去年の暮れから、この山城地域の、旧集落を探し回ってやっと見つけた撒き砂と砂盛り。
僕の子供のころにはどこの家でも、大晦日にはこの砂まきをして砂盛りを作り、榊の枝を突き立てるのが慣わしだった。
それは多分、この山城の地が木津川のそばであり、豊富に川砂が調達できたこと、おまけにこのあたりの山では山砂も簡単に手に入れることができたからだと思う。
列島改造のあおりで、道路はすべてアスファルト舗装になり、家の前のかど(空き地)も家屋の新築で車の車庫などにとって変わって、撒き砂をする場所がなくなってしまって久しい。
砂盛の榊は、松竹梅であったり、南天が添えられてたりと、家や集落ごとで変わったりもするが、これは歳徳神の依代、撒き砂は神を家に招きいれる道??、と家の周りを清める意味も含めているのだとおもう。
この砂撒きは、男性の仕事で女性がそれをすることは許されなかった、もちろん砂盛も同じように・・・。
子供の頃の記憶だけなのだが、撒き砂の形は、各集落でまちまちで、僕が覚えてるのはこの写真のような波型、丸をいくつもいくつも作った丸型、そして碁盤の目のような碁盤形。
この二つ習俗は消え行く山城の風俗としてなんとしても記録しておきたかった。
最近では個々の家々で注連縄を作る家もすっかり少なくなって、あの懐かしいごつごつした玄関の上に渡された注連縄も珍しい。
たいていの家庭では、近場のスーパーやDIY で調達した注連飾りを玄関脇に飾っている。
もちろんこれは、まったくのデコレーション感覚でしかない。
あのウラジロと藁縄だけのシンプルな輪締めも、家のすべての結界につけたものだが最近はすっかり省略して僕の家でも数個しか付けていない。
多分、今こうしてわずかに残っている、砂盛や、撒き砂などもそう遠くない時期にすべて消え去ると思います。
やっと、見つけた山城の正月だけれど、やっぱり子供の頃に見ていたのとは少し何かが違うような??
多分、それは周りの景色の変化だったり、見る僕自身の目が変わってしまっているからかもしれない。
こんにちわ
山城の撒き砂・・ありがとう~(*^_^*)
撒き砂も・・年徳神も、始めて聞きました・・
砂撒きも、盛り砂も男の仕事なんですね。
東京では、松飾は玄関の両脇に立てます。
それに小さな縄で編んだ円い輪の(注連縄?)とウラジロと、ユズリハが一対になって
売っているのを買ってきて立てるだけですね・・
それさえも飾る家は少ないです。
だいたいが、アレンジメントのリースの輪飾りです・・ね。
砂を撒いて神様の通り道にするわけなんですね。
砂の色が黄色っぽくて、砂の質感がずいぶん違うように見えます。
砂と言うと海岸のさらさらした灰色か・白い砂を思い浮かべますが、山城の砂はちょっと違う感じがしました。
自然や日本の伝統がまだまだ残っているんですね・・
なんだか・
タイムスリップした時間に戻った気がして、
不思議な感じがしました。
こういうものが消えていくのは、本当にせつない気持ちになります。
京都のペンさんはよく調べておいでで関心致します。
山城でも砂まきの残っているところは殆ど皆無に近くなっています。
2年ほど前に柘植町の集落内で見かけたことがありますよ。
あの辺りの出身でしょうか???。
あの辺りはいろんな物が残っていて興味深いところです。
よろしくお願いします