近鉄京都線大久保駅西南西約500m、現在ではすっかり新興住宅に囲まれた鎮守の杜に鎮座する。
この神社も南北に長い参道を持ち、参道入口と中程と境内への入口前を生活道路が横切っている。
当社は元、現在地より西方約500mの地に鎮座していたが、天文19(1550)に焼失、その頃現在地に在った「天満天神」20余年断絶していたので、天神を再興するとき旦椋神社と天神を合祀。
神社の再興後は村の「産土神」として、天神社、栗隈天神社、栗隈天満宮などと呼ばれ、明治10年6月、式内旦掠神社と認定されました。
昭和60年5月15日、旦椋神社本殿及び棟札7枚」が京都府登録有形文化財に登録されています。
高皇産霊神・神皇産霊神・天満天神の三神を奉祀しています。
宇治市大久保町北ノ山鎮座・・・延喜式神名帳に、『山城国久世郡 旦椋神社』とある式内社。
撮影2015.7.30