Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

東京オペラプロデュース オッフェンバック「ラインの妖精」初日 2017.05.27 批評(No.2531)

2017-05-27 23:47:46 | 批評

ウィーン宮廷歌劇場(現:ウィーン国立歌劇場)委嘱作品=オッフェンバック「ラインの妖精」は、「ホフマン物語」を諧謔性を抜いて、抒情性を積み重ねた作品


  私高本が「好きな作曲家」の上位に位置するのは、シューベルトだけでなく、オッフェンバック。これまで、東京オペラプロデュース「地獄のオルフェウス」「青ひげ」や新国立劇場「ホフマン物語」などで親しんで来た作曲家だが、近年研究が進み「ラインの妖精」がクローズアップされて来た。こともあろうに、かの ウィーン宮廷歌劇場(現:ウィーン国立歌劇場)からの委嘱作品であり、当時の上演習慣から「ドイツ語上演」だった。
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尾高忠明指揮読響 2017.05.26 批評(No.2530)

2017-05-26 23:58:09 | 批評

研ぎ澄まされた前半の芥川也寸志「トリプティーク」、ロドリーゴ:アランフェス協奏曲(ハープ版)


  後半のメイン=ブラームス交響曲第1番ハ短調作品68も、強弱もテンポも楽譜上の指示よりも拡大して演奏された名演であったが、ほとんど演奏されることの無い前半2曲の演奏はメインと比肩するかそれ以上に名演となった。
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これから聴きに行く演奏会(No.2529)

2017-05-25 21:49:16 | 演奏会案内

新国立劇場でオペラ三昧週間。オッフェンバック「ラインの妖精」+ワーグナー「ジークフリート」


  私高本は、ピアニスト佐伯周子のマネジャーをしているが、聴きに行く演奏会はオペラとオーケストラ定期が圧倒的に多い。「質の高さ」があるからなあ。「新国立劇場でオペラ」も質の高い公演が多い。


東京オペラプロデュース:オッフェンバック「ラインの妖精」は、ウィーン国立歌劇場からの委嘱作品でありオッフェンバック生前に上演された唯一のオペラ


  多くの解説書で「死ぬまでに完成できなかった ホフマン物語 がオッフェンバック唯一のオペラ、と書かれているがあれは全て誤り。生前に「ウィーン国立歌劇場」(オペレッタファンから人気ある「ウィーンフォルクスオーパー」では無いよ!)から委嘱され、作曲し、上演された『オペラ』が「ラインの妖精」である。上演後に「楽譜が散逸」した(シューベルト「ロザムンデ」の逸話と全く同じ>< )ために、再演が15年前まで不可能だった作品。この辺りの細かなことは、http://mayumiura.hatenablog.com/entry/1864/02/04/Die_Rheinnixen
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フェドセーエフ指揮N響 2017.05.20 & 24 批評(No.2528)

2017-05-24 23:56:20 | 批評

絶妙の「オケ捌き」のフェドセーエフ


  旧デイリークラシカルミュージック時代(1996.12.06 - )からN響を聴き続けているが、フェドセーエフは(N響から期待されるレパートリーが「ロシア物」に限られているが)極めて高い融合点を有している両者。「中期のチャイコフスキー」がフェドセーエフの心の中のテーマと感じるが、交響曲第4番も幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」もピアノ協奏曲第1番も見事に捌いていた。その手腕には感謝するばかりだ。


ピアニッシモ方向が無限かのように広大に広がる フェドセーエフ指揮N響のチャイコフスキー


  フェドセーエフ は、作曲家に拠って表現を変える。ボロディンの「草原の雄大な風景」、ショスタコーヴィチの「裏表のあるユーモア」、アンコールのハチャトリアンの「バレエのリズムの強調の面白さ」など、各作曲家のチャームポイントをしっかり押さえた表現。その中で、チャイコフスキーでは「ピアニッシモの繊細な響き」が高い緊張感を産み、「短調作品の明暗の濃さ」を強調して映えさせる。
 ピアノ協奏曲でのベレゾフスキーの「伴奏ぶり」は圧巻。スコアを読み切り、多くの指揮者が「被せてしまう」フレーズが全く被さらずピアノの音が浮き上がって聴こえる。ピアノと響きが重複しないトロンボーンなどは自由に大きめに吹かせているのだが、ピアノと響きが重なる弦楽器と木管楽器は抑制する。何と弾き易いことか!


  現在、N響を定期的に振る指揮者で、デュトワ指揮を超す演奏を続けているのは、フェドセーエフ と ルイージ。ルイージが読響常任指揮者になる気配だが、フェドセーエフ はN響で1人もいなくなってしまった「名誉指揮者」に1日も早く就任して欲しい次第である。
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ロジェストヴェンスキー指揮読響「ブルックナー交響曲第5番シャルク版批評2017.05.19(No.2527)

2017-05-19 23:48:03 | 批評

ブルックナー演奏で最重要なことは「指揮者がブルックナースケッチを読み解きオケメンバーに伝えること」。版問題、稿問題は二の次。を実証したロジェストヴェンスキー+読響


  贅沢な演奏会であった。第4楽章だけのために13名(コントラファゴット1名、シンバル1名、トライアングル1名、バンダ10名)を待機させるシャルク版。その費用以外にも、スコア+パート譜の購入またはレンタル費用までかかってしまう。スクロヴァチェフスキ死去に伴うピンチヒッターの人選は難航したことが推察できるが、何と読響名誉指揮者=ロジェストヴェンスキーが引き受けてくれた。有難い限りである。だが「シャルク版」と言う21世紀の現代では考え難い『版』の選択であった。私高本は、昔々「クナーパーツブッシュ指揮」のLPで聴いたことがある。ブルックナーとは思えない、「さらさら演奏」で確か56分くらいであった。LP1枚で音質を損ねずプレスできる範囲であった記憶がある。本日配られた「金子建志執筆ライナーノート」は非常に素晴らしいのだが、演奏時間だけ大空振りw
 「63分表示」だったが、おそらく「80分大巾越え」だった。多分85分前後。練習開始前にライナーノートは提出するから、時間は憶測になる。(前の公演前に刷り上がっている必要あり!)


 ロジェストヴェンスキーの最大のポイントは「テンポ」。"Adagio" を本当に「極めて遅く」演奏するのだ。

  1. 第1楽章序奏


  2. 第2楽章


  3. 第4楽章序奏



 これらが全て尋常ならざる "Adagio" で演奏される。弦楽器奏者は良いが、管楽器奏者は「息」が足りるのか? と言う遅さ。第1~第2楽章で50分は掛かっていたように感じる。
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