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東北自動車道矢吹IC依り北西へ約10km、阿武隈川の上流域に広がる長閑な中島村の御城(みじょう)と呼ばれる大地に残された二つの石仏。
強い木漏れ日が曼荼羅模様にに成って見苦しい写真ですが・・・・。
御城(みじょう)と呼ばれる台地は中世楼閣「滑津館(なめつたて)」が在ったとされ、古い墓地に石造物が集められている。
台地入口斜面、大きな岩盤の上に突き出した高さ2m程の自然石の表面に縦長方形の浅い龕を彫り沈め、壁面に線彫りの阿弥陀坐像を刻んでいる。
連弁に坐す像高約50cmばかり・・・当背部に円頭光を戴き定印を組む。
小さいながらもよく整った力強い線で刻まれ、建治四年(1278)年、鎌倉中期の銘が有り、紀年銘のある磨崖仏としては福島県最古とされて居る。
一方、墓地脇の広場には立派な地蔵堂が有り、「汗かき地蔵」と呼ばれる大きな石仏が祀られて居る。
高さ約170cm、坐像ながら蓮座や基台もなくまるで石塊に顔や手足の突起を付けただけの「のっぺらぼう」です。
真っ赤な巾着帽と真っ赤な涎掛け・・・、大きすぎて剥がせなかったけど、余り代わり映えがなさそう・・・。
以前紹介した「妙高関山神社の石仏」にも近いものを感じる。
「汗かき地蔵」と呼ばれ、天変地異が起きる時、体に汗をかくと言うが・・・・、去年の震災前には汗をかいたのだろうか??
因に建武二年(1335年)銘が確認され南北朝の造立。
もともと目鼻立ちや手印もはっきりしないこんな石仏だったのでは・・・・これでは一体何様なのかさえ良く判らない。
こう言う武骨さも魅力の一つですが、僕にはとても地蔵には見えない。
撮影2012.9.26