枠外には、五輪塔の浮き彫りにし、死者への供養の意も込められている。
鎌倉後期、徳治第一年月日(1306年)願主沙彌六阿彌の刻銘があ
岩盤には臍穴が彫られていて、覆い屋根の附けられていたことが伺われる。
立ち去り難い、心に残る石仏でした。
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