Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

1/19 & 1/20 東京シティ・バレエ団「白鳥の湖」批評(No.1526)

2008-01-20 22:14:52 | 批評
 演出&振付が素晴らしく、おそらく今後数年物議を醸す公演だったと思う。2日目しか鑑賞していない人には「1日目の狙い & 成功」は理解できないと思う。 物議を醸すことを畏れずに言えば、「渾身の演出 & 振付」が 素晴らしく成功したバレエ公演である。 東京シティ・バレエ団の今後の躍進を願って止まない。
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本日2008年1月17日読売新聞文化欄記事について(No.1525)

2008-01-17 20:32:23 | グランドピアノの買い方・選び方
 本日2008年1月17日 読売新聞 文化欄に「ヤマハのベーゼンドルファー買収」についての記事が大々的に掲載された。この記事について、『私高本が知っている情報』との整合性を中心に掲載する。読売新聞Webには掲載されていない様子なので、興味ある方は、読売新聞を購入されるか、図書館で確認頂きたい。


ヤマハ ピアノの名門買収


の網掛け見出しで始まる記事であり、「文化欄の中枢」を占めている。

「ウィーンの誇り」行方は


が見出しで続き、3番目に大きい見出しは

困難なかじ取りに


となっている。
  この記事に対して、私高本が「敢えて当日にブログを書きたい」と思った原因は以下の通りである。

  1. 私高本が聞いている情報と全く違う

  2. 『見方』が【欧州本場偏重者2人】だけで構成されている


からである。 宮下博記者はこれまでに「素晴らしい記事」を多く提供してくれていた方なので、このような「一方的な記事」が掲載されるのは意外である。


  掲載記事の基調は

「ウィーンの伝統」を「日本の企業 = ヤマハ」が壊さないでほしい


で統一されている。記事上で登場する「日本人音楽専門家」は2人。登場順に

  1. 百瀬喬
  2. 野村三郎

である。他に、外国人として2名が記載されている。

  1. ブフビンダー(ピアニスト)
  2. アーノンクール(指揮者)

である。
 ・・・で、掲載記事は以下の通りである。

  • 「かつてに比べて薄れつつはあるが、ニュアンス豊かな音色がまだ残っている」(百瀬喬氏)
  • ヤマハによる買収の可能性が現地紙で報じられた昨年秋(中略)ピアニストのルドルフ・ブフビンダーや指揮者のニコラウス・アーノンクールら、ウィーンゆかりの著名音楽家や文化人は、一斉に反発を表明した
  • 「ヤマハが経営に長くかかわるうちに、だんだんヤマハに近付いて、ベーゼンドルファーの持ち味が薄れる可能性がある」(百瀬氏)
  • 音色変化避けられず ウィーン在住の音楽学者、野村三郎氏の話

となっている。


 私高本が聞いている話は以下の通りである。

  1. オーストリアの銀行 = BAWAG・PSKグループ が破綻した

  2. 所有している ベーゼンドルファー社 を売りに出したところ、ヤマハを初めとする 東洋の有力ピアノメーカー数社(日本,中国,韓国 等)が名乗りを上げた

  3. 「ウィンナホルン」の再現で実績を挙げていたヤマハに、「ウィーン側」が『条件が合えば是非資本参加を!』との要請があった


 以上3点である。


 私高本のように「在野のヒョーロンカ」で得られる情報ならば、世界発行部数第1位の読売新聞は得られているのはないだろうか?
 もし、得られているならば、あまりにも偏った記事ではないだろうか?

 近日中に、追加記事が読売新聞に掲載されることを、読売新聞に対して信じて止まない次第である。

 ちなみに

写真掲載されているピアノ = 92鍵のコンサートグランド ≠ インペリアルモデル(97鍵)


も不思議。佐伯周子 が演奏会でいつも使っている 東京文化会館には「ベーゼンドルファー インペリアルモデル」が常備されている。 何でわざわざ「小型機種」を備えたホールを選んで写真掲載したのだろうか?
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本日、鈴木弘尚ピアノリサイタル(No.1524)

2008-01-15 07:45:22 | 演奏会案内
  いよいよ今日だ!

鈴木弘尚 ピアノリサイタル


 シューベルト(!) → ショパン → リスト → ラフマニノフ と言う「ロマン派巨匠」を並べたプログラム。 特に ラフマニノフ「コレッリ変奏曲」は 鈴木 の「オハコ」の1曲。楽しみでならない演奏会!
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ブレンデルのピアニスト人生を振り返る その4(No.1523)

2008-01-14 14:27:35 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
 1955年、ブレンデル24才の時に VOX初録音 となる。これが壮大なプロジェクトに繋がる。

『世界初のベートーヴェンピアノ曲全曲録音』を遂行したブレンデル


  VOXでの録音も「ロシア物」で開始される。録音した順を推定すると

  1. ムソルグスキー「展覧会の絵」、バラキレフ「イスラメイ」、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3章」

  2. リスト「詩的で宗教的な調べ」から抜粋5曲

  3. バルトーク「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」ストラヴィンスキー「2台のピアノのための協奏曲」

  4. ブラームス「ハンガリー舞曲」全曲(連弾)

  5. リスト「ピアノ協奏曲第1番 + 第2番」

  6. リスト「死の舞踏 + 呪い」

  7. リスト ソロ曲【LP5枚】分

  8. シェーンベルク ピアノ協奏曲


 3枚目の録音は「存在自体」をブレンデルが全く語ったことが無い上、1回もCD化されていないので、ほとんど知られていない。(LP VOX TV-S 34465)
 「21世紀のブレンデル」とは随分違うレパートリーである(爆

技巧派ピアニストが、リストを中心に現代物を弾く!


がイメージである。


 LP10枚分を遙かに超える録音をした時に、VOX社が社運を賭けた大プロジェクトを開始しようとした。

大作曲家ピアノソロ曲全曲録音プロジェクト


であり、

初回に選ばれたのがベートーヴェン


である。そして

ブレンデル が「ベートーヴェン全曲演奏」の大役を担い、1958年12月 - 1964年7月 に録音され、順次発売された


のである。
現在、CD13枚で「ほぼ全て」入手できる。(幻想曲作品77だけが別売になっている)
 ソロ曲録音期間中の1961年頃に ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番、第4番、第5番 も録音される。ソロ曲の売れ行きが好調だったからだろう、ピアノ協奏曲第1番、第2番、合唱幻想曲、ロンド変ロ長調WoO.6 も 1966年頃に録音される。

ベートーヴェンピアノとオーケストラの全曲録音プロジェクト


も完成させたことになる。

 ロシア物 から開始された LP録音は、リストの充実ぶりが認められ、【リストの師匠の師匠 = ベートーヴェン】 の大プロジェクトを成し遂げた世界初のピアニストとなったのである。


 ・・・が、「世界一のベートーヴェン弾き」として即認められたワケではない。最も大きな問題点は

VOX = 廉価盤専門レーベル


ということ。21世紀の現在で例えれば、「NAXOS」「Brilliant」に専門に録音しているピアニスト並みの扱いであったのだ!
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ブレンデルのピアニスト人生を振り返る その3(No.1522)

2008-01-12 18:44:53 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
  ブレンデルに幸運が舞い込んでくる。1952年1月(21才)に待望の「LP初録音」だ!

「運」を離さなかった『LP録音』の仕事


  1949年第1回ブゾーニコンクールで4位になった ブレンデル は
  • テクニックがある
  • 現代モノが得意
  • ウィーン在住

と言うように、アメリカのLP会社から評価される。 1951年12月に グラーツに里帰りしていたブレンデル宛は、アメリカLP会社(おそらく EVEREST)から「プロコフィエフの<ピアノ協奏曲第5番>を録音しませんか?」と言う電報を貰った。ブレンデルは「1回も演奏したことが無かったが、即OKした」

 この録音は「全プロコフィエフ」で
  • A面 = ピアノ協奏曲第5番
  • B面 = ピアノソナタ第5番

で ジョナサン・スターンバーグ指揮 ウィーン交響楽団、 EVEREST 3385 である。協奏曲の方は 米VOXから発売されている「Young BRENDEL」と言うCD6枚組で今も聴ける。はっきり言って、特に何も記すところのない平凡な演奏である(爆
  しかし、この録音がきっかけとなって、ともにアメリカLP会社である VOX と SPA と言う2社との録音が続く。SPA は5枚出したところで終わった。契約が終了したのか? 会社がコケたのか? 社長が変わったのか? 事情はわからない。しかし、VOX の方は、13年間(1955 - 1967) に亘り「大規模プロジェクト」を含めた関係が続くことになり、これが ブレンデル を全世界に広く知らせることとなったのである。
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ブレンデルのピアニスト人生を振り返る その2(No.1521)

2008-01-11 22:13:51 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
  本日はブレンデルの「誕生~ウィーンデビュー」までを綴る。

ウィーン周辺人としての「苦汁」をいやと言うほど呑まされたブレンデル


  1931年1月5日、アルフレート・ブレンデル は 現在のユーゴスラヴィア で産まれた。当時は「オーストリア=ハンガリー帝国」だったハズである。祖父母が全員違う民族、とのこと。「ヨーロッパ人」の感覚で育ったようだ。「1人っ子」で大事に育てられ、6才からピアノを習う。「ゾフィー・デジェリッチ」という名の先生に初めに師事し、その影響で「指で叩き込みながら、音色の変化を出す奏法」のきっかけを掴んだようだ。
  親の転居とともに各地を転々とするも、学生生活の締めは、南オーストリアの グラーツ。1948年(17才)にデビュー。1949年に『第1回ブゾーニコンクール』で第4位。(自伝に書いてある「優勝」は全くの間違いの様相!)
  1950年、初の「ウィーンでのリサイタル」を弾く。大叔母の家に住まわせてもらっての「ウィーンデビュー」であった、とのことである。


  これだけを読めば「19才でウィーンデビュー、しかも前年に国際コンクールで第4位!、すごい!!」と思うかも知れないが、実情はチョット違う。 1946年には『フリードリヒ・グルダ が戦後初の ジュネーブ・国際コンクールで優勝』していた。 ブレンデルも(受けた年は明らかにしていないが)その数年後には、ジュネーブ国際コンクール を受けた。そして、予選で落ちた。


  当時は、21世紀の「今」ほどコンクールが無かったので、さぞや心痛が強かったことだろう。このような状況下で ブレンデルはデビューした。普通に考えて「世界の大ピアニスト」になる、とは思い難い旅立ちだった。 しかし、ここから『世界のブレンデル』は飛翔するのである。(明日も書くぞ!)
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ブレンデルのピアニスト人生を振り返る その1(No.1520)

2008-01-10 20:48:53 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
 昨年11月24日の ブレンデル引退宣言 以降、ブレンデルのこれまでの録音を聴きまくったように思う。 私高本自身、1991年までは「ブレンデル信奉者」だった。1997年までかも知れない。(10年以上前のことなので覚えていない!)

「ヘンシェル + 岡原慎也 の シューベルト 冬の旅」


を生誕200年の年 = 1997年 に聴き、

「ブレンデルのシューベルト」とは違って、かつ、超えているシューベルト演奏がある!


ことを教えてもらった。 ブレンデルは

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、リスト、ブラームス、シェーンベルク で第1人者


の評価があるピアニストだ! 私高本はシェーンベルクは嫌いだが、生涯で協奏曲を3回も正式録音したピアニストは、他にはいないだろう。かのポリーニでさえ1回だ(爆


 レパートリーは狭いピアニストだった、と思う。上記8作曲家以外には
  • バッハ(1枚少々)
  • ウェーバー(2曲)
  • メンデルスゾーン(1曲)
  • ムソルグスキー(1曲)

くらいしか、「Philips時代」はスタジオ録音を残していないかも知れない。
  • スメタナ
  • バルトーク
  • ベルク
  • ブゾーニ

なども「ナマ演奏」では披露してくれているのだが、その「演奏家生命全貌」からすると少ないかも。他に、古くは バラキレフやストラヴィンスキなどの録音もあるし、プロコフィエフも、ドヴォルザークもある。ショパンも1枚だけあった。う~ん、結構錯綜していますね。


  今年の 12月18日 のウィーンの演奏会が「引退演奏会」になるようだ。出典は ココ。
 ファンの皆様は、ウィーンに行って聴いて下さい。

 私高本 は、「50年以上のピアニスト ブレンデルの活動」を本日以降、掲載する予定。1才上の グルダ も死んで久しいし、1才下の グールド は死んで 25年以上になる。『巨匠』になった ブレンデルに 乾杯!
  • どの演奏会(東京&神奈川)も素晴らしかった
  • 1991年までの正規録音は、全て素晴らしかった

は、まさに神業。
 この 「ブレンデル像」に迫って、

これから将来ある 日本人若手ピアニスト の大活躍を祈念


したい。ブレンデルは、ケフェレック や クーパー のような大ピアニストを養成した経緯からして、きっと賛同してくれることだろう。
  正直「山有り、谷有り」の人生を見事に突き抜けた ブレンデル に「乾杯!」
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読売日本交響楽団第497回名曲コンサート批評(No.1519)

2008-01-08 23:52:21 | 批評

「手段」を「目的」と間違えた指揮者 = ウルフ の初登場


  このところ
  • 11月 → ヴァンスカ
  • 12月 → 下野

と素晴らしい指揮者が続いた読響だが、新年早々に指揮者で「スカ」を掴まされたようだ(泣
  読響としては、事前発表したコンサートマスター = 小森谷巧 から、ノーラン に変更してまで、力を入れた公演であり、何1つ破綻無く演奏されたのだが、感動は何1つ無かった。全ては「指揮者 = アンティ・ウルフ」の所業だ!

  • 「ピリオド奏法」を(弦楽器中心に)蔓延させたい
  • 「ピリオド奏法」さえ実現できれば、全ては(モーツァルト音楽では)バラ色になる!
  • と勘違いした指揮者がウルフ

 わずか2ヶ月前に客演した ヴァンスカ のベートーヴェン も「ピリオド奏法色」の強い演奏であったが、それは素晴らしい感銘があった。
 その差は歴然である。

  • ヴァンスカは「ベートーヴェンの求める音楽」を再現しようと努めた
  • ウルフは「ピリオド奏法を広めようとだけした」

 これだけである。コンサートマスター以下、読響のみなさんが「できる限りの努力」をしてくれたことは、聴衆が認めた。この『ジュピター交響曲第4楽章のフーガ』が全く「入りが聞こえて来ない」指揮で、破綻なく演奏してくれたことに(特に弦楽器の皆さんに)感謝する。 これだけ「声部進行に無頓着なモーツァルト指揮者」は初めて聴いたような気がする。
  ちなみに、ピアノの シーララのモーツァルト も全く魅力無い。楽譜をただただ「ミス無く弾く」に終止した演奏。装飾音の追加があっても、何も魅力無かった。 ダイナミクスが 「p ~ mf」では、モーツァルト音楽は表現できないと思う。
 ウルフ指揮の 今後の演奏は、ショスタコーヴィチとかバルトークを含め、(特にモーツァルト含みは)私高本としてはお薦めできない。
 来月の「指揮のホーネック」をじっくり待ちたい。今月の「ヴァイオリンのホーネック」も、指揮に邪魔される可能性が極めて高い。 来年をじっくり待って聴きたいと思っている。
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PMJ 2008年の抱負(No.1518)

2008-01-02 21:19:22 | ピアノ音楽全般
 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
標題について、以下の2点を抱えます。

1.ヤマハサイレントアンサンブルセミコンサートピアノ C7LAーXPについての徹底レポート


  確か、ブログを立ち上げた時の方向はこれ。今年は行きまっせ!

2.「佐伯周子シューベルト全曲演奏会 の 充実 & 発展」


  昨年 「幻想ソナタ D894」で名演を聴かせてくれた 佐伯周子 のピアノで、今年もシューベルトの演奏会を披露できる。もしかしたら、他の機会もご披露できる可能性もある(← もちろん、首都圏でシューベルト!)
  今年から「シューベルトの出版曲」をテーマにする。 この話題が多くなるかも知れない。


  思えば 旧「Daily Classical Music Critique in Tokyo」を始めたのが、1996年の「ねずみ年」。今年2008年に「干支がひと廻りして、また ねずみ年」になった。私高本は元来体が弱く、「あと、ひと廻り生きているか? どうか?」は全く分からない状況で開始した。 こうして、『また、ねずみ年を迎えられた』ことは、読者の皆様 並びに 佐伯周子 を初めとするこれまでの関係者の皆様のおかげである。 これからも、『芸術に忠実に』の視点で突っ走って行く所存である。
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