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愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

見登呂姫(みどろひめ)の石棺仏

2011年01月19日 | 石仏:兵庫

哀しい悲話を今に伝える石棺仏です。

やっぱり此処も加古川北岸域、前回紹介の報恩寺から車で約10分足らず、ほんの3km程・・・・。

田園地帯の真ん中に有る見土呂集落の北奥のほう、公民館脇に石仏への小さな案内板が建っている。

車を邪魔にならないように脇に寄せ案内どおり細い通りを少し登ると木立に囲まれた小さなお堂が見える。

お堂の脇の狭い境内にこの石仏を目にして思わず感歎の声を挙げた。

少し前のめりに立つ大きな割りと薄い石棺部材に幽玄とも言おうか、細身で美形の阿弥陀三尊立像が刻まれている。

このように細身で簡略化した像にも係わらず写実的な印象の残る石仏も稀である、そもそも石棺仏で阿弥陀三尊立像と言うのも珍しい。

どこか寂しげに見える顔立ちは、哀しい物語の表示板を読んだせいなのかも??

中央に二重光背を背にして立つ結構厚肉彫りの阿弥陀如来立像、右脇には勢至、左脇には観音と両脇侍を従えている。

<裏に廻るとやっぱり石棺そのものの姿>

石棺は高さ 175Cm 幅 125Cm 厚さ 25Cm も有ってどちらかと言うと正方形に近くかなり大きな印象を持った。

哀しい話は事実なのか?はたまたこの哀しげな石仏に合わせたつくり話なのか??、そんなことは知る由も無いがこの石仏に良く合う話だと・・・。

石仏に手向けられる花は今でも枯れることは無いと言う。

撮影2007.9.13


堂山六地蔵石棺仏

2011年01月17日 | 石仏:兵庫

あっちにもこっちにもぞろぞろ在ります。あの町この町この辻に・・・・・。

此処は[八つ仏]の有る小塩池から北西に約1km強,志方町,志方城山の南にある広尾東バス停の横です。

付近は空き地が一杯車は何処にでも置き放題、バス停対面に有る地蔵堂も大きな広場を持っていて、せせこましい処は微塵もなく長閑を絵に描いた様・・・・。

地蔵堂の向かって左側、道路わきの基壇上にまたまたこの辺り独特の特徴を持つ六地蔵石棺仏と役の行者像の有る大峯巡拝記念搭??。

六地蔵石棺仏高さ 88Cm 幅 65Cm 像高 24Cmの石棺石材を利用して、上下二段、六つの舟形光背の中に六地蔵立像が中肉彫り、蓮弁はそれぞれ線彫りに成っています。

六地蔵は像高24cm、やっぱり稚拙で素朴、上段中央の地蔵の上には天蓋??の様な彫りが有って珍しい。

左下段蓮弁下方には小さく手を合わせる女性の姿、施主の姿だと考えられていて室町時代後期の像立だといわれています。

撮影2008.9.13


加古川市 報恩寺の石棺仏

2011年01月16日 | 石仏:兵庫

もうこの辺りは丸で石棺仏のパラダイス、僕が歩けば石仏さんに当る状態です。

とても全部見て歩けないし全て紹介するわけにも行かない。

神木の大日さんから南東方向へ約1km弱、車で走ると遠回りにに成って五分足らず、平荘小学校東側の道を突き当った山裾に建っているのが真言宗印南山報恩寺。

急な石段を上って山門を潜れば真正面に小さいながら大きく裳階(もこし)を延ばした様な本堂が建つ。

この寺には多くの石造品があってよく知られた所らしい。

当然僕の第一の目的は本堂裏側、寺墓横の林を背にしてひっそり佇んでいる。

高さ81cm、幅68cm、厚さ11cmの石棺側石に四体の阿弥陀仏を半肉彫で刻んでいる。

 

この飾り気の無い素朴さがなんともいえず良い。

横一列にに並ぶ定印阿弥陀坐像はそれぞれ線彫りの蓮弁状に坐し、舟形光背を持つ。

像容はこの辺りの特徴を踏襲して簡略明快で素朴

像の左右に南北朝期文和2年(1353)の銘が見える。 

寺墓脇にはしっかりコンクリートで固められた阿弥陀三尊種子石棺板碑。

石棺側石に種子を薬研彫りしたもので、鎌倉後期、弘安七年(1284)の銘があります。

実際は良く見えないけどね。

撮影2008.9.13


神木(こうぎ)阿弥陀石棺仏(神木の大日さん):元東林寺跡・釈迦種子石棺板碑

2011年01月15日 | 石仏:兵庫

誰が何処からどう見ようが余りにも石棺仏らしい石棺仏です。

しかしこの辺りの古墳と言う古墳は暴かれ過ぎたんじゃないかと思うほど・・・。

長楽寺や八つ仏の有る小畑町からは県道79号線を挟んで東隣に当る神木集落公民館の前、通りを挟んで南側の少し高台になったところに立っている。

大型の家型石棺の蓋石内側に簡略ながら力強い定印阿弥陀坐像が蓮弁上にに座していて、地元では「神木の大日さん」の名で親しまれている様です。

高さ177cm、幅1m、厚さ28cmの大きな石材に単純な二重光背を彫りくぼめ明快な像高52cmの中肉彫り阿弥陀如来坐像を刻み出している。

枠縁には「一結衆十六人 大願衆法蓮」と左右に分かれて刻まれています。

しかし横に有る五輪搭は気の毒に・・・・こりゃなんじゃらほい。

ここから一段下がった処には釈迦種子石棺板碑も有るのですがすっかり忘れ去られたように夏草の間に立ち尽くしている。

やっぱり石棺底石に薬研彫りの釈迦種子の「バク」を刻んでいますが石棺は半分ぐらいに割れているようで寸足らず。

撮影2008.9.13


小畑の八ツ仏(やつぶつ)

2011年01月13日 | 石仏:兵庫

野の仏の風情が何物にも変えがたくとても良い・・・・いわんや粗末なトタン屋根の覆い屋が無ければもっと良いのだが。

ここは前回紹介の長楽寺より少し北側、田んぼの広がる奥まった山裾にある小塩池の畔。

高さ166cm、幅116cm、厚さ約35cmの大型石棺の蓋石内側に八体の石仏を見事に配していて意匠的には秀逸です。

中央の窪みの中へ2段に分けて都合四体の坐像石仏、上段の二体は定印を組む阿弥陀さん、その下には坐像の地蔵さん??

縁石には左右に二体づつ都合四体の阿弥陀さんが彫り窪めた光背の中に座して居る。

一つ一つの石仏の出来不出来よりもこの石棺仏の持つ全体像が、なんともほのぼのした感じにさせてくれて凄く良い。

なんとも付近の景観とともに記憶の底にいつまでも残る石仏さんです。

良いものを見せて戴きました。

 

撮影2008.9.13


長楽寺の六尊石棺仏

2011年01月12日 | 石仏:兵庫

日本の石棺仏の大部分は播磨地域に、中でも殆ど加西市とこの加古川市に集中している。

山陽道と国道2号線に挟まれた加古川北岸に近い加古川市平荘町小畑にある長楽寺には加古川を代表するような石棺仏がある。

長楽寺は県道65号西山交差点近くの山手側、小畑集落の奥まった山裾の高台に建っている。

本堂左横の古い墓地に誰でもそれと判るような縄掛け突起を見せて、この六尊石棺仏が立ち尽くしている。

加古川市の石棺仏の特色の一つは像自体は小ぶりな多尊石仏が多いと言うことらしくまさしくこの石棺仏はそれに叶っている。

石棺は高さ183cm、幅121cm、厚さ28cmの大型家形石棺蓋内面に六体を二体一対で三段に分けて彫り刻み出している。

前壇には小型の石棺を置き供台としているがこんな例は余り見かけない。

上部二体は阿弥陀如来坐像

その下の段には二体の地蔵菩薩立像

最下段には右に立像の地蔵、左・・・・・、これは何だろう、やっぱり地蔵坐像のような???

合計六尊、写実性には乏しいが意匠的には優れ、なんとも素朴な風情をかもし出している。

撮影2008.9.13


倉谷薬師堂の阿弥陀石棺仏

2011年01月11日 | 石仏:兵庫

加西市の南端、山陽道加古川北ICを出て県道43号線を北進、次の分岐を右方向へ。

道路の両側に数十軒の民家が建ち並ぶ倉谷の集落、道路の左に他の中を進む道があり突き当りが目指す倉谷薬師堂。

途中農作業の老婆に声をかけて石仏の事を聞いて見た・・・、田舎の人は気安くなじみやすいのがとても有り難い。

この石仏はお堂が締まっていて見れないから早速区長さんに鍵を借りてきてあげようと小走りに行ってくれたが生憎お留守で薬師堂の中の石仏は見れなかった。

まあ、それも致し方なし、事前に連絡しなかった僕が横着なんだから。

それはともかく薬師堂に行ってみよう・・・。

薬師堂は小さなお堂に真新しいアルミサッシの引き手戸が付けられていてしっかり鍵が下ろされていた。

しかしお堂の左側、石垣を背に一列に並ぶ苔むす石棺仏が四体ばかし。

向かって右端に有る石棺仏だけがかろうじて阿弥陀如来座像で有ることがわかる。

石棺の底石にごく薄肉彫りで刻み込んでいるが甚だしく苔がまとわりついていて見えづらい。

残りの三体に就いては全く何がなにやら状態、しかし石棺部材で有ることは確かです。

近くには後藤山古墳が在ってこれらはこの古墳から出た石材ではないかと言われているようです。

撮影2007.9.13


周遍寺参道の石棺仏(不動の尾石棺仏)

2011年01月10日 | 石仏:兵庫

夏草のまだ生い茂る中,なんとも見つけづらかった石仏さん。

ハメ塚の石棺仏から直ぐ,工業団地への新しい道路へ右折、7~800m進むと山側へと入る道路が有るので左折・・・

其の辺りの叢の中に有るとは聞いて来たものの周り一面夏草のはびこる叢・・・石仏が有るような感じでもない。

ウロウロそれらしきところを探してみたが見つからず車に乗って帰ろうとしたとき、一面の叢の中にそれらしき石の頭が出ているのを発見!!

周遍寺旧参道入り口辺りと言うが夏草が全てを覆い尽くしていて参道もくそも無い・・・

蛇ぐらいなら良いがマムシが居れば怖いなあ・・・・と思いつつも此処まで来たからにはと意を決して叢をなぎ倒し踏み分け道を作りながら石仏さんに近づいた。

近くに寄ると驚くほど立派な石棺仏、高さ約1.8m、幅90cm、厚さ約40cmもあろうかという大物。

家型石棺の蓋石内面の枠縁を残し深く彫り窪め、蓮弁状の光背を線彫りで表し厚肉の地蔵菩薩立像を彫りだしている。

珍しく左手に宝珠と錫杖を持つ古式の地蔵で、右手は与願印を結んでいるように見える。

しかし永らく参道に在って、信仰も篤かったのだろう、特に上半身の磨耗は激しく最早目鼻立ちも定かではなく、アニメ漫画の「のっぺらぼう」の様です。

実に素朴で重量感の有る堂々とした感じを受けるが、最早見捨てられたように夏草に覆い尽くされた地蔵さんに手向けられるのは自然の草花だけ。

撮影2008.9.13


ハメ塚石棺仏

2011年01月10日 | 石仏:兵庫

蜜蔵院を訪ねたあと周遍寺を訪れようと県道79号線を南下、万願寺川の橋を渡って直ぐのところに少しあやしい廻り道を発見。

何か匂うなあとと車を乗りいれて見ると,思いもかけず現れた石棺仏。

NETで調べて見るとこの辺りには状覚山古墳群が有ってこの石棺仏も此処からの出土品である石棺材を利用したものではないでしょうか??

小高い雑木林の木立の下にハメ塚石棺仏と呼ばれる地蔵立像がさびしげにたち尽くしている。

状覚山古墳群の一つにハメ塚と呼ばれる古墳があったのだろうか??,はたまたハメ(マムシ)多く居る土地だったのだろうか??

高さ約1mの平板状石棺底石に舟形光背を彫りくぼめ蓮弁上に地蔵菩薩立像を中肉で刻みこんでいる。

丸顔で柔和な顔立ちがやさしい・・・・しかし地衣類が表面を覆っていてそれ以上詳しくは良く判らない・・・・・。

しかしこの地域では気をつけていれば何処にでもこの様な石仏さんに出会えそうな気がする。

撮影2007.9.13


密蔵院阿弥陀石棺仏

2011年01月09日 | 石仏:兵庫

加西市の南端、小野市との境に近い北条鉄道網引駅近くの 県道79号線沿いに周遍寺蜜蔵院と言う寺が有る。

網引交差点北東側に有る広く開けた駐車上に乗り入れると西側の奥まったところに基壇を設け、古い墓石や石仏を集めて祀っている。

右側基壇下にこの阿弥陀石棺仏が安置されている。

ちょっと小振りな石棺蓋石の内側に舟形光背を彫り窪め、大きい蓮台に座す定印の阿弥陀如来坐像を刻んでいる。

彫りは深く肉付きも良く体躯の割りに大きく四角い頭部が目立つ。

この石棺仏もやっぱり野ざらしの石仏さん・・・・表面には地衣類が密生している。

撮影2008.9.13


上宮木(かみみやき)石仏

2011年01月08日 | 石仏:兵庫

加西市役所のある北条方面から県道23号線を道なりに南東進、途中フラワーセンターを越へ約15分、やがて右手に加西中学を見る事になる。

上宮木石仏と呼ばれる石棺仏は加西中学に対面する上宮木集落の中程、木立を背にした道路脇一列に建ち並んでいる。

小さな五輪搭が大部分を占めるが向かって右手に大きな石棺仏二体と間に挟まれた小石仏が目につく。

中央よりに有るのは石棺底板を利用して薄肉彫りされた蓮台上に座す阿弥陀如来を浅くレリーフ調に刻んでいる。

 

高さ1.2m 幅75cm 像高48cm、石棺底板なので彫りが浅く迫力には欠けるが・・・・・

その分表情は穏やか・・・、しかし表面は地衣類がまとわり付いてしまって細部までは確認しがたい。

以前紹介した玉野石棺仏に良く似た二重光背を持っている。

他方もう一体は阿弥陀仏を現す「キリーク」の梵字仏で、これもやっぱり石棺石を利用している。

真ん中に挟まれたちょっと厚肉彫りの阿弥陀さん??やっぱりかなり崩れています。

小さい割りには中々の力量が感じられます。

撮影2008.9.13


朝妻の石棺仏

2011年01月07日 | 石仏:兵庫

加西市の東部丘陵工業団地の西側に朝妻と呼ばれる地域があって集落のはずれ、墓地への参道横斜面の覆いかぶさる竹林に隠れる様にして石棺仏がおかれている。

工業団地の丘を一歩下がるとそこはまるで別世界、田園の広がるのどかな里山集落。

元々この辺りには延命尼寺と云うお寺があってその遺仏なのだろう?

石棺仏は石棺の側石を利用して円形二重蓮弁状光背??(何と呼ぶのか解らない)を持ち、蓮台上に坐す定印の阿弥陀如来を半肉彫りで現している。

比較的保存も良く、顔容も良く残って居てふくよかで愛らしいい表情が印象的。

幅70cm、高さ110cmほどの石棺石材に像高約60cm・・・、野の仏としての懐かしい風情は観るものをこの上なく優しい気分にしてくれる。

傍に有った石仏がなんとも野趣豊かな表情をして居たのでつい・・・・

撮影2008.9.13


旧社(やしろ)町、家原(いえはら)阿弥陀石棺仏

2011年01月06日 | 石仏:兵庫

加西市からの帰り道,現在では加東市にな成っている旧社町の石棺仏を訪ねた。

中国道滝野社ICから県道567号線を約2km弱南下、赤岸交差点南東隅の石段を下った観音寺脇に忘れ去られた様に立っている。

鎌倉期の石棺仏のようなのですが保存状態も良くないのか風化摩耗も激しく像容もいまいちはっきりしません。

高さ130cm、幅72cmの家形石棺蓋石舟形光背を薄く彫り凹めて来迎印の阿弥陀如来立像を薄肉彫りで刻みだしています。

播磨の石棺仏の中では唯一の来迎印阿弥陀立像らしいが全く目立たない交差点真近の窪地に人知れず佇んでいる姿はいかにも哀しすぎる様な気もする

撮影2007.12.8


腰折れ地蔵

2011年01月05日 | 石仏:兵庫

加西市きっての名所、北条五百羅漢石仏の有る羅漢寺より約2km程南方に寺山という小高い丘の様な山があって、その市村町の西山裾の小さなお堂の中に腰折地蔵と呼ばれている石棺仏が有る。

お堂は一間半四方ぐらいの簡素な覆い屋でコンクリートの基壇の上に大小四体の石仏が祀られて居る。

中央には高さ約90cm、幅約65cmの石棺蓋石を利用して刻まれた二重円光背を持つ地蔵菩薩。

腰折れ地蔵と呼ばれてるものの、ちょうど首の辺りで断裂、凝灰岩の柔らかい石質のためか、信仰が大きく手で擦れられた摩耗に依るものか顔容も定かでは無い。

身体には荒縄やバンダナ様の布裂が巻つけられてる。

左の地蔵は舟形に削られたこれも凝灰岩だと思われる石材に地蔵立像が刻まれている。

こちらは比較的顔容もはっきり残っているが、同じく荒縄を巻きつけられ「がんじがらめ」と言う感じ。

寝小便地蔵とも呼ばれていて縄でしばって願を掛ければ夜尿症に霊験あらたかだと言われる様に現在でもこの様に二体共に荒縄が巻かれているが実際は

二体共に寝小便地蔵と呼ばれているのかは定かではない。

撮影2007.12.1


加西市 長駅付近の一石二尊地蔵石仏

2011年01月03日 | 石仏:兵庫

これも名もなき野面の石仏、北条鉄道長駅西側の畑の中に放てけぽり・・・・

掲示板も無ければ説明板もない、勿論個人の畑のど真ん中。

どうしてこんな所にこんなものが・・・やっぱり廃寺跡だろうか??

地蔵の輪郭部分に墨書きが残っている・・・・これは果たして造立当時のものだろうか??

凝灰岩の軟らかい石質で右側の地蔵さんは哀れを誘うような姿で殆ど削げ落ちています。

笠石一石二尊地蔵石仏とでも呼ぶのだろうか??

本体部分はやっぱり石棺仏のような・・

 

同じ畑の中、少し離れてこんなもの・・・

左側は阿弥陀三尊の梵字仏だろうか・・・真ん中上部に大きく「ア」のが刻まれてるように見える。

下部に二尊あるような??

右手の石棺蓋だと思われる石にも何か有るようだが全く何がなにやら・・・

播磨ではかくも多くの石棺仏が存在するのか??

かくも多くの古墳が暴かれたのか??・・・・、暴くのが当たり前の時代も有ったのだろうか??

撮影2007.12.8