室生「大野寺」の、あの大弥勒磨崖仏に隠れるように有る大黒天の磨崖仏。
大野寺より見ると大磨崖の前を流れる宇陀川が大きくヘアピンカーブに蛇行、大磨崖の裏に隠れる辺り、川岸斜面に突き上げる様に立つ柱状節理岩に刻まれて居る。
屹立する柱状節理の中央岩の高さ5mぐらい、見上げるほどの位置に高さ2mばかり、上部に隅取りの有る角型を彫り下げ、中に蓮の葉に立つ大黒天を刻み出して居る。
一目見るなり・・・・あっ現代仏かと分かる代物。
下部には何やら銘の様な物が見えますが、刻み込んだものではなく、金泥などで書かれたらしく、すっかり剥げ落ち解読不能。
左下部に二行、「長慶寺普門発願 助工定吉」と、これはしっかり刻まれて居ます。
調べたところ、奈良市法蓮町に「長慶寺」を61歳にして建立したという、財産家の変わり者「吉村長慶さん」の発願した大黒天磨崖石仏だという事・・・・・・、この長慶さんは石仏好きで、この磨崖には「長慶寺普門発願」と刻まれ、長慶寺開基の大正12年以降に造立された様です。
因に以前紹介した「三郎岳の磨崖仏」も、この長慶さんの発願に依るものらしい。
しかしまあ、いくら金持ちとは言え、大正時代に磨崖仏を数多く造立するとは・・・・・。
撮影2012.2.22
興福院(こんぶいん)墓地に行ったとき長慶寺の中を覗きましたが大荒れ状態で、恐ろしげでしたよ。
仏隆寺付近のものは知らなかった・・・・。
まあしかし現代もんはこんなもんですね・・・。
三郎岳の他に仏隆寺付近にも数体彫られているようです。
未だ行ってませんけど・・・