交野、 「獅子窟寺」に残されて居る、「亀山上皇と皇后」の供養塔・王の墓が重厚なたたずまいを見せている。
京都、大阪、奈良を分ける生駒山塊北端域の山間部・・・ここを車で訪れる術はなく、急な山道を20分程度登らなければ行き着けない。
「役の行者」が開闢、聖武天皇の勅命により行基が金剛般若窟の寺号で創建したとされる「獅子窟寺」の古刹が在る。
普段は静まり返り、幽遠な中に森閑とした2~3のお堂が建っている。
亀山上皇はこの寺の薬師仏に病気平癒を祈られ、全快した喜びに荒廃した寺を立派に再建された。
嘉元3年(1305年)上皇崩御の時、その徳をしのんで王の墓が建てられた。
王の墓と呼ばれる二基の宝塔は亀山上皇及び皇后供養塔とと伝えられるが、共に塔身、相輪を欠損・・・写真の様な哀れな状態に成って居ます。
向かって左、正面笠部軒先部に剥落部の在る西側塔は鎌倉後期の造立。
共に同様の大きさ同様の造りだが笠部の反りが急なことから南北朝期の造立だろうと考えられている。
五輪塔が一列に並び建つ寺僧墓・・・
隣には首を失った六体地蔵・・・六体の内四体までが明治の廃物棄却際して首をはねられたとか??
元和元年(1615年)大阪夏の陣の戦火せ全山消失、参道の仁王門跡付近にも首なし地蔵が一躰。
この首は戦火にまみえて亡くしたものなのか??はたまた明治の廃仏騒ぎで亡くしたものなのか??
現高薬80cm、、細身の体躯で蓮台に立つつ地蔵菩薩立像・・・現在「子安地蔵」と呼ばれ信仰篤い。
全体の像容から室町初期の造立だと考えられている。
撮影2012.6.17