なんとも凄い石仏さんたちが居並んでいる。
此処は、古都奈良をこよなく愛する人が隠れスポットとして愛するあの十二神将で名を馳せる古名刹・・・。
それでもこの石仏さん達に目を向ける人はほんの一握りの人達に過ぎない。
依然来たときはこの覆屋全面に金網がかけられ、鶏小屋よろしく金網越しに撮影したものだった。
今回はその金網もすっかり取り払われ、真近に近寄れ自由に撮影することが出来る様に成っていた。
両脇に六字名号、その内に、向かって左から地蔵十王石仏、如来形石仏、地蔵石仏、来迎阿弥陀如来石仏、地蔵石仏と一列に居並ぶ。
先ずは地蔵十王石仏・・・・、下部は地中に埋まり良く解らないが??総高約1m、幅広長円形の光背を背負う。
中央には、右手は来迎印、左手に宝珠を持つ、古式豊かな矢田型の地蔵菩薩を厚肉彫りする。
光背両側には五体づつ、お決まりの十王像。
ちょっと他では見られない頭上に刻まれた六体・・。
地獄の様相だと言われる、向かって左に駆ける馬、逃げ惑うような人物像が四体、続いて炎に包まれる釜だという??が刻まれている。
刻銘は無いが鎌倉後期の作造だと思われ、つぶさに当時の死後世界感が見て取れる様で興味深い。
その右手には此処での一番の見もの、なんとも古式な如来形石仏が立つ。
高さ約1.5mの自然花崗岩の表面を平面に加工、壷形光背を彫沈め像高1mばかしの如来像を半肉彫りで刻み出している。
像は、その信仰の為か??磨耗が激しくまるでのっぺらぼう・・・、薄く表された納衣も流れるような古式で見慣れない。
手印も中世石仏には見られないもので奈良後期の作造だとも云われ、芳山二面石仏(奈良時代後期)に瓜二つ。
何か関連性が有るのか非常に興味深いものが有る。
撮影2011.5.29
数十年ぶりに行ってがっかりして帰りましたが
もう一度訪れてみます。
白毫寺に向かう道の泰山王石板は見ましたか?
>白毫寺に向かう道の泰山王石板は見ましたか?
まだですよ、古市の念仏寺のものは見たけどね。
芳山のほうは、もう登れましたっけ??
芳山、今は何処が崩れたの判らないほど普通に登れますよ。
崖崩れのため通行不能だったからかどうか解かりませんが
峠の茶屋の少し西から尾根に上がるルートが出来ていて、そこも登ってみました。
私はこっちの方が楽かな・・・?
出来たら入り口のメールいただけませんか。