Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

作曲家論 : モーツァルト第1回(No.1458)

2006-12-31 16:11:53 | 作曲家・モーツァルト(1756-1791
あっ! 忘れていた!! 今年は『モーツァルト生誕250年』だったじゃん(爆
「シューマン没後150年」はきちんと憶えていて、大特集組んだのに、、、

・・・ということで、今年最後の Piano Music Japan は「モーツァルト」


モーツァルト(1756-1791)総合評価



ピアノソロ曲:☆☆☆☆☆
ピアノ協奏曲:☆☆☆☆☆
ピアノ室内楽:☆☆☆☆☆
連弾&2台 :☆☆☆☆☆
歌曲伴奏  :☆☆☆☆
ピアノ教育 :☆☆☆☆☆

音楽史評価 :☆☆☆☆☆

コメント 等は明日号以降にて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家論 : バッハ第13回(No.1457)

2006-12-30 20:56:00 | 作曲家・バッハ(1685-1750)
 レオンハルトが「バッハ:フーガの技法 最新盤(1969年盤)にて「何を狙ったのか?」を鮮明にする。

バッハを制覇しようとし挫折した = レオンハルト


 事実を列挙しよう。番号は特に記載が無いモノは全て「BWV1080- 」の後の番号である。わからない方は、新バッハ全集買って読んでちょ。

レオンハルト新盤(1969) 曲順


  • 10
  • 11
  • 12-2(レオンハルト表記では12a)
  • 12-1(レオンハルト表記では12b)
  • 18-2(レオンハルト表記では18a)
  • 18-1(レオンハルト表記では18b)
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17


「フーガの技法」初版(1751年版)曲順


  • 10
  • 11
  • 12-2
  • 12-1
  • 13-2
  • 13-1
  • 10a(10番の初期稿)
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18-1(13-1番の初期稿)
  • 18-2(13-2番の初期稿)
  • 19(未完成、そのまま印刷&出版)
  • BWV668


「フーガの技法」自筆譜 = ベルリン国立図書館P200


  • 10a
  • 15
  • 11
  • BWVが振られていない曲、14 の初期稿の1部
  • 12-1
  • 12-2
  • 13-1
  • 13-2
  • 14 の初期稿の1部

以下は「添付楽譜」と解釈されている → つまり「初期稿」だったり「上記のまとまった楽譜の後の稿」だったり「未完成稿」だったりする楽譜。この楽譜は、初版印刷楽譜(1851)に印刷された。
  • 14
  • 18-1(13-1番の初期稿)
  • 18-2(13-2番の初期稿)
  • 19(未完成)



 正常な感覚がある方ならば、理解できると思う。

レオンハルトは 2つの資料 のいずれを根拠にしても、『絶対にあり得ない』曲順を 勝手に捏造した!


である。
 古楽器演奏家 には(悲しいことだが)多々あることなのだが、『自分勝手な思い込み = 真実』と主張した実例である。 レオンハルト & 信奉者よ、反論あるならば、コメント か トラックバック に書き込んでちょ。内容がマトモならば絶対に消さないからさ(爆


本日号PMJ の結論 = レオンハルト は「バッハを捏造しようとした」


 心ある バッハ学者 & 演奏家 のおかげで、この捏造は 大事に至らなかったかも。 日本では「神の手」とかホザいていた どこかの 文部科学省公認団体の 副理事長もいたっけなぁ~(爆笑
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家論 : バッハ第12回(No.1456)

2006-12-29 23:37:00 | 作曲家・バッハ(1685-1750)
 「レオンハルトは壊れている!」 これが素直な私高本の感想です。

レオンハルトは壊れている!


 私高本が「最初にバッハに親しんだ」のは、レオンハルト指揮&チェンバロの 『バッハ : ブランデンブルク協奏曲全曲録音LP』 であった。当時、素晴らしい! と思ったし、今聴いても ブランデンブルク協奏曲 の6曲の演奏は素晴らしい!


・・・で、他の曲も素晴らしいか? と言われると、昔々の「アホな高本」であれば「レオンハルトならば素晴らしい!」と言っていたと思うが、今 「PMJ」主宰するようになった責任ある地位に着くと、違った「真実」を述べなければならない。ちなみに
  • 「真実」は
  • 「まみ」という女性ではなく
  • 「しんじつ」である

 PMJからの読者ならば、素直に理解してくれるのだが「デイリー時代からの読者」だと、「女の名前だろ!」と思うらしい。

1.そんなにもてる方法がある?
2.女性を紹介してくれる

ならば、速攻で実行してほしい(藁


・・・で、『表題の件』である。

レオンハルトの「最終見解は、バッハの実像を破壊する」ほどの愚劣な解釈


 音を聴けば理解できることだろう。
  • 曲順は「恣意的」以外の何ものでもない
  • 「第13番を除去し、第18番を採用」は、『資料云々』以前に感性がイカれているだろう
  • 19番カットは「なぜ?」の説明が、誰にも納得行かない

である。 もちろん、2006年年末の「世界の常識」から遠くかけ離れている。

 レオンハルトは「映画でバッハに扮した」チェンバリストである。(← マジ)
昔は、「ネタでしょ!」と思っていたが、今から振り返ると「マジ」であった。1985年以降の「バッハ ルネッサンス」には、ヤバいところだらけで参加していない様子。 こんな人の演奏を「マジでバッハの神髄」と思って、20年以上過ごした私高本の「二の舞」だけは、読者の皆様は避けてほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家論 : グルダ第4回(No.1455)

2006-12-28 05:34:10 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
グルダ作曲 チェロ協奏曲 の 自作自演(グルダ指揮)初録音盤の初出国内盤LPにて ソロを弾いた ハインリヒ・シフ の言葉が 富士田靖子 訳にて掲載されている。この曲は 国内盤CDで出たこともあるらしいが、私高本は店頭で見ていない。 輸入盤には 原文(ドイツ語) と 英訳 が掲載されているのだが、日本語訳は 読んだことの無い方が多いだろう。以下の通りである。(指示代名詞の直訳がわかり難い時が多々あるのだけが難点。後「一所懸命」と言う単語を正確に知らないのだろうか? 一生けんめい とかな漢字交じりになってしまっているのが残念。「作曲者」もフツーに訳せば「作曲家」で良い箇所である。)

グルダの「チェロとブラスオーケストラのための協奏曲」について


ハインリヒ・シフ


訳・富士田靖子

 3年前の夏、雨の降る日に私ははやる心を抑えて、フリードリヒ・グルダ邸を訪れた。私はそれまで一度だって、あまつさえ夢の中ですら、この出会いから彼との協演までこぎつけるとは思ってもいなかった。私のグルダへの、そして彼の広い分野にわたる才能への尊敬は、今に始まったことではなく、私の子供時代にまでさかのぼることになる。私の中にあった古典音楽への狭い了見を広げてくれたのも、ひとえに彼に負うところが多い。
 初対面の短い挨拶をかわしたのち、いとも自然に私立ちはグルダのあのクラヴィコードと私のチェロで短い即興演奏を始めた。私はこの思いがけないグルダとの出会いとその後の数ヶ月が、私のチェロ演奏というアイデアとその実現の基盤を強めていくことになったと思っている。つまりグルダが私のチェロと私自身を数ヶ月にわたって理解し、評価してくれたことが演奏会を可能にしたのである。加えて彼の素晴らしいインスピレーションと実行力は、2年後の1980年に開かれた私のチェロ演奏会に非常に役立ち、それによって私は個人的にも音楽的にもこの人物に大きな借りを作ることになった。
 この協奏曲の第1楽章はチェロ奏者に全く新しいチャレンジを要求している。難解な技巧がはいっているだけではなく、さらに抑えた音でテンポの速いロックのリズムをマスターしなければならないのだ。そのうえそれらは正確に、ビブラートなしで、どんなクラシック的な弾き方をとり入れることもなく演奏されなければならない。私は私達がこの目標に達することができてすこぶる満足しているし、おそらくグルダもそうであろうと思う。穏やかで叙情的な間奏をはさんでの3度にわたるテーマのくり返しは、チェロをロックやジャズに近づけたいという私の夢を実現してくれ、その上聴き手をいわゆる「ロック・ハード・テンション」の境地へとひき込んだのである。これが驚くことに第2楽章では全く逆になる。
 「Idylee イディル」とは本来は田園の風景画をさす言葉であるが、ここでは曲の美しさ、素晴らしさ、それでいて単純さという性格をひき出すことになったオーストリアのザルツカンマーグートのことである。(私自身がそこの出身であったことは全くの偶然ではあったが、そのためにそれはまたそのことを音楽で表現してみるということでの1つの挑戦でもあった。)広がりを持ちつつも単純な旋律は、私達がしばしばうしなったて捜し求めているすべてのものをよびおこしている。もし聴き手が自由な感じ方でこの音楽のエネルギーをとらえることができたならば、私達のこころみは成功したと言えるだろう。この楽章の陽気な中間部では私達に楽しい田舎風のくつろぎをおぼえさせ、そしてそこはまた、自分でもそうと意識できるほどに一生けんめいに頑張っているチェロ奏者がくつろげるための場にもなっている。ここが楽章の中央部となっている。(A-B-C-B-A形式のCにあたる。)
 コンチェルトの中間部(第3楽章)であるカデンツァの楽章はニ長調の終止和音から展開する。2つの即興の部分は容易にその性格をとらえることができる。1度目は激しい重音奏法で、2度目はグルダによれば愛らしいフラジオレッタで。これらは躊躇しつつも思索に富むモノローグ(作曲者がベースの低音を加えてくれたことに感謝!)とその典型が示される前のリズム的に回想する部分と共に互いに対照をなしている。
 聴き手は突然自分が眠っているような静寂の中にあることに気がつく。そこはメヌエット(第4楽章)の幻想的な非現実の世界であり、まるで中部ヨーロッパから東洋の夢の中にすべり込んでしまった気分になる。長調のトリオはもはやとどまることなく漂っているかに見える。
 終楽章で聴き手は勝利の幸福感にみたされる。それはせっかちで多少きどっているアルペン音楽ではなく。まさに圧倒的、確信的な歓喜である。チェロはここでブラズの名手にまじって異彩を放っている。ここでチェロはある保養地(ボヘミアか?)の有名な旋律を2度もかなでて、自らをアピールしている。中間部ではオーストリアのザルツカンマーグートのあらしのようなジャズが展開される。それに続くのは、初めは軽い「幸福感」の音楽で、それからすばらしいコーダまでソリスト達はクレッシェンドを続け、一気に終わりに達するのである。

1981年5月ウィーン コンツェルトハウス録音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しいピアノ到着(No.1454)

2006-12-27 12:56:03 | ピアノ音楽全般
先ほど、新しいピアノが到着しました。ヤマハC5。部屋に入れてみたら思ったよりも小さい(藁

随分明るい音色なので、感触が違います。今日&明日は部屋の片付け。「年末の大掃除」どころの騒ぎではありません。落ち着いたら「作曲家論 : バッハ」続き書きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突然ですが明日ピアノを替えます(No.1453)

2006-12-26 20:52:56 | ピアノ音楽全般
25年以上一緒に苦楽を共にして来たピアノを、明日搬出し、新ピアノが来ます。バタバタとした日になります。今のピアノは私高本にはもったいないくらい良いピアノなのですが、さすがにちょっとお疲れが出て来た様子です。若い方で「大学の間に1台弾き潰した」なんて、武勇伝も聞いたことがありますが、信じられません。きっと20年くらいは保つような気がします、まともなメーカーのピアノならば。今のピアノも、明日来るピアノも、まともなメーカー製です。
明日は雨になりそうなので、ちょっと不安かも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家論 : グルダ第3回(No.1452)

2006-12-25 20:53:37 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
BIGなクリスマスプレゼントが Piano Music Japan に来た!

グルダ夫人 = 祐子 グルダ からコメント頂いた!


 もう感激!!! グルダ夫人にして、最高傑作 = プレイ ピアノ プレイ(祐子に捧げる10の練習曲)を捧げられた 祐子 グルダ がわざわざ、

  • 1970年クリスマスの Yuko に F.Gulda から献呈された
  • 同じ干支(犬年でしょ?)の 2006年クリスマス丁度の日 に「コメント」頂いた!

なんて信じられないほどうれしい。36年前は私高本はまだ小学生のガキで、地元の久地小学校に通っていました(爆
 この当時の 「祐子 グルダ」の美貌写真は、グルダ著「グルダの真実」で拝見させて頂いています。


 現在我が家は「グルダ作品鳴りまくり」状態です、ハイ。もう昨日までの「バッハ尽くし」なんて、どこにも無いです。 バッハ「フーガの技法」と グルダ「プレイ ピアノ プレイ」 を比べたら、「評論家高本秀行」は 「フーガの技法」の方が名作と言いますが、

私高本個人は グルダ「プレイ ピアノ プレイ」 の方がはっきり好き!


です。 ここに明言します。

デイリー創刊(1996年12月6日)以降に生きていた作曲家の中で既に亡くなった作曲家では、「伊福部昭」「グルダ」だけが後世に残る!


と信じています。今、生きている作曲家の皆様には、名作期待しています! 吉松隆 は、今も「交響曲」書いているのだろうか?(爆


・・・で、『祐子 グルダ』からご指摘頂いた

  • F.グルダ「チェロ協奏曲」 には
  • 2曲(2楽章の意味だと思う)の旧作あり!

なんて、どこにも書いて無い「ビッグニュース」だ! 本当にありがとうございます!!




1,420円(税込)



  • 演奏   :☆☆☆☆☆
  • 資料価値:☆☆☆☆☆
  • 音質   :☆☆☆


 マジで『世界的スクープ』の書込を、グルダ夫人 から頂いたと思う。

  1. 作品が1級
  2. 身近な方が「真相を語る」

が必要。 う~ん、この条件を「完全に満たしている」ように思う。『私高本が新作を作曲しました』なんてホザいても、誰も相手にしないんだよね(藁

・・・で、F.グルダである。「チェロ協奏曲」は初出の時(=LPのみだった!)に購入して、CD化された時(=輸入盤のみだった)にも購入した。前者はベートーヴェンの「チェロとピアノのための変奏曲 作品66」とのカプリングで、後者は「ウルズラのための協奏曲」とのカプリングだった。 どの解説にも「旧作からの引用があります」とは書いていなかったと思う。 記憶が薄れて来ているのかしら?(爆


2,4,5楽章 が絶品なのに、1,3楽章が足を引っ張っている グルダ「チェロ協奏曲」


 どの楽章が「過去の名作からの引用?」かは、グルダ夫人 = 祐子 グルダ からも(メヌエットはご指摘頂いたが)ご指摘頂いていない状況での「作品批評」である。 結構「ヤバい」批評かも(爆

 グルダ「チェロ協奏曲」は、グルダ自身の記述を信じれば「クラシック音楽作曲家」としては頂点を極めたに近い成功作である。 この辺りは 絶版になった「グルダの真実」を読んで頂きたい。

・・・で、「チェロ協奏曲」の作品批評である。 私高本は貸出楽譜を有料で借りるような金銭的な余裕は無い(泣
 あくまで、「CD聴いての印象批評」である。文句があれば、コメントか トラックバックに書いて下さい。気に食わないと削除するかも(爆

 祐子 グルダ が「2つの楽章が旧作」との マル秘究極情報を頂いたのだが、その確認もしないママに、ここに「作品批評」を書く。「早い男は嫌われる」の実見本かも(爆笑



  1. メヌエット は 「作曲家 : グルダ」を代表する名作である。

  2. パストラーレ と フィナーレ は、「メヌエット」に次ぐ名作と思う

  3. 1楽章 & 3楽章 は不釣り合いなほど不出来


 グルダの個人的な 離婚とか、結婚の情報は、私高本では(今の状況では)全くわからない。 この「チェロ協奏曲」は、信じられないほどの「曲内の水準の高低差」がある曲である。 しかも、「クラヴィコード独奏版」では スカスカな「第3楽章」を演奏しているので、私高本としては「謎の曲?」であった。 ちなみに「ジャズでも演奏している」のご指摘を(夫人の祐子さんから)受けたが、手元のCDでは確認できていない。う~ん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家論 : バッハ第11回(No.1451)

2006-12-24 23:50:24 | 作曲家・バッハ(1685-1750)
 予告通りに レオンハルト新盤批評である。

レオンハルト新盤 → 恣意的な演奏で「バッハの本質」を歪曲



2,940円(税込)



  • 演奏   :☆
  • 資料価値:☆
  • 音質   :☆☆☆☆

 詳細は次号にて
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家論 : バッハ第10回(No.1450)

2006-12-23 23:40:14 | 作曲家・バッハ(1685-1750)
 本日号は読者の皆様注目の「グールドのバッハ」である。

死が早過ぎたグレン・グールド「フーガの技法」


グールド盤 → スタジオ録音全て



1,420円(税込)



  • 演奏   :☆☆☆☆☆
  • 資料価値:☆☆☆☆☆
  • 音質   :☆☆☆ ~ ☆☆☆☆☆

 グールドが死んだのは 1982年。早過ぎた。誰が見ても早過ぎた。「アンチグールド」の人たちでも、叩き甲斐が無かったことだろう。わずか人生50年。織田信長か? グレン・グールド?

 グールドが「フーガの技法」を録音したのは、3回。

  1. 1962.01.31-02.04(← グールド唯一のオルガンスタジオ録音)
  2. 1967.11.23(← 9、10、13番 のそれぞれ唯一の録音。ピアノだ!)
  3. 「1981春」と公表された『グールド死後の公開された TV3部作』の第2部用録画

である。 1回目は、聴いても特に害も益もないが、第2回 & 第3回 はグールドを理解する上で大切!


 グールドも神様では無いので、『時代の壁』は越えられなかった。 あなたも越えられないし、私高本も越えられない。
 壁にブチ当たりながら、必死に「打開」を見付けていくしか無い。見付けられれば「次がある」であり、見付けられなければ「終了キーは押されました」状態なのだ(爆

 グールドは わずか50才で死んだ。「フーガの技法」楽譜については、ヘンレ版(1987)も ペータース原典版(1989)も ベーレンライター新バッハ全集(1995)も何も出ない内に死んだのだ!

 えらそうに「ツェルニー版で 1962年のオルガン盤録音に臨んだ」との記載を読む度に

グールド生前には、現行原典版楽譜3種は発行されていないよ!


と、悪態を付く。う~ん、こんな私高本はスカなのだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月22-24日東京シティバレエ「くるみわり人形」予告&批評(No.1449)

2006-12-22 13:38:00 | 批評
 クリスマスだ!

東京シティバレエ HP


をご覧になればわかるが、今日から3日連続でチャイコフスキ「くるみわり人形」公演。明日&明後日は全席完売なので、今日しか当日券買えないではないか!!
本日公演を聴いて(視て)、本日中に公演批評を掲載する。


 バッハを楽しみにして皆様には、1種類 とっておきのCD紹介。

Rosalyn Tureck plays Well-Tempered Clavier (Complete)



4枚組 ¥1,924(税込)


グールドが尊敬していた バッハ弾き = テューレック。(トゥーレック、テュレック、テュレク などの表記が混在しているが全て同一人物)。知らない方は

テューレック Wikipedia


を参照して下さい。
 CD表記もごちゃごちゃしていて間違いが多い(タワーレコードも妖しげな表記になっている)が、
  • テューレック初の「平均律 第1巻 & 第2巻全曲」録音 4枚組
  • 1952-53年 米DECCA録音

である。 グールド「ゴルトベルク1955年盤」デビュー前に録音&発売。影響を受けている。グールドファンは是非聴いてほしい。
(以上13:37)


素晴らしかったバレエ、問題山積のオーケストラ → 江東区クリスマス「くるみわり人形」公演


 『東京シティバレエ + 江東区でバレエを育てる会』のバレエは、素晴らしく、特に
  • 金平糖の精 → 志賀育恵
  • 「登場時(大きい方)の コロンビーヌ + ピエロ + ムーア人形」

の表現が素晴らしかった1夜。 バレリーナ + 合唱 は良かったのだが、オーケストラ
(= 東京シティフィルハーモニック管弦楽団) が昨年までとは「別オケ?」と思える低水準の出来だったのが心残り。
 指揮者
(ここ数年同じだと思う) = 福田一雄 の問題なのか? シティフィル の問題なのか? を断定できるほど、最近はオケも指揮者も聴いていないので、断定しかねるが、どうも「オケ」側に問題が発生しているように思えてならない。明日 & 明後日 の公演は、本日以上にして頂けることを信じたい。

 毎年、パワーアップしている 『クリスマスのティアラ江東のくるみわり人形』だが、今年も期待に応えた「演技」を魅せてくれた。昔、子役出演 → 本日 主役クララ(もちろん、大人の方) = 薄井友姫 など、「江東区のスター」も産まれていて、出演者の意気込みも高いようだ。
 反面、オケは昨年までとは違い
  • 楽器間音量バランスが崩れている。特に テューバ と 打楽器 が吠えまくり!
  • 主旋律のおいしいところが頻出する フルート1番 と トランペット1番 が全く「旋律線を描くアーティキュレーション」が崩れてしまうことが何回もあった

が残念。 指揮者の指示は「ごく普通」だったように見えたが、私高本の見落としかも知れない。ただ「出てくる音」が本日のママだと、バレリーナも踊り難いと感じる。明日以降は、さらに上の「音」を実現して、昨年までと同水準までは戻してほしい。(23:55)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家論 : バッハ第9回(No.1448)

2006-12-21 23:29:50 | 作曲家・バッハ(1685-1750)
 私高本の『最初の書評 = バッハ』になるとは、書く寸前まで全然思いもしなかった。フツーに考えて、シューベルト か 伊福部昭 関連になると思っていた。う~ん、なぜ バッハ で書評デビューなのか? 小一時間考えるかも


バッハ研究するなら読め → 小林義武著『バッハ 伝承の謎を追う』(春秋社 2004年新訂版 3,675円)



3,675円(税込)



  • 内容   :☆☆☆☆☆
  • 資料価値:☆☆☆☆☆
  • 時代   :☆☆☆☆☆


 「フーガの技法」の記述も素晴らしい! 「フーガの技法」以外の記述も素晴らしい!! この著書に対する偽らざる気持ちである。

「フーガの技法」でも 5つの疑問 を明記呈示!


して、きちんと対峙している。 とても「読者重視」が感じられる。しかも 書いてあることが『事実だけ』なので、おそらく多くの業界関係者は「仰け反った」のでは無いだろうか?

  • 「フーガの技法」は2つしか出口が無い
  •   1つが「初期自筆稿」であり、もう1つが「1851年出版初版楽譜から誤りを抜いた稿」であり、鏡面フーガの順序などは再考の余地はあるが、他の組み合わせや順序はあり得ない

  • チェンバロ用の楽曲である!
  •   チェンバロ曲とわかっていて「編曲モノ」として、弦楽四重奏曲にして演奏したりするのはもちろん自由だが、オリジナルはあくまでチェンバロ曲である。

は、多くの人が未だに認めない事実だが、既に実証されてしまっている。 これも 「レオンハルト盤 解説」とか読むと、またまた歪曲されているのだろう。

「フーガの技法」以外の箇所も、

全てが「事実のみに拠って構築されている」書物


である。

 小林義武著のこの著書は是非是非、読んでほしい。「バッハ理解最大の手助け」だと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家論 : バッハ第8回(No.1447)

2006-12-20 22:01:47 | 作曲家・バッハ(1685-1750)
 気付かなかったが、年末だった(爆
う~ん、新聞折り込みチラシに「蛍光灯」があったので思い出した。そろそろ野菜類が爆ageする日が今年も近づいて来たワケだ。年末になると必ず「配送スケジュール遅延」が生じる。道も混んでいるから仕方ないのだが。
 レオンハルト盤CD批評掲載 → 楽譜紹介(3種類します!) 後に、掲載する予定だった「2枚のCD」を先に掲載しておく。指折って数えたところ、来週になってから「掲載 → 読む → 発注する」では、年内に到着がアヤシい。本日号を読んで、明日に発注すれば(在庫がある Naxos盤ならば)年内到着できるだろう。


「フーガの技法」研究最先端はここまで進んでいる!


 単純明快に述べる。心ある演奏家たちは、ここまで進んでいる。最先端の2種を紹介しよう。2種類とも「チェンバロ演奏」である。

  1. 最新盤 = ギヨー盤 = 初期自筆譜稿に拠る演奏


  2.  これは「最新盤」である。 これから私高本が述べる資料の内、「バッハの意図」を忠実に再現しようとした若手チェンバリストの記録である。1,000円 しないCDなので、是非是非気軽に聴いてほしい。

  3. ヘンレ版楽譜校訂 & 補筆者 = Davitt Moroney のチェンバロ演奏盤


  4.  21年前の録音である! この21年間、いかに 音楽学者 や 音楽評論家が 怠慢を重ね、「無為な日々」を過ごして来たか? が理解できるだろう。「ピアニストの卵」ならば、何が何でも(ハイ、クリスマスの彼女とのデートをキャンセルしてでも)購入 → 聴く をしてほしい。



 もし、読者のあなたが「ピアニストの卵」とか「チェンバリストの卵」ならば、この2種 + グールド盤 + レオンハルト盤 の4種は、必ず聴いてほしい。(グールド盤は 指定のCD買って下さい。他のCDは「ピアノ演奏なし」もあります!)
 昨日予告の 小林義武教授著書の書評は明日号。 どこでも簡単に買える名著だぞ!!! 近所の 文教堂書店にも、店頭陳列されているではないか!!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家論 : バッハ第7回(No.1446)

2006-12-19 22:20:05 | 作曲家・バッハ(1685-1750)
 順序通りに4回連載です。『Wikipedia 批評』なんて、実行した人間が過去にいたのだろうか?(爆

 『インターネット時代の象徴の1つ』 = Wikipedia である。多数の無名の人たちにより作り上げられる『インターネット大事典』であり、質が信じられない高い極みに達している項目があるかと思えば、信じられないほどスカな項目もある。 私高本が最近読んだ「Wikipedia」中、

であった。「ヴォルフ音楽を本当に聴いた?」としか言えないほど、スカな出来。う~ん、こんなのも実在するんだよね(泣
 まあ、ヴォルフは「ヒョーロンカ」としてありとあらゆる罵倒を繰り返してきた(← 罵倒された側から見ての評価)ので、「やむなし」かもね(藁


 さて、バッハ「フーガの技法」の Wikipedia(2006.12.19現在) の批評である。

  1. Wikipedia 横並びで見れば「中」程度の出来であり、全体像の 60% くらいが見えてくる(← シロートの集まりが作っている、の批判が絶えないが、まさに実証してしまっている項目の1つかも)

  2. 原典版楽譜は、ベーレンライター版新バッハ全集 も ヘンレ版 も ペータース版 も読んだことの無いメンバーで構築されたことは ほぼ間違いない

  3. 「晩年のバッハが視力障害になった」と「晩年のバッハの楽譜の書き方に障害が出て来た」がゴチャゴチャになった記載なので、音楽学については全く無知なアホが主導して編纂


などが明解である。 その割には、ヴォルフのようにボロボロになっていないのは「バッハ最晩年の名作であり、資料が豊富」なためと推測される。


 1つだけ補足したいのは、この Wikipedia 程度のことさえ、理解しないで「バッハ : フーガの技法」を語る(騙る?)ヤツが 21世紀になっても未だ多いことである。3日後に述べるが、レオンハルトを信奉する「古楽器派」の中でも「底辺間近のヤツラ」に多い。
 とにかく1回、目を通して頂きたい。冒頭述べたように、「Wikipedia中では 中程度」の水準には間違いなく達しているから。
 少々悪い言葉で言えば、『烏合の衆でもこの程度は書ける』のである!


 明日は 小林義武 の書評。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家論 : バッハ第6回(No.1445)

2006-12-18 22:51:20 | 作曲家・バッハ(1685-1750)
 本日号は、『私高本がバッハ論を書く』事実についての思いについて、短く語る。はっきり言って「感慨深い」の1語。
 2002年夏過ぎに 川上敦子 が指の故障で、予定演奏会 をキャンセルした後だから、2002年の 秋深まった辺りだったと思う。「リストの練習で指の故障のピアニスト」に、『何が最適か?』を探りを入れていた時である。

 どちらからとも無く「バッハ」が(相当早い段階で)出た。確か、いろいろな検討を重ねた後、結局私高本が頭を下げた。『川上さんの演奏うんぬんではなく、私高本が「川上敦子のバッハの魅力」を伝える筆力が全く存在しない、ごめんなさい』と。

 「川上敦子の魅力」の1つが、声部進行の(信じられない水準の)明瞭さにあることがわかっていても、私高本のスカな頭では「バッハ」は、『何を書くのか?』が全く理解できていなかった。


 4年後の「今」、昔読んだ資料をもう1回読んだ。昔は「何言ってるのか? ワカラン!」だった資料も、今読むと「このこと言いたかったんだ!」がはっきりわかる。昨日号で 「4大資料」にした グールド盤 も レオンハルト盤 も、昔から持っていて、4年前に 川上敦子 にワビ入れる前からの愛頂盤である。 レオンハルト盤は 余白(?)の ロ短調パルティータBWV.831 が最も好きなのだが(爆


 私高本の「バッハ理解」がこの期間に深まったことは間違いない。 何が原因か? はっきりはわからないのだが、おそらく

  1. 伊福部昭音楽研究

  2. 佐伯周子 演奏会プロデュース


が「2大原因」だろう。 伊福部音楽の 複雑怪奇(?)な声部進行の解説を書くのには、正直「泣きが入った」記憶あり。最初の演奏会(=2003年5月)の解説文は「間に合ったのが不思議」である(← 青山館長(当時) & 南出委員長
 ご迷惑お掛けしました!)
 ・・・で、もう1つ忘れてはならないのが、「佐伯周子プロデュース」である。 私高本が不得手な「ショパン」を毎回忍び込ませ、これまた演奏会プログラム印刷を極限まで遅らせている。う~ん、ショパン音楽は「聴くのは好き」なのだが、「書く水準」まで私高本が達しているのだろうか?
 ショパン音楽は(読者の皆様がご存知の通り)「バッハを手本」にしていることが多い。「24の前奏曲」なんて、「バッハ知らなければ存在するワケない」曲集。いろいろ勉強させてもらいました。

 ・・・で、その力が今回生きたとしか思えない。昔(← わずか4年前!)に読んで全く理解できなかった資料(← 大半が楽譜。この4年に初出版された「画期的楽譜」なんてありません、ハイ)が「はっきり見えた」。

 客観的に見て「PMJ創刊」から、私高本の「筆」に はっきり「力が付いている」ことがわかる。 「PMJ創刊自体 = 佐伯周子 の影響」は自明の理だから、「バッハ理解深まる = 佐伯周子 の影響」なのだろう。信じられないが、客観的に見ると以上の通りである。マジ?! (← やはり信じられない!)


 明日号から「基本4資料」詳述4日連続します。金曜日 = 12月22日 まで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家論 : バッハ第5回(No.1444)

2006-12-17 21:41:42 | 作曲家・バッハ(1685-1750)
 本日は資料編である。

バッハ:フーガの技法 を知るための基本資料4点はこれだ!


 既に21世紀に入って、消費税(5%)以上の年月が経過した(爆

 「バッハ演奏」の世界は、『オリジナル楽器演奏』と言う名の下に、【コピー楽器演奏】がはびこり、質の低下が悲しいほどに進んでいる(マジ

 例えば「イ・ムジチ合奏団」が毎年2回くらい来日して、ヴィヴァルディとバッハばかり日本中を演奏しまくっていた時期が実際にある。「ステレオの方のアーヨ盤の四季」が録音発売されてから、次の盤(ミケルッチ盤だったっけ?)が売り出される間の最盛期である。私高本はガキの時代だったので、テレビで視ただけだが、「今そこにバッハ & ヴィヴァルディ」がきちんと鳴っていた。 親に「ナマで聴きたい」と言ったら、テイ良く断られたが、今考えるとチケット代が高かったからだろう。そんな昔を思い出す。昔から『ナマ好き』でした、ハイ。
 「モダン楽器演奏」だが極めて質が高かった。


バッハ:フーガの技法 を知るための基本資料


 21世紀の「現代」は、これだけは目&耳を通しておいてほしい。逆の視点で言えば、「この4点だけ目&耳を通せば、90%程度は理解できる」と言うことです。 ちょっと前だと「自分自身で楽譜を読んで、文献を探す」必要があったのですが、いい世界になりました、マジ。

  1. フーガの技法 - Wikipedia

  2.  まさか、現代日本で「Wikipedia」を使っていない人は存在しないだろうが、「フーガの技法」が登録されていることを知らない人はいるだろう。 とにかく読んでほしい。 最後の「外部リンク」には 鈴木雅明の『フーガの技法』解説 も貼られており、充実。

  3. 小林義武著『バッハ 伝承の謎を追う』(春秋社 2004年新訂版 3,675円)

  4.  いくつかの「スカなネット販売情報」で『版元品切』とか出てくるが、ガセ情報である。 カワイ表参道でも、ヤマハ渋谷でも、簡単にきちんと買えるじゃないか!(爆
     その辺の本屋でも簡単に買えるのだが。 『新訂版』は「注」がさらに充実した上に、デフレのおかげ(?)で定価が下がっている!
     「バッハ本」を1冊買うなら、この本にして下さい。「楽譜校訂の考え方」や「演奏修辞法」などを含め、とても「音楽の本質が身に付く本」です。もし、あなたが持っていないならば、「バッハが好きでも嫌いでも1冊持っていてほしい本」です。
     「フーガの技法」についても「1章」設けて丁寧に解説してくれています。解説通りの演奏会やCDがほとんど無いことが、問題なのです。(高橋悠治 とかの水準で満足できる人は少ないと思う、、、)

  5. グールド盤 → スタジオ録音全て


  6.  この盤のBand1~9は超有名。グールドがオルガンで演奏した唯一の正規録音だからです。しかし、あってもなくてもいいレベル。『ヴァルヒャに対抗したメラメラした炎』だけです、ハイ。当初2枚出す予定だったと思われ、前半部だけを演奏しています。
     ・・・で、Band10 以降 がグールドの本領発揮。小林義武研究とは違うのだが、『全体像にこだわらずに、部分像にこだわる』のが、Band10以降のグールドの態度。 グールド好きもグールド嫌いも1度聴いてほしい。私高本としては『個人的には、ゴルトベルク変奏曲並みの名演』と感じている。

  7. レオンハルト新盤 → 35年以上前だが、一世を風靡した → 恣意的な態度であり、「バッハの本質」を伝えなかった



  8.  この盤は レオンハルトの新盤であり、会心の出来だったようで、その後新録音は35年以上生きているレオンハルトが実行していない。他の諸曲は 何回も録音しているのもあるのに(泣
     特徴的なことは3点。

    1. 曲順が『1969年当時』に留まっており、今聴くと「完全に変」
    2. 13番をカットして、18番を採用、というのも時代の古さ
    3. 最後の4重フーガ(通常の呼び方で19番)をカット

    である。 これが『レオンハルトの主張』そのものである。
     1985年の「バッハ生誕300年」前後に発表された「最新研究」からは【完全にハズれた演奏】となり、その後再録音していないし、もし私高本の記憶が正しければ、「演奏も日本ではしていない」ハズである。
     この演奏の大切な点は とにもかくにも 『ちょっとだけ頭が良い(または「良い」と思われる)ならば、何を言っても何を演奏しても許されるかも知れないこと!』に尽きる。 今もこんな高い値段で売られています、ハイ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする