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愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

京都山城 雪の茅葺き民家-1

2015年01月03日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

 

我が京都山城には滅多に雪の積もる事など無いのだが・・・今年は年明け早々の元日、夕方近くから激しい雪になり瞬く間に周りを見慣れぬ白い景色に変えてしまった。

気になって表に飛び出すとこの通り・・・思ってもない様な横殴りの雪で景色もぼんやり・・・・・

お向かいさんの茅葺き屋根はどんな塩梅かと・・・・今降り出したばかりなのに、もう少し白く成りだしていた。

夜、9時頃には恐らく聞き始めの大雪警報まで発令され、何事かと少々戸惑う。

しかし夜が明けてみると何てことは無く積雪10cm弱、道路には黒い轍の痕が残り、茅葺き屋根もなんとか白く見える程度。

裏に廻って見てもこんな程度で綿帽子を被ったようにモッコリした雪景の茅葺き屋根には程遠い景観。

山城ではこうして雪をかぶることなど滅多にないから、これほどの雪景でも、やっぱりもの珍しい。

午後1時頃に表に出ると、すっかり雪は溶け、茅葺き屋根は見慣れた元の姿に戻って居た。

以前のページはこちらから・・・・

撮影2015.1.1~1.2


南丹市美山町 野添の茅葺き民家-2

2015年01月02日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

先日の茅葺き民家の隣家の茅葺き屋根。

向かって左が先日の民家右手は今日の民家・・・・・殆ど同様の茅葺き屋根です。

ポイントを変えて撮れば向かって右手にまた別の茅葺き民家の棟が覗いている・・・・・こんな風情がたまらなく良い。

この民家の正面側から見ると先日の民家とまったくウリ二つ、この集落にはあともう一軒同様造りの茅葺き民家がある。

入母屋平入の母屋を南向け、その右脇に一段低く、一回り小さい納屋が主屋に対してL字型に建つ。

しかしこの茅葺き屋根は、先日の屋根に比べると傷みが酷く苔むしている。

この茅葺き民家が抜け殻となって、何年ぐらい経つのだろう??

また美しくも懐かしい景観が一つ消え去ろうとしている。

撮影2014.11.20


南丹市美山町 野添の茅葺き民家-1

2015年01月01日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

なんとも捨てがたい我が心の中に有る風景そのもの・・・。

京都、茅葺き民家が色濃く残る南丹市美山町・・・秋の深まる11月の末、緩やかな棚田に囲まれ絵の様な景観を見せる。

ここ野添の民家は、こうしてここに建っているだけで絵になる。

深い入母屋の茅葺き葺き下ろし母屋、脇にそれを小型化した様な納屋。

棟には美しく重厚な「うまぎ」を載せた丹波型・・・屋敷の裏は家庭菜園に成っていて若奥さんが手入れをしていた。

屋敷は手入れが行き届き気持ち良い清潔さが保たれ、今を生きている茅葺民家だと言う事が手に取る様に良く判る。

同じ京都にあっても我が山城とは全く違う茅葺き屋根です。

撮影2014.11.20


京都市右京区嵯峨越畑北ノ町 河原家住宅

2014年11月26日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

今日は上書きUPです。

つい先日、ちょうどこのあたりから京北、美山に掛けての茅葺き民家の撮影に近くを通り掛かったのでついパチリ。

刈り取りの終わった棚田越し、公孫樹の巨木が色付き茅葺き長屋門がまるで映画の1シーンの様に収まっていた

撮影2014.11.20

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以前「越畑棚田」で少し紹介したことのある茅葺き民家。

棚田のに軒を連ねる集落を縦断する府道50号線を道成に北に進めば、集落外れの棚田中段に素晴らしい萱葺き屋根の長屋門を持つ、京都市登録有形文化財「河原家住宅」が有って其の威容に誰もがふと足を止めてみたくなる。

棚田と白壁土蔵の脇に立つ大公孫樹、棚田の縁を縫うように行く屋敷道・・・・・。

なんとも懐かしい姿をとどめていて、それはそのまま時代劇映画の一コマ、江戸時代から時間の止まった様な景観を見せてくれている。

棚田越しに真正面から見る茅葺き屋根の長屋門からは、今にも羽織袴に帯刀のちょんまげ侍がが飛び出して来そう・・・・。

現在は空き家らしく門より中に入る事は出来ませんが、高みより覗いた主屋や土蔵屋根は相当傷んでいます。

これだけの建物を維持管理するのはもう個人の力では難しいのかも知れませんが、なんとかこの素晴らしい景観を留めて欲しいものです。

詳しくはこの説明板で・・・・・

撮影2010.5.8


宇治市 黄檗の茅葺き屋根(普茶料理店白雲庵)

2014年10月03日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

黄檗宗総本山、黄檗山万福寺「普茶料理店白雲庵」の茅葺き屋根。

先日紹介した宇治市炭山の帰り道、ちょうど序でに寄れる場所なので黄檗山万福寺前に足を伸ばした。

異国情緒漂う総門に道路を挟んで対峙する「白雲庵」の茅葺き屋根。

入り母屋造りの大屋根は鳥威しが20も載せられた超横長タイプ・・・・、もと万福寺の塔頭として創建された建物の様です。

僕はお客さんとしてここを訪れたのではないので庭内に入るのは気が引け、外部からだけの撮影にしておきました。

撮影2014.9.14


宇治市 炭山の茅葺き民家

2014年09月27日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

 以前に見つけておいた近場の茅葺民家・・・・・気候も良くなり、朝から天気も良かったのでチャリで一走り。

いくら近場の宇治市内とは言え市街地からは約10km以上も離れた山間集落・・・どこをどう辿って行ってもアップダウンのきつい谷間集落。

結構早く出たつもりだが、途中の「みちくさ」や峠道ではたまらずチャリを押すハメとなり、思わね時間を食ってしまった。

こんな人里離れた山奥に在っても、民家は殆ど現代風建築に取って変わり、この集落で残って居たのはこの一軒のみ。

斜面脇に小さな屋敷を構えて居るが、下屋は改装されギャラリーの名前が付いていた。

ここ炭山は陶器工房が多く、古民家を利用してそのギャラリーとして利用しているのかも??

その昔は山間農家だったのだろう・・・山城の簡素な入母屋茅葺き屋根にアワビの貝殻が所々に光ってる。

 裏山、寺の境内から見ると日陰部の屋根の傷みがどうしても酷い。

撮影2014.9.26


京都市 伏見区の茅葺き民家

2014年09月22日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京都市最南端、伏見区桃山の小高い台地に残されていた茅葺き民家。

 

この桃山台地は、かって豊臣秀吉が伏見桃山城を築城、当時なら庶民など近づくことさえも出来ない??と思われる古い呼び名の一画に残っていた。

付近は乃木神社や明治天皇陵にも近く由緒在る土地、いくら由緒正しき場所だとは言え、こんな市街地に茅葺き民家残って居るとは思いもしなかった。

 

台地斜面、背後に台地の木立を背負い、正面を道路に接し、大きい入母屋の茅葺き屋根を見せている。

下屋は現代風に模様替えされ、棟続きで現代建築が増築され、若者仕様の車が横付けされて居た。

ちょうど近くに小学校が有り下校の子供達が、かしましく帰っていく・・・・ 

 

 この子供たちは茅葺き屋根の民家など毎日どんな目で見ているのだろうか??

撮影2014.9.19


京都府宇治田原町 奥山田の茅葺き民家

2014年09月14日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

1年半ほど前、たまにしか降らない雪が少し残ったこの茅葺き屋根を撮影したが、伊賀方面からの帰り道、その後どうなっているのかと寄ってみた。

前回は枯野色の寒さ厳しい頃、今回は黄金の稲穂が出だしたまだ暑さの残る9月の中頃・・・

当たり前の事だが、前回来た時よりも茅葺き屋根はやっぱり草臥れが進んでいた。

前のシート掛け屋根も前に見たまま・・・・やっと雨漏りを防いでいるだけ。

前回訪ねた時には高齢者世帯だったけど・・・・やっぱり今でもそうなんだろう。

入母屋の棟飾りが崩れ、後は又、前の家と同じようにシートを掛ける事に成るのかも・・・・

 それほど山間僻地で無くとも地域格差は加速度的にますます広がるばかり。

撮影2014.9.13


木津川市山城町 小林家住宅(2014-夏)

2014年08月17日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府
 
我が南山城に残された代表的な茅葺き民家。
 
 
つい先日屋敷の裏をチャリで通ったので序でにバシャバシャ撮影してきた。
 
それも持ち合わせが無く、「ポケットコンデジ」だけの画像ですが・・・・
 
 
 腰を下ろして出穂を控えた青稲越しの大きい大和棟をバシャ・・・・
 
 
永らく掛かっていた表の屋根もすっかり新しく葺き替えられ、眩しいほど・・・
 
 
 
夏空に大きい茅葺き屋根は実に堂々と揺ぎ無く建っている。
 
 
撮影2014.8.15

京都府 宇治市の茅葺き屋根

2014年05月23日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

宇治市観光名所の平等院門前に有る茶店の茅葺き屋根。

宇治川ラインの県道3号線をそのまま下ると、天ヶ瀬ダム湖を駆け下り宇治市の中心街へと入る。

平等院参道脇には宇治茶を商う店々が軒を連ね、その一画に家並と植え込みの緑から頭を覗かす茅葺き屋根が見える

小さな山城風入母屋造りの茅葺き屋根だが、土日ともなるとひと足の絶える事が無いほど賑わい、古都宇治の名物茶店となって居る様です。

撮影2013.6.22


京都府 宇治市の茅葺屋根

2014年05月22日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

宇治川ラインと呼び親しむ府道3号線沿い、宇治川右岸に建つ朽ち果てかけた茅葺屋根。

一昔前には和風レストランとして繁盛していたのだろうが・・・今は荒れ果て見る影もない。

先日紹介の「佐久奈度神社」より下流へ約4km、瀬田川から宇治川へと名前を変えた川沿い府道脇、息も絶えだえ侘しい姿で立ち尽くす茅葺き屋根。

いずれ元々何処からかの移築だったのだろうが???四方棧瓦の下屋の上に小さな入母屋造りの茅葺き上屋を載せている。

もうここ何年もしないうちに解体撤去される運命だとは思うが・・・・滅び行くものの哀れさを感じない訳は無い。

撮影2013.6.22


京都府宇治田原町 茅葺き屋根(禅定寺本堂)

2014年05月20日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

古い歴史の山里、その滋賀県との県府境に近い名古刹「禅定寺」の茅葺き本堂。

元は東大寺の末寺であり、平等院や藤原摂関家ともゆかりの深い寺院で、本尊十一面観音立像をはじめ、平安時代にさかのぼる仏像群を有する事で知られる山寺。

宇治田原町を貫く国道307号線から府道783号線で大津市石山方面に進むと禅定寺の里、集落外れの峠道斜面にひっそりと建つ名刹「禅定寺」は遠目にも、その古い歴史を窺わせる佇まい。

府道脇の駐車場に車を乗り捨て石段参道の奥、山門を潜ると境内庭園を挟み大きい茅葺き屋根の本堂と対峙する。

ひっそりとした山内に普段の日なら人影を見る事もなく、外部からは自由に拝観出来る。

戦国時代に荒廃していた寺は、江戸時代に入り現在の寺観を整え今に至っている。

両脇に観音堂と庫裡を従える様に中央に一際美しく、歴史を感じさせる茅葺き屋根は実に堂々とした佇まいを見せている。

大きな茅葺き屋根は山城風入母屋造りだが、向かって左側妻脇から落ち棟の切り妻茅葺き小屋根の突き出す造りで印象に残る。

裏山の寺墓よりみると左右対称の大きな入母屋造り。

静かな山里の風情あふれる山寺景観を楽しめる、名古刹の茅葺き屋根です。

撮影2013.6.22


京都府宇治田原町 永谷宗円生家(茅葺民家)

2014年05月19日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京都府宇治田原町に在る煎茶製法の祖と言われる永谷宗円生家の茅葺き屋根。

永谷宗円は、現在「お茶漬けふりかけ」などで名を馳せる株式会社永谷園の基礎を築いた人物として知られる。

昭和35年(1960年)に地元有志により、明治まで永谷家が存在していた場所に製茶道具やほいろ跡を保存するため、建てられた茅葺き民家で記念館として利用されている。

宇治田原町は宇治市の南、大阪と滋賀東部を最短距離で結ぶ国道307号線沿いの山里でその東端は滋賀県の信楽と接している。

そんな宇治田原町湯屋谷集落奥のどん突き、宗円自身も「茶宗明神」として祀られている「大神宮神社」に隣接している。

昔の生家をそのまま移築したものでは無さそうですがそれ程規模の大きくない山城風の茅葺き入母屋造り。

葺き降ろしの茅葺き屋根ですが、見る者の目からするともう少し吹き降ろしが深ければと思ったり・・

しかし何にせよ、こうして記念館として土日には内部の見学も可能に成っている。

勿論無料開放で宇治田原町の指定文化財に成って居る。

撮影2013.6.22


京都府  亀岡市の茅葺き民家:3

2014年05月18日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

先日紹介の穴太からの帰り道、集落の家並に茅葺き屋根が見え隠れ・・・・・・。

一方向からは建ち混む付属の屋根に隠れて全容を窺う事が出来ない。

方向を変え裏の方から見ると深い入母屋の?葺き下ろし屋根・・・・茅葺きは相当痩せて肋骨が飛び出し、もう葺き替え時期を逸して居る様にも。

下屋の雰囲気が懐かしい農家の面影を良く残し、今に伝えて居る。

やっぱり僕の住む山城とは随分屋根の角度が違う丹波型茅葺き屋根です。

撮影2013.10.21


京都府  亀岡市の茅葺き民家:1

2014年05月17日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

先日紹介の走田神社近く、茅葺き農家が一軒残って居た。

西国三十三ヶ所札所の穴太寺直近、我が山城の入母屋造りとは違い傾斜がきつい。

妻側から見るとその違いは一目瞭然・・・やっぱりこちらは丹波、僕の山城とは気候風土を異にしている。

棟飾りは鉄板製に帰られているが、白い和障子が昔人間には嬉しい。

撮影2013.10.21