Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

下野竜也は「マーラー研究」を究めたか?(No.2688)

2023-05-14 21:45:18 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
2023.05.13 N響メンバー入場を見て驚いた。「トロンボーン3本!」
ラフマニノフ自身オーケストレーション「ヴォカリーズ」にはトロンボーンは1本も使用していないハズ。速攻で、プログラム誌「シンフォニー」を読むと、「ヴォカリーズ」はやはりトロンボーン無し。

同じ作品34歌曲集の「ヴォカリーズ」と異なるオーケストラ編成を要求


これは、

マーラー「子供の不思議な角笛」のピアノ伴奏版 → オーケストラ伴奏版 → 交響曲楽章転用版


を手本にした、と私高本は感じる。オーケストラ編成が全曲違うからなあ。
マーラー「子供の不思議な角笛」は、作詞者不明の民謡の歌詞を用いての作曲。ラフマニノフ作品34も「作詞者が別々の作品」、あぁ、「ヴォカリーズ」は作詞無いわなwww


下野竜也は「広島交響楽団音楽総監督」である。普通に考えて、広島交響楽団で初演だろう。それを、「N響定期で初演」は「放送」&「その録画を全世界オーケストラに送付」が目的だろう。
私高本は「受け入れられる」と予想する。「良い編曲」だからだ。

冒頭トロンボーン3本の響き、から印象深い、名編曲


である。
歴史が下野竜也編曲を決める。
見守る。

下野竜也編曲の次の作品に期待する


広島交響楽団で世界初演しないでね><
N響でも読響でも良いから「在京放送オーケストラで世界初演」お願い申し上げます。N響ならば、B定期は止めてね。チケット買えないから(爆涙
A定期でもC定期でもいいから。
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マーラー交響曲第6番「悲劇的」の『稿問題』(No.2240)

2013-03-17 20:46:15 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 久しぶり(おそらく昨年11/4の 「老田裕子 X 佐伯周子:子供の不思議な角笛1899年版全曲」以来、と思う)に「マーラー論」を書く。この1文が書けるようになったのは、ひとえに 老田裕子 と 佐伯周子 のおかげ様である、ありがとうございます。


 マーラーは、ブルックナーと違い「稿問題」はほとんど無い交響曲作曲家である。生前に完成した全10曲の交響曲(「大地の歌」を含む)中、9曲は何も問題ない。「第6番」1曲だけが「稿問題を内在」している。明日から連日聴きに行くので、整理しておこう!

マーラー交響曲第6番「悲劇的」の「稿問題」



  1. 「スケルツォ楽章」と「緩徐楽章」のどちらが、先の第2楽章に配置されるのか?


  2. 終楽章の「ハンマー」は何回か?(2 or 3)



 この2つだけである。「ブルックナー の 稿問題」と比較すれば、相当軽いのだが、「マーラー交響曲」ではこの曲だけが唯一内在している。


 私高本は「緩徐楽章 = 第2楽章」構造で、マーラー交響曲第6番「悲劇的」を最初に聴いた。正直「?」と感じた。「マーラーらしく無い」と直感的に感じたからだ。

マーラーの他の全ての4楽章以上構成の交響曲は、「スケルツォ楽章 → 緩徐楽章」だから


 マーラー生前出版の 「カーント版」も、「スケルツォ楽章 → 緩徐楽章」で出版されている! 勿論、「緩徐楽章が先」派にも根拠があるのは知っている。だが、私高本にはどうしても違和感があるのだ > 緩徐楽章が先の第6番><


 「ハンマーの音の回数」も、作曲経過を知るとどちらとも判断できかねる。私高本は「マーラー歌曲」は詳細に調べたが、「マーラー交響曲」はよくわからん><
 詳細知っている方は教えて下さいませ。
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シューベルトピアノソナタ ハ長調D613補筆完成版詳細 1(No.2194)

2013-01-17 21:56:09 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

「シューベルトのソナタ楽章」は緊密な調性関係を保持している建造物である!


 多くの「研究書」とか「学術書」と呼ばれる書物に「シューベルトのソナタ楽章は、ベートーヴェンほどの緊密な調性関係が保たれていない」と書かれているが、あれは「書いた本人がアホ」なために「過去のベートーヴェン研究者」と同じ高みまで到達出来なかったことの残滓である(爆

 シューベルトは「同時代人 = ベートーヴェン」を綿密に研究し、分析し、体得し、自作に反映させた。その分析方法が著名な「ベートーヴェン学者」とは違っただけである。主として「調性関係」と「第2主題(第3主題の存在など)」
 シューベルトは「ベートーヴェン中期までの作品」を主として、勉強して「作曲力」を信じられないスピードで、信じられない高みに持ち上げた。

「糸を紡ぐグレートヒェン」や「魔王」のような「超大人気歌曲」を作曲できる『メロディーメイカー = シューベルト』の強み


が備わっていたので、ベートーヴェン と同等以上のソナタ群が産み出された。但し、31才で若死したので、弟子もおらず、「技術の伝承」を次世代に繋ぐことが出来なかっただけである。ベートーヴェンは「弟子ツェルニー(← シューベルトの「悲しみのワルツ」をパクって変奏曲を出版した作曲家)の大活躍」により名声を確立できたのと対照的である。


シューベルトが「再現部は呈示部と変化無し」と意図したならば、「再現部第1主題=主調で入り」「2主題ならば第2主題の終結部、3主題ならば第3主題の入りは、呈示の5度下の調性」「コーダは不要か、あってもごく短いモノ」


 大原則である。イ長調ソナタD959第4楽章コーダのような大掛かりなモノを想定していたら、スケッチが残っているのだ > D959のスケッチ残っているし。


シューベルト中後期のピアノソナタでの「遠隔調楽章」は、全て「ソナタ楽章」にて表出する調性


 これを明示した書物は、私高本は読んだことが無い。単行本になっている主要英語文献は全て目を通しているし、ドイツ語文献も「単語だけ追って」目を通している(爆

 いくつかの「有名遠隔調楽章」を取り上げてみよう。全て「完璧に仕上げられたソナタ」だ(爆

  1. 変ロ長調ソナタD960第2楽章「嬰ハ短調」 → 第1楽章展開部入りの調性!(調性記号を替えている!!)


  2. ト長調ソナタD894第3楽章「ロ短調」 → 第2楽章第2主題呈示の調性!


  3. ハ長調ソナタD840第3楽章「変イ長調」 → 第1楽章コーダ入りの調性!


  4. イ短調ソナタD784第2楽章「ヘ長調」 → 第3楽章第2主題呈示の調性!



 見事なまでに「遠隔調」と思われる調性も他楽章と緊密な関係を結んでいる。中期以降ではっきり確立した手法を初期から使用していた、と考える方が普通だろう。


 ハ長調ソナタD613 も「同じような調性構造設計」と考える方が自然である。バドゥラ=スコダ補筆完成版であらわになった調性が「中間楽章」だった可能性が極めて高いのである!!!
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老田裕子 が「平成24年第67回文化庁芸術祭新人賞」受賞(No.2185)

2012-12-22 01:30:35 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

老田裕子 「平成24年第67回文化庁芸術祭新人賞」受賞


  1回目のエントリーでノミネートされ、即受賞。うれしい限りである。聴衆の皆様 と 審査員の皆様 に深く感謝するばかりである。「音楽部門関西」を見ると、「大賞 該当無し、優秀賞は邦楽」 なので

関西唯一の洋楽部門受賞 = 老田裕子


であった。 公式発表は ここ
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マーラー歌曲漬けが続く毎日(No.2170)

2012-11-26 23:20:22 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

スダーン指揮東響がマーラー「子供の不思議な角笛」を12/1に演奏!


 これは聴き逃がせない!!!

 ・・・と言うので、

翌12/2に 佐伯周子クリスマスコンサートがあるにも関わらず、「マーラー歌曲漬け」状態続行中


の私高本。演奏会プログラムは1文字も書かなかった><

老田裕子 X 佐伯周子 の11/4兵庫公演の出来があまりに素晴らしかった余波


と感じている。「マーラーファン」は、スダーン指揮東響公演を聴き逃さないように!!!(佐伯周子クリスマスコンサート売り込みの方が大切なような気がするのだが・・・)
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2012.10.28 インバル指揮都響:マーラー交響曲第3番 批評 続編(No.2158)

2012-11-01 23:52:04 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

インバル指揮都響:マーラー交響曲第3番 批評 の続きを書きたくてどうしても止まらない「内的衝動」


に突き動かされた。名演だったからである。それも「過去のインバルのマーラー」の枠を完全に取り払っていた。素晴らしかった。

 僅か3日後に「文化庁芸術祭参加公演」の栄誉を受けた公演を目前とする「主催者」として、標題のような文章を書いている場合では無い、ことは、「猫頭の脳内」では理解できていたつもりだった。だが、やっぱ、「私高本 = 猫頭」だった。我が家の飼い猫は、今日「4日分の猫エサ」を一気に注いだら上機嫌だった。帰宅した時にはどんな惨状になっているのだろうか???


 インバル指揮都響:マーラー交響曲第3番 は、それまでの 第1番「巨人」 や 第2番「復活」に比べて、

圧倒的な説得力があった!


である。


 おそらく、第1番「巨人」第2番「復活」を振って、

  1. オケメンバー(都響)同士が音を聴き、旋律線を受け渡すことができない


  2. 合唱団は編成が小さく、音圧が低い


  3. インバル自身がいらいらして、アルトソロにまで、オケをかぶせてしまった



 「旋律線の受け渡し」は、「言わなければオケが理解できない」と悟った様子。第3番では、相当に細かく指示を出していた。おそらく、リハーサルの様相も様変わりしていた、のではないだろうか?
 「合唱団の規模」の問題は根深い。二期会合唱団は、プロオペラ団の合唱団で素晴らしいのだが、『費用が大きく掛かる』。アマチュア合唱団だと、演奏水準はプロ合唱団水準は保てないのだが、「声量は人数次第で増やせる」。都響事務局も板挟みだったことだろう。 
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「楽章リート」の老田裕子の魅力(No.2157)

2012-10-31 23:50:19 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 全13曲のプログラム中、大半の方が「リート」として、数多く耳にしているのは「楽章リート」3曲だろう。かく言う私高本も同じである(爆

  1. 初めての灯り(交響曲第2番「復活」第4楽章)


  2. 三人の天使がやさしい天使の歌を歌ってた(交響曲第3番第5楽章)


  3. あの世の暮らし(交響曲第4番第4楽章)





 私高本は「耳慣れた3曲のリート楽章」よりも、他の10曲の方が「耳洗われる」かな? と想定していた。
・・・がこれは「猫頭」だった(泣

3曲の「楽章リート」の「表現力の巾広さ」は、つい先日聴いた 下野竜也+読響の第2番「復活」、インバル+都響の第3番をも超えた「巾広さ」!


だった。他の曲も、同じように素晴らしかったのだが、「耳慣れた曲」の方がはっきり「比較」ができることが大きい、と感じる。
 11/4(日)の兵庫公演を聴いて、ご自分の耳で確認して頂ければ幸いです。
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歌手とピアニストの『資質』:マーラー「子供の不思議な角笛」の場合(No.2156)

2012-10-30 23:39:49 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

歌手とピアニストの『資質』:マーラー「子供の不思議な角笛」の場合


 まず、歌手に必要な資質は、作曲家別に全く異なることを明記する。

  1. モーツァルト「魔笛」の「夜の女王」 : 3点F(ハイF)をきちんと出しながら、コロラトゥーラを正確に転がす。アンサンブル不要。演技もあまり求められない


  2. シューベルト : 「歌曲」「ミサ曲」「オペラ」全てで、「技巧的な難しさ」は少ない。歌詞を深く読み込んだ歌唱が高い水準で緻密に求められる


  3. J.シュトラウス2世「こうもり」 : 声量はそれほど求められない。演技派であると同時に「アンサンブルがうまい!」が求められる


  4. ワーグナー「楽劇」主役 : 大オーケストラがフォルティシモで「鳴る」中を突き抜ける「太い」声。アンサンブルは不要。「ワケわからん演出でも歌える」は必須事項



 「ドイツ派巨匠」から数名選んで見て時代順に並べたが、「作曲家の要求」は全く異なっていることがお判り頂けることだろう。


 では、マーラーの場合はどうなのだろうか?(歌手についてである。)オーケストラ伴奏について見てみよう。

  1. 「さすらう若人の歌」「リュッケルト歌曲集」「亡き子をしのぶ歌」「大地の歌」 : 哀愁などを抒情的に歌い上げる


  2. 「子供の不思議な角笛」(1899年版13曲と「最新の7つの歌」から2曲) : 異なった15場面を舞台にした喜歌劇調のオペラアリア


  3. 交響曲第8番「千人」 : 重唱中心の「突き抜ける声」を持つ7名のアンサンブルの第1部。基本的に「オペラアリア」の第2部



 「嘆きの歌」は習作なので抜いた。「子供の不思議な角笛」(「角笛交響曲」含む)と「千人交響曲」以外は「抒情的」な方向の音楽作り。声量はあるに越したことは無いが、「子供の不思議な角笛」「千人交響曲」ほどは不要。
 「千人交響曲」は第1部のアンサンブルの難しさがあるものの、「オペラアリア」の第2部では「第2ソプラノ」以外は、「場面転換による心の準備」はほとんど無い。

連続して次から次へと「異なる場面のオペラアリア」の連続 = 「子供の不思議な角笛」。これを「歌い切る」が歌手の「必要資質」である




 では、ピアニスト はどんな資質が必要なのだろうか? ちょっと一風変わった視点から覗きこんで見よう。

「子供の不思議な角笛」ピアノ版全曲録音(歌手が1人か2人かは問わない)で、最高のピアノを演奏しているのは、バーンスタインの「ウィーンライブ」


 一発ライブ なので、ミスタッチは多いが、この「ピアノ版世界初録音」が圧倒的にうまく、他を寄せ付けない。フィッシャー=ディースカウ と「ピアノ版」「オーケストラ版」を共演している バレンボイム でさえ、随分と差を付けられている。
 主として3点が重要に見える。

マーラー「子供の不思議な角笛」ピアノ版 の ピアニスト にとっての重要点



  1. 次々と移り続ける「オペラアリア場面」に気分転換がすぐに出来る「指揮者気質」ピアニスト


  2. 休憩までの30分以上を「楽章間の休み」程度で、オーケストラ版並みに込み入った『音符の数が多い曲』を弾き切る「大曲弾き」ピアニスト(シューベルト後期ピアノソナタ とか ブラームスピアノソナタ が弾ける技巧が必要)


  3. 「教会に人が来ないから魚へお説教」と言うハチャメチャな場面設定を「面白おかしく」弾けるピアニスト



 ここで秘話を1つ。

バーンスタインは自作オペレッタ「キャンディード」第21曲で、「奴隷船でいやいや漕がされている奴隷の情景」にマーラー「子供の不思議な角笛」の「歩哨の夜の歌」の伴奏音型をそっくりそのまま引用した!


 それほど、マーラー「子供の不思議な角笛」を心の底から愛していたのである。


 佐伯周子は、私高本について、「高き知性の持ち主だからねえ、イヤー」と(2オクターブ+半音では無く)1オクターブ+半音 の音程(歌手訓練受けてないからしゃーないわな!)で、茶化す(爆
 その程度の「猫頭ヒョーロンカ」だから、茶化されて当たり前じゃん(泣
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マーラーの「フモレスケ」(ユーモアなもの)の魅力(No.2155)

2012-10-29 23:17:43 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 本日号は、

  1. 2012.09.01 下野竜也+読響:マーラー交響曲第2番「復活」


  2. 2012.10.18 老田裕子X佐伯周子:マーラー「子供の不思議な角笛」1899年版


  3. 2012.10.28 インバル+都響:マーラー交響曲第3番



の3公演を聴いて、徐々に感じていたことが「はっきりと明示された」から書ける文章である。演奏家の皆様には深く深く感謝する次第である。


 音楽史上で「フモレスケ」と名付けた曲を初めに作曲したのは、おそらく シューマン。作品20である。「クスッ」とさせられる面白さを感じる曲。
 マーラーは「子供の不思議な角笛」1899年版の次に作曲した「起床合図」"Revelge" にも「フモレスケ」と呼んでいるので、「フモレスケ」と言う語を広く「子供の不思議な角笛」に用いていたようである。

『マーラーのフモレスケ』は何を意味するか?



  1. 下野竜也 が「面白おかしく」交響曲第2番「復活」第3楽章「パドヴァのアントニウス 魚へお説教」を軽やかに振った時、空気が軽くなったように感じた。


  2. 老田裕子 が「誰がこの小唄を思いついたの?」をコロコロと転がすように、コロラトゥーラで歌い始めると、あたかも「モーツァルトのダ・ポンテ オペラブッファ3部作」が今から上演されるか? のように感じた


  3. インバルが、交響曲第3番第1楽章第3主題呈示でそれまでの重々しい雰囲気が一変し「腰を振って、田舎の人たちが行進」が目前に広がるかのように感じた



 これまでに何回も聴いて来た「マーラー交響曲」だが、下野竜也の第2番&インバルの第3番 は「彫りの深さ」がこれまでの全ての演奏よりも『濃い』。何が『濃い』と感じさせたのか?

ずばり「面白おかしさ」方向の表現力が徹底的に「面白い」方向にベクトルが最大化されている!


である。
 交響曲第2番も第3番も、終楽章は「荘厳に」演奏しようとどの指揮者もがする。(成功するかどうかは別として)だが、その成否は、直前までの楽章の「演奏設計」に掛かっているのだ!!!

 マーラーは「フモレスケ」を言葉通りに「ユーモアのあるモノ」として捉えた。「アントニウスさま お説教には来たが教会はからっぽだ!そこで彼は川へと出かけ魚どもにお説教!」とか「宿屋の娘が可愛い」とか「カッコウが死んで落っこちちゃった」とか、歌詞を見ると「アチョーーーー」ってな歌詞ばかり!
 これが「交響曲」に入り込んでいるのが「角笛交響曲」の特徴。マーラーの純器楽交響曲は、それなりにうまい指揮者でも「角笛交響曲」は「あれっ?」と思える人もいる。特に「第3番」は「第2番」「第4番」以上に厄介だ。初めの3つの楽章が「狂気の田舎臭い雰囲気ぷんぷん」だからだろう。大好きな テンシュテット もこの曲だけは「真面目に過ぎたかな?」と思える録音を残している。「昨日のインバル」くらい「狂った田舎臭い雰囲気」が必要な曲なのだろう。都響は録音体制だった上に「録画」もしていたので、全席完売で聴き逃した方は「録画売ってくれ!」と都響事務局に願い出るのが良いと思う。客商売だから、「販売」方向で検討してくれることだろう。


 下野竜也 と 老田裕子 と インバル のことばかり書いたように思う。

読響 と 佐伯周子 と 都響 の「演奏精度」の素晴らしさ は特筆モノだったから、名演が実現した!


ことをここに明記する。ソプラノソロ & アルトソロ & 合唱団 も含めてである。尚、インバル指揮都響は、第1番、第2番、「嘆きの歌」では、旋律線の受け渡しが緻密でなく、「マーラーの意図」を100%は実現できていなかった。徐々に「息が合って来た!」と言うことなのだろう。


『マーラーのフモレスケ』は「面白おかしさ」方向に感情起伏が大きく、『シューマンのフモレスケ』の感情起伏を大巾に逸脱しており、「クラシック音楽」中最大値に近い


だろう。

この感情起伏に迫った作曲家は「マーラー以前」には無く、「マーラー以降」では ストラヴィンスキー & ショスタコーヴィチ だけ


だろう。「面白おかしさ」方向では無く、「原始鼓動」とか「悲劇に対する虚無感」が起点となっているが「感情起伏巾」で言えば、巾広さはこの3名の作曲家が最大では無かろうか?


 ・・・ってな「角笛交響曲」の元ネタになった マーラー「子供の不思議な角笛」1899年版 を演奏する 老田裕子 X 佐伯周子 の感情起伏は極めて激しい。立役者は勿論「ソプラノ = 老田裕子」。『13曲のマーラー作曲オペラアリア』を歌い尽くす、だからなあ。これだけ歌えるソプラノは、日本だけでなく、世界でも数少ないと感じる。

マーラー「子供の不思議な角笛」1899年版は「女声のための曲集」だが、過去「CD録音した女声歌手皆無」に世界初挑戦 = 老田裕子


と思われる。だが、佐伯周子 も、「前奏」で煽ったり、なかなかのモノ。「あの世の暮らし(天上の生活)」の長い前奏などは耳を澄まして聴いて欲しい。
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「自作の詩」を超える詩を求めて「子供の不思議な角笛」に辿り着いたマーラー 後編(No.2153)

2012-10-27 22:39:28 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
マーラーは、「子供の不思議な角笛」1899年版を出版した時には

シューベルトも越した。ワーグナーも越した。オレが「世界一の作曲家だ!」


 これが、「偽らざるマーラーの感想」だったろう。

  1. 「オーケストラ伴奏歌曲」にてシューベルト超え


  2. 「アリア」としてワーグナー超え


  3. 「交響曲作曲家」として、シューベルト、ワーグナー さらに ベートーヴェン超え



である。この3点の視点から判断すると、確かに「超えた」と考えて良い点ばかり。特に交響曲では、「未完成」「グレート」の2作品しか有名曲が無いシューベルト、交響曲は1曲も完成しなかったワーグナー、「第9」のピッコロやコントラファゴット以上に自由自在な楽器を使った「復活」、どれをとっても一理ある!


 前編に記載した通り、「さすらう若人の歌」は「マーラー作詞」である。交響曲第1番「巨人」が「さすらう若人の歌」から産まれたのは、誰の耳にも明らか。しかも、交響曲第1番「巨人」は名曲である。だが、交響曲第2番「復活」と交響曲第3番と比較すると、「小じんまりしている」ことは誰の耳にも明らかである。先輩作曲家と比較すると、ベートーヴェン「第9」、ブルックナーの第2番以降 よりも時間的規模が小さいことも指摘できるだろう。


『交響曲作曲家』としては、ベートーヴェン、シューベルト、ワーグナー を越した可能性があるが、『歌曲作曲家』としては、シューベルトを越したのか?


 ここは、聴き手により意見の別れるところだろう。

私高本は『オーケストラ伴奏歌曲』と言う新しい分野を開拓したマーラーの功績は、極めて大きく「シューベルトに比肩」


と感じている。マーラー以降、「オーケストラ伴奏歌曲」は次々と作曲されたし。


 「作詞家」としても、「ワーグナー並み か それ以上」と思っていたマーラー。だが、「湧き上がる詩」は『規模が小さい』が難点だった。ワーグナーの「誇大妄想」どころか、シューベルトの2大連作歌曲の作詞家 = ミュラー よりも(内容は密であっても)「規模が小さい」のだった(爆涙


マーラーは「9曲の作曲練習 = 若き日の歌(第2集&第3集)」の準備をした上で、「不思議な子供の角笛」1899年版全13曲を作曲&出版した


 
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「自作の詩」を超える詩を求めて「子供の不思議な角笛」に辿り着いたマーラー 中編(No.2151)

2012-10-21 23:47:04 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 マーラーが「子供の不思議な角笛」を見付けた年代については様々な説が飛び交っている。だが、「さすらう若人の歌」第1曲「ぼくの好きだった人が結婚式をあげるとき Wenn mein Schatz Hochzeit macht」が、「子供の不思議な角笛」の「Wann mein Schatz(ぼくの好きだったひとが)」を下敷きにしていたことは、ほぼ間違いが無い事実。これに「頰被」している「音楽学者」「音楽評論家」はいるが、「反論した」ヤツは皆無である。詳細 は、藤井宏行 のホームページにリンクを貼っておいたので、ご覧頂きたい。もし、「さすらう若人の歌」以前だとすれば、1884年以前である!


1887年以前のマーラーは「自作の詩」に極めて高い自信があり、「ワーグナーも超える!」と信じ込んでいた可能性大


をここに記す。「嘆きの歌」は自信作だったが、徐々に自信が剥げて行き、結局、「短縮縮小版」での出版となった。今月の「インバル + 都響」の演奏を聴いても、「マーラー自身が成熟していない感」がありあり。規模の違いもあり「ハンスとグレーテ」よりも人気は出ないだろう、と感じる。
 マーラーが、「ハンスとグレーテ」「嘆きの歌」「さすらう若人の歌」の3作で通していたモノは次のようだった可能性が極めて高い。

  1. ワーグナーの「レシタティーヴォ」は無用! 長過ぎる!!


  2. 「楽劇」形式よりも「交響詩」または「交響曲」または「カンタータ」の方が普遍的



 これが「音楽史的に実証」されれば、満足だったのだろうが、実際には(後に交響曲第1番「巨人」となる)交響詩「巨人」は「流浪の民」となり、(後に交響曲第2番「復活」第1楽章となる)「葬礼」も続く楽章が滞っていた。こんな状態が(「葬礼」が完成した1888年から数えれば)4年も続いていた。しかも、交響詩「巨人」の演奏は決して高い評価が(それまでには)得られていなかった。第1楽章冒頭からバンダで、吹かせたりしたのが「当時のルール違反」だからなあ(爆
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「自作の詩」を超える詩を求めて「子供の不思議な角笛」に辿り着いたマーラー 前編(No.2149)

2012-10-19 21:01:39 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 昨日の「老田裕子 X 佐伯周子:マーラー子供の不思議な角笛1899年版」にご来場頂きありがとうございました。アンコールは

  1. 夏に交代 Ablösung im Sommer
  2. 別れて会えない Scheiden und Meiden

でした。どちらも「若き日の歌 第3集」で詩は「子供の不思議な角笛」です。


 本日号は「演奏会批評」では無い。「作品批評」です。


マーラーは『自作の詩に作曲した名曲』がある作曲家だった


  マーラーは「詩作」の達人であり、シューベルト、シューマン、ブラームス と連綿と続く「ドイツリート作曲家大家」としては異例なことに、『自作の詩に作曲した名曲』が存在する。シューベルトも「自作の詩」に作曲しているがあくまで「シューベルティアーデのための作曲」だったようで、出版を働きかけた様子は皆無。マーラーの「執念深い作曲活動」とは雲泥の差(涙


初期マーラー で「生前出版された自作の詩に作曲した曲」全貌



  1. 歌曲「ハンスとグレーテ」


  2. カンタータ「嘆きの歌」


  3. 歌曲「さすらう若人の歌」(ピアノ伴奏版 + オーケストラ伴奏版)



 マーラーは「納得いかない作品」は廃棄したタイプの作曲家。シベリウス や ヤナーチェク ほどは徹底していないので、いろいろと死後に見付かったが。

 上記3曲集を見て、「さすらう若人の歌」は傑作、と誰もが感じるだろう。フィッシャー=ディースカウ の若き日の名演 以来、「高い評価」は続いている。

「さすらう若人の歌」と「ハンスとグレーテ」から、交響曲第1番「巨人」が産まれた! ことは超有名


 つまり、

マーラー交響曲第1番「巨人」は、『マーラー自作の詩に付曲した歌曲』が源泉の交響曲


なのだ。交響曲第1番「巨人」は名曲であり、「さすらう若人の歌」も名曲。マーラーは「自作の詩」に基づく曲だけでも、充分に作曲できた作曲家だったのだ。だが、「壁」に当ってしまう(涙
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『13曲の女声アリア集』でもある「子供の不思議な角笛」1899年版(No.2148)

2012-10-17 23:59:23 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

『13曲の女声アリア集』でもある「子供の不思議な角笛」1899年版



 本日、都内で明日公演「老田裕子 X 佐伯周子:マーラー:子供の不思議な角笛1899年版」の ゲネラル・プローベ(ゲネプロ、GP と表現されることが多い)を実行した。
 「ベーゼンドルファーインペリアル」を用いての「合わせ」は2回目。1回目は昨年末だった(ような朧気な記憶があるが、本年初かも知れない。猫頭なので「記憶容量不足」なので追求は一切受け付けない>< )気がするので、超久しぶり!


 10日よりも近い日時に「老田裕子 X 佐伯周子」の「合わせ」は聴いている。正確な日時を記載すれば「2012.10.08」だった。ピアノも良かった。老田裕子も良かった。佐伯周子も良かった。そんな環境での合わせの時と比較して「ぶっ飛んでいた」には唖然。本番前の演奏家の気分の高まりなのか? と思うが、聴いた通りに書く。これしか猫頭の私高本は出来ないからなあ(爆


マーラーは「オペラ」は作曲しなかった。だが「オペラアリア相当」は15曲作曲した。10曲がソプラノアリア、3曲がアルトアリア、2曲がテノールアリアで全部が全部「子供の不思議な角笛」


 う~ん、このゲネプロ聴かなかったら、一生分からなかった! ことは間違いない。思わず、老田裕子 に「ふと、こぼしてしまった」し。

マーラー「子供の不思議な角笛」は、「オペラアリア」であると同時に「ドイツリート」である摩訶不思議な曲集


 これ「1899年版」だけでなく、その後に作曲された2曲の「テノール用アリア」も含めて、である。(何だか、「老田裕子 X 佐伯周子 の演奏会前日のブログ」としては、方向が狂っているような気もする。「私高本 = ドン・キホーテ」だからしゃーないか(爆 )


ゲネプロでの「老田裕子 X佐伯周子」は鬼気迫る「圧倒的な気迫」が1曲目から醸しだされた!


 う~ん、「ピアノがベーゼンドルファーインペリアル」になったからか? それだけでは無い、と感じた。

1曲1曲の「老田裕子の表現の巾が過去の録音には全く無い世界に突入しており、佐伯周子のピアノが全てをフォロー」!


だった。う~ん、凄い前まで、話を戻したい。

マーラー「子供の不思議な角笛」1899年版は「女声のための曲集」だから是非是非歌って下さい!


と老田裕子に頼んだのは、一昨年の12月。だが、「猫頭 = 私高本」の脳裏にはこれほどの鮮やかな音楽は流れていなかった > つい 9日前まで(泣


私高本は「子供の不思議な角笛」1899年版は、「ドイツリートの範疇の大曲」の認識


だった。「2オクターブと半音の跳躍の超絶技巧」とかは、事前に脳内にブチ込んでの提案である。だが、あくまで「ドイツリート」の範囲の曲だと(つい9日前までは)感じていた。その日に合わせたピアノは「フルコンサートグランドピアノ」では無かった、のが原因の1つだと思うが、「毎回、フルコンサートグランドピアノ」を借り上げて(いや、購入していれば「借りる」必要無いんだっけ、、、)「合わせ」する演奏家は、極めて少ないような気がする。「ブレンデル自宅=2台のフルコンサートグランドピアノが自慢」「グルダ=博物館入りのスタインウェイはA型?」クラスっぽい。「グールドは録音スタジオは開放し放題だったが、死ぬまで1回も自宅ピアノは公開せず(現在までの情報)」って感じ。特に私高本の頭が悪い、とは思えない、のも、既に糖尿病が脳まで廻ったか(瀑涙


老田が歌う1曲目 = 「誰がこの小唄を思いついたの?」から、ターボエンジン全開の歌唱!


だった。マジかよ・・・

 最後の第13曲目、と言うよりも「アンコール2曲目」まで、『ターボエンジン全開』だった。老田裕子 も 佐伯周子 も。「マネジャーは止められない」って感じ。こんな「ハイテンションのゲネプロ」やって、明日本番のテンション大丈夫???

 って感じだった。


 これほど素晴らしい公演(の予感をさせるゲネプロ)を聴かせてもらえて、私高本は感謝するばかり。兵庫公演は正面席が売り切れる人気が出ているのだが、

明日の「老田裕子X佐伯周子」東京公演は当日券余裕じゃぶじゃぶあり


 う~ん、私高本の営業が悪いんだよね(爆涙

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「子供の不思議な角笛」1899年版は明るくて「笑いが絶えない」が基調(No.2147)

2012-10-16 21:55:29 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
本日号も「プログラムノートに書き切れなかった」文章である。

「子供の不思議な角笛」1899年版は明るくて「笑いが絶えない」が基調


 長調の曲が9曲、短調の曲が4曲である。短調の曲でも「パドヴァのアントニウス、魚へお説教」は楽しく笑える曲である。「塔に囚われて迫害を受けし者の歌」も、「爆笑系」では無いが「にやっ」とさせられる詞であり、曲である。

  1. 飢えたママ死に行く「この世の暮らし」


  2. 「しっとり 系」の「美しきトランペットの鳴り響くところ」


  3. (長調だが)厳粛な雰囲気で通される「はじめての灯り」



 この3曲だけが「笑い」とは別の世界。他の10曲は「爆笑 or にやっ」の違いはあれども、「笑いが絶えない」曲想である。(「この世の暮らし」を聴いて「にやっ」とする人もいるだろうが)


これほど「笑いが取れる大歌曲集」は、時代を遡っても下っても皆無!


  ヴォルフ は1曲づつが短く、また「笑える曲」はあるのだが、「曲集の中の量」は少ない。他の「ドイツリート作曲家」は誰1人として「笑い」を中心に据えた人はいない。フランス作曲家は、シャブリエ、サティ、ラヴェル と「面白おかしさ 系」作曲家がいるのだが、誰1人として、シューベルト「美しき水車屋の娘」「冬の旅」と時間的に比肩するような「大歌曲集」は作曲しなかった。


 ・・・とここまで書いて、他の文章との接合性が悪かったので、掲載を諦めた(泣

老田裕子 X 佐伯周子 ほど「面白おかしく」マーラーの世界を直裁的に聴かせてくれる演奏家は「犬のサンダル集め」でCD&DVD漁りした私高本は見付けられなかった。


 この文章は是非是非「演奏会プログラム」に掲載したかったのだが、私高本 = 猫頭 なために、うまくまとめられなかった。他の記事だけで「文量が充分(十二分?)」になってしまい、「削除に継ぐ削除」になってしまったことも原因。インターネットで文章を書き慣れていると「長くなる傾向」強いんだよね。特に私高本(爆涙
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マーラー「子供の不思議な角笛」曲目解説に書き残した『フモレスケ』1892年版を巡って(No.2146)

2012-10-15 21:34:48 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 10/18 & 11/4 のプログラム原稿が本日午後全て完了した。字数の関係で書き残した標題について、ここに書く。


ウニヴェルザール新マーラー全集「子供の不思議な角笛」は、1892年版「フモレスケ」を極めて重視している!


 これは、ご覧になった方は同意頂けるだろう。

1892年作曲(&出版予定だった)10の新しい歌 『フモレスケ』(実体は5曲のピアノ伴奏版 + 5曲のオケ伴奏版!)


 いろいろと調べて見ると

「さすらう若人の歌」オーケストラ伴奏版 よりも、先に作曲された可能性が極めて大きい。つまりマーラー初の「オーケストラ伴奏版歌曲」=「フモレスケ」


のようなのだ。「さすらう若人の歌」は、「ピアノ伴奏版」「オーケストラ伴奏版」の乖離が指摘されている曲集。作曲年代が大きく離れているのが原因だろう。
 「子供の不思議な角笛」は「ピアノ伴奏版」と「オーケストラ伴奏版」が全く乖離が無い。1曲「オーケストラ伴奏版」が無い曲はあるが(「三人の天使が天使の歌を歌ってた」)、両方書いた曲12曲は「1ヶ月以内に両方作曲」である。
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