Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

新国立劇場委嘱新作オペラ:香月修「夜叉ヶ池」世界初演初日2013.06.25批評:続編(No.2302)

2013-06-28 23:58:09 | 批評

耳を楽しませ、目を楽しませ、心を楽しませる「オペラの王道」路線の 香月修「夜叉ヶ池」



  「新国立劇場委嘱新作オペラは6作品」と、香月修「夜叉ヶ池」公演プログラムP22 に関根礼子が明記してくれている。有難い限りだ!

  1. 團伊玖磨「建・Takeru」1997


  2. 原嘉壽子「罪と罰」1999


  3. 一柳慧「光」2003


  4. 三木稔「愛怨」2006


  5. 池辺晋一郎「鹿鳴館」2010


  6. 香月修「夜叉ヶ池」2013



  「オープニング記念の1999年」までを除外すると、

4年に1作品づつ = 芸術監督任期に1作品の法則 がきちんと受け継がれている


 もう1度、整理しよう。オープニング記念を除外すると、次のようになる。

  1. 「イタリアオペラ & フランスオペラ しか興味の無い」五十嵐喜芳芸術監督 → 一柳慧「光」2003


  2. 「日本語オペラには全く興味が無く、丸投げだった」ノヴォラツスキー芸術監督 → 三木稔「愛怨」2006


  3. 若杉弘芸術監督が発注したが、上演時は「尾高忠明芸術監督代行」が上演 & 来年の再演が既に決定 → 池辺晋一郎「鹿鳴館」2010


  4. 尾高忠明芸術監督 が狙い澄ましたオペラ → 香月修「夜叉ヶ池」2013



 上記6公演、全て「世界初演」を見届けた私高本が、明言する。

香月修「夜叉ヶ池」は、團伊玖磨「夕鶴」を越える『日本の代表オペラ』になる!


ことを。


 上記6作品について、(極めて粗っぽく)総括する。

團伊玖磨、原嘉壽子、一柳慧、三木稔、池辺晋一郎 は「音響の豊かさ」を最優先したが、香月修は「音響よりも、演出上の舞台転換の素早さ」を重視!


 この差は大きい。香月修 が「音響の充実」を求めなかった、ワケでは無い。

「音響の充実」は求めた。それは『香月修のオーケストレーション』で全て実現した! オケは10型編成!! これで、『新国立劇場中劇場』を満たせる!!!


  実際に満たしてくれた。上記6つの「新国立劇場委嘱新作」初日 = 作曲家や演出家が全員カーテンコールに登場する日に立ち会っている私高本が証言する。

作曲家 (今回は 香月修) に対して「ブラヴォーだけが振り注いだ」のは、新国立劇場委嘱新作6作品で初めて!


である。


  私高本も、google検索で「香月修」は事前にしてあり、「桐朋音楽大学の作曲科の重鎮」は理解していた。だが、オペラ作品が掲載されていなかったので、「過去に2作品のオペラあり」は公演プログラム入手以前は全く理解していなかった。だが、その2作品も、40年以上前。「フツーに考えれば、経験無いオペラ作曲家」と思う方がフツー。(以下、続々編に)
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人生最長に付き合って来た人 = 父 を振り返って(No.2301)

2013-06-27 22:58:40 | その他
 こんなことを書いている場合でないことは重々承知している。17時過ぎから「夜叉ヶ池批評続編」を書くつもりで、パソコンと向き合って5時間超。どうやら書けない、と判断せざるを得ない。理由は、猫頭ヒョーロンカ = 私高本 でも、はっきり認識できる。

私高本と人生最長に付き合って来た人 = 父 を見送りして、の喪失感


である。読みたく無い人は、今日号は飛ばして下さい。単なる「猫頭ヒョーロンカの回顧録」ですから。「佐伯周子 との付き合いの方を長くしたい」と思っていますが、父とは53年以上。佐伯周子 とは13年少々。後40年生き延びる & 見捨てられない(← 私高本は2回離婚されているので、結構切実な問題(爆涙)
と追い付けない。現在53才なので、93才までか! 短命の家系なので、相当に難しい感触がある(涙


  相当に似た「顔 & 性格」なので、『磁石の同じ磁極は反発する』の大原則通り、幼い日から全く性格が合わなかった。父は囲碁が好き、私高本は将棋が好き、などなど。
  末期には、「死後どうしたいの?」と尋ねたら、それまでは答えなかったが、「要介護3」認定を食らった辺りで「さすがに末期?」と思ったらしく、要望を話してくれた。

  1. 妻(= 私高本母)と一刻でも早く同じ墓に埋葬してくれ
  2. 生前に、妻と同時に取得した「法名」を墓石に刻んでくれ
  3. 墓石には「数え年」で没年を刻め

  多くの「遺言マニュアル」に書いてある「遺産相続」とかは全くない。財産が大して無ければ揉めることないからなあ。
 6/23(日)に主治医の病院から「心肺停止したので至急来院して欲しい」コールが来てから、佐伯周子 と駆け付けてから、父の遺言を全て実行した。本日埋葬。佐伯周子 と 私高本 が立ち会って、遺言通り「妻」と同じ墓に埋葬した。法名を刻むのは、少々時間が掛かる、とのこと。


 父の生前、(少なくとも)3年前に交通事故の遭って以降は、考えられ得る最善を尽くした、と私高本は思っている。佐伯周子 と その弟 の知恵には、本当に感謝することばかりだった。

自動車にはねられた直後の主治医の診断は、「血糖値高過ぎ、手術不可能、足切断、おそらく短い期間で重篤な糖尿病合併症(脳梗塞とか心筋梗塞)で死亡または半身不随」


だった。(他の人は知らないが)私高本は「聞いたママをそのまま父に伝えた。」絶句していた。それまで、30年(40年?)以上、医者を騙し続けた「ツケ」が廻って来た瞬間だった。

 「嫌だ」とホザくので「どうしたいの?」と聞くと、要領を得ない。「お前に任すから、足切断は止めて欲しい」とのことだった。

私高本の言う通り『糖質制限食を実行しろ。足切断の判断は延期してもらう』


から、交通事故入院生活は始まった。運良く血糖値が下がり、『手術可能』になり、それから3年以上、『最期の日』まで歩けていた & 意識があった & (認知症なのに)人は全員認知出来ていた(日時が認識出来ていなかった)のは、今から考えると奇跡的に「良かった」症状だ。
  最期は「近所で常に気を配ってくれていた方」が看取ってくれた。自宅敷地内で、親身にお世話下さった複数の方に看取られての死去だった。一人住まいが19年以上だった父の死去が、温かい皆様に見守られてのあの世行きだったのは、奇跡に近い。本人の行いが良かったからだろうか? 私高本は間に合わなかったが、父も本望だろう。
  私高本も、佐伯周子に(音楽以外のことで)迷惑を掛けずに、死去したい。「寝たきりになって10年以上」とかは、(心だけでなく)サイフにも大きく迷惑を掛ける。大富豪でないのだから、見込みが無くなったら「ピンピンコロリ」になった父に見習いたい。死ぬ3ヶ月前までは、「歩行7千歩」を実行してくれた、と電話では報告してくれていた。その報告が本当かどうかはわからない。


死去の翌日、机の上をみたら、交通事故の遭う直前の『2009年の 佐伯周子 シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会プログラム』が表紙の方向で置いてあった。


  完全に元通りに足が戻ったら、「佐伯周子次回公演」も聴きたかったことがひしひしと伝わって来た。涙が止まらなくなった瞬間だった。
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新国立劇場委嘱新作オペラ:香月修「夜叉ヶ池」世界初演初日2013.06.25批評(No.2300)

2013-06-26 23:54:01 | 批評
2300号記念号を、この素晴らしい日本語オペラ世界初演批評で迎えられたことに感謝する。亡き父が導いてくれたのかも知れない。


日本語オペラが、チェコ語オペラ & ロシア語オペラ に比肩した日かも知れない 香月修「夜叉ヶ池」世界初演の 2013.06.25


  16年前の 1997.10.10 團伊玖磨「建(Takeru)」以来、全ての「新国立劇場委嘱新作オペラ初日公演批評」をその日の内に掲載して来たのが、"Piano Music Japan" とその前身の "Daily Classical Music Critique in Tokyo" である。今回批評掲載が1日遅くなったことをお詫びする。

  團伊玖磨「建」初日の『天覧ブーイング(橋本竜太郎当時首相も真横に臨席)』写実批評は(私高本には確認の連絡が一切入らなかったのだが)あちらこちらに転載されて、「談合ヒョーロンカ」の皆様との違いを如実に表した事例の先駆けとなった、ことも懐かしい。


  團伊玖磨「夕鶴」は、過去の日本語オペラでは、群を抜いた名作であった。だが「日本情緒」にあまりにも重きを置き過ぎ、「世界に日本からの情報を世界に向けて発信する」には、「共感が呼び難い」のが大きな欠点。これは、台本作家 = 木下順二 の意向を遵守したことが原因。團伊玖磨 自身が「原台本作家の言う通りをオペラ台本に起用は疑問」と感じたようで、オペラ最終作品 = 「建」 では、思う存分「團伊玖磨節」を吹かせた。結果は、「聴衆からはブーイングの嵐」 & 「再演無しで舞台装置は廃棄」であった。アチャー!!!


  香月修「夜叉ヶ池」公演プログラムは、日本語オペラ公演プログラム中、ダントツで最高! これほど「知りたい情報」を網羅した公演プログラムは、日本語オペラに限らず(イタリア語オペラでもドイツ語オペラでも)過去皆無。


香月修 の美点は、『全体進行のツボ』を押さえているが1番、『オーケストレーション が プッチーニ並み』が2番


 詳細については明日の続編で詳述する。(体力が尽きた(泣)

 土日のチケットが売り切れているようなので、興味を持った方は、金曜日公演を聴いて欲しい。私高本の聴いた「Aキャスト」で、間違いなくいいぞ!
(以下、続編に続く)
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これから聴きに行くコンサート(No.2299)

2013-06-25 16:12:17 | 演奏会案内

  1. 新国立劇場委嘱新作オペラ 香月修「夜叉ケ池」世界初演初日 2013.06.25


      尾高忠明芸術監督 が「委嘱新作1作」のみの渾身のオペラ。台本は「香月修 + 岩田達宗」で演出は岩田達宗。批評掲載は、私高本の都合により、翌日以降になることをあらかじめご了承頂きたい。

  2. 有田正広指揮クラシカル・プレイヤーズ東京 2013.06.18


      東京芸術劇場の「看板公演」。ピアニスト = 仲道郁代 がフォルテピアノ を弾いての演奏会。

  3. キタエンコ指揮東響川崎定期 2013.06.29


      プロコフィエフ + ラフマニノフ のロシア音楽。
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父死去(No.2298)

2013-06-23 16:12:40 | その他
かねてより病状の悪かった父が本日死去しました。これからのスケジュールはあまり見えません。批評が遅れているものについては、さらに遅くなりますことを心よりお詫び申し上げます。
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人生の岐路がいくつも重なっているかも知れない時(No.2297)

2013-06-22 21:52:07 | 批評の批評

今、私高本は「人生の岐路」にいくつか立っている、可能性が高い


  正直、この重圧に押し潰されそうな気がする時がある。

  1. 「佐伯周子シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会」で、補筆する重要「短調ソナタ」2曲の内、1曲目が再来月、しかも(構想は出来たが)楽譜に仕上げていない


  2. 「シューベルトに次ぐライフワーク = 伊福部昭」の重要な演奏会批評のクロージングが出来ていない(涙


  3. 重要な批評(上の「伊福部昭演奏会批評」ではない!)を貯めこんで半月以上経過。しかも「冒頭」さえ書けていない(瀑涙


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小森谷巧ヴァイオリンリサイタル2013.06,17批評(No.2296)

2013-06-17 23:51:44 | 批評

「作曲家の意図」を誠心誠意再現することに心を砕く 小森谷巧


  『演奏家』は、音楽を再現してくれる人。力強い支援者である、と共に(実は書き難いのだが)「解釈者」としての側面も出る。これは、(小森谷巧 に限らず)誰でも同じ。だが、小森谷巧 ほど、(最少に言って)シューベルト楽曲 で、「シューベルトの意図通り」に再現してくれる演奏家はいるのだろうか? 猫頭評論家 = 私高本 は思い当たらない><


 演奏会は「シュニトケ:組曲」から開始された。シュニトケ作品の中でも「回顧的色彩」が強い。「今も生きている作曲家の作品」と言っても、納得されないくらい「普遍性」がある。そのテイストを 小森谷巧 + 松本和将 は浮かび上がらせる。
 続くのは、シューベルト ヴァイオリンソナタ イ長調D574。初期シューベルトの傑作である。
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ヘレヴェッヘ指揮読響:ベートーヴェン交響曲第1番&第7番2013.06.15批評(No.2295)

2013-06-15 23:03:14 | 批評

圧倒的な説得力を持った ヘレヴェッヘ指揮読響ベートーヴェン


  ヘレヴェッヘ は「古楽指揮者」の雄である。既に(しかも相当前に)ベートーヴェン交響曲全曲録音も残して、圧倒的な高い評価を受けている。「古楽アンサンブル」来日公演は(今回来日も含めて)多かったのだが、今回初めて「在京(モダン楽器の)オケ」を振ってくれた。(・・・と記憶している。私高本は「猫頭ヒョーロンカ」なので、間違っていたらご指摘下さい。にゃ~ん)


 これほど、『素晴らしいベートーヴェン』を東亰で聴ける幸せは、何ものにも代え難い。

  1. アーティキュレーションが明確! 「楽譜を見ている」よう!!


  2. デュナーミクが聴感上、楽器間で統一されていた > トランペット が オーボエ と同じ音量!!


  3. 交響曲第1番第3楽章トリオで、クラリネット → 第1ヴァイオリン に旋律が移る「遠い旋律線の移動」も、あたかも「一流ピアニストが弾いているかのよう」に移行



などは、(文字で書くと簡単に見えるのだが)実際に演奏するとなると、全部が全部難しい事象。これを全部実行してくれた

ヘレヴェッヘ は「大指揮者」


と感じる。明日も聴きに行く。「ブレ」は小さい指揮者、と感じるので、明日公演の批評は(特に大きな差異が無ければ)掲載しない。こんな素晴らしい演奏を、東亰に届けてくれてありがとう > ヘレヴェッヘ X 読響


トランペットは、オーボエ や フルート とバランスする楽器だった > ベートーヴェン時代 を実感させた ヘレヴェッヘ指揮読響のベートーヴェン


  素晴らしい演奏会だった。「何が最も素晴らしかったのか?」と尋ねられて「全体設計」と答えたら、「ヒョーロンカとして価値皆無」である(爆
  ヘレヴェッヘは

アーティキュレーションを「これほどまで詳細にベートーヴェン通りに詰められるのか?!」まで根気を詰めて読響に実現させる!!!


  交響曲第1番 も 第7番 も素晴らしかったが、「コリオラン」序曲も素晴らしかった。


「読響パート」で最も素晴らしかったのは、「トランペット」。1番トランペットも素晴らしかったが2番トランペットも(同等に)素晴らしかった。


 この事実は記載しなければならない。バッハ から ベートーヴェン の時代には(私高本の猫頭では確定は今日まで出来なかったのだが)おそらく、「トランペット」と「オーボエ」や「フルート」の音量は『釣り合っていた』らしい。ベートーヴェン も作曲しているし、ちょっと前ではバッハ(← あの大バッハ!)も同じ。ぼんやり見ているとわからなかったのだが、この日の「1番トランペット」は前半が長谷川、後半が田嶋。2人とも「ヘレヴェッヘ指示の 木管楽器と音量水準下げた音量」を実施。これが、できるオケは(関東では)読響だけ!!
 他オケ(例えば前日のN響)では、膨らんでしまうんだよね(泣


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チョン指揮N響:ロッシーニ「スタバート・マーテル」第1758回定期公演初日批評(No.2294)

2013-06-14 23:56:06 | 批評

圧倒的に説得力を有した チョン X N響 の ロッシーニ「スタバート・マーテル」


  素晴らしい演奏会だった。上記の通り、ロッシーニ「スタバート・マーテル」は圧倒的な素晴らしい演奏を聴かせてくれた。その根源は

全て「チョンの構想」の雄大さ!


である。

  1. 但し、ベートーヴェン交響曲第2番は「シンフォニア(= 序曲)」の演奏であり、雑



だった。これは「チョンの解釈」だと感じる。N響には問題ない。だが、「さらに1段と言わず、2段上の演奏があるだろう!」
が実感。ベートーヴェン には「未消化」が大きかった、と感じるばかりである。
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これから聴きに行くコンサート(No.2293)

2013-06-13 23:18:16 | 演奏会案内
 これから「シューベルト前後の音楽」を聴くことにした。

  1. チョン指揮N響 : ベートーヴェン交響曲第2番+ロッシーニ「スターバト・マーテル」2013.06.14


      ベートーヴェン交響曲は、シューベルト交響曲が最も影響を受けた曲群。ロッシーニは、「同時代のオペラ作曲家で世界最高の成功者」。「スターバト・マーテル」はシューベルトの死後に作曲された曲だが。東亰混声合唱団がどんな編成で歌うのか? も注目。

  2. ヘレヴェッヘ指揮読響 : ベートーヴェン交響曲第1番 & 第7番 2013.06.15 & 16


      とっくの昔に「ベートーヴェン交響曲全集」CDをリリースして人気を博した ヘレヴェッヘ。読響との初顔合わせは、ベートーヴェン交響曲2曲。どちらも潑溂とした演奏の予感。2日とも聴きに行く。(佐伯周子 は日曜だけ行く)

  3. 小森谷巧ヴァイオリンリサイタル :シューベルトヴァイオリンソナタ イ長調 他 2013.06.17


      読響コンサートマスター = 小森谷巧 がCD「弦の巧」を発売した記念コンサート。CDに収録した シューベルト と シュニトケ「古い様式による組曲」を中心に据えたコンサート。王子ホール。佐伯周子 と聴きに行く。

  4. アテフ・ハリム ヴァイオリンリサイタル : モーツァルトK378 + フランクソナタ 他 2013.06.19


      毎年初夏にリサイタルを繰り広げてくれている アテフ・ハリム が今年聴かせてくれるのは、 モーツァルト と フランク の名ソナタを中心に据えたプログラム。ブラームス のスケルツォが聴けるのも楽しみ!

  5. ヘレヴェッヘ指揮読響 : シューベルト交響曲第6番 + シューマン交響曲第3番「ライン」&チェロ協奏曲 2013.06.21


      「夢の演奏会」。ヘレヴェッヘ が 読響 振って、シューベルト初期交響曲の傑作=第6番 と シューマン最後の交響曲「ライン」を振る上に、ハーゲン のチェロで シューマンチェロ協奏曲。



 広上淳一指揮東京交響楽団「伊福部昭生誕100年プレコンサート批評:続々」は、明日から4日連続で演奏会を聴きに行くので、来週中盤掲載予定です。「次回」が来年5月31日と告知されているし、未だ「チケット発売日公表」が無いので、少々遅くなっても、チケット購入には影響しない、と推察しております。

「伊福部昭音楽」が、実力高い、しかも初演プロオーケストラにて、再演される! のは素晴らしい企画!! 批評も、その重みに対峙する!!!


と思っております。多少の日時の遅れはお許し下さいませ。「ベートーヴェン交響曲」とは資料が桁違いに少ないです(爆涙
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広上淳一指揮東京交響楽団「伊福部昭生誕100年記念プレコンサート2013.06.01批評 続(No.2292)

2013-06-11 23:57:12 | 批評

「リズムの権化」を音で示した 広上淳一 X 東響 の 伊福部昭「プロメテの火」再演!


  この演奏会は、いろいろな「音響空間」を聴衆に示してくれた演奏会となった。前号で書いたように「鹿踊り」で、放映された映像と「舞台で現に鳴っているオーケストラの音」がずれて終曲したこと、のように、誰の目(=誰の耳)にも明らかなこともあった。だが、私高本が最も興味を持ったことは

前半の「プロメテの火」で充溢していた緊張度高い音響空間が、後半の「鹿踊り」では明らかに後退して開始され元には戻らなかったこと!


 これに尽きる。前半は「通常の舞台照明」、後半は「映像優先でステージ照明を落とし、指揮者&オーケストラ奏者は手元照明で楽譜を照らすスポットライト群」だった。私高本は「老眼」で、暗い場所の視力が弱い。しかも(音響最優先で)座席を確保したので、(視覚最優先の)1階中央最前列ほどは「指揮者の照明」は理解できていない。(1階最前列音響は「好き」なのだが、弦楽器が圧倒的に強く、管楽器が奥に引っ込み過ぎて、「指揮者の意図」が掴み難いので、批評を書く予定のオケ公演では、2階以上の座席がある場合は、基本的には選ばないようにしている。1階最前列で聴いて「管楽器が物足りなかった」と書かれたら、管楽器奏者は激怒する、と思うから。)


  まず、「プロメテの火」について。広上淳一指揮は「初演を担当した東京交響楽団に起用された」意欲がリズム感に反映されたのか、極めてリズム感に富む。具体的には、低音を短く弾ませ、「ウキウキさせる」指揮。(東日本大震災で「関東で唯一ぶっ壊れたクラシック音楽ホール」として高名を馳せた)川崎ミューザ のリニューアル後の音響が相変わらず素晴らしいことを実証する演奏、となった。


  ここで突然だが、生前に私高本が伊福部昭から聞いていた言葉を記す。

伊福部昭「私の最長のオーケストラ音楽は、プロメテの火です。タプカーラ交響曲ではありません。」


  当時、「ピアニスト = 川上敦子」のマネジャー、今は「ピアニスト = 佐伯周子」のマネジャー、である私高本からすると、(事前勉強が足らなかった可能性は否定できないが)極めてショッキングな発言であった。「タプカーラ交響曲」は事前勉強していたが、「プロメテの火」は音源が見付からなかったので聴いていなかったからだ。

 「伊福部昭音楽」を語る人は多い。「騙る人」も結構多い。特に「新弟子とそのさらに弟子」はすさまじい。伊福部昭 は生前に、私高本に「編曲しました。承認下さい。と言う人が後を絶たない。楽譜を見ると、承認できない人の方が圧倒的に多い。」と語っていた。

その中で、死ぬまで拒絶したのが「日本狂詩曲」、と語ってくれたのだが、「プロメテの火」も『生前承認編曲が皆無の曲』


である。(この稿、「続々」に続く)
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広上淳一指揮東京交響楽団「伊福部昭生誕100年記念プレコンサート2013.06.01批評(No.2291)

2013-06-10 21:10:31 | 批評

「伊福部昭オーケストラ音楽のスケールの大きさ」を音で実感させた 広上淳一 X 東京交響楽団


  幸運にも「生前の伊福部昭」と面識があった私高本は、いろいろなお話を聞かせて頂いたモノだ。その中にバレエ曲について語って下さった曲が3曲あり、内2曲がこの日のプログラム「プロメテの火」「鹿踊り(← 伊福部昭はこちらの曲名で語ってくれた)」である。(もう1曲はピアノ伴奏舞踏曲「イコザイダー」で、「プロメテの火」「鹿踊り」の方が遥かに良い、とのことだった。)
 資料を読むと、他にも舞踏曲(バレエ曲)は多数存在するのだが、特にお話にはならなかったので、思い入れの深い2曲は、いつか機会があれば、是非是非聴きたい! と兼ね兼ね思っていた。すると

「プロメテの火」「鹿踊り」両曲の初演オーケストラ = 東京交響楽団 が、屈指の伊福部指揮者 = 広上淳一 を招いて一挙演奏!


ではないか!! 定期会員の特権を生かして、発売初日に「好みの座席」をgetして、この日を迎えた次第である。


 演奏会を聴き終えてすぐには批評を書けなかったのには(私高本なりに)理由がある。

  1. 「鹿踊り」で上映された映像と、広上淳一指揮音楽の終了がかなり大巾にずれたこと。
  2. 「バレエ音楽は、芸術音楽の分野」と生前私高本に語ってくれたが、当時見付けていた文献資料を探し出すのに時間が掛かったこと

の2点である。2点目は「資料整理の悪さ」が原因。日頃の行いの報いか?
 昨日やっと発掘した。


 「鹿踊り」で上映された映像と、広上淳一指揮音楽の終了がかなり大巾にずれたこと、については、東京交響楽団に演奏会終了後にお伺いした。回答は

演奏会時に放映した画像は2011.05.15の「宮操子三回忌メモリアル」公演の実写であり、『1950年初演当時の 上田仁 X 東京交響楽団 オープンリール録音』に合わせた舞踏、本公演のテンポは 広上淳一 の解釈の通り


であった。なるほど! 納得。

「上田仁 と 広上淳一 の解釈の差」だけでなく、「1950年当時の多目的ホールの乾いた音響空間 と 川崎ミューザの豊かな音響空間の差」も大きい


 2点目は「タプカーラの彼方へ(木部与巴仁 著)」だった。この本は、アマゾンでも購入できない状態なので、「幻の著書」なのかも知れない。著者は、2013.06.01演奏会にも、極めて目立つ服装で来場していたが。


半世紀以上前に「新たな芸術」を創作して行った 伊福部昭、江口隆哉、上田仁、東京交響楽団


には、敬意を表すばかりである。その日(新作初日)があって、今がある。ありがたい限りである。(続編に続く)
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高山美佳指揮の「リズム感の素晴らしさ」に最も感動した!(No.2290)

2013-06-04 21:46:40 | 批評

高山美佳指揮の「リズム感の素晴らしさ」に最も感動した!


 前号にコメントが来た。

>倍速再生で音楽が聞き取れるのでしょうか? (Unknown)
>2013-06-03 10:14:51
>今日の記事を興味深く読みました。
>倍速再生で録画をご覧になるとの記述ですが、音楽鑑賞になりますか?
>また、高山さんの何が耳を惹きつけたのでしょうか?

 尤もな疑問である。真っ正面から回答する。

倍速再生では細かなことは全くわからない。「リズム感の正確さ」「デュナーミクの巾」だけがわかる。この2点が「クラシック音楽演奏」では最も重要な点と私高本は感じている。


 録画した「題名のない音楽会」を「鑑賞」するために倍速再生しているワケではありません。「鑑賞に値するか?どうか?」の確認のためです。
 高山美佳の指揮を倍速再生で聴いて「ハッとした!」のが、スコアで確認したら、第77小節 と 第80小節 の1拍目の「スフォルツァンドピアノ」が見事に息づいていたからです。

指揮者は、器楽奏者や声楽家のように自分では音を出せないので、スコアを読み、咀嚼した音楽を『指揮だけ』で再現する能力を求められる。高山美佳 は実現していた


  文章で書くと、簡単なようですが、実は「指揮者の半数」くらいは、これが実現していません><
指揮者の解釈なのか? 楽譜が読めないのか? 棒の技術が悪いのか? オーケストラ側の問題(予算の関係で練習時間を充分に持てない など)なのか? は、私高本には全くわかりません。ピアニスト ならば、運指 だとか、跳躍 などに自宅で充分な時間を掛けて練習することが出来るのですが、

指揮者が自費でオーケストラを雇って、指揮の練習を重ねた逸話は、「メンデルスゾーン」くらいしか知らない


です。『人件費の固まり=オーケストラ』の側面は、Piano Music Japan でも書いた記憶はありませんが、厳然たる事実です。
 ここから先は、「標準再生」で番組全体を2回以上(高山美佳の箇所は5回以上見た)上での『私高本の推測』です。当たっていたら幸いです。外れていたら、「書き込み読者のお立場」を明記(シティフィルでの当日エクストラ、とか、テレビ朝日スタッフ、とか)の上、ご指摘下さい。必ず、掲載することをお約束致します。
 私高本の推測。

  1. 登場する指揮者3名(指導された 松本宗利音、高山美佳 と 指導した 佐渡裕)の内、『指導された2人』は本番が(本格的な練習無しの)初合わせ、佐渡裕 は事前練習が当日、ホールであっただけ(シティフィル練習所では無し)


  2. 松本指揮では、コンサートマスター = 戸澤哲夫 主導、高山美佳指揮 では、「指揮通り」



だった、と感じた。(私高本の感じた心は止められない。)
 つまり

高山美佳 指揮 は、佐渡裕が「俎上に上げて、鑑賞に値する」と断定した


と言うこと。私高本も1票を投じたい。素晴らしい感性の指揮者だ。だが、google検索する限り

高山美佳 本人の努力(google検索の位置 など)も薄いのが原因か?


と感じた。感じる私高本の心は止められないよ > 佐伯周子 でさえも(爆


 唐突だが「腐ってしまった指揮者」を1人紹介する。本人 並びに 関係者 が「文句」あれば、コメントに「立場」明記の上、書いて下さい。必ず表記します。

 これほどの才能の指揮者 = 高山美佳 は、成就して欲しい。佐渡裕 も言っていたでは無いか!!!

腐ってしまった指揮者 = 澤木和彦(相当前に財源が尽きた><)


である。これほど、素晴らしい指揮者は、当時(20年前?30年前? 猫頭なので思い出せない!)「ピアノ伴奏オペラ」ではいなかったのだが、メインストリームからは消えてしまった。埼玉県では、それなりの活躍をしているようだが、活動範囲が徐々に狭くなっているようだ><


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高山美佳指揮の「題名のない音楽会」本日出演(=佐渡裕指導!)を見て思うこと(No.2289)

2013-06-02 20:14:46 | 批評

高山美佳指揮の「題名のない音楽会」本日出演(=佐渡裕指導!)を見て思うこと


  本日、起床後日曜なので「2度寝」して起きたら、「題名のない音楽会」が録画されていた。毎週のこと。予告はいつも全く見ていない。頭の1分くらいを「倍速再生」して、「聴く」か「即全消去」を選択する。さらに「聴く」を選択しても途中で気力が萎えた時は「そこから先は消去」となる。日本の下町一般消費者の行動パターンだと思うぞ(爆


  1人目は「よくある指導法」だった、と感じたので倍速再生。2人目が 高山美佳 だった。私高本は女好き、と佐伯に揶揄されるが、美人とは思わなかった。事前の佐渡裕 との応答も普通。ここまで「倍速再生」。
 ・・・で、

高山美佳 が振り始めたら、音楽が「目の前」に来た!


のである。慌てて巻き戻して「1倍速」で再生した。手元にある「ベーレンライター原典版」にきっちり合致した指揮だった。
 勿論、細かな点で、佐渡裕 から指摘を受けていたが、

「スコア読みの深さ」が「30才の指揮者」とは思えないほど深い!


だったのだ。佐伯周子 よりも若いじゃん>< (1才なんだが書いて良かったのか???)


 番組全部聴いた後に、google 検索しても、ほとんど何も出て来なかった > 高山美佳

佐渡裕 言う通り、「カネにしていく技法を身に付ける」を一刻も早くして欲しい指揮者 = 高山美佳


である。何とかならないものなのか? 高山 よりも、遥かに低い才能が跋扈しているのが現状だ > 日本の若手指揮者(爆涙

梅ヶ丘ジュニアオーケストラ 紹介ホームページ


にリンクを貼っておく。
コメント (2)
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