Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

佐伯周子「チェコ音楽コンクール2010」優勝(No.1788)

2010-11-11 16:58:42 | ピアニスト・佐伯周子
昨日から開催された

チェコ音楽コンクール2010」ピアノ部門にて 佐伯周子 が優勝


した。
 チェコ音楽コンクールの審査員の皆様、実行委員会の皆様、会場のチェコ大使館の皆様に深く感謝するばかりです。
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新国立劇場バレエ「ペンギン・カフェ」批評(No.1787)

2010-11-08 18:58:38 | 批評
 9月7日に体がイカレた私高本だが、幸いにして「耳と眼」には異常が無かったので、演奏会は予定通り全て聴いた。歩くのが遅かったり、チケット出すのに不自由があったが、座席に座ってしまえば音楽は楽しめる。この2ヶ月に批評を書きたい演奏会がいくつもあったので、(指も完治してパソコンも自由に打てるようになったので)批評を綴りたい。


新国立劇場3代目バレエ芸術監督=ビントレー は、日本に「バレエ革命」をもたらす予感


 オペラ部門に比べて、芸術監督が長い期間のが、バレエ部門芸術監督。ビントレーはまだ3代目である。(オペラ部門は、畑中良輔 → 五十嵐喜芳 → ノヴォラツスキー → 若杉弘 → 尾高忠明 で5代目。しかも栗林義信が入る予定があったのが、破綻した、って事件もあった!)

 私高本は「バレエ音楽ファン」であって、「バレエファン」とは言い難い。新国立劇場オープニング以来

ストラヴィンスキー「3大バレエ」もラヴェル「ダフニスとクロエ」も上演されない『国立バレエ』って何?


と思い続けていた。その結果、この13年間でチャイコフスキー「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」、プロコフィエフ「ロミオをジュリエット」「シンデレラ」の5本しか、バレエは見なかった。(「聴かなかった」が正確な発言か?)
 『国立バレエ』としては、随分「怠慢な公演方針」と思っていた、ことをここに明記する。


 ビントレー芸術監督の「お披露目」公演は「3本立て」。

  1. ストラヴィンスキー「火の鳥」新制作
  2. ビゼー「交響曲ハ長調」再演
  3. ジェフェス「ペンギン・カフェ」新制作

 上演もこの順。どんどん「ピットのオケ編成が小さくなっていく」(視覚的に)奇妙な公演だったが、「バレエ的」にも「音楽的」にも、私高本がこれまで見たバレエで最高の出来だった。是非是非再演してほしい。


 新制作の2本は「東京の新国立劇場として新制作」であり、ビントレー自身は英国で制作済みの自信作。「火の鳥」は今からちょうど100年前の「フォーキン振付を復活させたビントレーの評判作」である。100年前のフランス聴衆と同じ(に近い)鮮やかな衣裳&振付を楽しめた。その

「火の鳥」上演の最大の功労者の1人 = 指揮者マーフィーの的確な棒


である。
 これは明言しておきたい。在京オケの「火の鳥」公演でもこの水準を聴かせる指揮者は少ない。テンポは確か(← バレエでは最も大切)な上に、デュナーミクの巾も広く、アーティキュレーションも明確。マーフィーは「東フィル定期」で是非是非聴きたいモノだ。
 「火の鳥」ソリスト2名はわざわざ英国から招聘しただけあって、手の内に入った踊り。この日最大の技巧の冴えを披露してくれた!

 ビゼー「交響曲ハ長調」は、「火の鳥」ほどは盛り上がらない。指揮もバレエもオケも全て良いのだが、元来「交響曲」だったモノに無理に振り付けたのが明らか。特に第1楽章は無理が大きかったように感じる。
 ビゼーでは「コールドバレエ」の振付が「タイミングが合わない」のも目に付いた。民間の「東京バレエ団」よりも息が合っていない。何が問題なのだろうか? 振付? 曲? 待遇? 選抜メンバー? よくわからない。オペラでは発生していない問題である。


 普通に考えて「トリは火の鳥」と思えるプログラムでトリを務めたのは、ジェフェス「ペンギン・カフェ」。

素晴らしい音楽 + 素晴らしいバレエ → ジェフェス「ペンギン・カフェ」


であった。ストラヴィンスキー「火の鳥」の後で「トリ」を務めるだけの感銘を受けた作品。

基本的には「1950-1960頃のアメリカ音楽」を目指した音楽に、素晴らしい振付が付いた = 「ペンギン・カフェ」


である。「ミニマル音楽」にやや傾斜しているが、嫌味は全くない。「最も近い有名作曲家」を挙げろ、と言われたら、バーンスタインを挙げておく。
 ビントレーに事前に最も難しいかも? と言われた「シマウマ」も私の見た 10/28 は完璧だったと思う。ノミとか、アボリジニとか、いろいろと考えさせられるキャラクターも出てくるが、それ以前に「踊りが楽しめる振付」がうれしい。音楽も素晴らしい!! 是非是非再演してほしい。
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追悼 相庭尚子(No.1786)

2010-11-07 19:12:52 | その他
 昨日知ったのだが、

偉大な日本のコレペティトュアーピアニスト = 相庭尚子 が10月26日に死亡していた


 私高本が「クラシック音楽」に没頭する人生を歩んだきっかけになった人の1人であり、知り合った当時はまだ女性に年令を訊く習慣は無かった(今は平然と訊く)ので、正確な年令は知らないが、おそらく私高本よりも4学年上のように記憶しているので、享年54~55才だと思う。日本のオペラ界がどれほど恩恵を受けていたことだろう!! 信じられない!!!


 初期私高本に影響を与えてくれた皆様には本当に感謝している。毎日が授業であり、新鮮な魚介類を大量に食べさせて頂いたに等しい。
 相庭尚子さんは、当時私高本が所属していた「東響コーラス」のピアニストとして出会った。4才しか上のハズなのに、(当時私高本が知っていた4才上の人たちよりも遙かに)人生経験も音楽経験も豊かで、『タングルウッド音楽祭』のことなどを、行ったことも無い私たち合唱団員にそれは「目の前で音楽が繰り広げられる」ように語ってくれた。相庭尚子さんはすさまじいヘビースモーカー&ヘビードリンカーであったことが印象的。(私高本はその後、岡原慎也以外のスモーカーとは、体調が悪化したために、全く付き合えなくなったので、咳き込みながら呑んでいた短い期間のことである。)酒の好みは、私高本には「ウォッカが好き」と言っており、何と「お薦めのウォッカ」を1本頂いた!
 「ストレートで一気に呑むのが通!」と教わったので、当時の妻とその通り実行したら私高本はいきなり咽せてしまったことも懐かしい。
 相庭尚子さんの死因は転移癌とのこと。癌は(大人の癌であれば)発症 → 死に至る は15年以上掛かる、が最近の定説。知り合った当時の生活を40才くらいまで続けていたのだろうか?


 相庭尚子さんの「音楽観」は、私高本はとても影響受けた。

「作曲家の意図通りの音楽を再現する」のがクラシック音楽の最も重要なこと


  小澤征爾からの信頼がとても厚く、いろんな裏話を教えてもらったが、その面白い話題よりも私高本が身に付けたことが「作曲家の意図通りの音楽再現」だと思う。ウォッカは折角頂いたのに、ストレートに呑むことは一生できなかったが、音楽精神の方は受け継いだ、と勝手に思っている。


 相庭尚子さんは、「日本のコレペティトュアー」を代表する人であった。基本的に裏方の仕事人なのだが、とてつもない偉業も成し遂げた。

1991年開始の「音楽の友ホール・東京」での モーツァルト「オペラ完全全曲演奏会」で主要5+オペラを小アンサンブルでピアノ+α で演奏した


である。
 音楽之友社が元気な頃で、「後宮からの逃走」以降の超人気オペラ6本を 相庭尚子さんが担当した。指揮は河地良智だった。「魔笛」のパパゲーノのアリアのところで、左手でピアノ(ベーゼンドルファーインペリアル)を弾きながら、右手で「ヤマハの電子鍵盤」を弾くと言う神業を繰り出して、聴衆からも評論家からも絶賛されていたのが昨日のことのようだ!!!

 相庭尚子さんの功績は、仕事に携わった人が伝えて行くことだろう。「職人気質の人」だった。「音楽の本質」に対しては、合唱団員にも全く遠慮せずにツッ込んだ意見を教えてくれた。こんな人は今いるのだろうか? 相庭尚子さんと出会っていなければ、岡原慎也とも、川上敦子とも、佐伯周子とも出会っていないかも知れない!!!

 最後に会ったのは、1999年に府中で行われた「ショパン展」会場だった。その時は、2年前に 新国立劇場オープニングオペラ團伊玖磨「建(Takeru)」の裏話をそれは面白おかしく教えて頂いた。まだ團伊玖磨も健在でピンピンしていた頃だ。「建」が長すぎて、京王線の終電に間に合わなくなる可能性! なんて、言われて團は泣く泣くカットした、と聞いて唖然。あれでも「長い! 長過ぎる!」が聴衆の大半の合意だったから(爆

 11年間も会っていなかったのか。 今も成城学園駅前辺りでまた会うような気がしてならない。(何回か改装前の駅北口で会って会釈した)ご冥福を祈ります。


 私事だが、私高本も明日死んでも医師は誰も不審には思わないだろう。

 実は、8月後半~9月4日に「大阪でドイツリート講習会」を聴講して、9月5日に帰宅した。15日も「自宅から離れる」は30年ぶりのこと(← 当時20才だった)なので、懸念していたのだが、「悪い予感」が当たってしまった。実は「バカな父親」が交通事故で遭って、3ヶ月入院(← 即死していても全く不思議の無い事故でした!)後に「退院したい! 退院したい!!」とうるさいので、帰京後翌日に「父親自宅の改修 → 退院 → 大丈夫かの確認 → 帰宅」 で疲れ果てたらしい。まあ、51才だからしゃーないか(爆

 9月7日朝、目覚めると


  1. 左手人差し指中心の麻痺再発
  2. 左足親指中心の痛み開始

だった。あ~ぁ、これはつらい。無理したんだな > 体(泣

 2ヶ月の養生でどちらも「症状はゼロになった」が根本的には

私高本は血管に「欠陥」がある


ので、明日死んでも不思議はない。相庭尚子さんから教わった「音楽の神髄」を佐伯周子を初めとする1人でも多くの若い人に伝えて行かなければいけない。猶予時間はどれだけのあるのだろうか? 「短命の家系」に生まれているができることならば、「男の平均寿命=79才」までは健康に生き延びたい。28年あれば、「ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」も完了できるだろう!!!
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