Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

ショパンの舞曲(No.1687)

2009-10-05 23:57:47 | 作曲家・ショパン(1810-1849)
「ショパンの音楽」には、シューベルトに共通する点が1点だが大いにある。

ショパンは生涯「自国の舞曲」を基調として作曲を続けた


ことである。

  1. ショパンのマズルカ

  2. ショパンのポロネーズ


は『ショパンを代表するジャンル』であると同時に、極めて若い時から死の直前まで作曲し続けたジャンルである。晩年の作品を見てみよう。

  1. 作品59 : 3つのマズルカ

  2. 作品60 : 舟歌

  3. 作品61 : 「幻想ポロネーズ」

  4. 作品62 : 2つの夜想曲

  5. 作品63 : 3つのマズルカ

  6. 作品64 : 3つのワルツ

 晩年のソロ作品リストである。作品50辺りまで遡っても、比率は大して変動しない。
 10才になる前に作曲していたのも、ポロネーズとマズルカばかりである。


 シューベルトが真っ先にピアノソロ作品に手を染めたのは「幻想曲」だったようだ(D2E)。しかし、直後にはピアノ舞曲に手を染め、年代に拠り濃淡はあるのだが、死の年 = 1828年出版作品 まで、間断なく作曲し続けられた。


 「佐伯周子を除く多くのシューベルト弾き」は、シューベルト舞曲を一切無視して弾かない。実名を挙げるのは止めておこう。日本人ピアニストに限らず、ヨーロッパピアニストも同じである。



  1. 「シューベルトのウィーン風」が最も感じられる曲 → ワルツ(レントラーとドイツ舞曲を含む)

  2. 「ショパンのポーランド風」が最も感じられる曲 → マズルカとポロネーズ


は誰も異論は無いだろう。
 ショパンは「パリに亡命」してそのまま故国の土を踏まずに死んだ亡命作曲家になってしまった。シューベルトは「生涯をウィーン」で過ごした作曲家になってしまった。取り巻く環境の差は大きい。だが、「シューベルトとショパン」ほど、故国の舞曲を愛した大作曲家はそれほど多くはない。グリーグ、アルベニス などの名前は挙げることができるだろうが。
 「シューベルト弾き」と並んで「ショパン弾き」はもっともっと「舞曲」を手中に収めて聴かせてほしいモノだ。
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ショパンの"f" ショパンの"p"(No.1683)

2009-09-13 21:15:51 | 作曲家・ショパン(1810-1849)
第16回国際ショパンコンクールが来年開催される。私高本が初めてFMラジオで聴いたのが、1975年 = 第9回。聴く前が8回、聴き始めた後が今回で8回目、私高本も年を食ったモノだ(爆
1927年が第1回。う~ん、私高本が聴き始める前の方がさすがに間隔が空いているか! 良かった(爆


ショパンの音楽を久しぶりに集中的に聴いて感じたことがある。本日号の標題の『フォルテとピアノ』の件である。

ショパンは「シューベルトよりも後に産まれ、後に死んだ作曲家」であるが、デュナーミク表示はシューベルトよりも大まか


である。マジでだ。

  1. シューベルト : ppp~fff、「mfあり」の7段階

  2. ショパン : ppp~fff、「mfなし」の6段階


だからである。マジ?!
 「ピアノという楽器」はショパンやシューベルトの生きていた時代は「日進月歩」であった。ショパンもシューベルトも「最新のピアノの性能」を最大限に生かす曲を作曲している。シューベルトだと、「さすらい人」幻想曲 作品15 D760 とか ピアノソナタ第17番ニ長調「第2グランドソナタ」作品53 D850。ショパンだと、練習曲作品10 とか 幻想ポロネーズ作品61とか。


 少なからぬ『日本人ピアニストの卵』が、『ショパンのデュナーミクの秘密』を誤解して消えて行く。小林さん、樋口さん、森さん、、、
 皆素晴らしいピアニストであったのに、今はどうしているのだろうか? その後の世代でも素晴らしいピアニストはたくさんいる。今回各自「本人が納得できる成果」を獲得してほしい。


 「ショパンのフォルテ」のすぐ下のデュナーミクは、「ショパンのピアノ」である。これは、シューベルトどころかベートーヴェンをも前の時代に逆戻りである。う~ん。

 シューベルトは「mf」をピアノ曲にきちんと残した作曲家である。ショパンが本格的に活躍する6年くらい前に死んでいる。ショパンも「シューベルト並みのデュナーミク」に記譜することは可能だった。だがショパンの記譜は(外見上は)やや甘い。これはなぜか?
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久しぶりにショパンを集中的に聴く(No.1682)

2009-09-12 17:40:21 | 作曲家・ショパン(1810-1849)
 昨日から蝉の鳴き声を聞かなくなった。夜に相当冷え込んだようだ。その少し前から、本当に久しぶりにショパンを集中的に聴いている。何年ぶりだろうか?


 「ショパンのごく初期作品」は「シューベルト最晩年」よりもほんの少し前で、両者の作曲時期はごくわずかだが重なっている。しかし、耳にすると随分と違う。

  1. ショパンは「旋律1つ + 伴奏音型」が主、シューベルトは多声的

  2. ショパンは「ピアノで閉じた世界」、シューベルトは「交響曲的または室内楽的」


が最も大きな差かな?
 ショパンは「ピアノ音楽」を極限まで発達させた大恩人の1人であり、「ショパンの練習曲」なしに今日のピアノ音楽の発展は無かった、と断言しても良い。「ショパンの練習曲」が無かったら、「リストの練習曲」「シューマンの練習曲」は産まれなかったし、その結果は「スクリャービンの練習曲」も「ラフマニノフの練習曲」も「ドビュッシーの練習曲」は産まれなかっただろう。シューベルトは練習曲は作曲しなかっただけに、大きな差を感じる次第である。
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ショパン 大練習曲 作品10(No.1330)

2006-08-03 22:22:18 | 作曲家・ショパン(1810-1849)
全12曲について述べて見たい。
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【第1曲 ハ長調】

 オープニングの華やかな曲。「これが、真のピアニズムの練習曲ですよ!」宣言しているかのように、右手が次から次へと「アルペジオ」を紡ぎ出す。

【第2曲 イ短調】

・右手の半音進行 と
・左手バスのおどけた表情 が織りなす
・スケルツォ

【第3曲 ホ長調「別れの曲」】

・4声部進行 と
・長調であるのにモノ悲しい旋律

【第4曲 嬰ハ短調】

 第3曲の平行調。1部資料には「atacca」で続けるように指示がある。
火の噴くような情熱が力強く歯切れ良く進む練習曲。

【第5曲 変ニ長調「黒鍵」】

 全曲の大半が「黒鍵のみを使用するフレーズ」で埋め尽くされた練習曲。右手はたった1回だけしか「白鍵」を弾かない(第66小節1拍目 E音)だが、この音は、譜面上は「左手」に書かれているので、「譜面上の右手」は全て黒鍵!!!

【第6曲 変ホ短調】

 緩徐楽章の練習曲。

【第7曲 ハ長調】

 ここから「後半」となり、第2部の開始曲相当。
右手の2声の16分音符の連続は、2本のヴァイオリンのよう!
その中で左手が、楽しくリズムを変幻自在に刻んで行く練習曲。

【第8曲 ヘ長調】

 16分音符が88小節の間、1回も休まずに進行する練習曲。右手が広い音域を不規則な音型で延々と走り続ける。

【第9曲 ヘ短調】

 両手で6度を鳴らす練習曲。旋律が「同じアーティキュレーションで演奏される」必要があるのだが、左手にはさらに1音が挟まれる。

【第10曲 変イ長調】

 目まぐるしく自在に変わる「アーティキュレーションの練習曲」。 楽譜に書いてある通りの演奏には滅多に出会えないほど、千変万化!

【第11曲 変ホ長調】

 連続アルペジオの練習曲。これほどまでに「アルペジオを連続させた曲」はかつて存在したのだろうか?

【第12曲 ハ短調「革命」】

 左手の16分音符連続の練習曲であると同時に「徹底した激しさ」を追求。全12曲の締めにふさわしい力感が全編にみなぎる。
 第1曲ハ長調 → 第12曲ハ短調 と同主調で、この偉大な「練習曲集」は終曲する。

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 ものすごい駆け足であるが、どの1曲を取っても、素晴らしい上に、前後の曲の対比や、全12曲を通しての「バランスの良さ」「聴きごたえ」などまでにも神経の行き届いた名曲である。
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ショパン 大練習曲 作品10(No.1329)

2006-08-02 21:12:39 | 作曲家・ショパン(1810-1849)

「演奏会用練習曲」ジャンル の創始者 = ショパン



 「演奏会用練習曲」と言うと、リストの「3つの演奏会用練習曲」「2つの演奏会用練習曲」などを思い浮かべる人も多いが、実は
ショパンが作り上げた新しいジャンル


である。 1810~1811年に生まれた 3人のロマン派ピアノ作曲家の主な「練習曲」の作曲年代を並べてみてみよう。

【ショパン】
  • 12の大練習曲 作品10 → 1829~1832年作曲
  • 12の練習曲 作品25 → 1832~1836年作曲
  • 3つの新しい練習曲 → 1839年作曲

【シューマン】
  • 6つのパガニーニ練習曲 作品3 → 1832年作曲
  • 6つのパガニーニ練習曲 作品10 → 1833年作曲
  • 交響的練習曲 作品13 → 1834~1837年作曲

【リスト】
  • 48の練習曲(実際は12曲) 作品6(ドイツ版は作品1) → 1826年作曲(ツェルニーの「指の練習曲」の延長線の作品)
  • 24の大練習曲(実際は12曲) → 1837年作曲
  • パガニーニの超絶技巧による練習曲(6曲) → 1838年作曲
  • 3つの演奏会用練習曲 → 1848年作曲
  • パガニーニ大練習曲(6曲) → 1851年作曲
  • 超絶技巧練習曲(12曲) → 1851年作曲
  • 2つの演奏会用練習曲 → 1862~1863年作曲


 シューマンには他に完成には至らなかったと通常考えられている 「ベートーヴェン交響曲第7番第2楽章の主題に拠る変奏曲(1833)」 も存在するが、上記が3名が生前に出版された全練習曲である。

 年齢は近接しているのだが、ショパン が「時期も早く、数も多く」他の2人を凌駕していたことは、シューマンファンも リストファンも 認めなければならない。「ショパンあっての 演奏会用練習曲」と言う事実は、シューマン & リスト のみならず、21世紀に至るまでの作曲家全てに行き亘っている真実である。
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ショパン 大練習曲 作品10(No.1328)

2006-08-01 22:27:19 | 作曲家・ショパン(1810-1849)
 佐伯周子 ピアノリサイタル 8月13日(日)19:00 東京文化会館小ホールの前半に演奏する曲目である。
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「練習曲」を 演奏会ステージ に上げた 画期的なショパンの大傑作



 「エチュード(etude)」とは、「練習曲」のフランス語であり、英語では「スタディ(study)」と呼称する。そう、すなわち「勉強」である!

 「エチュ-ド」は、ショパンのずっと古くから存在し、楽譜も印刷され販売されていた。「クラシック音楽」は、言葉の通り「古典音楽」であり、師匠 → 弟子 に1対1で伝承されるのが基本であったが、印刷技法の向上に伴い、「印刷された練習曲を用いてのレッスン」も相当に増えて行った様子である。

 古く有名なところでは、「バッハのクラヴィーア練習曲」は超有名。

  1.  第1巻 : パルティータ全6曲
  2.  第2巻 : 「イタリア協奏曲 + ロ短調パルティータ」
  3.  第3巻 : 4つのデュエット 他
  4.  第4巻 : 「ゴルトベルク変奏曲」

と4巻出版したところで、バッハは死去してしまったが、相当に質と量があり、現代のピアニストのレパートリーとなっている。「版の研究」に拠ると、大ヒットしたワケではないようであるが。

 ・・・が、時代が下って、ハイドン → モーツァルト → ベートーヴェン の頃になると、この3名は「練習曲の名称」では 曲を出版しなくなる。「ソナタ」や「変奏曲」が出版の中心を占める。
 では「練習曲」は作曲や出版されなくなったのか? と言えば違う。

 ベートーヴェンの弟子 = ツェルニーの大量生産の「練習曲集」の集積!

に代表されるように「機械的に生産されるかのような練習曲」がショパンの直前には、パリに限らず、ヨーロッパを覆っていたのである。
 「ツェルニのエチュード(練習曲)」は、ピアノ学習者に有用である。特に、初心者 → 中級者 への途上には有益であり、今も大いに活用されている。CD録音も多く、有名なところでは エッシェンバッハの録音 もある。

 ・・・が、「エッシェンバッハ ピアノリサイタル」に行っても聴くことはできなかったし、今後も未来永劫無理であろう。「演奏会で聴かせるレパートリー」とは、ピアニスト自身が思っていないからである。

 そんな時代に、ショパン「大練習曲 作品10」は生まれた。 ショパン自身が尊敬する「バッハの練習曲」を復活させたかったかのように、偉大な作品である。この続きは明日号にて。
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