愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

三重県伊賀市 川東の茅葺き民家(澤村氏館)

2014年01月17日 | 茅葺き屋根(同)三重県

田圃の真ん中、背の高い屋敷林と石垣(土塁)に囲まれ、いかにも由緒有り気な茅葺き民家。 

伊賀市東部郊外、木津川支流、柘植川と合流する滝川に沿う県道2号線、壬生野小学校近く……広い田圃の真中を屋敷への進入路が真っ直ぐに伸びる。

ここは伊賀市川東地区は伊賀忍者の故郷、この地の丘陵上に在った「壬生野城」を中心に忍者屋敷が点在していた。

ここは、そんな一つの「澤村氏館」、勿論忍者屋敷と言っても一般的な土豪の館で、砦の一部と成って居た様です。

この地に点在していた同様の館の内、現在も昔日の面影を一番良く伝えて居る。

澤村氏は平安期以前からこの地に土着していた土豪、江戸時代には「忍び」をもって藤堂家に仕え、一族の澤村甚三朗保祐はぺりーの黒船を探索したと云いわれる。

現在も子孫の方がお住まいで屋敷内は非公開に成っており、土塁と背の高い屋敷林に遮られ全容を窺い知ることは出来ない。

大きな伊賀型茅葺き屋根を持ち、現在にまで脈々と続く歴史の重みを感じない訳には行かない

撮影2013.5.5


三重県伊賀市 諏訪の茅葺き民家-2

2014年01月16日 | 茅葺き屋根(同)三重県

前日紹介の伊賀市諏訪に残って居た、もう一軒の茅葺き民家。

集落を突き抜け、音羽、波敷野へと続く長閑な田舎道脇、なんとか健在だった茅葺き民家。

こちらは棧瓦葺きの下屋に茅葺き寄せ棟の上屋を乗せ、棟終いは伊賀地方を代表するような棧瓦の箱棟としている。

この茅葺き屋根もそろそろ寿命、茅葺き屋根で再生されるのか?上懸け屋根に替わるのか??はたまた解体されてしまうのかも・・・・。

道路を挟んだ向かいには、こんな上懸け民家。

表に廻るとこんな風・・・伊賀市周辺の茅葺き屋根は殆どこんな上懸け屋根に変わって居る。

撮影2013.5.5


三重県伊賀市 諏訪の茅葺き民家

2014年01月15日 | 茅葺き屋根(同)三重県

伊賀市、郊外と云うにはちょっと無理がありそうな、滋賀県甲賀「信楽」に近い山里「諏訪」で見掛けた茅葺き民家。

諏訪は陶器の里「信楽」を最短距離で結ぶ国道422号線、山間部にぽっかり拓けた谷間盆地に古き良き景観を残す里山地域です。

しかしここもやっぱり時流には抗えず、若年人口の減少で市立の「諏訪保育所」はこの三月に閉園、地域の小学生が通う丸柱小学校の統合問題も机上に登っている。

集落の中心、諏訪神社近くの交差点から東に伸びる集落の東端近の高台に茅葺き民家が残って居た。

目の前の菜園には、ちょっと声を掛けて見たいほどリアルな案山子が居たりしてビックリ・・・・それにしてもこのリアルさはすごい。

茅葺き民家は、在所道から坂をちょっと登った高台、いかにも里山農家風入母屋造り・・・・。

右手入母屋部分ブルーシートが掛けられ、茅もそろそろ寿命を迎えて居る。

背後に廻ればこんな風・・・僕の山城でも一般農家では、このような家根型が多かった。

この茅葺き屋根も近々もう見られなく成ってしまうかも・・・・・・。

向かいには、スッキリ赤い覆い懸け屋根に替えられた民家が田植えの夫婦越しに見え、いかにも里山らしい景観を醸し出して居た。

撮影2013.5.5


三重県旧美杉村 太郎生(たろう)の茅葺き民家

2014年01月14日 | 茅葺き屋根(同)三重県

三重県旧美杉村太郎生地区下登集落の最上段地に残って居た茅葺き民家。

旧美杉村太郎生地区は名張市街の南方、淀川水系の名張川沿いに細い谷沿い道、国道368号線で遡る事、約30分20km足らず、曽爾山系と布引山系の狭間、名張川上流域に太郎地区の十数集落が有る。

平成の大合併で津市の一部と成っているが、本来の生活文化圏は津市街の有る伊勢湾岸地方ではなく、内陸部の伊賀地方寄りです。

どこの都市圏からも遥に遠く離れ、山紫水明、いつ来てもオゾンいっぱいの空気が充満しているのを感じ取れる処・・・・。

名張市境を越え太郎地区に入り、暫く道なりに走ると、やがて左手山肌斜面に軒を連ねる「登(のぼる)」の集落、その最上段にこの茅葺き民家。

小さな入母屋造りに、補修したのかトタンの箱棟を載せた俄作り、それでも屋根のかやはやせ細り、もう今にも肋骨までのぞきそう・・・。

現在見たところ既に住居としては利用されてなく、物置替わりに利用されてるに過ぎない。

こんな鄙びた山里でも唯一見つけた茅葺き民家・・・、しかし多分取り壊されるのはもう時間の問題かも??。

撮影2013.5.3


三重県旧美杉村 三多気(みたけ)の茅葺き民家 

2014年01月13日 | 茅葺き屋根(同)三重県

三多気の桜は、周りの鄙びた風情景観と共に国指定名勝「 さくら名所100選」に認定された桜の名所・・・・その一番の引き立て役がこの茅葺き民家。

集落入口辺りから伸びる修験道の古刹、「真福院(しんぷくいん)」への長い登り参道が山桜の桜並木に成って居る。

そんな参道上部、棚田に囲まれて茅葺民家が建ち、早苗の水鏡にその影を写している・・・・・・、桜の季節にはこの畦にカメラマンが列を成す。

この茅葺き民家は7~8年前、桜の季節にも撮影したが、観光客が多過ぎ撮影ポイントもままならなかった。

ここを訪れたのはこれが三度目、この鄙びた山里の景観は何度訪れても飽きる事は無い。

ここは標高約500m、この地を訪れた三度目の初夏、ちょうど屋根の葺き替えが始まったばかり・・・・・

聴いたところ職人さんは京都から来ているのだという・・・・なんの縁かは知りませんが遠いところをご苦労様です。

この民家は山村農家、「田中家住宅 」として津市の登録文化財に成って居る。

山村農家の小さな入母屋葺き降ろし屋根・・・・・、観光客の途絶えた縁側に写真を並べて見せてくれた。

この山村にも始めて来た7~8年前には確かもう2~3軒の茅葺き民家が有ったはず。

しかし残ったのはこの茅葺き屋根だけ、後は覆い屋根が懸けられたり、更地に成っていたり・・・・、こんな山村に有っても懷かしい景観はどんどん失われて行く。

撮影2013.5.3


三重県旧大山田 炊村(かしきむら)の覆い懸け民家

2013年11月18日 | 茅葺き屋根(同)三重県

三重県伊賀市郊外、旧大山田村炊村(かしきむら)で見掛けた覆い懸け民家。

木津川の支流、服部川右岸、水田地帯の真っ只中に特徴ある棧瓦の箱棟を載せた赤いトタンの覆い懸け屋。

程なく黄金に染まる稲田に白壁土蔵と錆色の赤が程よいコントラストを醸し出して居る。

一方、目を移すと黒いトタンの覆い懸け屋・・・・

こんな景観がいつまで見られる事やら・・・・しかし炊村とは意味ありげな地名です。

撮影2013.8.14


三重県伊賀市 奥馬野(おくばの)

2013年11月04日 | 茅葺き屋根(同)三重県

 

このぐらい市街地より離れた山中なら、一軒や二軒の茅葺き屋根は残ってるだろうと出掛けてみた。

伊賀上野市街地より木津川上流域の一つ、「服部川」沿いに走るR163を遡る事約30分、更に旧大山田村と青山町を結ぶ県道2号線で馬野川を遡る事約5分、深い谷間に拓けた馬野に着く。

こんな山奥の鄙びた集落にも茅葺き屋根は残っていなかった、真新しく覆い懸けをしたように見える屋根も有り・・・・・遅きにしした感は否めない。

しかし、たとえ覆い懸け屋根にせよ、この景観は鄙びた山間集落ならではの佇まい。

こんな景観も、そう遠くない将来にはきっと見れなく成ってしまうに違い無い。

ここは伊賀山中のかくれ里・・・・覆い屋は懸けられても伊賀式箱棟が誇らしげに残っている。

撮影2013.5.5


三重県伊賀市中村  茅葺き民家

2013年02月12日 | 茅葺き屋根(同)三重県

伊賀上野郊外「旧大山田村」近くで見かけた茅葺き屋根の民家。

このあたりもカラートタンを懸けた茅葺き屋根はいくらか見られますが・・・純粋の茅葺き屋根はこの一軒だけでした。

寄せ棟茅葺き屋根の上に棧瓦葺きの箱棟が乗り、少なくとも山城では見かけ無い屋根の造りです。

伊賀はこんなつくりなのだろうか??カラートタン屋根もこんな形・・・、庇は四方に出して棧瓦葺き。

しかし茅葺き屋根には苔や雑草が生え、もう葺替え時を迎えてるようですが・・・・・、この先一体どうなるやらです。

勿論現在もお住まいで無指定、この土塀の佇まいも捨て難いのですが・・・・。

撮影2012.8.16