Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

2011.10.16岡原慎也リサイタル批評 後編(No.1946)

2011-11-25 22:43:04 | ピアニスト兼指揮者・岡原慎也
 シューベルト イ短調ソナタ 作品42」D845 の終楽章に入った瞬間に「世界がひっくり返った」ような気がした。「悠然たるテンポ」だったからだ。実演でも録音でも聴いたことの無い ゆったりしたテンポ。それでいて「シューベルトらしい雰囲気」がぷんぷんと漂って来る。う~ん、どこかで聴いたことがあるような無いようなテンポ。ロンドの第1副主題に入った時に、ふと気付いた。『形式は全く違うが、同時期作曲のグレート終楽章に雰囲気似てるか?』と。


 イ短調ソナタは、過去に岡原慎也の演奏で聴かせてもらったことがある。その時は「フツーの演奏」だった。もちろん、演奏水準は極めて高いし、響きを豊かに聴かせる「岡原節」満喫だった。
 ・・・が、この日のように

全ての聴き手よ、注目したまえ! シューベルトの意向はこのテンポなのだ!!!


とシラーの詩を用いて挑戦状を叩きつけたベートーヴェン「第9」のような演奏だ! こんなことは予期していなかった!!

 岡原慎也は「第4楽章」を聴いて欲しくて、今回取り上げたことが理解できた。未だ嘗て誰もが弾いたことの無い「ゆったりとしたテンポ」。魅力溢れる演奏なのだが「シューベルト指示の Allegro vivace と合致しているか?」は疑問が聴いた後に(音楽自体には説得力あっったにも関わらず)残った。岡原慎也に「演奏は魅力溢れていたのですが、スピード違反(低速)だったのでは無いですか?」と尋ねたところ、即座に「Allegro vivace = 168」と言って、メトロノームでテンポを聴かせてくれた。あぁ、このテンポじゃん。私高本の猫頭は数十年「Presto のD845終楽章を聴き続けて信じ込んでいた」ことになる。1回だけだが、岡原慎也も聴いたのだが(爆


 ・・・で、「岡原慎也の仕掛け」がこれだけで無かったのである。

 ムソルグスキー「展覧会の絵」は超ド名曲。ラヴェルが管弦楽曲化して「化けた」曲である。「オリジナル稿」はあまり興味を持たれない。う~ん、この書き方は猫頭私高本のスカさを直撃だわ。つまり

ラヴェル編曲版を基準に「ムソルグスキーのピアノオリジナル稿も聴いている」可能性が極めて高い


と言うこと。あぁ、私高本も同じだった可能性が高い(泣


 岡原慎也の「展覧会の絵」は何と澄んだ音で開始されるのか? おそらくペダリング。 私高本はロシアに行ったことが無いのだが、冷たい空気がピンと張ったような出だし。テンポの揺れは全く無い。「プロムナード」内は定速歩行なのね?


岡原慎也の聴かせところは「速い曲」、即ち「殻を付けたひよこ」とか「リモージュ(市場)」などで信じられない速度で疾走する!!


 おいおい、シューベルトでそんな演奏聴いたこと無いぞ! リヒテルとか巨匠を含めた過去演奏よりも速い「制限速度違反」の快スピード。これ「ピアノはベーゼンドルファーインペリアル」だよね? 低音は響き渡っているし。 正直「信じられない素晴らしい世界」を聴かせてもらった。「ソフィアのリヒテル」に比肩する名演だったと感じる。特に「速いパッセージ」の切れの良さは「ソフィアのリヒテル」以上だった、に聴こえた。「岡原慎也はシューベルト中心のレパートリーのピアニスト」と思っていたが、「ムソルグスキー中心のピアニスト」なのかも知れない!


 アンコールが盛り上がって、ソナタイ長調D644の第2楽章を弾いた後に、結局「即興曲集作品90D899」を後ろから、4番-3番-2番 と弾いて危うく「全曲弾くの?」状態まで拍手が鳴り止まなかった。1番も弾くの? と思っていたら、さすがに「お開き」になった。キーシン並みか?

 確か、私高本よりも数才年上のハズだが、若さ満々。このパワーをいつまでも続けてほしい。
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2011.11.24オペラくご「ドン・ジョヴァンニ」批評(No.1945)

2011-11-24 23:28:13 | 批評
 摩訶不思議な「オペラくご」なるシロモノを初めて聴いた。http://operaproduce.web.fc2.com/TokyoEnsemble20111124DonGiovanni.htm を読むと

服部譲二 率いる「東京アンサンブル」が主体となり、レシタティーヴォを取り除き、進行説明に「落語」を用い合体させる セミ・コンチェルタンテ形式


とある。「vol.3」と明記されているように、これが3回目。年に1作づつ上演していたのだが、前2年は作品にあまり興味が持てず(「偽の女庭師」「バスティアンとバスティエンヌ」)実際に聴くのは今回が初めて。「偽の女庭師」は長いからなあ、、、


 チラシには「オペラくご」のこと、キャスト8名、東京アンサンブルのこと、主要スタッフとして「プロデューサー = 竹中史子」がいることはわかった。

竹中史子プロデュースならば「音楽と舞台の品質が保証されていることは間違い無し」の確信


があったが、実は「よくわからない点」が1つあった。

合唱団の記載が無い


のである。東京オペラ・プロデュース合唱団が名を伏せて歌うのか? 確か東京オペラ・プロデュースは「ドン・ジョヴァンニ」はレパートリーに持って無かったハズであるのだが? なんて疑問を持ち新宿文化センター大ホールに向かった。


服部譲二の「音楽観」を全身でぶつけ成功したオペラくご「ドン・ジョヴァンニ」



  1. モーツァルトの音楽の中心に「オペラ」がある


  2. モーツァルト時代と同規模編成のオーケストラを『舞台上』で存分に鳴らし、「広がる響き」を聴衆に堪能してほしい


  3. 「音楽が主」なので、カネの掛かる「舞台」無し、「大道具」無し、「合唱団」無し。但し「ソリストの衣裳」は在京民間オペラ団体平均水準


  4. レシタティーヴォで乱入して来る「平均律」しか出来ないチェンバロを追放して、弦楽器中心に「和音の響き」をたっぷり味わって頂く


  5. 服部譲二が(事前予想通り)指揮兼務。5型の編成(!)だが充分に大ホールに響き亘る弦。それと、管楽器アンサンブルの時が最も表情が濃かったことが強烈な印象


  6. ソリスト陣は二期会&藤原歌劇団「ドン・ジョヴァンニ」公演Aキャストクラスが4名(三浦克次、橋爪ゆか、アヌーシュカ・ラーラ、ブルーノ・ロッパ)いた。日本人2名には盛大なブラヴォーがカーテンコールで掛けられた


  7. 古今亭志ん輔の「語り」は笑いを取りながら「嫌味が全く無いブロの芸」だった。東京都交響楽団「売られた花嫁」公演で出しゃばったバカタレアナウンサーとは天地の差。「日本の話芸=落語」説に大いに納得


  8. 演出は舞台中央に陣取る「東京アンサンブル」の前と後ろを主として用いた前後左右に自在に動き回る機動力あふれる名演出。確かに「貧乏くさい」が「音楽重視」なので『これで納得!』である



 上記で全て言い尽くした感触。少しだけ付け足すと

私高本が「初めに聴いたオペラくごがドン・ジョヴァンニで良かった!」


は偽らざる気持ち。「偽の女庭師」は嫌いな演目では無く、イッセルシュテット指揮のCDも所有していて数年に1回聴く(← 名演)が、「音楽の友ホール:モーツァルト全オペラ上演シリーズ」で河地良智指揮で(編曲した編成で)聴いた時は(演奏は良かったのだが)「長かった」印象がある。あの時も「字幕」が無かったので、「今の瞬間何歌っていたっけ?」状態で長さが重たく感じられた記憶が残り、その後実演に足が遠のいたので、東京アンサンブル「オペラくご」公演もパスした。私高本の猫頭では、今も字幕無しでは無理(爆
 「バスティアンとバスティエンヌ」は短いが、何歌っているのか? はさらに訳判らない。

字幕無しで「オケと歌手に注視してほしい服部譲二の意向」であれば、猫頭私高本程度でも判る『ド名作路線』で無いと集客が難しい


ことだけはここに書き記す。
 外国から招聘した2名の歌手は出来が良かったが、カーテンコールが「夫婦役の2名で登場」になったのが原因か? 固定ファンがいないからか? はわからないが、ブラヴォー無しになった。カーテンコールのソリストの出し方だけは問題が残った、と感じる。マゼットは「8名のソリストで最も印象薄い役」だし、ドンナ・アンナはPAでガンガンに音を拡大していて「音割れ」していたから、相方はカーテンコールでは損した、と感じる。

「演出表記」が一切無いのは、『素晴らしい演出』だっただけに不思議


 服部譲二、竹中史子、飯坂純(アシスタントプロデューサー)、八木清市(舞台監督)、根岸幸(舞台構成)らの共同演出なのだろうか? それならその旨記載したらいいと感じた次第。

「ドン・ジョヴァンニ」を名作の頭に持って来た 服部譲二の目利きの良さには脱帽!


 チラシにもプログラムノートのどこにも記載されていないが「合唱団抜き公演」のトップに「ドン・ジョヴァンニ」を据えた服部譲二の「モーツァルトオペラ展望」には、もう畏怖するだけ。

服部譲二は 新国立劇場「魔笛」で指揮者デビュー!


 その後も「魔笛」はウィーン国立歌劇場でも指揮しているほど!

 ・・・なんだが、「魔笛」は「ザラストロを囲んだ男声合唱」のシーンをザラストロ1人では場が持たない。本日公演では(私高本は自信持っては断言できないのだが)おそらく

「合唱パート」は、「婚礼の場の合唱」「第1幕フィナーレ」「第2幕フィナーレ」全てで「合唱パートだけ落とした演奏」だった


ように聴こえた。短縮もしなければ、ソリストに代行歌いもしていない、の意味である。(もし違っていたらご指摘下さい)
 「魔笛」でどう処理するか? は難しい。

服部譲二は「全モーツァルトオペラ像」を把握している!




「合唱無しでドン・ジョヴァンニ」は常人には浮かばない発想!


 「ダ・ポンテ3部作」は是非是非聴きたい限りである。もちろん「後宮からの誘拐」「魔笛」も期待している!(合唱どう処理するんだろ?)
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2011.11.05 水越典子フルートリサイタル 批評(No.1944)

2011-11-11 20:13:21 | ピアニスト兼指揮者・岡原慎也
 新大阪駅前にある「ムラマツリサイタルホール」まで聴きに行った演奏会。聴きに行った最大の理由は

岡原慎也が ディートリヒ・ヘンシェル よりも長くコンビを組んでいる フルーティスト=水越典子


と聞いたからである! プログラミングが「超意欲的」であり、次の通り。

  1. イベール : 「戯れ」(ソナチネ)


  2. ヒンデミット : 8つの小品(フルート独奏)


  3. ケナン : 「夜の独白」


  4. ジョリヴェ : 「リノスの歌」


  5. 平尾貴四男 : ソナチネ


  6. プロコフィエフ : フルートソナタ ニ長調 作品94



 フルートは好きな楽器の1つだが、好きな作曲家は バッハ、ヘンデル、テレマン、ヴィヴァルディ、モーツァルト、シューベルト、ショパン とバロック時代から初期ロマン派までが多い。そんな中で、イベール、ジョリヴェ、プロコフィエフ は例外的に20世紀作品でも好き。この3曲を聴きに、「のぞみ」に乗り込んだ。他の3曲は初めて聴く曲なので、批評できない。嫌味のない選曲であったことだけお伝えする。以下は、イベール、ジョリヴェ、プロコフィエフ の3曲の批評である。


「現代曲」らしからぬ「表現巾の大きな演奏」が終始みなぎった 水越典子


  現代曲の演奏は(フルートに限らず)「正確無比にミスの少ないタイプ」が圧倒的だ。聴衆の方も「演奏家の解釈を聴く」タイプよりも「曲を聴く」タイプが多いのが一因だろう。「安全運転」の演奏が大半である。

 水越は違う。「安全運転」は決して狙わない。

  1. 「息の安定度」(量&速度)を大きな武器として


  2. 「20世紀作品」としては滅多に聴けないほどの「豊かな音色」で


  3. 「ダイナミクス」「テンポ」「アーティキュレーション」の全てで「巾広い表現」を実現した演奏会!



 特に「息の安定度」は抜群で、音程は極めて正確な上に不要なビブラートも掛らず、この難曲を次々と演奏してくれたことには感謝するばかり! (フルートでは難しいと伝えられており、実際に聴く限りだと難しく聴こえる)速い同音反復 も軽々と吹いて行く。こんな素晴らしい演奏をナマで聴いたのは初めてである。
 「ナマで」と書いたのは、録音では Sharon BEZALY(Fl) のCDで聴いたことがあるからだ。何回も録り直しのできるCD並みの演奏を実演で聴ける、とはツユも思っていなかったので、「ヘンシェル以上の共演実績がある 水越典子」の魅力を堪能させて頂いた。


 では今回の演奏が「ヘンシェル + 岡原慎也」に匹敵する演奏か? と問われれば、少し違う。2点改善できることならば改善してほしい点があった。

  1. ピアノが スタインウェイ「B」(奥行き211cm)であったため、ピアノの低音の響きが不足したこと


  2. ジョリヴェとプロコフィエフで、CDとは違う箇所が散見(散聴?)されたこと



 終演後、岡原慎也に尋ねたところ、「フルートが休符の箇所で何回か突っ込んで来た」とのこと。「どこでどんな風だったんですか?」と尋ねたところ「高本、勉強不足だ!」と言われた。その事実は認めた上で、「佐伯周子がレパートリーにしていない著作権が生き残っている曲」を楽譜を購入してまで勉強する金銭的余裕が無い「私高本の貧乏状況」を恨めしく思ったモノだった。また、フルーティストを全力で「支えており、カヴァーするプロ魂」も垣間見させてもらった。
 私高本が聴く限りだと「フルートとピアノのどちらがずれたのかはわからない?」ように聞こえたからだ。

岡原慎也の「ピアノアンサンブル術の素晴らしさ全開」を久しぶりに(10年以上か?)堪能した


 前回は、原田茂生 とのシューベルト歌曲。私高本が熟知している曲なので聴いた瞬間に理解できたが、今回は解説までして頂いた。岡原慎也には感謝するばかりである。


 今回のプログラムの内、私高本が理解できる イベール、ジョリヴェ、プロコフィエフ については、できることならば「水越典子 + 岡原慎也 でセッション録音」にして残してほしい。スタインウェイD を用いて。
 また次回リサイタル告知がプログラムに記載されており、「20世紀作品」とのことだが、水越典子 の奏法が最も生きるのはロマン派と感じる。シューベルトやショパンが聴きたいモノだ。ピアノは勿論岡原慎也で!
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Message from Yuko GULDA(No.1943)

2011-11-10 21:05:49 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
 昨日、大きな贈り物がヨーロッパから届けられた。

祐子グルダ から 「フリードリヒ・グルダ の作曲&録音」についての情報!


 「大きな文字での表記タグ」などは私高本の判断で付記させて頂いたが、文言は1字1句変えていない。原文はコメント欄にあるので、ご確認頂きたい。『グルダファン』は必見!!!


祐子グルダ


偶然このブログにぶつかり、久しぶりに拝読しました。熱心に研究されていらして敬服です。細かい事は抜きにして、気が付いた事、知っている事を記します。

モーツァルトのアッタセー(ホテルポスト)での録音は、ミュンヘン等の三都市の演奏に備えてプライヴェートに録音技師を招んでしたもので、その後マスターテープを没にした



のですが(彼は決断したらさっぱり捨てる男らしい性格です)技師が自分用に内緒でカセットにコピーしたのでしょう。

その方が亡くなった時に未亡人がリコの所へ持ってきた


のです。カセットなのでリコが使えるのを選んだのだけれど、カセットを裏返しする時に何章節か抜けたりしているのは使えない筈なのですがパオルが強引に自分で弾いて足してしまったので私とリコは主人が天国でどんなに怒っているかと、呆れてしまいました。生存中でしたら絶対出来ないことでしょう。

「グルダの真実」の題は「私の人生はスキャンダル」という皮肉った題なので真実とは云えません。


 そして訳の「俺」も誤訳で主人は「私」というタイプです。

ウルズラ(妻)とあるのは間違いで、彼女は私がグルダの元を去った1974年以降、1980年の初め頃までのガールフレンド


でその後は色々別の女性でした。知り合ったきっかけは、主人の「コンチェルティーノ フォースィンガース&プレイヤーズ」という作品がサルツブルグで上演された時に合唱団で歌っていました。
 そして、

最初の離婚は1965年で私が知り合ったときは既に離婚してスイスへ越して一人住まいをしていました。


         

ブルンナシュヴェアーさんとは専属契約をしていません。


若い時デッカで懲りて依来どこにも専属していません。ベートーヴェンソナタ全集の話は本当で丁度、バックハウスの全集を売り出す時なので、若いグルダが他所から売り出されたら困るので契約して市場に出ないように押さえたわけです。若い頃のグルダは本人曰く、後からは想像も出来ない程大人しい、お行儀の良いはにかみやさんだったそうです。MPSは昔、SABAという独で大きな電機会社でしたが、売却してMr.Bが趣味のジャズで(本人もホビージャズピアノ弾き)自宅に最高、最新の録音スタジオをつくりアメリカから有名なピアニスト達を招いて録音するのを楽しみとしました。主人は彼の為にブルースを一曲録音しています。

録音は平均率が最後だと思いますが・・・


Mr.Bは大金持ちなので、販売には全然熱を入れていないのが弱点だったようです。確か、私の記憶では1990年代の初め頃夫人と電話で話した時、息子さんが継いで、ベルリンに会社を移したとのこと。息子さんはMr、Bほど音楽に熱中していないから、その後MPSの名前はあまり聞きませんが・・・。確か、universalに売却したのだと思います。夜中の3時半過ぎたので今日はこれまで。


 以上が頂いたコメントの全て!

 あまりにも貴重な証言の数々! 特に一緒に生活を共にしていた時期については正確無比な情報である! フリードリヒ・グルダ と 祐子グルダの間には、愛息 リコ が生まれているので、離婚後も相当な情報が(主としてリコ経由で)流れて来ていたことには感謝。離婚時は、リコはまだ幼かったので、養育費や「実親に合わせる親権」などで顔を合わせる頻度も少なからず有ったのかも知れない。
 今年の前半に思いっ切り「作曲家:グルダ」に浸った時期があったが、今は「マーラー」に傾斜していたような気がする。マーラーもいいが、グルダも素晴らしいぞ!(シューベルトは勿論いいぞ!!)

グルダの「創作意欲の源泉の全て = 祐子グルダ」だった!


ことは(後世から見て)明らか。何で離婚したんだよ(泣

離婚しないでもっと「名曲作曲してくれよ!!!」


が偽らざる気持ち。「妻=祐子グルダ時代」に伸びやかに作曲できていたのが、離婚後「プツン」と音を立てたように消えて行く。グルダ自身が全く気付いていなかったことだった。
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新国立劇場バレエ「パゴダの王子」ビントレー振付世界初演初日 批評(No.1942)

2011-11-08 23:49:56 | 批評

「ビントレーが30年間温めて来た ブリテン作曲 パゴダの王子 を新振付で世界初演する!」



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