阿弥陀如来像293cm
しかし、見事な仏像彫刻です、奈良や京都のそれとは一線劃していて、かってこの様な木彫物は見たことがない。
楠の一木彫り、所謂丈六坐像でまるで、臼杵の磨崖石仏を思わせるような素木仕上げ 、木目に沿った細かい干割がなければ石仏かと見まごうばかりです。
大分県宇佐市院内町字大門の県道から石段を少し登ると奥まった山裾に小さな本堂の龍岩寺があり,訪れる人も少ないようで少し荒れた感じは否めない。住職が?所在無さげに独り留守番をしており拝観料を支払い奥の院礼堂への山登りとなる。
山道をを登る事約10分程度か?あの鳥取三朝の投げ入れ堂を思い起こすような、目の前の岩壁にしがみ付くようにこの礼堂が建っていて、本来ならば礼堂直下の一木造りの階(きざはし)と呼ばれる楠の一本造りの階段をよじ登る、それが本来の参道なのだが現在では危険防止のためか?通行禁止になっていて、大きく山肌を迂回して礼堂へと辿りつく。
英彦山系につながるこの一帯は古くから修験道の実践行場だったようで、龍岩寺もそれら修験者たちの道場であったのか?岩窟の奥に阿弥陀如来坐像を中尊とする三体の仏像を安置し、その前面に張り付くような礼堂を設けています。
仏像は岩壁と礼堂の間にあり、その中に岩のゴツゴツした巌窟を背や天井にして礼堂より丈が高いかと思われる巨像三体が安置されているが、何故に磨崖石仏では無く、楠の巨木から彫りだした一木彫りの仏像なのかと不思議な気さえする。
棟礼に依ると「奉修造岩屋堂一宇」「弘安九年歳次丙戌二月廿六日」とあり、1286年に建立された由、平安時代に造られた様式に倣って鎌倉時代に再建されたものと考えられる。
阿弥陀如来坐像を中央に、向って右に薬師如来坐像、左に不動明王坐像と並んでいるが、仏像の前に格子柵の目は細かく少し離れると邪魔になって全体像を見届けることは出来ない。
格子にレンズを突っ込み撮影してみたが、格子と仏像の間に適当な引きが無く、一体の全体像を捕らえる事もおぼつかなく況してや、三体を同時に写す事は不可能なのでちょっと合成して見ましたが現物のような迫力は出ません。 仏像の構成や配置も独特なもので、中央に阿弥陀があるものの所謂三尊形式の阿弥陀三尊では無く、左:薬師如来、右:不動明王共に丈六坐像を越えるの約3mの巨像で一体一体が単独仏の様でもあり・・・・それでもやっぱりこうして三体1対で完結されているという珍しさです。
不動明王像 283cm
仏像の一体一体については専門家ではないので良く説明できないが不動明王などは良く見かける所謂、憤怒相ではなく素人の僕には穏やかな顔容に見える。 こうした、不動明王はこの地豊前、国東の磨崖石仏で見かける不動と共通していて、この地独特の天台修験と民間信仰の複雑な結び付きによるものだろうか??
木造薬師如来坐像 303cm
それにしても見事な仏像であることには違いなく、平安時代後期(12世紀)重要文化財。

撮影2010.5.2
しばらく息をつめて
ふぅ~っと息を吐くまで
絡めとられた気分でした
素木が美しいですねぇ
建造物も素晴らしい
参りました
って何度書きましたかね…
でも何度書いても足りない
危なくはないですか?
木の仏様とは、珍しいですね。
雨風は大丈夫なのでしょうか?
山の土手っぱらをぶち抜いた、土が薫る素掘りのトンネルや、ほの暗いお堂の中を覗き込んでみえる木像は小さいお堂ですが、迫力ありました。
三仏寺の投入堂も行った事があります。
あちらも、一般には横からの参詣で、下からは上がれないようになってますね。
九州の宗教文化の置く深さが感じ取れます。
俗化してないところもうれしい。
もう20年近く前に訪ねられたんですね。
東寺は如何だったんだろう??、参道横にあったお土産物屋さんは潰れていて寺自身も手入れが余り行き届いてないようでしたよ。
一時は訪れる人も多く居たのではないでしょうか??
寺院は、キリシタン大名大友宗麟による焼討ちに遭い焼失したといいますが、奥の院と本尊の三尊は奥まった所にあったため難を逃れていまに残るのも頷けます。
受付から250mも奥で、しかも雨降りで滑りやすい登りでしたが、その絵画ってすっかり満足しました。