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愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

安土町内野の勧請縄

2009年03月13日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


内野集落は国道8号線、近江八幡市西生来町の信号で旧八日市方面に伸びる県道206号線に乗り換えて5分も走ると左手側に広がる集落です。



勧請縄は集落の八幡神社にかけられているものだと勝手に判断してましたが、神社についてもそれらしき気配はまったく見えません。



どこの集落でもそうなのですがこの時期、屋外にまったく人影は見えず、わざわざ民家を訪ねてまで聞くのも億劫だし、いつもうろうろして地元の人にとっては、かなりの不審者に見られているに違いない。



あきらめて帰ろうと、神社前から集落内に伸びる道路を少し進むと頭上高くに勧請縄が架けてあるのを見つけた。



八幡神社の参道だったのだろうか??、はたまた集落の入り口に当たる場所だったのだろうか?、道路脇に背の高い勧請柱が建てられ、両柱間にもかなりの丸太棒を渡してこの勧請縄をつり下げている。



両端に藁房を付けた太縄を勧請柱に沿わせて長く垂らし、縄の中央には杉の葉を巻きつけた輪のトリクグラズ、その中央には


表に天下泰平、村中安全、五穀豊饒、裏には、大壱月から~小十一月大十二月と、十二ヵ月が1行づつ箇条書きにされた祈祷札が付けられている。



12本の小勧請の端には杉の小枝を付け造形的にもまとまり良く端正な勧請縄です。


神社の参道にかけられることが多い中で集落の道路を跨いで頭上高くかけられたこの勧請縄は貴重です。


撮影2009.1.31
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黄和田,日枝神社の勧請縄

2009年03月11日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


滋賀県東近江市黄和田町は東近江市市街より約30分ほども走った鈴鹿山麓にある小さな集落です。


八風街道と呼ばれる国道421号線で、禅寺の古刹として名高い永源寺を抜け、ダム湖脇をしばらく走るとやがて政所(まんどころ)。


政所で道路は2つに別れるがそのまま国道を進むとすぐに黄和田の集落なのだが国道はバイパスになっており脇道へとそれて集落内に入る。


集落のはずれ、なだらかに広がる棚田に対峙して日枝神社が鎮座している。


境内はきれいに整備されていて、清掃もよく行き届き、この集落の信仰心の篤さが伺われる。 




道路脇がすぐ境内になっており石の鳥居のすぐ奥にポールを建て、勧請縄をかけている。



太縄はポールに沿わせて長く伸ばし片方の端には大きな藁房を付けている。


このタイプの縄は八風街道沿い、旧永源寺地域に多いタイプのような気がします。



小勧請は12本、2段に分けて樒の小枝を付けている。



太縄の上には経木のように見えるものを付けているが良く解らなかった。



手水舎の柱にも樒の小枝を付けた縄飾りが付けられていました。


のどかな山里に残された勧請縄です。  


撮影2009.1.31 


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東近江市外町?の勧請縄

2009年03月09日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


県道216号線のそば、東近江ちょこっとバス御園玉緒東部線広間バス停横に廃寺跡でもあるのか物ありげな空き地が有って、勧請縄が架けられていました。


空き地奥,バス通りに近い2本の勧請木にこの勧請縄がかけられているのを見つけました。



ここは集落の入り口に当たる場所なのだろうか??


2本の勧請木の間に青竹を渡しこの勧請縄を吊下げている。



太縄の中心に過ぎの枝を曲げて輪にしたトリクグラズをつけ下げ、上部の縄には幣を付けた三本の小杭(悲しいかな1本は地上に落ちていた)をつきたてている。


トリクグラズの左右には杉の葉と幣を付けた6本づつの小勧請を吊り下げてスタンダードの造形です。




二本の勧請木の根元には六光仏づつの祈祷札と幣を付けた小杭を突き立てている。


ここはこの地域の集落にとって神聖視された特別な場所であるのだろう。



撮影2009.1.24


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東近江市外町、若松天神社の勧請縄

2009年03月08日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

東近江市の中心街に程近い外町の若松天神社参道にかけられた勧請縄。


一の鳥居を越えて高い木立の中をまっすぐに続く長い参道中程の勧請木のはるか高いところにかけられている。



太縄の三箇所の藁下がりをつけ、真ん中の藁下がりを含めて中心には杉の小枝を曲げて輪にしたトリクグラズ吊り下げている。



勧請木の根元には町内安全、天下泰平の木札を突き立てています。



少し離れた木立の枝には杉の葉を両端につけた縄飾りがありました。


これはいったいなんだろう??



 まさに湖東は縄王国、湖国には特別な世界観があるような気がしてくる。


撮影2009.1.24


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河合寺町の勧請縄

2009年03月05日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


東近江市を貫く愛知川堤防脇に位置する旧八日市市河合寺町も田園地帯の只中に有る」小さな集落です。



集落の中を縫う細い生活道路に面した八幡宮の参道に勧請木を建て勧請縄が掛けられている。



単純でシンプルな太縄の両端に藁房を着け、中央にはヒノキの枝を環状に曲げ縄の上部には三本の神札を巻きつけた木串を突きたてている。


  どうしてこうなのかと訊ねて見ても多分「昔からこうだから・・・・」という応えしか、かえって来ないだろう??。


撮影 2009.1.24


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大津市栗原、水分神社の勧請縄

2009年03月03日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


湖西の栗原は大津市といえども、市街からは1時間近くも掛かる旧志賀町比良山系山麓に広がる集落で山裾に100軒ほどが軒を並べている。



これより湖岸沿いは和邇と呼ばれる地域で古代氏族和邇氏ゆかりの地で、この栗原もまったく無関係な土地だとは思われません。



集落の最奥近くにこの水分神社は鎮座していて広く長い参道の中間点あたりの勧請木に青竹を渡し勧請縄が掛けられている。


湖東で見慣れている縄とは少し造形が変わっていて、縄の中央に見られるトリクグラズに対応するものは無く何本有るのかもわからない程多くの子縄が垂れ下がり


それぞれに御幣とシキミの小枝がつけられている。



当然最近までは琵琶湖に橋など無く湖東と湖西は別の文化圏だったのだろうから納得の行く縄の造りです。



それにしてもこの縄は根気の居る作業だと思うことしきり。


境内は広くすがすがしく清掃が行き届いていて気持ちの良い神域です。


撮影2009.1.31


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滋賀県野洲市六条,三之宮神社の勧請縄

2009年03月01日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神



何処をどう走ったのかは良く覚えていないが、近くに在る兵主(ひょうず)大社に立ち寄っての帰り道、たまたま道路わきに有るこの神社に勧請縄が掛けられているのを見かけた。


ナビであらわされた住所は滋賀県野洲市六条、 神社の石碑には三之宮神社とある。



三之宮神社は兵主大社の境外摂社だということですが、六条の集落ではあの立派な兵主大社には勧請縄をかけないで、この小さな境外摂社である三之宮神社に勧請縄をかけて居るのがどうも妙な気がしないでもない???。



この勧請縄の造作は変わっていて、二重縄形式になっているような感じです。


太縄は勧請縄にしては細く、その中央に別の太く短い注連縄?を付け、下部には蔓環の中にあのドーマンを思い起こさせる格子を割竹で組んでいる。


左右には二本づつ三組の榊?の小枝と幣を付けた小勧請を吊り下げている。


数多い、湖東の勧請縄の中でもこうした造形の縄を見たのはこれが初めてです。



撮影2009.1.11 


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蛭子神社の勧請縄

2009年02月26日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


東近江市の旧集落を車で走っていると何処の神社に寄っても勧請縄」が吊られているような気さえする。


この縄も東近江市内の田園風景の中をブラブラ車で走っていてたまたま見つけた縄です。



柏木町は湖東の肥沃な田園が広がる純農業地帯でその真っ只中を貫く県道165号線脇にこの蛭子神社が鎮座している。



平地の小さな鎮守の杜に静まる小さな蛭子神社の鳥居越しにこの勧請縄が見える。


参道両側の勧請木の間に渡されている太縄に半円形に曲げた杉の小枝を吊り下げ綱の上には三本の幣を付けた棒串を突き立てている。


吊り下げている小勧請は無く,とてもシンプルな造形です。


ただ吊り下げられている杉の小枝が、なぜ環では無く半円形なのだろうかと??ちょっと不思議な気がします。


撮影2009.1.17


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竜王町岡屋、勝手神社の勧請縄

2009年02月24日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


名神高速道が竜王町を南北に突き抜けているがこの岡屋の地は、その名神竜王インターにほど近い南側の丘陵裾野に開けた田園地帯に有る集落です



岡屋集落の中ほどに有る勝手神社は境内が良く整備されていて神さびた趣には少し欠けますが、天平年間創立の古い神社です。



大きい石の鳥居を潜り広い砂利の参道脇両側の勧請木の間にこの勧請縄が掛けられています。


参道が広いので勧請縄も長くて立派で、ここでは縄の中央に弓矢がつけられていて珍しい。



小勧請は3箇所に長く垂らされ、それぞれに杉の葉と幣がつけられています。


撮影2009.1.27


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京都市山科区、小山の勧請縄

2009年02月21日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


名神高速道京都東インター直近の山科区小川中島町に有る勧請縄(地元では蛇縄と呼んでいる)です。


多分、高速道路がこのあたりを貫くまでは静かな里山風景の広がる旧集落であったに違いないような感じがします。



滋賀県と境を接する音羽山から流れる音羽川が山科川と名前を変えるのもこの辺り。


国道1号線から、山手に向かって住宅密集地を越え、名神高速の下を潜りぬけたあたりが小山中島町。


少し進むと右側に広い駐車場があってその向こうに三面側溝された音羽川が流れている。



駐車場奥と音羽川の狭い空き地に太い勧請杭が建てられその間に青竹を渡し、この蛇縄と称する勧請縄が吊るされています。


これは誰が見ようが確かに蛇にしか見えません、凄く解りやすい蛇縄です。


地元では山の神の蛇縄だと言う事ですが山の神としての機能は持ちあわせていないように私には見受けられます。



長さ約13メートル、ヘビと呼ばれる勧請縄を約三百束の藁を用いて作り、大きく開けた口は赤く塗り、みかんの目をつけているのは現代風アレンジかも知れない。


篠竹で輪にしたものに樒、松葉、御幣を付けた足を13本作り、そのうち12本を胴体に吊り下げ、残りの1本は音羽川の水源地とされる場所の木に吊り下げる様です。



鎌倉期より続けられているとされるこの蛇縄は、村人を苦しめていた大蛇を退治したところ村に災いが降りかかり、恐れをなした村人が大蛇の霊を慰めるため、藁の大蛇を祀るようになったという。



以来、大蛇退治があったとされる二月九日には「小山二ノ講(二九(にのこう))」に依って蛇縄が新しく付け替えらて居るということです。



湖東に多い蛇縄と共通点も多く、足と呼ばれている小勧請が12本有るというのも勧請縄の決まりごとのようです。


しかし赤い口と蜜柑の目玉は何処かしらユーモラスな大蛇に見えます。


1997年に京都市の無形民俗文化財に認定されています。


撮影2009.2.14


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天御中主命神社 (アメノミナカヌシノミコトジンジャ)の勧請縄

2009年02月18日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 

この地を訪れたのは1月24日、いつもの年なら琵琶湖沿いのこの辺りにでも雪の形跡は有るのだろうが、今年は湖東平野部で雪を見ることはまずない。

 

湖岸道路を大津方面からひた走ってくると琵琶湖大橋脇をすり抜け、やがて近江八幡市に入り湖岸ではなく田園地帯を走る事に成る。


 

ちょうど湖岸から田園地帯に道路が湾曲する地点の左手に有るのが中之庄町で、神社は湖岸道路から旧道に入って直ぐの左手山裾に鎮座している。

 


道路脇に有る一の鳥居から長く平坦な参道を行くと、やがて二の鳥居を潜り短い石段の参道を上がると目の前はるか頭上に、この勧請縄掛けられている。


 

大縄は申し訳程度に少し太い縄で、小勧請などの飾りもないが中央には樫の葉をたっぷりに使った升の中にXマークが入ったトリクグラズ(この辺りでは鬼と呼ぶらしいが??)が吊り下げられていて珍しい。

 


 

勿論、邪気や悪鬼の侵入禁止のマークでなのだろう、単純明快すぎるのでちょっと拍子抜けの感も否めないが、まるで人が両手を挙げて通せんぼをしているようにも見える。

 

ただこの神社では鳥居の足や狛犬などいたるところに縄飾りがつけられて神社への信仰の篤さが伺われる。

 


境内はすがすがしく清掃されていて気持ちよく弓打神事でも行われて間もなかったのか、的や矢がそのままに残されていたのが目についた。

 

 

撮影2009.1.24

 


室生寺龍穴神社の勧請縄

2009年02月17日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


この写真を撮ったのはもう随分以前、2007年3月11日。


たまたま春浅き室生寺を訪ねた時に見かけたもので、以前ここには何度も訪れているがここで見かけるのは初めてでした。


室生寺は、龍穴神社の神宮寺とも言われ、龍王寺と呼ばれていた時期もあったようで、室生寺と龍穴神社は切っても切り離せない関係のようです。



土門拳の写真集古寺巡礼でも有名な自然石の石段を登って正面に見える古色豊かな 室生寺の金堂脇、向かって右手に拝殿があってその奥に小さな祠が鎮座しているのが見える。


これが龍穴神社の遥拝所ですが、何の説明板もなくまったく、なんだか解らない状態になっています。



この正面に1本の神木があって、それにこの龍を思わせる勧請縄が掛けられていました。


僕の覚えている範囲では、 毎年10月10日に村人で龍の形をした勧請縄が造られ、例祭の10月15日にはこの拝殿横の大杉にその勧請縄が掛けられ7回半龍穴の神にお渡りを請い、その後この縄は、龍穴神社の神木まで運ばれる・・・・・・・。



ということになっていましたが、どうもその縄ではなく、僕の見たこの勧請縄はもっと新しいもののようですし、現に三月十一日にもこうしてここにかけられていました。


もしかして秋とこの時期の2回行われているものかも知れないなあと思ったりしています。



たまたまここを訪れた日は風が強くこの龍縄は風に揺られてなびく様は、まるで龍が体をくねらせて宙に向かって駆け上がるように見えました。


なお龍穴神社神木の縄は以前にも僕のこのブログでも紹介しています。


撮影2007.3.11


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橿原市見瀬八幡神社の勧請縄

2009年02月16日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

橿原市は万葉の時代を偲ばせる大和三山(畝傍山:耳成山:香久山)のただ中にあり、その中央には約1300年前にわが国初の首都であった藤原宮跡があります。


その他、市内には歴史的文化遺産が点在していて、古代史ファンには垂涎の土地です。


神武天皇稜脇の橿原神宮の直ぐ近く、飛鳥散策の玄関口近鉄岡寺駅との中間辺りに位置する見瀬町の八幡神社に掛けられた勧請縄。



見瀬町付近は、新旧混在する町ですが、町の西方小高い丘の上に鎮座する八幡神社の杜だけは開発の波から逃れた別天地です。



大蛇を模したといわれる太い縄は参道から境内に上る石段の最後、石鳥居の前方両脇に有る二本の樫の木に取り付けられている。



大蛇といわれる綱の中央にはフングリと呼ばれる俵状の藁飾りが吊り下げ下げられていて小勧請はなく紙の幣が取り付けらている。


勿論フングリはフグリ(陰嚢)のことで♂のシンボルを現している。



ここから程近い飛鳥の稲淵集落の飛鳥川に掛かる勧請縄には♂のシンボル(陰茎)そのものの形をした藁飾りがつけられていて有名です。


地理的にも近いこの地では何故フグリなのか・・・・・。



いずれにせよ、命の再生産装置としてのフグリを着ける事によって子孫繁栄、五穀豊穣を願った物で有ることには間違いがないと思う。


縄としてはシンプルな造形だがそれだけにインパクトが有る。


撮影2008.4.13



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奈良市中畑町の勧請縄

2009年02月12日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


久しぶりに奈良方面に勧請縄訪ねてみました。


  


名阪国道が天理東のインターから山越えで伊賀方面に向かうとやがて急なヘアピンカーブにさしかかり、道路の下の方に小さく集落が見え隠れする。


このヘアピンカーブの谷間の傾斜地に棚田を開き、その上部にしがみつくようにして中畑の集落がある。


集落へは名阪五ヶ谷インターを降りれば直ぐ近くなのだが馬鹿ナビはとんでもない遠回りを教えるかも知れないので要注意。



いずれにせよ集落の入り口辺りの小さな小川の暗渠になった部分の上部にこの勧請縄が掛けられている。



両側に低い勧請杭を建て重いほどにシイ?の小枝を付けた小勧請が向こうの見えないほどにたれ下がっている。


当然ここが昔からの集落への結界であった場所で有ることは頷ける。



太縄の上部には御幣を付けた串が刺されているが雨除けのためかビニール袋がかぶせられて少し艶消しでしたが・・・、まあそれも愛嬌かと笑ってしまう。


 


撮影2009.2.8


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矢放神社(やはなちじんじゃ)の勧請縄

2009年02月09日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神



吉川集落矢放神社は前回紹介した小浜とは目と鼻の先ですがこちらは野洲市で小浜は守山市となっています。


矢放神社というのはこの地の地名の由来になって居るのでもなくあまり他では聞いたことの無い神社名です。


この地も前回の小浜地区と同じく琵琶湖岸に開けた純稲作農業地帯で。



境内は明るく開けていて、中央には真新しい拝殿がでんと構えていて、その前の二本のヒノキの勧請木にこの勧請縄がかけられていました. 


このあたりの神社ではよくヒノキを見かけますが杉じゃなく何故ヒノキなのだろう??





勧請縄は、木の間に渡された竿竹につけられ、縄の上部には12本の串に挿された御幣があって、中心部には蔓性の環があり、ヒノキの小枝が飾られていています。


写真ではよく見えませんが環の中にはセーマンの星のマークが蔓で作られていて納得の勧請縄です.


撮影12009.1.11


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