僕の住む京都府南部、山城の加茂町・笠置町・和束町は、木津川に沿って石仏の宝庫です。
特に、浄瑠璃寺・岩船寺と浄土信仰の霊地として栄えた加茂町当尾(とおのお)地区は国宝や重文の仏教美術品とともに鎌倉時代の優れた磨崖仏・石仏が多くあり、石仏の里として知られています。
大門磨崖仏とともに、当尾の里を代表する石仏であるこの笑い仏は、浄瑠璃寺から岩船寺に抜ける石仏散策路の岩船寺に近いのどかな里山風景の中に在ります。
少し小高くなった山裾に大きな花崗岩が横たわっており、その正面に幅広の舟形光背を彫りくぼめ像高76cmの阿弥陀如来坐像を中尊に観音勢至の各菩薩を脇侍として厚肉彫りにしている。
像は少し左斜めに傾いているが、いつの時代かに何かの天変地異でもあったのだろうか??。
岩の頂部が廂のように出ているので風蝕による影響も少なく、長い年月を経ていると感じさせないあたたかさがあり、特に中尊の阿弥陀の顔に優しい微笑が見られ、「わらい仏」の名前でしたしまれている。
「永仁七年(1299)二月十五日、願主住僧‥‥‥大工末行」と3行にわたる刻銘があり、宋から渡来した石大工伊派の一人、
伊末行の作とわかる名作です。
伊末行は大和を中心に鎌倉時代に活躍した伊派の中心的な石工で、始祖は、鎌倉初期東大寺大仏殿再建の石造物に従事した宋人、伊行末。
どのような思いで異国の地に石仏を刻んでいたのだろうかと????。
撮影2005.4.9