
多武峯(とうのみね)から駆け降りる明日香道途中に気都和既(きつわき)神社という古社があって、脇の岩に小さな磨崖石仏。
談山神社 から明日香に続く県道は、はるか眼下に明日香の棚田が広がる日本の故郷を彷彿とさせる景観に思わず車を停めたくなってしまうほど・・・
明日香村、上(かむら)、冬野川源流谷に掛る橋は気都和既橋と呼ばれ・・
橋のたもとには「もうこの森」と呼ばれる気都和既(きつわき)神社の社叢が見える。
気都和既橋上からの上(かむら)の棚田・・・・・
気都和既(きつわき)神社は延喜式台の古社・・・中臣鎌足(後の藤原鎌足)が飛鳥板蓋宮で暗殺した蘇我入鹿の首に追われて、 ここまで逃げたという謂れも残る。
またまた前置きが長すぎましたが・・・
問題の磨崖石仏は神社石段脇、石組下の大きな岩に小さな屋根つきの石龕を組み、身の丈30~40cm程の小さな地蔵立像を刻みつけている。
今は人通りも途絶え、たまに老年ハイカーが見向きもせずに通りすぎるだけ・・・
どうしてこんな目立たない処に・・・、いやいや周りが変わっただけで往時はちゃんと目立った存在だったのかも???
それでも地元では信仰篤そう・・・。
撮影2010.6.5/2010.9.17/2011.5.4
あの大きな西口の三体地蔵の記憶が・・・(笑)
念誦窟のもう一体のお不動磨崖さんは行かなかったんですか?
まあ、良く判らなかったと言うこともあったりして。
明日も暑そうですよ。(笑)