南北に長く伸びる参道の入口と、境内直前を一般道が横切って居るのが珍しく広い社叢の式内社です。
近鉄京都線伊勢田駅北へ約500m足らず、細い道路が入りくんだ市街地の中に鎮座する。
参道入口の前を横切る手前には若宮八幡神社があり・・・
もともとは別集落の氏神だったが、現在では伊勢田神社が管理していて、境外摂社の様に成っている。
長い参道を抜けると道路を挟んで奥行の無い境内・・・真正面に拝殿とその奥の本殿。
延喜式神名帳に、『山城国久世郡 伊勢田神社三座 鍬靫』とある式内社。
当社の創建時期は不明だが、山城国風土記によれば、大宝3年(人皇42代文武天皇の御世)9月初め奉主田幸祭礼とあり、約1,280余年前に鎮座、明治6年村社に列せられ、同年6月延喜式内伊勢田神社と決定。
当社は当初の穀霊信仰(国つ神の社)から、延喜式が編集される頃までには、伊勢神宮とのつながりができ、「伊勢田」すなわち伊勢神宮の料田も設けられ、天照大神を祀るようになった伊勢信仰(天つ神の社)へと変わった。
木柵と金網で囲われ、古びた社殿(一間社流造・檜皮葺)が南面鎮座する・・祭神:天照皇大神・手力男大神・萬幡豊秋津姫大神
境内左手に薬医門を有し周囲を板塀(瓦葺)で囲われた中に社殿(一間社流造・瓦葺き)が、東面して鎮座する作田社(大歳神)
社伝によれば、伊勢田町井尻(当社の西約500m)から、江戸末期の水害のため当社境内に遷されたという。
撮影2015.7.30