愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

旧加茂町 弥勒磨崖仏(弥勒の辻)・三体地蔵

2006年12月02日 | 石仏:京都

岩船寺から、奈良方面に続く道路を2~3分車で走ると弥勒の辻という所に出る。

山の間を、走ってきてしかいの広がった弥勒の辻の右手の山際の高さ5mの巨岩に高さ2.5mの「弥勒磨崖仏」が線彫されている。

勿論、「弥勒の辻」の地名はこの石仏からつけられたもので、奈良方面からの岩船南口バス停もこの場所にある。

この弥勒石仏は、室生大野の磨崖石仏と同じく、ここからは、すぐ近くの笠置山大弥勒石仏を手本に作られたもので有ると考えられています。

確かに、京都仁和寺に残された、笠置山弥勒磨崖石仏の写しによく似ていて、衣文の流れなどはそっくりそのままのような印象を受ける。

ぞうの右横には銘が刻まれていて、文永十一年(1271・鎌倉中期)大工末行とあり、伊末行の事で、この石仏を作って13年後には、前に紹介した「わらいぼとけ」を作っている。

ちなみに、「わらいぼとけ」には、この前の道を右手に10分ほど歩けば到着する。

ただただ、おしいことに線彫り石仏のため、風化磨耗,苔等により、像の上部が非常に解りづらく、見えづらくなっている。

この辻から踵を返し岩船寺の方へ100mほど歩くと右側の山へ登って行く細い道が在り、そこを登って5~6分歩くと右手山際、上方の岩肌には「三体地蔵」が彫られています。

横長の岩壁に長方形の枠を彫りくぼめ、像高約90cm、鎌倉後期作の地蔵を三体、半肉彫りにしている。

特にこの地蔵の面相は優れていて、温和な童顔に慈悲深い地蔵が感じられ、三体共左手に宝珠を捧げ、右手に錫杖を持って、

三界(欲界、色界、無色界、または、過去、現在、未来)の萬霊を供養する為に発願(ほつがん)されたものと云われています。

廻りは雑木林が有るだけの里山然とした小道で、なんともこの風景に溶け込む、この磨崖の地蔵には郷愁を覚える。

撮影2005.12.18  2006.12.01

MAP


旧加茂町 からすのつぼ阿弥陀地蔵磨崖石仏、他

2006年12月02日 | 石仏:京都

前回紹介の「笑い仏」から、のどかな里山道を浄瑠璃寺方面に下っていくとこの磨崖石仏に出会う。

この辺りは「からすのつぼ」と呼ばれていて、石仏近くに横たわる石の唐臼(カラウス)から「からすのつぼ」と転化したものだそうです。

この石は、もしかして唐臼でなく寺院の礎石だったのかも知れないと言われています。

以前(もう30年も前)に見たときは、この石仏の前は確かに小さな田圃があって、稲が植えられていたように思うが、今は整備され小さな広場のようになっていて、黄金色の稲穂越しに石仏は見られなくなってしまった。

この突き出した岩の正面には舟形光背の彫りくぼめの中に像高70cm定印の阿弥陀坐像を半肉彫りにして、像の右側に灯篭を線彫りで表し、火袋は彫り窪めて灯明を点けることが出来る様になっている。

向かって左岩面には同様の地蔵立像が彫られている。

正面の阿弥陀には康永二年の銘が有り南北朝時代の作、また地蔵も同時期のものだと考えられています。

 

この、石仏の右手の小道を少し登って行くと左手崖上に一鍬地蔵と呼ばれる線彫りで等身大の石仏が見える。

しかし、かなり高い場所にあって真近に近づく事は不可能で、像容も肉眼では判別しがたい。

撮影2005.4.9

追加撮影2006.12.01

MAP