でないという。

知識から知名へと影響力の根拠が移行している。「ジャーゴン」で煙に巻く学者や,聞きかじりでも一応「知識」を持つ評論家の時代から,ただの感想と感情を話術で昇華させる司会者の時代へ・・・だが,単なる知名=有名性が支配する状況は,何十年も前にブーアスティン等々が指摘していたことでもある。いまさら,といえる反面,最近は「集合知」論のように,草の根の人々の知識集積に期待する見方もあったはず。

どちらが正しいかを占うのは来年早々の大阪府知事選の帰趨かもしれない。大阪府民は横山ノックで懲りているという説がある一方,ネットの世論調査では,「橋下弁護士」を「知事として好ましい」と答えた人が半数いるという。橋本氏は単なる有名人ではなく,立派な弁護士ではないか・・・という見方もあるだろう。しかし,有名人になるプロセスで彼は,「いい加減な弁護士」という役回りを引き受けているように見えた。つまり,知識より知名の人なのである。