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愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

守山市古高町、大将軍神社 (タイショウグン) の勧請縄

2009年04月11日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


近江ではほとんど最終の勧請掛けです。


新年度の始めから追いかけてきた縄もいよいよ今年の大詰めといったところです。


1月にこの神社に寄って見ましたが何処にも勧請縄の気配が無く、たまたま通りかかった古老の氏子の人に訊ねたところ、今年は2月23日に行われるということで


僕がここを訪れたのは3月1日に成ってしまいました。


守山市は琵琶湖南東岸の穀倉地帯にあるが最近工業化が進み、この大将軍神社のある古高町も県道脇に近郊型ショップが軒を並べる通りから脇道に入った旧集落の中にある鎮守の杜を持つ神社です。



表通りの賑やかさからは隔絶されたような旧集落のこの神社の前は、掘割が流れる懐かしい景観の中にある。



さほど広くない境内だが良く整備整頓が行き届いていて集落の公会堂も同居、地域の憩いの場としても親しまれているようです。




境内から拝殿への入り口に四脚門があって、その梁を利用して勧請縄が吊られている。



この勧請縄は花勧請と呼ばれ、一種独特な構造になっていて、勧請縄の主となる太縄が無い。


門の両脇の木組みに二本の青竹を渡し、内1本には樒と幣を飾った左右6組づつの小勧請が吊るされ、二本の竹を利用して左右の中心には「月の輪」と呼ばれる藤の蔓で二重の輪を作り、それに三本の竹を*字形にしたものをつけている。



太縄の無い勧請縄はどこか物足りなさを感じないわけではないが・・・・・・。


尚、花勧請は11月23日の秋季例祭の日までここに吊るされ、その日に焼かれるそうです。


撮影2009.3.1


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草津市老杉神社の蛇縄

2009年04月09日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


最近都市化の波が押し寄せ発展著しい湖南の草津市市街を湖岸方面に進むと市街が途切れた田園地帯の一角にこんもりとした鎮守の杜を持つ下笠町に入る。



県道から集落に入り込む枝道を進めばそのままこの大きな石の鳥居(二の鳥居)の前に出る。



ここでは、オコナイの一部としてこの蛇縄が掛けられるそうです。


老杉神社のオコナイは民俗学的にはかなり興味深いものだそでかなり有名なようですが,それは、さて置き・・・・・・・・。



画像でもわかるようにこの鳥居に掛けられた勧請縄は完全な蛇頭を持つ蛇縄で、その造形にも目を見張るものがあって、まさしく邪気を追い払うがごとき形相の蛇頭がにらみを利かしているように見える。



蛇縄は通常の歳には十二尋(ひろ)、閏年には十三尋の長さに編上げられているということです。


蛇縄の中程には小勧請も付け下げられていますが、これだけの蛇縄本体を見せつけられると小勧請の事がおろそかに成ってしまい、今となっては良く思い出せません。



写真を良く検証してみると蛇胴には4箇所に、割り竹で環を作り、それぞれに榊の小枝を付け下げている。


これがこの下笠町のオコナイの一部だそうだからオコナイ全体に掛ける労力や時間は途方も無く甚大なものなのだろうと想像がつく。



伝統習慣を守り続ける大変さには頭の下がる思いです。


撮影 2009.3.1


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日野町原、芦谷神社の勧請縄

2009年04月07日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


前回紹介の新出町から南進、丘陵のゴルフ場内を通過する県道で日野町杣に出る。


最初の信号を左折して県道168号線で鈴鹿山系の方角に進んでいくと突き当りが原の集落でそれより奥に道は無い。



原の集落は鈴鹿山系の山裾の西面する斜面に建ち並ぶ里山集落でおおよそ50件ばかりが軒を連ねている。


集落のはずれ最奥の山手斜面にこの芦谷神社が鎮座していて静寂の中にで鳥の声だけが響いていました。


 


脇参道から境内に入る石段脇の二本の木立の間に勧請縄が掛けられていて重いほどにいっぱいの樒の小枝を着けた小勧請が目に付く。



小勧請は十二下がり、ここでも縄の片側には大きなワラフサが付けられていましたが前回の 八千戈神社とは左右が逆になっているのが気に掛かります。




左側の勧請木の根元には10本の幣をつけた小杭が立てられていてこれもあちこちでよく見かける呪具です。


二本足りない様ですが、近くに転がっていました。



撮影2009.2.14


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新出町 八千戈神社 (ヤチホコ) 神社の勧請縄

2009年04月05日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


この八千戈神社 の在る新出町は前回紹介した市原野町の西隣の集落で、丘陵斜面に軒を連ねています。



神社は集落の西はずれの小高い丘の上にあって、小さな境内の村の鎮守といった感じです。


この辺りは勧請縄行事の濃密な地域で何処の神社に行っても出会えるような所です。


この縄もまったく何の予備知識も無く、たまたま出会えた勧請縄です。



東近江の勧請縄としてはスタンダードな造形ですが、前回紹介の市原野町とは目と鼻の先なのに縄の造形にはこれだけ差があるのは興味深い。



ここでは大きい藁房は片側、藁房の方が蛇頭なのだろうか??


縄の中心にはスギの小枝で作った輪のトリクグラズ(鬼)、輪の中には若竹で十字を組み、小勧請にはユズリハとスギの小枝、太縄の上には篠竹につけた幣を立てている。


惜しみなくば地上すれすれではなく、もう少し高く掲げてもらいたいなあ・・・。


この低さには何か意味でもあるのだろうか??


撮影2009.2.14


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市原野町白鳥神社の勧請縄

2009年04月04日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


東近江市の山手、日野町と境を接する丘陵地の裾野にある里山集落。


この辺りの集落には白鳥神社がいくつも在って、近在近郷、濃密な関係であったことが伺われる。


神社は集落の南はずれに在って小さな鎮守の森になっている。



参道入り口に立つ石鳥居前の両側の杉の木を勧請木として、この地域に多い両端に太い藁飾りをつけた蛇縄が掛けられている。



太縄の上部三箇所には竹串に刺された蛇縄のミニチュアのような縄が付けられ、中央には割り竹で編んだ篭目、篭目には粋狂なのか蝶を思わせるような形の水引細工が付けられています。



これで呪具としては充分過ぎるのでしょうが小勧請が無いのは少し寂しい気がしないでもない。


蛇を二重にも付けるのがちょっと珍しい。


篭目に付けられた水引が一体何なのかちょっと気になります。


撮影2009.2.14


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東近江、今代町の勧請縄

2009年04月01日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


もう花の作時期になっているのにいまだに新年行事で有る勧請縄の紹介です。


又又東近江の勧請縄で、旧八日市市と旧永源寺町の境に近い今代町の勧請縄。


この辺りは田園地帯の広がる中にポツポツと小さな集落が点在する地域ですが幹線道路に近くには工場や大きな倉庫なども見受けられるところです。



集落内のほぼ真ん中辺り、辻のカーブミラーを利用してこの勧請縄がつり下げられています。


縄は写真の様にミニタイプのもので長く掛け渡されているものでは有りません。



カーブミラーに蛇縄を巻きつけるように吊り下げ、榊の小枝を付けた小勧請や篠竹につけた幣などを飾り、駒形の祈祷札をつけている。


奇妙な字並びではあるが天下泰平、日月清明、風雲順次、五穀成就、後は五如来の名と、多分その種字だろうと思われる梵字を書き付けている。



まるで二つの丸いカーブミラーが大きい目玉で村への闖入者を見張っているかのようでした。


撮影2009.2.14


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伊賀市槇山の勧請縄

2009年03月30日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


伊賀地方は近江や大和とともに勧請縄が多く残る地域です。


その中心地の伊賀上野北部丘陵地帯は阿山地域と呼ばれているところで、滋賀県の甲賀地域と山続きで接しています。



伊賀の縄は、ほとんどのところで川の瀬を跨いで掛けられていて、この伊賀地方の勧請縄の特徴です。



これは以前にも書いたように「厄は川からやって来て、村の富も川から流れだしてしまう」と言われていることに由来するようです。


ここ槇山は阿山地域でも一番奥地、甲賀寄りの河合川沿いに開けた里山集落です。


伊賀市中心方面からは県道40号線を北上、途中「阿山道の駅」を左手に見て約5分ほども走るとこの勧請縄の掛かる河合川を渡る橋に出る。


直ぐに交差点になっているが信号も無く、いたって交通量も少ない。



この交差点を右折すると少し空き地があるので車の駐車には事欠かない。



この辺りの河合川は道路よりかなり低いところを流れる谷川で、車を置いた空き地の川沿いに鉄製のポールが建てられ、対岸のクヌギの木の勧請木まで長さ約100mもあろうかと思われる長い縄が掛けられている。


谷川の両岸は深い竹林や雑木林に覆われていて、この縄全体を一望することは出来ない。



向こう岸に渡り雑木林を下りて水量の少ない河原に出ると、およその全体像が見える。



これは推量の域を出ませんが、上流側から見て右手に陰物、次に陽物と思われる藁飾り、右端には長い縄にしっかり結ばれて流れに漂っている草鞋が一足。



伊賀ではこうしたトンチじみた藁飾りが多く、微笑ましい。


たぶんに陰物、陽物は子孫繁栄、五穀豊穣の象徴、草鞋は集落から「お足」が流れださないようにとの願いなのだろう??


しかし草鞋を泳がせる勧請縄など聞いたこともないし、勿論見るのも始めてです。


撮影2009.2.21 


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森本神社の勧請縄

2009年03月29日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


湖北高月町に勧請縄があると聞いて湖西へ出かけたおりに足を延ばしてみた。



湖北はオコナイと呼ばれる新年神事?、儀礼?の中心地として知れ渡っていて、勧請縄単体として紹介されているものはほとんど無いようです。


オコナイの中で縄(藁)を使った造形がたくさん有る様で非常に興味深いのですが、僕はまだ現場に立ち会ったことが無いので良く解りません。



ここで紹介する高月町森本神社の勧請縄は神社境内の二本の杉の間に掛けられているが、参道や境内への入り口ではなく本殿や拝殿と平行して掛けられているのが妙に気になります。



ロープ状の長い縄には何の飾り物も無くその中央に篠竹の矢を命中させていて、豊作祈願の悪霊払いの意味だそうでいずこも同じです。


この神社ではオコナイの一部としての勧請縄なのか?この縄がオコナイの代わりをしているのだろうか??


撮影2009.2.7


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大島半島の勧請縄

2009年03月27日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


若狭小浜の隣町、おおい町大島半島の各集落にも勧請縄が残っているというので足を伸ばしてきた。


小浜から27号線で西へ約30分、おおい町、大島半島は関西電力の大飯発電所があるところとしても名高く、地方の小さな町にして公共設備の行き届いた町のように見受けられました。


おおい町の中心、本郷から連絡橋にて大島半島に入るが道路はよく整備され、海を見ながらの快適なドライブコースです。


約10分も走ると、海岸線に民家の建ち並ぶ南浦で、そこから海沿いの旧集落を縫って走る海岸道路へと入っていく。



道路マップで調べても旧集落の名前は出てこないのでなんとも情けないがこの海岸沿いに旧八集落が存在してることになっている。


海岸線を走る道路は新道で、旧集落内を縫って走る旧道に入って最初に見かけたのが旧畑村の勧請縄。



離合不可能な集落の密集した家並の片側の軒先と対面する電柱間に勧請縄が掛けられていた。


縄は約5~6m、小勧請には藁下がりを12箇所、それに木蔦の小枝付け下げている。


ここでは勧請縄を「はなんとう」と呼んでいて「花ん涛」=「華祈涛」のことだ言われているようです。


祈祷札は中央で片面には種種善根目録なるものが書き込まれ、さすれば村内安全などと解せる文字が書き込まれている。


 


この先をしばらく進むと大きな木立のトンネルをくぐるが、この木立と対面する電柱間の頭上に次の勧請縄を見つける。



これは脇今安の勧請縄らしいがここでは手作りの藁で縄を編むことは無く、太いロープを利用した縄になっている。



これは労力と最近確保の難しい藁収集の省力化を図ったもののようです。



ごらんの通りの勧請縄で祈祷札の表は畑村のものと同じです。


ただ、ここでは裏側が見えたので良く見ると藤原左近太夫が八人、藤原右近太夫が八人羅列してました。



この意味がまったく良く解りません。


次の、宮留集落がこの大島半島最終集落のようです。



幸いここでは、漁網作業中の人を見かけて縄のことを訊ねました。



少し怪訝そうに思われましたが納得してもらいその場所に行って見たところ、そこはこの集落の「ニソの森」らしく巨木が生い茂り、奥には小さな社が祀られていました。


この杜への入り口に金属製のポールが建てられ勧請縄が掛けけ渡されていました。


ここの太縄も太いロープが藁縄の代わりをしていて、小勧請も細めのロープが使われていて少し興醒めの感は否めません。


中央につけ下げられた祈祷札は、先の二例とまったく変わりません。



しかし裏側は少し違ってここではごらんのように、藤原姓で別々の名前が8人分書き込まれています。


最後に見たのは河村の勧請縄。



山手の集落への入り口と思われる、切通し上の崖の上手と片側道路脇の大きな木の間に勧請縄が渡されていました。


ここも前例通り、太縄、小勧請ともにロープが利用され省力化が図られています。



祈祷札の表は前例通りまったく同じですが裏面にはここでは20人以上の藤原さんが羅列されているようでした。


どうもこの藤原姓とこの大島半島の係わりが良く解りません。


これはただただ栄華を極めた藤原姓を呪具としているのだろうか??


 撮影2009.2.28


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若狭小浜 法海(のりかい)の勧請縄

2009年03月24日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


法海集落は前回紹介した荒木集落からR27を山寄り に越えた集落のひとつです。



ここも集落の入り口と思しき変形の辻に鉄製ポールを両側に建て、その間に蛇縄を頭上高く泳がせている。



縄の造りは荒木集落の物と酷似していて、こちらでは蛇頭もよく見えたので望遠にて拡大撮影しておきました。


集落入り口で道きりとしての意味が大きい勧請縄だと思います。



荒木、法海の両集落ともに、集落内に不幸があるとこの縄は切り落されるということでしたが、幸いにして僕の訪れたときには健在でした。



蛇の頭には角のような縄飾りも有ってまるでそれは龍そのもの、おまけに12本の小勧請はその足のようにも見えました。


集落内位置から見た蛇頭はそれぞれに左向きです。



小勧請に付けられたもの、又祈祷札もまったく荒木のものと同一です。


ちなみに、この勧請縄は小浜に有る若狭歴史民俗資料館にも保存されているものがありましたので見せていただきました。



 参考のため、その画像も添付しておきます、蛇頭の様子がよくわかります。


 これは法海集落のものです。


撮影2009.2.28


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若狭小浜 荒木の勧請縄

2009年03月23日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


若狭地方にも何箇所か勧請掛けの行われる地区が有るというので出かけて見ました。


若狭鯖街道の宿として栄えた旧上中町、熊川近くに二カ所という?


地元の教育委員会にも訊ねて確認の上での訪問でしたが二カ所ともに現在では廃止されていて悔やまれる事態になっていました。


現在ではよく見かける仕入れの合成樹脂で出来た大きな縄が掛けられていてちょっと興さめでした。



若狭に入って最初に見つけたのはこの小浜 荒川集落の勧請縄。


小浜市街からR27で西へ約15分程、トンネルを2つ抜けて直ぐ、小さな荒川地区と言う看板を見つけ海岸方面に入っていくと


集落の入り口だと思しき位置に道路を跨いでこの大きな勧請縄が掛けられていました。



一方は民家の塀脇に突き出した大きなヨノミの木?、片方は道路わきに建てられた木製の勧請杭の間の頭上高く、まるで龍が空を飛んででも居るかのように掛け渡されていました。


この地域でも勧請縄は蛇縄と呼ばれて一年の除災招福を祈念する行事です。



縄には藁で編みこまれた蛇頭が付けられ、いわゆる小勧請は12本、それぞれには鐙と呼ばれる栗の木の小丸太、又太縄には御幣をつけた同数の篠竹が突き立てられています。


海岸線近くの集落であって、海関連の何かが付けられていると思いましたがそのようなものは何もありません。



縄の中央には梵字が書き込まれた、区内安全、七難消即滅、七福即生の駒形祈祷札が付け下げられています。


こうした、本格的な勧請縄をこの若狭の地で見られたことはやっぱり嬉しい。



この若狭の地が古い歴史の中にあることを実感できた瞬間です。


撮影2009.2.28


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高島市マキノ町下の勧請縄

2009年03月22日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 



小さな集落,野の木立に掛けられた勧請縄。


一見したところ道切りとしてより、山ノ神としての特徴を持ち合わした勧請縄だと思いました。



高島市マキノ町下はマキノスキー場のあるマキノ高原の対面に当たる山裾を流れる知内川沿いに開けた湖北の里山です。


この勧請縄がかけられているのは、大字下出の旧道と新道が交わる辺り、小さな木立のある勧請場のヨノミの木(榎木)と片方の添え木との間に掛け渡されています。



この縄は、男勧請、オシメ(男〆?)と呼ばれていて、隣集落、坂ノ下に掛けられる女勧請、メシメ(女〆?)と一対のものだといわれているようです。


これは明日香の飛鳥川に掛かる勧請縄と同様で興味深い。



残念ながら今回の訪問では坂ノ下集落のメシメはどうしても見つけることができませんでした。



男勧請の太縄の中央には見事なフグリが吊り下げられ、左3筋、右2筋の小縄が吊下げられていて、上部には幣をつけた篠竹が5本(1本はすでに落下)突き立てられていました。


勧請縄としては少し奇妙な5という数字が気に掛かります。



撮影2009.2.7


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八所神社の勧請縄

2009年03月17日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


ここは,たまたま立ち寄って見つけた勧請縄、いわゆる湖西の勧請縄です。


大津市は馬鹿に広い地域をカバーしている行政区なのだなあと関心してしまう、この琵琶湖西岸南北30km以上もの地域をカバーしていて南端の大石辺りからだと、この大津市北端にある南船路までは車で約く1時間以上も掛かってしまうだろう。


市内の中心街である浜大津辺りから湖岸沿いに走る旧R161号線がJR湖西線の下をくぐる所、右手わき道正面に神社の石の鳥居が見える。



石鳥居の奥になにやら勧請縄のようなものが掛けられているのが見えて急遽立ち寄ってみることにした。


神社は広い鎮守の森に囲まれているものの、一の鳥居のある湖岸近くから二の鳥居のある境内入り口までの参道は、アスファルトの生活道路になっていて、境内も明るく開けたスペースになっている。



勧請縄は鳥居の背後、真新しい拝殿の前、境内参道を挟む二本の勧請木の間に渡されている。



太縄に12本の小勧請をたらし3段に分かれた樒の小枝をつけて約束どおり。



たったそれだけの縄だが思わず湖西で出遭えた勧請縄はうれしい。



撮影2009.2.7


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大森町、大森神社の勧請縄

2009年03月15日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


大森町は旧八日市市と旧蒲生町の境界に続くなだらかな布引山山裾を流れる蛇砂川沿いに軒を連ねる里山集落です。


大森町の鎮守である大森神社は集落はずれの山裾、県道46号線沿いに大森神社の大きな石碑と石の鳥居が見えて直ぐにでも解る。



車も通れる参道は道路脇から一直線に山裾の斜面を駆け登っている。


山裾の参道は深い緑に覆われ、凛とした空気に包まれ厳粛さを演出してる。



参道脇の2本の杉の木を利用してはるか天上にこの勧請縄がかけられている。


縄は細く頼りなさ気であるが中央には蔓を使って環を造り、その中にドーマンの「しるし」を思わせる格子を造っている。


ただそれだけの単純素朴な勧請縄ですがそれだけに強力な呪力を持っているように感じるのはうがった見方なのだろうか???。



撮影2009.1.24


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白鳥若宮神社の勧請縄

2009年03月14日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


これは見た通りのまことに単純な造形の勧請縄です。


八風街道と呼ばれる国道421号線で旧八日市の中心街から山手に向かい国道307号線を越え,やがて町並みが途絶えて田園風景が広がる辺りの右手集落はずれにある白鳥若宮神社。


これから山手に向けてはこの白鳥神社の多い地域です。 



 周りに田園地帯が広がり遠くには暖冬のせいか少しだけ雪をかぶった鈴鹿山系の山々見える。


風の吹き抜ける小さな境内は清掃がよく行き届き過ぎ、ガランとしていて何か物足りなさを感じないでもない。


ここの勧請縄は、境内の石鳥居の前にアルミポールを建て、両端に重いばかりの藁房をたれている。


これもこの地域から山手側に多いタイプの縄です。



この縄の上三箇所には、蛇を思わせる子縄を木串に挿し付け、突き刺している。


勿論、大きな藁房を付け下げた太縄も蛇をあらわしているのでここでは親子蛇と言うことになるのかも??


それ程にも蛇は神聖視されているのだと思う。



撮影2009.1.24


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