「優勝者コンサート」とは思えない『ラヴェルの饗宴』となった 法貴彩子 + 飯森範親 + 大阪フィル!
今は亡き「日本国際音楽コンクール」存命中は全回行った「優勝者コンサート」。随分時を隔ててつい先日も「東京音楽コンクール優勝者コンサート」を聴いた。この手の演奏会は「優勝者の技巧(と建前として「音楽性」)」を聴く演奏会なので、「優勝者の技巧」が十全に聴ければそれだけで聴衆は大満足である。(もちろん、私高本も大満足である。)
本日の「優勝者コンサート」も前半は全く同じであった。カウンター・テノール(!)の 村松稔之 の技巧は極めて高く、1曲目のグルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」より「エウリディーチェを失って」から「ブラヴォー」が掛けられる技巧の冴えを聴かせてくれた。最終=4曲目の テレマンのオペラ「ロンゴバーデン王、フラディウス・ベルタリドゥス」より「勇者のトランペットの鳴り響き」が終わると数箇所からブラヴォーが降り注いだ。声楽家としてはまだ本当に若い「東京藝術大学大学院1年在籍」でこれだけの完成度を持った声楽家は(皆無では無いが)極めて少ない。「ABC新人コンサート」出演者名簿が今回のプログラムの2頁に掲載されていたので読んだが、凄い!
第12回(2002年)新人コンサート : 老田裕子(S)
第16回(2006年)新人コンサート : 八木寿子(Ms)
今をときめく女声陣が「新人コンサート → フレッシュ・コンサート」のステップを上がることは出来なかった。聴いていないからわからないが、おそらく「声が成熟する前だった」が原因だろう。(女声の年齢についてはこれ以上は書かない。知りたい人は各自検索して下さい。)
村松稔之 は大学院1年。推定24才(か23才)。う~ん、声楽家としては極めて若い。カラスとかフィッシャー=ディースカウくらいしか、この年では声が練り上げられた人は思い出せない。(猫頭なので、この件についてはコメントに書いても掲載しません><)
カウンター・テノールの魅力=スーブレット・ソプラノと同じ「細身の女声」で「アルト」が聴ける
である。村松稔之 ももちろんこの通り。選択した4曲も「カウンター・テノール向き」の曲ばかり。
・・・で、同じ傾向の曲ばかりであったことも(小さな声で)ここに告白する。グルック「オルフェオとエウリディーチェ」とロッシーニ「タンクレディ」は過去聴いたことがある曲だったが、ヘンデル「ジュリアス・シーザー」とテレマンは初めて聴いた(と思う)。印象批評だが「技巧の冴えが聴けた!」が全て。普通の「コンクール優勝者コンサート」と同じ方向であり、この方向で極めて素晴らしい演奏だった。
・・・んだが、20分の長い休憩を挟んで開始された「後半」が『異常にテンションが高まった演奏の連続』になったのだ。「トランス状態」でぶっ通した、が最もわかり易い説明のような気がする。
言葉を替えて言う。
「飯森範親指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第×××回定期演奏会。全ラヴェルプログラム。前半:ピアノ協奏曲(両手)ソリスト=法貴彩子、後半:バレエ曲「ダフニスとクロエ」、アンコール「クープランの墓」より「リゴードン」
に憑依した演奏会であった。「時間の都合により、バレエ曲は第3幕のみになりました」って感じ。前半の「バロック音楽もいいでしょ!」路線は完全にぶっ飛んで、「ラヴェル! ラヴェル!! ラヴェル!!!」だった。
ピアノ協奏曲ト長調第1楽章冒頭から『集中力が研ぎ澄まされた』演奏だった。この冒頭箇所は「極めて風変わり」が特徴。「小学生の運動会の徒競走」のように、裏拍から「拍子木」を筆頭に、オーケストラとピアノが「ヨーイドン」で一斉スタートする中を、「ピッコロ協奏曲」かのようにピッコロが「お祭り音頭」を奏でる。大抵、ここではピアニストは次からの目立つフレーズ(直後にある!)への「準備」としておまり目立たないように弾く。オーケストラもピッコロを除くと、「縦割りにはならない」かつ「ピアニストとずれない」なることが多い。飯森範親の構想は全く違った。
ピアノ協奏曲冒頭は「オーケストラとピアノ」が一体となって「全曲のリズム感」を形作る!
だった。この箇所は1拍目にオーケストラの低音楽器がリズムを刻むワケでは無いので、「リズミックに演奏」するのは、至難の技。
法貴彩子 のピアノがピタリと飯森範親のリズミカルな棒につき伴奏音型に「息遣い」を添えていたのが印象的に開始された
のである。すぐに、練習番号1番。ラヴェルの「決め技」の1つである グリッサンド がおかわりで繰り返されながら音域を広げる。
法貴彩子 の音色は、何と「キラキラ」と輝いていることだろう!
グリッサンドの終わりと同時にトランペットの第1主題の確保になるが、何と「お祭りの雰囲気」がそのまま伝わって来ることか。以下、いろいろな楽器に受け渡されて行くが
主旋律楽器も伴奏音型も「軽やかなリズム感を保持」し続けた 大阪フィルハーモニー交響楽団 の技巧の冴え!
には舌を巻く。
ラヴェルの音楽では「オーケストレーション技巧」は強調され、多くの場合「楽器固有の最も美しい音色」は楽器の発声法により異なるため、多くの指揮者は微妙に管楽器(特に低音楽器)を遅めに取る。その方が管楽器奏者も演奏し易いので大歓迎だ!
飯森範親 は違う。
「ラヴェルの求めるテンポ」で一貫する。「楽器のベスト音色」よりも「楽曲の構造」にはっきり力点を置いた指揮!
だった。ソロピアニストを「練習番号1」前にここまで「オケと一体」を要求する指揮者はこれまで記憶に無いし、ピアニスト=法貴彩子 も技巧に自信があるのだろう、飯森範親のテンポ通りに進めて、グリッサンドから「音色の美しさ」を(終曲まで)充分に堪能させてくれた。
法貴彩子の「音色の魅力」は、「煌き輝く高音」と「どこまでも透けて見えるかのような透明度の高さ」と「緊張感あふれるピアニッシモ」
だ。これだけでも滅多に聴けない魅力的なピアノなのだが、これだけではない。これだけでなく
リズム感が躍動している!
「ラヴェルの作曲した通り」に再現する!
は書き落としてはならない。「疾走するフレーズ」は疾走し、「気怠いフレーズ」は気怠く弾く。アーティキュレーション と 細かなアクセント まで、ステンドグラスの細密画のように細やかに積み上げる。
「飯森範親のリズム感」と「法貴彩子のリズム感」がピタリと一致して『ラヴェル方向』を向いていた
ことは鮮やか!
第2楽章 冒頭の長いピアノソロを聴くと、「法貴彩子のラヴェルソロ」も聴きたくなる。あぁ、「ラ・ヴァルス」で優勝したんだったよね > 是非是非聴いて見たいモノである。
第2楽章後半の「ピアノ と 管楽器 の会話」の何と楽しそうなことか! 「モーツァルト ピアノ協奏曲の精神(エスプリ)で作曲した」ラヴェルの息吹が伝わって来る。
第3楽章の「疾走するアレグロ」の心地よいこと、この上ない!
飯森範親は、「ダフニスとクロエ」第2組曲は「ピアノ協奏曲ト長調の世界をデュナーミクを拡大した世界」として描き成功した
独奏ピアノがいなくなった代わりに、基本4管編成(オーボエだけ3本)と打楽器とハープを増強し、管楽器にバランスを揃えて弦楽器を14型にした。
「夜明け」で太陽が登り切った瞬間や、全3幕の終結での圧倒的な フォルティシモ は陶然とする美しさに包まれ、嫌味な音は全く出ない 大阪フィル!
しかし、途中の表情は「お茶目」だったり、「はぐらかし」もあったり、ラヴェルの手練手管に聴衆は惹き込まれてしまう。管楽器首席のうまさは、在京オケでも相当に上位に来る感触。特に1番フルート のおどけた表情は、在京オケ では聴けないほど表情が豊かだった!
アンコールはラヴェル「クープランの墓」より「リゴードン」。この日のテーマであった「リズミカルなラヴェル」を締めくくるにふさわしい選曲であり、演奏であった。「ラヴェルを堪能できた演奏会」である。
「飯森範親のダフニスとクロエ」は是非是非全曲で聴いて見たい。
「優勝者コンサート」として、2人にひとこと。
村松稔之 は、カウンター・テノールとして「王道レパートリー」で臨んだ演奏会だったが、作曲家を4名並べたにも関わらず、あまり大きな変化が感じられなかった。4曲全てが「オペラアリア」だったが、カウンター・テノールは「レパートリー選択」が難しい。芸術監督 や 演出家 が「オルフェオとエウリディーチェ」以外だと、積極的に起用しようとはしないだろう。視覚的な問題が発生するからだ。R.シュトラウス「バラの騎士」オクタヴィアンは視覚的には最適だが、声量がカウンター・テノール向きでは無い。要求する声量があまりにも太いからだ! 演奏会を聴いて、村松稔之 に1つのオペラの主役を提案したい。
村松稔之 は シャブリエ「エトワール」の主役=ラズリ を演じることを提案する。
東京芸術大学大学院在籍中とのこと、東京オペラプロデュース が「日本舞台初演」をした演目。過去ガーディナー指揮で「蘇演」されてからは、主なプロダクションは全て女声(メゾソプラノだったりソプラノだったり)が歌って来ていると記憶しているが、村松稔之 の声質にぴったりの可能性が高い。
「法貴彩子のラヴェル」は素晴らしい!
「ABC音楽振興会審査員メンバー」が『ラヴェル両手を法貴彩子で聴きたい!』が結実した演奏会!
だったが、審査員の慧眼には目を見張るばかりである。これほど、相性良い曲で「優勝者コンサート」を披露できるソリストは、滅多にいない。法貴彩子 は「強運の星の下に産まれたピアニスト」と強く感じた次第である。