Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

東京都交響楽団第82回作曲家の肖像「リムスキー=コルサコフ」批評(No.1846)

2011-04-30 22:40:07 | 批評
 都響の「作曲家の肖像」シリーズは興味深く、私高本が興味ある回は欠かさずに聴きに行くようにしている。「作曲家の肖像」シリーズは、超有名作曲家の超人気作品だけで構成されることの方が多いのだが、時たま「えっ!!!」と言うプログラミングがある。今回がまさにその回。「シェヘラザード無しの全リムスキー=コルサコフプログラム」は果たして聴き応えあるのだろうか? 無いのだろうか?(爆

 「オーケストレーションの魔術師」の栄誉を担うリムスキー=コルサコフであるが、私高本の「これまでの印象」は同じ名誉を担っているラヴェルに比べると、評価が低かった。 なぜなら、今日の演奏会を聴くまでは、「素材は、ロシアだったり、アラビアだったり、スペインだったりするが、曲の印象があまり変わらない上にコーダでオケが吼えるパターンばかり」だったからである。

下野竜也ほどの名手がなぜ「全リムスキー=コルサコフプログラム」を振るのか?


と思い、初台に向かった。


「リズミカルな名曲」を徹底した 下野竜也 + 都響 のリムスキー=コルサコフ名演


  まず結論を申し上げる。下野は「響き」を最重視する。どんな最強音の時でも「飽和させない響き」を絶対に守る。弦楽器だけでなく、金管楽器も打楽器も「美しい音」を越さない限度をわきまえた点で踏みとどまらせる。「リムスキー=コルサコフのコーダ」でどうしたのか? それは

リズムの刻みを徐々に「印象的になる」ように設計して実現させた!


のだ! 「コロンブスの卵」だった。 「リズムを印象深くさせれば、音量を上げなくても、上がったように聞こえる!」と言うのは、他の作曲家では時折感じたこともあるのだが、こと リムスキー=コルサコフ に関しては経験が無かった。「下野 + 都響」で聴くとまさに「オーケストレーションの魔術師」だった!

 プログラミングは一見ぶっきらぼうで、「作曲順」に並べているだけに見えたが、「楽器構成にブレが小さい」ことがはっきり「音」で確かめられた好プログラム。「物語」を色彩感で描いて行く天才の生涯を時代順に追えることが聴衆に伝えられた。全4曲(+アンコール1曲)の全てが『原色系の鮮やかなオーケストレーション』で描き尽くしてくれたが、

中でも映えたのが、ピアニスト=小川典子 を迎えての、ピアノ協奏曲嬰ハ短調 の名演!


「ダブルオクターブの連続」はショパン練習曲作品25/10 を5倍に引き延ばしたか! と思えるほどの超絶技巧の曲であったが、小川のパワーは全開で、下野 + 都響 のバックと会話しながらも超絶技巧の冴えをたっぷり味わわせてくれた。
 協奏曲もアンコールも含め、都響は1瞬も「吼える」ことが無かった。「響かせる」が リムスキー=コルサコフ の本領だったのだ。都響のアンサンブルの良さも特筆モノ。こんなにうまいオケだったろうか?! と思わせるほど息のあった名演だった。

 下野 + 都響 のリムスキー=コルサコフは最高! 「シェヘラザード」も是非是非近い内に聴いて見たいものである。
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1845)

2011-04-29 19:14:45 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
グルダは「平均律第2巻」を録音した1973年に、MPSから「純粋なジャズアルバムとして最後のアルバム」を発売した

1973 "MIDLIFE HARVEST"(人生半ばの収穫)


 何とも不思議なアルバム。LP9枚組で、1965-1972のMPS録音にさらにPreiser録音も追加されている。前年にケルンで収録された大編成ジャズは(おそらく)網羅した上に、それまでのMPS録音アルバムから抜粋して収録されているのだが、「収録基準」がよくわからないのである。

"Golowin Lieder" で収録されなかった "Donau So Blue" "Hau Di In Gatsch" の方が「グルダらしさ」が大いに感じられる


とか(大体、アルバム名称が "Donau So Blue" だったろうが!)

" Music For 4 Soloists And Band No.1" で収録されなかった唯一の曲 "Minuett" は後日「チェロ協奏曲第4楽章」になる名曲


など奇怪な選曲なのだ。もしかすると

"MIDLIFE HARVEST" は、「ユーコ・グルダへの慰謝料」のためのアルバム?


との思いが頭をよぎる。
 このアルバムは「新規ピアノソロ曲皆無」であったが、その後ソロ曲は「パウルのために」「リコのために」だけしか作曲されない。


 グルダは、MPS社長ブルンナー=シュヴェルと専属契約を結んでいたが、クラシックの協奏曲は他レーベルと自由に契約できるようになっていたようだ。MPSスタジオではメンバーが入り切らないからなあ(爆

  1. ドビュッシー
  2. ベートーヴェン
  3. バッハ

と続いた「MPS グルダのクラシック」路線の次は「モーツァルト」に定められた。それまでに「正規録音」していたのは次の通りである。

Friedrich GULDA 1948-1973 Mozart session all recordings



  1. 1948.12 Sonata K.576 Steinway(DECCA)


  2. 1953.02 Sonata K.310 & Rondo K.485 Steinway(DECCA)


  3. 1954.09 Concerto K.449 Steinway(DECCA)


  4. 1955.09 Concerto K.503 & K.537 Steinway(DECCA)


  5. 1960.04 Quintet K.452 Bosendorfer(Deutsch Grammophon)


  6. 1960.10 Concerto K.453 Bosendorfer(amadeo)


  7. 1961.11 Rondo K.485 Bosendorfer(amadeo)


  8. 1963.06.06 Concerto K.467 & K.595 Bosendorfer(Concert Hall)


  9. 1965.02 Sonata K.545 Bosendorfer(amadeo)



 ご覧になった方はにわかには信じられないだろう。「グルダは8年以上モーツァルトを正規録音していなかった」のである。もちろん、オケから依頼があれば、モーツァルト協奏曲は演奏続けている。最後の1965年K.545録音後にも、1967.10.02 にベーム指揮バイエルン放送交響楽団と 協奏曲K.271 の録音が残っている。
 上記録音の内、「21世紀の現代」から見て「極めて高い価値がある」と認められているのは、1963年と1965年録音の2枚である。どちらも「独特の音色で自由奔放な装飾音」が(良くも悪くも)初出から話題噴出であった。そして思った。

「俺様は、ベートーヴェン協奏曲を全部ウィーンフィルで弾いた。シューマンとウェーバーさえウィーンフィルで弾いた。モーツァルトもウィーンフィルだ!」


 上記 1960.04 のピアノ5重奏曲からピアノがベーゼンドルファーに変わっているのがお分かり頂けるだろうが、この「木管4重奏メンバー」は全員ウィーンフィル首席メンバーである。ちなみにその後の協奏曲 K453, K.467, K595 はウィーンはウィーンでも「ウィーンフォルクスオーパー管弦楽団」である。(K.453 の表記は違うが、ブレンデルが著書でバラしている!)

 MPS社長ブルンナー=シュヴェルは「ソナタ全曲」が1日も早く欲しかったが、グルダは「協奏曲全曲をウィーンフィル」と欲しがった。実現すれば、協奏曲の方が誰でもいいだろう!
 ・・・てな訳で、協奏曲が先に他レーベル、しかも ドイツグラモフォン からリリースされることが決まった。グルダ絶頂の時! 新進大有望指揮者 = アバド の指揮で ウィーンフィル と 4曲2枚のLPがリリースされることが決まった。

  1. 1974.09 Gulda(p), Abbado(Cond), Wienna Philharmonic : Mozart Concerto K.466 &K.467 Bosendorfer


  2. 1975.05 Gulda(p), Abbado(Cond), Wienna Philharmonic : Mozart Concerto K.503 &K.595 Bosendorfer



 「誰もがケチを付けない名演」にグルダは仕立てた。アバドはベーム(当時存命中)ほどでは無かったが、悪くない指揮者だった。後には「大指揮者」になっているのは読者の皆様ご存じの通り。

 ・・・で「続編がある」とグルダは思っていたようだ。しかし「ウィーンフィルの伝統」が立ちはだかる。「1人の演奏家(指揮者も独奏者も)と過度に親密になってはいけない。ウィーンフィルはウィーンフィルだけで存在価値があるのだから。」と言う理論。1929年頃に実用化が明快になった「録音」に関して、2011年現在までで「モーツァルト ピアノ協奏曲全曲録音をウィーンフィルと実現」したピアニストは皆無。それどころか「モーツァルト 交響曲全曲録音をウィーンフィルと実現」した指揮者すら存在しない。
 この事実をグルダは理解できなかった。(知恵袋のユーコと離婚していたのが返す返すも残念!)2枚のLPはバカ売れしたのだが、「3枚目は録音不可能」になってしまった。バックハウスでさえできなかった「モーツァルト協奏曲全曲録音」なのだが、グルダは「何で? 素晴らしい録音が出来ただろうが!!!」と思っていた。録音後のグルダの発言は二転三転する。「1枚目は素晴らしかったが、2枚目は1枚目の水準に達しなかった」「自分のモーツァルト録音で納得できるのは、アバド+ウィーンフィルの2枚とアーノンクール+コンセルトヘボウの1枚」発言が交錯する。「3枚目」はポリーニでさえ、20年以上の間隔を取らされた。グルダも20年間隔を開ければ可能だったかも知れない。しかし、グルダの思考には「そんなバカな!」だけが残った。
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1844)

2011-04-28 19:38:55 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

グルダは1973.05、バッハ「平均律第2巻」全曲を録音


する。「第1巻」よりも「濃い」表情が印象的。『グルダの代表録音』の1つである。使用ピアノ = スタインウェイD。
 これは「大流行するハズ」とグルダもプロデューサーのブルンナー=シュヴェルも思っていたハズ。だが「amadeo のベートーヴェンソナタ全集」のような反響は起こらなかった。これが、グルダの大誤算だった!
 理由は大きく3つ考えられる。

  1. バッハ平均律は、ベートーヴェンソナタよりも「ピアノファン」から人気が無いこと


  2. バッハ平均律全2巻全48曲のピアノ録音が、グールド、リヒテル、グルダ と立て続けに3種類出たこと


  3. グルダ直近のバッハ録音=1965年の「イタリア協奏曲」とあまりに「音」が違ったこと



「1」が特に大きい、と思うが、「2」「3」も無視できない。

 元々が「荒れ系」のグルダが荒れたことは容易に想像できる。この年に「ユーコ」と離婚してしまう。(後から考えれば)「作曲家=グルダ」の最大の判断ミスだった。

作曲家=グルダ の作曲の源泉 は全て「ユーコ・グルダ」だった


からだ。

Main Compositions of Friedeich GULDA



  1. 1966 Variations


  2. 1967 Sonatine


  3. 1969 Neue Wiener Lieder (7 Golowin-Lieder)


  4. 1969 Theme from Dropout


  5. 1969 Introduktion und Scherzo später betitelt Introduction and Dance


  6. 1969 Suite for Piano, E-Piano and Drums


  7. 1969 Wheel in the right machine - Workshop Suite 1970 Variationen über Light My Fire


  8. 1971 Play Piano Play - 10 Übungsstücke für Klavier


  9. 1974 Für Paul


  10. 1974 Für Rico




 「パウルのために」「リコのために」がいつ作曲されたかは、本当のところは死んだグルダしかわからない。公表では翌年。この2曲以外は後世には残る曲は作曲できなかった。
 ユーコ・グルダ(脇山祐子)に出会う直前に作曲された「変奏曲」から離婚直後の「パウルのために」「リコのために」で傑作は(ほぼ)全て出尽くす。1~2曲例外がある。1965 Prelude and Fugue と作曲年不詳の Menuett である。
 ちなみに私高本が「本当の作曲年はわからない」とヌカしているのは根拠がある。

ユーコ・グルダに捧げられた "Play Piano Play - 10 Übungsstücke für Klavier" は「1970年のクリスマスに受け取った」とユーコ・グルダが証言!


しているからだ。「新作」と言うことになっている「チェロ協奏曲」のメヌエットは1969頃までに作曲されていた、ことも判って来ている。

 作曲家としての才能の枯渇に絶望して「次の女 = ウルズラ・アンダース」に走ったのだろうか?
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1843)

2011-04-27 14:18:08 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

1972.04 から 1973.05 までの期間の グルダ(Friedrich GULDA)の録音動向の全て



  1. 1972.06 "Anima in Heidelberg 1972" (Heidelberg)


  2. 1972.10 "Piano Concerto No.1, Fantasy for Four Soloists and Band, Variations for Two Pianos and Band" (Koln)



 注目してほしいのは「フィリンゲンのMPSスタジオ録音」が消えたことである! 

グルダは 1972.04平均律第1巻録音開始以降は「ジャズでのMPSスタジオ録音」皆無!


なのだ。クラシック音楽はこの後も録音を続ける、のにである。
 これは何を意味するか? 

「作曲家グルダ」の名作群が 1971年までに ほぼ作曲を終えた(編曲はまだまだ続くが)


なのだ。この後に作曲された名曲は、1974の「パウルのために」「リコのために」の2曲のみとなる。


 「MPSスタジオ」創設時に、設置ピアノの助言などもグルダがした、と推測される。グルダは「自宅ではスタインウェイ」のピアニストだったようだ。「1枚目の協奏曲録音 = 1951年のベーム指揮ウィーンフィルとのベートーヴェン第1番でベーゼンドルファーインペリアル使用」して以来「ベーゼンドルファーインペリアルの魅力」は感じていたようだが、時期に拠って「ベーゼンドルファーインペリアル寄り」の時もあるし「スタインウェイD寄り」の時もある。
 「MPSスタジオ創設」の時は、「スタインウェイD寄り一直線」の時だった。しかし、その前のグルダはちょっと違っていたことをここで確認してみようか(爆

グルダのバッハピアノセッション録音一覧(Friedrich GULDA's all piano Bach session recordings)



  1. Prelude and Fuga BWV860, Menuett I and II(from Partita No.1)BWV825, Fuga(from Toccata BWV911) 1947.10.19-24 Steinway(Decca)


  2. Prelude and Fuga BWV877, The English Suite No.3 1953.02.12-14 Steinway(Decca)


  3. Prelude and Fuga BWV848 1961.11.11-14 Bosendorfer(amadeo)


  4. Itailian Concerto BWV971 1965 Bosendorfer(amadeo)


  5. The Well-tempered Clavier Book I BWV846-869 1972.04 Steinway(MPS)


  6. The Well-tempered Clavier Book II BWV870-893 1973.05 Steinway(MPS)


  7. Prelude and Fuga BWV878, BWV862 1977.12-1978.01 Steinway(amadeo)



 これが現在までリリースされた全てである!
「平均律全曲録音」前に最も評判を呼んだのは、直前の「イタリア協奏曲」録音でベーゼンドルファーインペリアル使用で「そこはかとはかない音色」が魅力。それが「平均律」ではいきなり鮮明過ぎる録音で現れたのだ。これは驚くよな(爆
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1842)

2011-04-26 19:10:44 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

1972.04 グルダ バッハ「平均律第1巻全24曲」録音


 これは、1953.10 ベートーヴェン「ピアノソナタ全32曲」録音以来、19年ぶりにグルダが取り組んだ「大プロジェクト」だった。グルダにとって、オーケストラから協奏曲共演を持ちかけられれば新曲であっても大丈夫。ソロ曲も徐々にレパートリーを増やしていたものの、ジャズに時間を取られることもあって、この期間大プロジェクトは全く無かった。 "The Long Road To Freedom" で「ジャズの集大成」の達成感もあったことだろう。しかし、それよりも大きな問題を感じていたようだ。

グールドが「平均律全2巻全48曲」の録音をリリースした!


ことだ! もちろんドイツでもリリースした。1962.06-1971.01録音。ピアノ演奏に拠るバッハの当時の世界最大の録音数を誇っていたのがグールドである。「平均律全曲」をリリースしたことは相当に影響力を与えることは、自分自身が「ベートーヴェン ソナタ全曲」を既にリリースしていたので充分理解している。グルダ著『グルダの真実』を読むとライバル心むき出しなことがよく理解できる。
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読売日本交響楽団第537回名曲シリーズ批評(No.1841)

2011-04-25 22:35:08 | 批評
 「名曲シリーズ」としては演奏頻度の高くないヤナーチェク「タラス・ブーリバ」が入っているなど「凝ったプログラム」であったが、演奏が名演中の名演揃い。

「カンブルラン + 読響」は現在、在京オケで最高の顔合わせであり、相思相愛が見事に花開いた


ことがはっきり音に出た。この顔合わせは聴き逃せなくなってきた!!


 「全プラハプログラム」でヤナーチェクの2曲が時間的に重きを置かれたプログラムだったが、冒頭のモーツァルト交響曲第38番「プラハ」から入魂の全力投球だった。
 カンブルランは古典派音楽で「ノンビブラート奏法」を取り入れる演奏もあるのだが、この日の「プラハ」は、ごく普通に弦楽器がビブラートを掛けていた。カンブルランが細心の注意を払っていたのは、

  1. 低音から音を積み重ねて行く


  2. 旋律線の受け渡し


  3. アーティキュレーションの統一


  4. ダイナミクスの「スビトピアノ(急に弱くする)」「スビトフォルテ」を含む巾広さと均質感



 これを快適な(快速な)棒で引き締めて行く。モーツァルト交響曲第38番「プラハ」はこれまで何回聴いたか記憶にないほど、在京オケで聴かせてもらっているが、

フォルテ時の「音の広がり」感がこれほどあるモーツァルト「プラハ」は初めて!


である。指揮者は大概、カンブルランと同じ方向を狙う。(ノリントンは違う) ただ、それが十全には実現しないのだ。70%の実現だったり、90%の実現だったりする。「合わせの時間配分」とか、「オーケストラの個別奏者の技術水準」とか、「アンサンブル能力」とかで阻害されることが常。それらを超越して、初めて「名演」が誕生する。
 この日の読響「プラハ」が全部100%実現できたか? と問われれば、「99%実現できた」と私高本は感じた。第2楽章最後の和音の金管楽器のキズは特に残念。「読響オーケストラハウス」で収録していたので、(「プラハ」を流すかどうかは不明だが)もし流れたら確認してほしい。だが、ここまで「指揮者カンブルランの意図」を忠実に再現してくれた読響には感謝するばかりだ。
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NHK交響楽団第1697回定期公演批評(No.1840)

2011-04-23 20:36:33 | 批評
 既に「花の章付き、マーラー交響曲第1番」のCDも出しているノリントンが、今月からN響に定期的に来る。「ベートーヴェン交響曲全曲演奏」が予告されており、今月と来年4月が発表されている。本日プログラム以外は全部ベートーヴェンが入っている(協奏曲だけの回もあり)。前回の「ベートーヴェン交響曲第1番」が悪くなかったので、本日聴きに行った。


 実は「マーラー交響曲第1番 + さすらう若人の歌」の演奏会は、結構聴いた回数が多い。関連性は誰が聴いてもわかる上、時間的にもちょうど良い(もう1曲短い序曲程度の曲を入れることも可能)ので、これまで何度も聴いて来た。
 ・・・で、いつもいつも「さすらう若人の歌」は良い演奏に当たったことが1度も無い! 昔は「曲の出来が悪いのだろう」と思っていたが、その後「フィッシャー=ディースカウ + フルトヴェングラー の演奏」などを聴いて、この曲が名曲なことは腹に入った。では、なぜ「東京の実演では名演」に当たらないのだろうか?

 考えあぐねて十数年。バカな私高本も少々、「演奏会事情」が判って来た(爆
「マーラー交響曲第1番 + さすらう若人の歌」プログラムでは、基本的に「指揮者の視線は交響曲第1番」だけに集中。さらに「さすらう若人の歌 だけのために高額なギャラを積むことはオケが嫌がる」である。時間的には「リストのピアノ協奏曲」よりも短いからなあ > 「さすらう若人の歌」
 私高本が聴いた演奏会でも、フィッシャー=ディースカウ とか ハンプソン とか ヘンシェル とか ゲルネ などは全く起用されず、日本人バリトン中心であった。日本人バリトンで今書いた4名の域にこの曲で達した人は聴いた限りではいなかった。
 そんな時に、「N響がヘンシェル招聘して、さすらう若人の歌!」となり、喜び勇んでいたのだが、ヘンシェル 来日中止。ヘンシェル は若いから仕方ない。東電を恨む。


 N響は「最高の代役」を用意してくれた。昨年共演したばかりの「河野克典」起用! 録音もリリースされているほど好評だ。 素晴らしい演奏会になることを期待して雨の中、NHKホールに出掛けた。


やはり「交響曲第1番にだけ重点が置かれた」結果に終わった マーラー交響曲第1番 + さすらう若人の歌 プログラム


書き難いことだが書く。「当初の嫌な予感が図星」になってしまった演奏会である。後半の 交響曲第1番ニ長調 にばかり力が入っていて、前半がおざなりな演奏会だった。「花の章」までもが。
 ヘンシェルが来日中止になって、河野克典 に変わったが、「ノリントンの眼鏡」にかなわなかったようだ。淡々と音楽が進行してしまい、細やかな表情はオケから何も聞こえて来なかった。あぁ、その前に演奏された「花の章」も同じであるから、特に河野を軽視したのではなく、交響曲第1番 にだけ集中した結果だろう > ノリントン

 前半聴いて「後半聴かずに帰ろうか!」とさえ思った私高本だが、後半も聴いて良かった。前半とは全く別人の指揮者だった > ノリントン

 先週の「ベートーヴェン + エルガー」よりも、アンサンブルが良い。N響側も「慣れて来た」だろうし、ノリントン側も「慣れて来た」ようだ。この顔合わせは相性が良いようだ。先週気になった「木管の引っ込み」は完全に解消された。「ピュア・トーン」は、第3楽章などで思いっきり披露されたが、聴き手によって好みが分かれるだろう。私高本は好みである。

ピアノの平均律を「当てる」ような指揮は全く同じ。オケ(=N響)が慣れて来た


感触だ。ベートーヴェン(とエルガー)と違って、「繰り返し」の時に表情を思いっきり変えるのが印象深い。また、ノンビブラート奏法は全てに徹底しているのだが、ダイナミクスレンジの巾が「マーラー交響曲第1番」がはっきり彫りが深い。N響側は、パートに拠って対応水準が異なる。ティンパニとホルン1番の「ダイナミクスレンジの巾の狭さ」にはがっかり。特にホルンは第3楽章で、大き過ぎて、「コンサートマスターとの掛け合いが台無し」になってしまった。

 ・・・が、全体を通しては、ノリントンが特に第4楽章を入念に振ったこともあり、尻上がりの名演。ノリントンには再度マーラーを振ってほしいものだ。できることならば、ヘンシェル のソロで。
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1839)

2011-04-22 20:54:45 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
 昨日号で書いた記事の中の

「ウィーンフィルとのベートーヴェン:ピアノ協奏曲全曲録音」は、10年以上前にグルダが願っていたことが成就した!


ことは重要。
 今も昔も「録音はしたのにリリース中止」は日常茶飯事の出来事ではある。同じ DECCA レーベルで有名なところでは、「ホグウッドのハイドン交響曲全集」なんてのも予告されていたがぶっ飛んだ。全部録音完了していたワケではないが、ある日突然プッツン消えた。 人生50年以上も生きていると、いろいろ出会うモノだ。他に「モーツァルト:ピアノ協奏曲全曲録音予告」が2枚で飛んで、録音もあと2枚進んでいた話だとか、(グルダでない別のピアニストが)「ドビュッシー:前奏曲集全2巻録音&編集完了」したのにデビューさせてもらえなかった話とかいろいろ聞いて来た。

 ・・・が、グルダほどの大物の録音が飛んだ、というのは前代未聞だった。「録音完了」していたのに! である。原因ははっきりしないが「グルダの主張」に拠ると「バックハウスを売り出すために、録音だけさせておいて、リリースしなかった。グルダ自身のキャリアはこのために10年の損失が出た」とのこと。どこまで本当なのだろうか?
 「グルダの視点」だと、「DECCA の扱いが バックハウス > グルダ」だったとのこと。確か DECCA のベートーヴェンピアノ録音は次のようだった記憶がある。廃盤が多く確証は無いが。

DECCA Beethoven Piano recordings 1949-1971



  1. 1949 グルダ ソナタ第14番+第31番


  2. 1950.09頃開始 バックハウスの協奏曲2-5番録音:ウィーンフィル + クレメンス・クラウス&カール・ベーム


  3. 1950.11 グルダ ピアノソナタ第26番+エロイカ変奏曲


  4. 1951.05 グルダの協奏曲1番(ウィーンフィル + カール・ベーム)+ピアノソナタ第29番


  5. 1951頃開始(1950年代前半に終了だったと思う) バックハウスのソナタ全曲録音第1回


  6. 1954.02-1958.09 グルダのソナタ全曲録音第1回(リリースは第10番までで終わる。第11番以降の新録音はリリースせず)


  7. 1958-1959 バックハウスの協奏曲全曲録音(1-4番が1958年、5番が1959年):ウィーンフィル + イッセルシュテット


  8. 1959-1969 バックハウスのソナタ全曲録音第2回(第29番のみ死去でできなかった)


  9. 1970.06 グルダの協奏曲1,3,5番(ウィーンフィル + シュタイン)


  10. 1971.04 グルダの協奏曲2,4番(ウィーンフィル + シュタイン)



 私高本はバックハウスについて詳しくは無い上、現在廃盤だらけで詳細データが得られないが、確か上記に大きな誤りは無いハズ。グルダ自身が「1953年現在では、ベートーヴェンソナタは8曲がレパートリーだったが、全曲習得して全曲演奏会を成功させた」と書いているので、DECCA としてはバックハウスにソナタ全曲を委ねたのは当たり前。むしろ、どう見ても「事前にはバックハウス用に用意した全曲録音の協奏曲」の内、1曲を「グルダに分けてあげた」ようにしか見えない。バックハウスも愚痴ったことだろう(爆

 1954年に「グルダが DECCA でソナタ全曲録音」を決意する前に、ソナタ4曲を既に録音していたが、第14番と第31番は再録音することにした。DECCA としても最大限にグルダの言い分を呑んだつもりだろう。

 協奏曲再録音は、「バックハウス + ウィーンフィル で全曲」と言うことになった。決まったのはいつなのだろうか? グルダソナタ最終録音の 1958.09 よりは前だと思うのだが、「グルダの感覚では、だまし討ちに遭った」ようだ。「少なくとも、2-5番はオレだろう!」と。 そのつもりで、「ソナタ最終録音」にジュネーブとウィーンで録音してリリースもしていた第26番と第29番は外しておいたのだから。グルダはおそらく条件闘争に出た。「オレ様の録音がリリース出来なければ、DECCA も損失が大きいから譲歩する!」と。
 しかし、現実は淡々と「バックハウスのソナタ第2回録音」がリリースされてしまった。「グルダの誤算」だった。「バックハウスの2回目」はゆっくりしたペースで進められ過ぎて、とうとう第29番を録音する前にバックハウスが亡くなってしまったのだから、DECCA としては(少なくとも最初の頃は)グルダが謝ってくれば、リリースするつもりだったのだと推測される。


 時は流れて、1969年7月にバックハウスは亡くなる。グルダは既に1967年に amadeo から「ソナタ全曲」を録音して1968年にリリースしていた。DECCA もびびったことだろう。しかも、「MPS」と言うジャズレーベルから、「ドビュッシー:前奏曲集全2巻」をリリースしている。「協奏曲全曲録音」を呑まされた。
 但し、指揮者は「ベーム」と言うワケにはいかず、新人のシュタインだった。グルダからすれば「何だ?」ってな感じだったようだ。なぜなら、ベームと比較して、というよりも、スワロフスキーと比較しても「大したこと無かった」からである。但し、10年以上つらい思いをしたグルダは少しは思慮深くなっていた。(または当時の妻=祐子が思慮深くなっていた。)不満はあっただろうが、きちんとリリースした。ついでに、第23番「熱情」と第24番は DECCA からリリース可にした。さらに

第1回DECCAベートーヴェンソナタ全曲を「日本でのみリリース」を許諾


した。このおかげで「キングレコードから グルダの第1回ベートーヴェンソナタ全集」がリリースされた。状況証拠からして間違いなく、ユーコ・グルダ のおかげである!
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1838)

2011-04-21 18:44:43 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

1970.02 から 1972.04 までの期間の グルダの録音動向の全て


「ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲」録音の後、1972.04に「バッハ:平均律第1巻全曲」録音するまで、グルダは「MPSにクラシック音楽は録音しなかった」が、録音活動は極めて活発だった。この時期こそが、『グルダの絶頂期』であり、録音も作曲も最高だった。生涯を通して「乱れまくっていた私生活」が最も平穏だった時期なのだろうか? 信じられないほどの名曲が作曲されている。この時期が無ければ「作曲家:グルダ」を私高本が書くことが無かったことだけは断言しておこう(爆
 私高本はまだガキだったので、「同時代」には聴いていない。小金を自由にできるようになった社会人1年生の時にジャズアルバムは初めて聴いた。その前に "Message from G" を聴いていたので、あまり違和感は無かった。今も聴いていると、佐伯周子に嫌な顔をされる演奏もあるのだが(爆
 「多くのグルダファン」と聴く順序が違うのかも知れない > 私高本



  1. 1970.06 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番、第3番、第5番 シュタイン指揮ウィーンフィル


  2. 1971.02.11 Gulda "Variations"


  3. 1971.02.26 "The Long Road To Freedom" - Play Piano Play, Variationen über "LIGHT MY FIRE" ,Prelude And Fugue, The Air From Other Planets, Variations, Etüde (Pauer), Selige Sehnsucht, Duo 4枚組


  4. 1971.04 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番、第4番 シュタイン指揮ウィーンフィル


  5. 1971.04.26 "Fata Morgana - Live at The Domicile" Munich録音 ピアノ、電子ピアノ、ベース


  6. 1971.12.15-26 Gulda"concertino for Players and Singers" Wien録音



 疑問の残るのもある。特に "The Long Road To Freedom" だ。1日で録音できる量なのだろうか??? 正直信じられない。本当のところは(もう亡くなってしまった)ブルンナー=シュヴェル しか全貌を把握していないのかも知れない。「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲」は 古巣の DECCA で、他のジャズ4組は MPS である。

DECCA との「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全曲録音」ではベーゼンドルファーインペリアル使用、ジャズでは スタインウェイD使用


だった。 まだまだ続くよ!
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1837)

2011-04-20 18:14:02 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
 1970年2月に「ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲」をMPSに録音した。

1970年2月の「MPS2回目録音」が「ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲」と「ジャズ自作3枚」



  1. 「ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲」


  2. 「お気に召すまま」(ジャズピアノトリオ)


  3. 「ドナウ・ソー・ブルー」(グルダが変名の「ゴロウィン」を用いてヴォーカルを兼ねたジャズピアノトリオ)


  4. 「これで全部だ!」(グルダが左チャンネルで電子ピアノ、右チャンネルでスタインウェイ弾いたベースとの多重録音)



 4枚目のアルバムは「グルダ:アリア」の初出。正規盤だけで、6回録音を重ねた「作曲家グルダの顔」の曲。ここから「作曲家グルダ」はクライスラー並みになって行ったのである!
 グルダ自身も「これで全部だ!」は相当お気に入りだったようで "MIDLIFE HARVEST" に珍しく全部収録したほどだった。
ちなみに、ピアノソロのジャズアルバムが無いが、「MPSスタジオのスタインウェイD」を使用している。
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新国立劇場オペラ「バラの騎士」批評(No.1836)

2011-04-19 23:51:41 | 批評

『新時代』に突入した 新国立劇場オペラの第1弾は「一定の水準」を保った


"Piano Music Japan"ブログに衣替えする前月の 2007年6月に「プレミエ」だった「バラの騎士」再演。元帥夫人に大好評だった初演時と同じ ニールント を招聘して、さらに「定期演奏会シーズンオープニングでバラの騎士演奏会形式で全曲演奏」した アルミンク+新日フィル を起用する、とのことでチケット代金は初演と同じ S=23,100円 に高く設定されたハズだった。

 3月11日に東日本大震災が起こり、東京電力福島第1原子力発電所が「放射能垂れ流し」状態になり、しかも日本政府の「大本営発表」が嘘だらけとバレると、「演奏家来日中止の嵐」が発生した。外国人は選挙で日本政府現首脳を選んだワケでは無いし、やむを得ない。新国立劇場は「お目当てのニールント + アルミンク」の両者が来日中止となった上にさらに3名来なかった。「オックス男爵 = ハヴラタ が予定通り来日」してくれたことの方が奇跡に近い。

 制作スタッフの努力の賜物で、「元帥夫人 = ベーンケ」「オクタヴィアン = 井坂恵」「ファーニナル = 小林由樹」「ゾフィー = 安井陽子」「指揮 = マイヤーホーファー」の布陣で、(当初予定初日を飛ばして)4/10初日で開催されることが決定した。まずは、出演を快諾してくれた皆様と制作スタッフに感謝する。
 さらに本日聴きに行ってわかったことは、「沼尻竜典がオーケストラリハーサルに多大な協力」をしたとのこと。沼尻にも深く感謝する次第である。
 終演後の盛り上がりは、代役を務めてくれた5名 + 予定通り来日のハヴラタ に極めて温かい拍手とブラヴォーが送られた。前回公演「マノン・レスコー」は飛んだのだから、聴衆は「公演再開」に努めてくれた全員に感謝の意を捧げたのである。私高本も同意。


 ・・・で、

「批評の基準」をどこに置くか?


が大問題である。いろいろな考え方があるだろう。音楽誌、新聞もそれぞれの基準が設定されるだろう。

私高本は「これまでの新国立劇場オペラの水準」を基準に書く


ことにした。
 「これまで」とは「1997年10月10日 オープニングの建(TAKERU)」から「2011年2月4-5日 夕鶴」までである。(次の「椿姫」公演は佐伯周子にチケット取られて聴けなかった。地震が来るとわかっていたら・・・)


楽劇「オックス男爵」だった新国立劇場オペラ「バラの騎士」再演


 スケジュールを確保できた歌手&指揮者での「最善の公演」をわかった上での批評だが、R.シュトラウス「バラの騎士」の本質を浮かび上がらせることができなかった公演となった。原因ははっきりしている。

タイトルロール = オクタヴィアン = 井坂恵 の声量がはっきり不足していた、ことに尽きる


 井坂に責任があるとは、私高本は全く感じても考えてもいない。新国立劇場オペラ制作陣から拝み倒されての登板だったことは容易に推測できるからだ。井坂が断ったら、本日配られた配役表の「カヴァー=池田香織」が演じるか? 中止か? になったハズである。井坂と池田のどちらが声量があるかは聴いて見なければわからない。
 この楽劇は、「オクタヴィアン」と「オックス男爵」が全幕に出ずっぱり。オクタヴィアンが「好かれる主役」で、オックス男爵が「嫌われる脇役」が鉄則。予定通り来てくれた オックス男爵 = ハヴラタ の歌唱と演技は、前回公演を上回る印象だ、声も演技も。「嫌らしい女好きの田舎っぺ」をそれはそれは見事に演じてくれた。2幕最後の低音の響きなど、素晴らしい限りの声であり、さらに演技も「田舎っぺ丸出し」に感じられる秀逸。
 「元帥夫人 = ベーンケ」は悪くない歌唱&演技。ニールントに比べれば、印象が薄いのだが「同一演出の再演」は基本的に初演よりも印象が薄くて当たり前、なので、ベーンケが原因かどうかはわからない。共演者や指揮者やオケの問題も大きいからなあ。
 「ゾフィー = 安井陽子」は(演技はぎこちなかったが)代役としては十分な声。前回は「年食った声」を聞かされて、違和感を感じていたので、前回新国立劇場オペラ公演よりも印象は良い。
 「ファーニナル = 小林由樹」も好演。ただただ振り回されるだけの役柄なのだが、「声」が主役陣に負けずに出ていたことが印象的。この人は若い時分から注目(=オペレッタ脇役に出ていた頃)していたのだが、ついに「自分の声」に確信が持てたようだ。

 ・・・で「オクタヴィアン = 井坂恵」は、はっきり声が足りなかった。ソロでも2重唱でも3重唱でも。以前、二期会でモーツァルトを聴いた時には全く感じなかった不満を感じるので、『やはり新国立劇場オペラは別格』と再認識した。

響き! 響き!! 響き!!!


 オペラの基本はこれだ!


 私高本が「バラの騎士」を観た(聴いた)のは何回目だろうか? 初回が「伝説のC.クライバー指揮ウィーン国立歌劇場来日公演を東京文化会館の最前方中央」で聴いたからか、印象に残る公演は「新国立劇場オペラプレミエ」くらいしか思い浮かばない。オッター がまだ現役ばりばりの時だった。印象が強すぎて、きつい批評になっている可能性もある。

 但し「井坂恵がオクタヴィアン」で再演された、としたら「聴かない可能性」が51%以上。そんな感触である。


 マイヤーホーファー指揮新日フィルについて。管楽器、特に木管楽器の「ニュアンス」が物足りない。つい先日聴いた、下野竜也指揮 の演奏会では全く不足していなかったことなので、おそらくは指揮者の問題。スケジュール不足の可能性が大。「声楽陣のまとめ」は上手い指揮者なので、今後スケジュールをきちんととったオペラ公演を是非是非振ってほしい。期待する。
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読売日本交響楽団第503回定期演奏会評(No.1835)

2011-04-18 22:47:31 | 批評

圧倒的だった ムラロ独奏+カンブルラン指揮+読響の ラヴェルピアノ協奏曲全曲演奏


 1晩に「ラヴェルピアノ協奏曲全曲演奏」を「定期演奏会」で行ったオケはここ20年内に記憶に無い。「名曲」「特別演奏会」などでも記憶に無い。協奏曲全曲演奏だと、「ベートーヴェン」「ショパン」が多い。清水和音が「ラフマニノフ」も記憶にある。だが盲点なのか、「ラヴェル」は初だと記憶している。CDでは1枚に収められているので不思議な感触だ。


 ムラロは「メシアンピアノソロ全曲CD」と「ラヴェルピアノソロ&協奏曲全曲CD」で名声を馳せたピアニスト。そのラヴェルピアノ協奏曲全曲演奏が聴けると言うので大いに期待した演奏会だったが、期待を遙かに超える名演であった。

オケの上を軽快に走り回る「両手」


オケに融け込む「左手」


 両曲の様式の違いがこれほどまでに鮮明に描き尽くされたことは、これまでの東京であったのだろうか? この日の演奏で

最も印象深かったのは、「ムラロ と カンブルラン」が双方『相手の語法を熟知していること』


である。
 ムラロは浅めのペダリングでダイナミクスを「小さい側」に思い切り寄せる。普通、「オケに被せられる恐怖」でもっと大音量で出してしまうのだが、カンブルランは大半のパッセージを「ムラロのソロ音量」に合わせる。しかし必要に応じて(=作曲家の要求)オケが被さるパッセージもある。その時は「アタックを余り利かせずに」フォルテで振る。その結果は、「ピアノソロの音の頭だけは鳴る」状態になり、絶妙のバランスだ! これが「ラヴェルの狙った音」だったのか!!!


 東日本大震災への祈りに捧げられた冒頭の曲が、メシアン「聖体」。ムラロのアンコールがメシアン「前奏曲」。いみじくも呼応してしまったのだが、様式が全く一致していたことには、呆然とする。

カンブルランとムラロの「メシアン感」が一致していた!


ことを意味するからだ!


 プログラム最初の プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」組曲作品64抜粋は、誰がどのように名演をしても必ず不満の出る曲。作曲経緯も複雑だからなあ(爆
 私高本個人としては「選曲うんぬん」よりも金管楽器の演奏水準がラヴェル並みには達して欲しかった次第。(練習時間はラヴェルピアノ協奏曲全曲演奏に取られたんだろうなあ)


 「ボレロ」は素晴らしい演奏だった。「読響の演奏能力」が極めて高いことを明示した。演奏会全体の時間が相当に長く、終演は21:20だったことから、途中退出者が結構出たりしたこともあり、オケ側がやや注意が(ピアノ協奏曲の時よりは)逸れた瞬間もあったように感じたが、次回に演奏する時は「最盛期の デュトワ + N響」を越すだろう。ピアノの搬出入に時間を取られたのが、大きな盲点だったようだ(泣


ムラロは、(芸風が全く違うが)ブレンデル並みの大ピアニストになる予感。リストやベートーヴェン協奏曲全曲演奏を期待する


 指揮とオケはもちろん「カンブルラン + 読響」である。
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1834)

2011-04-17 18:59:43 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

1969年2月の「MPS初録音」が「ドビュッシー前奏曲全集2枚」と「ジャズ自作2枚」


を指摘した文章は私高本は全く見たことがない。クラシックファンはジャズを聴かない。ジャズファンはクラシックを聴かない。さらに

「グルダファン」は、グルダの言葉を真に受ける


も原因の1つ。「ゴロウィン」と言う歌手のデビュー盤がこの内の1枚で「遙かな惑星の歌」である。1978年にコンサート会場でグルダ自身が歌うまで、聴衆を欺き続けたのだ!


 グルダは「クラシックの聴衆」に対して、「ジャズでとても売れっ子のグルダ」を演出したかった。1969年2月以前に収録されている「グルダのジャズ」は以下が現在私高本が確認している全て。

1969.01以前の グルダのジャズ録音一覧



  1. FRIEDLICH GULDA at Birdland 1956.06.28 New York(Rec) RCA 74321125872


  2. Little Suite 1965.03.20 Klagenfurt(Live Rec)PREISER MPS06024 9828945


  3. Music for Four Soloiss and Band 1965.09 Wien SABA MPS06024 9828945


  4. GULDA LIVE(only 2 pieces) 1966.12 Wien PRESER


  5. Sieben Galgenlieder nach Texten von Christian Morgenstern 1967.01 Wien PREISER MPS06024 9828945



 これで全てである。LP3枚分にさえ不足している量だ。しかもどの1枚として注目を浴びていなかったようだ。ここで「ピアニスト人生」の全てをクラシック音楽に向けていたならば、私高本が「作曲家:グルダ」なんてカテゴリーを作ることは無かった(爆
 ここまでの「グルダ作曲作品」で面白いのは無い、と断言する。


 1967年2月に、グルダは初来日する。同年1967年7月には離婚問題で緊急のカネが必要になり、amadeo に「ベートーヴェンピアノソナタ全集」を録音開始しているので、わずか半年の間に離婚のゴタゴタが急速進行したようだ。そこから1969年2月までの間に「作曲家グルダは開眼した」のだ。

MPS初録音 = 「自分の思った通り」に録音し、リリースする自由 をグルダは生まれて初めて得た瞬間


である。
 MPS以前のグルダは、ヴォーカルは他人に任せていた。本当は「歌いたかった」のに、である(爆

 「遙かな惑星の歌」は、「MIDLIFE HARVEST」には収録されていないことになっている。但し、これも疑問が相当に残るのだ。1971年に「プレリュードとフーガ」「遙かな惑星の歌」「変奏曲」の3曲が再録音されて、「The Long Road To Freedom」の2枚組に収録されたことになっている。内、2曲は「MIDLIFE HARVEST」にも収録されているが、本当に再録音したのかどうかは全く不明である。グルダの録音履歴にはこの手のことが山ほど出てくる。それだけ大物なのだ(爆


 さて、この「MPS初録音4枚」を通して聴くと何がわかるか? 核心である。

全4枚が同じピアノを用いて、同じ技術者が調律して、同じマイクセッティングで録音したこと!


である。
 そう、「ドビュッシーとグルダ自作」を全く同じに録音したのだ。これは3年前に PREISER "GULDA LIVE" で実験済みであったが、セッション録音で行ったのは初めてであった。使用ピアノ = スタインウェイ D。
 MPSスタジオには1969年2月の開店(?)から、1983年の閉店までこの1台のピアノしか置いて無かった。カネの問題ではないだろう。スペースが足りないのである > 2台のコンサートグランドを置くには。


 「クラシックとジャズの融合」を説き伏せるグルダに賛同して、MPS は フィリンゲン に大がかりなスタジオを持った。グルダは(ほぼ)自由に使用できるようになった。たった1つの点を除いて。それは

MPSで録音する時は全てスタインウェイになった、以外は全て自由を獲得した


ことを意味した。

ドビュッシー前奏曲全集を DECCA で録音した時は、わざわざ「ウィーンでベーゼンドルファーを使用」したのが1955年のグルダ


だった。
 これが後々に大きな禍根を残すのであった。
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NHK交響楽団第1697回定期公演批評(No.1833)

2011-04-16 23:44:33 | 批評

ノリントンが「N響の肩書き」を得る可能性を高めた定期公演!


 「ノリントン節」全開の演奏会だった。好きな人は好き、であり、嫌いな人は嫌い、である。「ベートーヴェンオリジナル」に忠実であり、ノンビブラートの弦。チェロパートで(首席をはじめとして)ビブラートを掛けてしまった人もいたが、大勢には影響ない。

ノリントンの棒は「職人」であり、極めて鮮明であり、その意図は実現した演奏会


である。
 15~20年前のN響は、「名誉指揮者=サヴァリッシュ+シュタイン+ブロムシュテット」と言う「独欧系偏重布陣」であったが、今やブロムシュテットだけが振れる状況。「東京の聴衆は、独欧系を(偏狭に)好む」と言う説もある。あぁ、私高本も「シューベルト好き」なので、この仲間か!(爆

ノリントンは「ダイナミクスの巾」最優先であり、ティンパニ+金管楽器を鳴らす


が基本路線だった。
 「ベートーヴェンの旧録音」を聴き慣れている私高本としては、「木管楽器が異様に引っ込んだ」感触があるのだが、これは「座席 + NHKホールの響き」の問題かも知れない。
 ノリントンは『ピュア・トーン』を掲げていることで有名だが、

ピアノの平均律と同じ感覚で「音」を出し、「テンポとダイナミクスをきちんと当てる」ことをオーケストラに要求


するのが特徴。
 多くの「古楽器指揮者経験者」とは「音作りの方向性」が全く違う。
この日は思いかけず、エルガー「エレジー」を冒頭に演奏したので、「エルガー → ベートーヴェン → エルガー」が聴けたが、「音作り」は全く同じ。弦楽器だけの時には違和感は少なく、管+打楽器が加わった時に「ノリントンサウンド」が全開となる。聴いただけで「ノリントンが振っている!」と判る音だ。


 ベートーヴェンでもエルガーでも(信じられない早さで)フライング拍手が来たのにはうんざり。こんなにマナーの悪いオケに成り下がっていたのか? > N響

 ベートーヴェン交響曲全曲をノリントンを3年で実行するとのこと。大いに期待している。
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4月に聴くコンサート(No.1832)

2011-04-15 23:01:29 | 演奏会案内
 4月に聴く演奏会を列記する。

  1. 04.16 Sat N響定期A ノリントン指揮 ベートーヴェン交響曲第1番 他
  2. 04.18 Mon 読響定期 カンブルラン指揮 全ラヴェルプログラム
  3. 04.19 Tue 新国立劇場 R.シュトラウス「バラの騎士」
  4. 04.25 Mon 読響名曲 カンブルラン指揮 「プラハ」プログラム
  5. 04.30 Sat 都響「作曲家の肖像」 下野竜也指揮 全リムスキー=コルサコフプログラム

 ノリントンはN響と「ベートーヴェン交響曲全曲」を演奏開始する。その第1弾。「作曲家1人」の演奏会が私高本の好みのようだ(爆
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