Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

やっと体調が復活した(No.1936)

2011-09-29 22:14:27 | その他
季節の変わり目はつらい。「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、きつかった。まあ、これまでの生活が悪くて糖尿病が悪化しいたのが根本原因だろうが(泣

1本演奏会を聴き落としたが、仕方無い。体調悪いのに、無理に行くと「無理が祟る」可能性極めて大。親類がいろいろと合併症で苦しんでいるし(泣

10/1(土)の「上野優子とN響の仲間たち」からの日程は予定通り全部聴きに行ける予定。その前に「佐伯周子のマーラー」が来年に予定されたことを報告するべきか? 佐伯のピアノも素晴らしかったし、歌手の方も素晴らしかった。今「フィッシャー=ディースカウ + ファスベンダー + ツェンダー」のCD聞きながら書いているのだが、どの1曲とってもこれより良かった、ってマジかよ?wwwww

「明日死んでも医者は納得して死亡診断書を書く=私高本」だが、なんとしてもこの演奏会だけは聴かなければ「今まで生きていた価値皆無」だと感じた。明日以降も「猫餌以下の可能性も高い食事」を続けて、演奏会当日を万全の体調で聴く予定。
う~ん、「アホ父」がまた「軽度の脳梗塞」を糖尿病起因で起こした。この父あって、この子あり。全身不随とか半身不随とかで、佐伯に迷惑かけることだけは(練習時間が極めて減るので)したくない。「ピンピンコロリ」になることを祈って、毎日「猫餌程度の飯」食いながら、音楽だけを楽しみに生きてる。これまでの「食い意地の汚さ」を反省するばかりである(涙
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堺シティオペラ第26回定期公演『妖精ヴィッリ』『ジャンニ・スキッキ』批評(No.1935)

2011-09-15 21:21:08 | 批評
 土日のオペラ批評が木曜までずれ込んだのは、ひとえに私高本の責任である。関係者各位並びに読者の皆様に深くお詫び申し上げます。


プッチーニの「スコア通り」を徹底して蘇らせた 粟國淳演出&ゲオルギ・バブアゼ指揮「妖精ヴィッリ」+「ジャンニ・スキッキ」


  「ジャンニ・スキッキ」は私高本が大好きなオペラなので、これまでも機会ある毎に聴いて来た。「遺産争い」と言う古今東西を問わぬテーマを用いて、人間の本質を笑いで吹っ飛ばした名作。
 ・・・で、大きな期待で堺まで足を運んだのだが

期待よりも遥かに素晴らしい出来。演出がここまで掘り下げられた「ジャンニ・スキッキ」は初めて観た!


である。
 プログラムノートのP26に「ジャンニ・スキッキの衣裳プランスケッチ(衣裳デザイン:増田恵美)」が白黒印刷で掲載されている。粟國の(2つの演目の内)最も演出上で大切だ、と思っていることがわかる。このスケッチ通りの人物像が目の前に色彩鮮やかに浮かび上がって冒頭から飛び廻る。
 過去多く見て来た演出では、

  1. 遺産争いの遺族8名がごちゃごちゃと言い争っているだけ なのに
  2. 1人1人の性格が「衣裳で70%,動きで30%」で『個性がはっきり打ち出されている』こと!

 基本的にはみんな「1円(1リラ?)でも多く自分の懐に遺産を手に入れたい」欲望丸出しなのだが、
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堺シティオペラ第26回定期公演『妖精ヴィッリ』『ジャンニ・スキッキ』初日批評(No.1934)

2011-09-10 22:12:54 | 批評

プッチーニの『完成した』最初と最後のオペラ


のテーマで貫かれた公演。昨年は「老田裕子のヴィオレッタ」を聴きたい一心(← このような純情なところが、私高本の1面です、ハイ!)で聴きに伺い、(日常の私高本の不摂生が原因で)帰りの南海電鉄乗車時にははっきりと「糖尿性両眼複視」が出ていた。治るまで時間を要し、あれほどの名演を「批評」で書けなかった私高本。「ヒョーロンカの価値無かった」やん(泣

 生き伸びただけで良し、とする人以外からは「轟々の非難」が飛んで当たり前。非難はきちんと受け止めます > 老田裕子のヴィオレッタ批評落としたからね(泣
--------
 さて、今回は体調は万全(らしい)。堺市民会館大ホールに入って唖然!

オケ配置が全然違うじゃん! しかも2回とも良い!! 何で「30年誌」に『ホールに問題あり』と書かれているの?


が実感である。う~ん、何か不味いこと書いたか > 私高本

 私高本の耳が「老化で壊れていない」を前提にすると、「堺市民会館ホール」は、決して「音の悪いホール」では無い。う~ん、新国立劇場大ホールや中劇場が推薦されているな(爆

猫頭の私が2年聴く限りでは、音響上では「何も問題無いホール」であり、東京文化会館 や 新国立劇場中劇場(フツーの設定) 並み!


---------
 ・・・で、細かいことはよくわからん。良かったこと(= 昨年の「椿姫」と同傾向な方向)についてだけ語る。

  1. 主役陣が、あまりにもアンサンブルが良い!


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ザウアー&ライデスドルフ社のシューベルトに対する『4つの大罪』(No.1933)

2011-09-09 21:45:48 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 1823.04.10に開始された「作曲家シューベルトのザウアー&ライデスドルフ社専属契約」は、1825.01.08に完全に破綻した。この日に カッピ社(以前のディアベリ&カッピ社の共同経営者の片割れの会社)から、『16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ』作品33D783 が出版されたからである。外から見ても2年持たなかったが、見切りを付けたのは 1824.09辺り のようだ。

シューベルトが見切りを付けた正当な理由が4つある


 「4つの大罪」と言って良いだろう。ここに私高本が世界初に列記する。

  1. 「作曲料」を「約束」または「示唆」した額を支払わなかった


      これが、ディアベリ&カッピ社よりも、さらに悪かったことが歴史的証拠が残っている。言い訳 として「売れないからです!」の泣き言あり。だが売れなかった理由は「ザウアー&ライデスドルフ社の目利きの悪さ」が原因だと思われる。次以降の項目を熟読して頂きたい。これで「売れない」は全て出版社の責任である(怒

  2. 「美しき水車屋の娘」作品25D795 の第10番以降の出版が大幅に遅れ、「作品全貌」が見えなくなってしまっていた


      楽譜原稿は 1823.11 には、出版社側に手渡されていた様子。全20曲一括。全部が全部出版用自筆譜紛失! 昨日号にも掲載したように、「美しき水車屋の娘」は(根性があまりよからぬ)「水車屋主人の娘」が第10番の最後の最後で「帰るわ、さよなら」と言い放ったのが原因で最後の最後は「主人公が小川へ入水自殺」してしまう。第9番までしか聴かない(というか、楽譜を読めない、が正しい?)とハッピーエンドで終わる物語に見えてしまい、シューベルトともミュラーとも意図が異なってしまう。こんなバカが出版社の社長を務めていたのだ(泣

  3. 弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」を出版拒絶した


      シューベルトは「ベートーヴェンを越える大作曲家」になりたがっていた。「シューベルトの目」では、主要作品は「交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノソナタ(ソロ)」だった。おそらく、後世の作曲家、評論家、聴衆の目でも同じだろう。(私高本も、やっと51才になって、ベートーヴェン弦楽四重奏曲が名曲だ、が理解できた)
     シューベルト側から「3曲の弦楽四重奏曲出版の打診」があり、出版社は快諾し、予告を新聞に告知した。シューベルトは1824.02-03 に意気込んで2曲の名曲を仕上げ、出版社に渡した。「間違いなくベートーヴェンを越したぞ!」と。「シューベルトファンの私高本」が聴くとはっきり越している > 2曲とも
     だが、9月7日に出版されたのは、第13番イ短調「ロザムンデ」作品29/1 D804 だけで、「死と乙女」はどこにも無かった!!!

     シューベルト死後、ニ短調楽譜原稿は ツェルニー社 が版権確保し、1831.03.12 に出版された。その後の人気はご存知の通りである!

  4. 「作曲依頼した連弾ピアノソナタ = ハ長調D812」を出版しなかった!


      これが最終的にプッツン切れた引き金になったことだろう。シューベルト自身は「連弾ソナタ」には基本的に興味が無かったようだ。どうやら、ベートーヴェンに名作が無い、が原因っぽい。モーツァルトの ヘ長調連弾ソナタK.497 とかを研究した後は私高本の目には映らない。シューベルトの連弾ソナタ3曲には、「序奏」が1曲も無いし。
     連弾ソナタ第1番変ロ長調作品30D617は、D番号が異常に若いので誤解されているが、「ザウアー&ライデスドルフ社の委嘱作品」であり、1823年後半の委嘱&作曲であり、1823.12.30 に出版された。作品番号に比べて異常に早い時期の出版で、ブライトコプフ旧シューベルト全集が恥をかいた1曲(爆
     ザウアー&ライデスドルフ社は、執拗に「連弾ソナタ」を要求した。その要求にシューベルトは応えたのだが、何と2曲目は「出版キャンセル扱い」になった。シューベルト本人は(いつでも)ソロピアノソナタを書きたかったのに!!(涙



 上記4点を整理する。

  1. カネを支払わなかった
  2. 声楽の最高傑作を提供したのに、大切な後半の出版が大幅に遅れた
  3. 器楽の最高傑作を提供したのに、出版拒絶した
  4. 依頼作品を提出したのに、出版拒絶した

となる。これでは生きていけんがな(怒

 シューベルトは「ザウアー&ライデスドルフ社専属契約」を自分から解消した。その先には「もっと素晴らしい世界」があったが、それはシューベルト自身の努力の賜物であった。
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「美しき水車屋の娘」初版出版時の大トラブル(No.1932)

2011-09-08 21:03:06 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

大作曲家=シューベルト は『世界初の楽譜出版だけで喰っていった作曲家』だった


  晩年のベートーヴェンもその状態に近づいていたが、ルドルフ大公 の援助は続いていたことは、頭の片隅に置いてほしい。シューベルト は「個々の曲」について貴族からも依頼を受けたが「常時支給金額をもらえるパトロン」は持てなかった。『時代の要請』がベートーヴェンの若き日とは随分違って来たのだ!


シューベルトは、出版社に対して『自作品の価値を正当に評価して、正当な金額を支払っていない』と感じていた


 これは「音楽史的視点」では正しいが、おそらく イタリアオペラでボロ儲けした ロッシーニ・ヴェルディ・プッチーニ でさえ、同じ感想を持った、と推測される。21世紀のイタリアオペラ団とイタリア出版社は彼らの遺産でボロ儲けしているからなあ(爆


 「21世紀の現代日本」でも事情はあまり変わらないらしい。吉松隆 は作曲家としてだけでなく、兼業評論家として文章を多く残してくれている。「割りに合わない職業=作曲家」だそうだ(爆

 さて、シューベルト であるが、作品18までを「ディアベッリ&カッピ社」に『騙されたようにカネを巻き上げられた』ことは有名。

  1. 作品1 = 1821.04.02出版
  2. 作品16&17 = 1823.10.09出版

の時期に当たるので、2年半「シューベルトを騙した」ことに成功した。(作品18は 1823.02.05出版)

 気付いた シューベルト は、半年後に当たる

1823.04.10 に「ザウアー&ライデスドルフ社」専属契約第1弾で「3曲のリート」出版に漕ぎ付ける


 「わが挨拶を送らん」を含めた名曲集。だがこれから1年余で、この「ザウアー&ライデスドルフ社専属」は、シューベルトから解消されてしまう。なぜか???

その時点での最高傑作=「美しき水車屋の娘」作品25の出版が第9番「水車場職人の花」までで、5ヶ月以上も止まってしまったから!


である。これには怒り心頭!!!


 「美しき水車屋の娘」を第1番~第9番まで聴いて満足できるだろうか? 最高音2点A を聴いても満足出来んぞ、ff もまだ出て来ないし。どんなに譲りに譲っても第10番「涙の雨」までは休み無しに歌い切らないと「話の筋」がワケわからんではないか!!!


 この結果が良かったのか? 悪かったのか? はわからない。

1826年には、試行錯誤の末、ハスリンガー社と契約し、「幻想ソナタ」「即興曲集」「冬の旅」「白鳥の歌」を出版に漕ぎ付ける


が出来た。ザウアー&ライデスドルフ社 と契約が続行していたら、少なくとも「即興曲集」は生まれなかった可能性が高い。そうなると「ピアノ作曲家」としてのシューベルト評価は今よりも低かっただろう。この辺りは「仮定」には何とも言いようが無いのである。

 何はともあれ、「美しき水車屋の娘」は初版出版時に大トラブルを抱え、演奏もされずに(無駄な)日々を過ごしてしまった。これは全て出版社の責任である! あぁ!!!!!!
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「美しき水車屋の娘」の真価が聴けるかも知れない(No.1931)

2011-09-07 20:57:29 | ピアニスト・佐伯周子
 最近、佐伯周子は「美しき水車屋の娘」と「子供の不思議な角笛から」を弾き込んでいる。どちらも名曲だが、全く表情が違う(爆

 近いところで、「美しき水車屋の娘」を(全曲では無いが)歌手との合わせを聴いた。「えっ、こんな素晴らしい曲だったのか!!!」って感じ。ブレンデルの録音が一切残っていない(公式発言)曲集で、評価が「冬の旅」「白鳥の歌」に比べて、極めて低い(涙

 個人的には「冬の旅」よりも私高本の感性に合っているらしく、「涙ボロボロ」の「美しき水車屋の娘」の方が好きである > 岡原慎也にバカにされ続けて何年だ?(爆

佐伯周子ピアノの「美しき水車屋の娘」に期待してほしい!


 マジ、いいぞ!
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カンブルラン+読響「全ベートーヴェン」プログラム批評(No.1930)

2011-09-05 23:14:13 | 批評
 1年に「3週間 × 3回来日」を基本に実行している「名実ともに常任指揮者」の読響とカンブルラン。就任後1年半が経過したが、これから1年半後までのプログラムも発表され、

カンブルランが「読響と実行したい壮大な全貌」が徐々に見えてきて、また「実際の音」で聴こえた1夜


となった。
 カンブルランは SWR との演奏会と録音で「世界のトップ指揮者」になった。特に有名なのが、メシアン全曲録音&演奏。読響初共演もメシアンで、この縁で常任指揮者就任となった。だが、就任後は SWR時代とは違う顔 を見せて、そして音で成果を挙げている、と私高本は感じる。

カンブルランが最も傾注している作曲家の1人 = ベートーヴェン!


なことがはっきり聴こえて来た。

カンブルランのベートーヴェンの最大の特徴は「古典的な設計」の上に、繰り返し部分で細やかな違う表情を豊かに表す


 余りにも正攻法なのだ!モーツァルトでは実行していた「ノンビブラート奏法」もベートーヴェンでは特にしない。少なめではあったが。
ピアノ協奏曲第4番では、あまりにも老いてしまった コワセヴィチの音量が不足していたため、音楽作りに苦労していたが、『響きを保ちながら、ベートーヴェンのアーティキュレーション遵守』が最初から最後まで貫いていたのには驚いた!
 冒頭の「エグモント」序曲から、ベートーヴェンの「暗い情熱」が噴出する演奏。あたかも「不吉な物語」劇音楽が「今ここで」上演されているかのような感じ。

 休憩後のメインの交響曲第7番が圧倒的名演。

繰り返しの際のダイナミクスやアーティキュレーションや楽器間バランスの「絶妙な移ろい」が絶妙!


 第1~第4の全部の楽章で素晴らしかったが、特に「第2楽章」は息を呑む絶妙さ、だった。カンブルラン と 読響 に感謝するばかりである。


 明日、以降に苦言も少々。東京オペラシティホールは「ホルンの返りが悪い」ホールで苦戦したことはわかるが、「下野指揮ブルックナー交響曲第4番」であれだけの名演を2ヶ月前に聴かせてくれたばかり! 今日の「ホルンの演奏水準」は「読響」としては、合格点にはなっていないだろう。2番ホルンはソロ部分では頑張っていたことは認めるが、パートとして 明日の「サントリー名曲」では今日以上の演奏をしてほしい > ホールトーンもホルンに良いし

来年12月には「カンブルラン + 読響 + 新国立劇場合唱団」のベートーヴェン「第9」


も発表された。「常任指揮者就任」から数えると、「第5 → 第7 → 第9」である。いやがおうでも、これは期待してしまう!!!
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ベーレンライター新シューベルト全集(No.1929)

2011-09-04 22:50:00 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 ベーレンライターHPを久しぶりに覗いて見たら

新シューベルト全集 歌曲 第5巻 の予告


が出ていた。今回も(前回までと同様)期日未定だ。おそらく、来年にずれ込むことだろう(爆


 第4巻までは全て「高声用」で揃えており、第5巻も発売になれば購入予定だが、佐伯周子が「第5巻の曲」を弾くのは随分後になることだろう > 有名曲が1曲も無いから。基本的に「佐伯周子が弾くだろう曲の楽譜」しか購入しない(できない?)財布状況なので、第6巻発刊まで購入を控えざるを得ないかも知れない(泣


 ベーレンライター社は

シューベルト歌曲は「第4巻」までが売れればいい、と確信している!


ことをここに報告する。

  1. 第1~4巻は、『作品番号を振られた歌曲を作品番号順』


  2. 『作品番号を振られないで生前出版された歌曲』は出版順


  3. 『1827.01以降作曲歌曲で、生前出版されなかった曲はD番号順』


  4. 第5巻以降は、『残り』を作曲順



でまとめられた。上の2つはある意味妥当なんだが、3番目を「1827.01- 」に限定した根拠は私高本の「猫頭」の英語理解力(このシリーズは英語独語併用表記!)では理解できなかった(泣
 また、4番目の「残り」にも出来不出来の差が大きい。「夕映えの中に」が名作でない? 信じられない扱いだ!!


 どうやら

新シューベルト編纂メンバーは「アリンデ D904」(1827.01) からを「後期作品」と捉えているらしい


ことがおぼろげに見えて来た。う~ん、「声楽作品」だけ見ていると、そこが切れ目???

 この結果

「セレナード」D889(1826.07) や 「夕映えの中で」D799(1824 or 1825.02)も「名作群」から外された結果!!


となった。
 これは後々「尾を引く」ことになる嫌な予感がする。早速当ブログで報告させて頂く次第である。
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聴き手は「何」を聴くのか?(No.1928)

2011-09-03 22:52:42 | 批評
 先日、私高本が『佐伯周子のベートーヴェンソナタ第16番ト長調作品31/1』を聴いた。この時に『主として』だが

  1. 「ベートーヴェン」を聴いた


  2. 「作品31/1」を聴いた


  3. 「佐伯周子の演奏」を聴いた


  4. 会場の「べヒシュタインピアノ」を聴いた


  5. 「会場トーン」を聴いた



 この辺りが有力なのだが、どれを中心に聴いたのだろうか? 私高本は当日、佐伯周子以外は第15番しか聴いていないので、「他のピアニストとの比較」を中心には聴いていない。コンクールでは、これが最大かつ唯一(?)のポイントとなるだろう!


 順に考えてみた。「ベートーヴェン」は「シューベルトが最も尊敬した作曲家」であり、これまでも頻繁に聴いて来た。私高本が「最も頻度多くナマで聴いたオケ曲 = 第9」はここに誓う。ピアノソナタ第16番 も名曲であり、これまでも録音でもナマでも聴いて来た。「新たな曲」ではない。「ベートーヴェンを聴く」感じは薄い。

 「作品31/1」はかつて、エル=バシャ のナマの名演(武蔵野市民文化会館小ホール)も聴いたがかなり昔。「曲の真価を聴ける?!」意識は高かった」と感じる。

 「佐伯周子を聴く」は、はっきり意識していた。

 会場の「べヒシュタインピアノ」については、音色がきれいな良いピアノだと思うが寸法がセミコンサートグランドピアノなので、フルコンサートグランドピアノ(リサイタルや協奏曲や録音で使われる大半のピアノ)よりも低音が足りない感触。

 「会場トーン」は、「癖が無い」ように感じた。これで外部との遮音がもう少しレベルが上がれば言うこと無い。佐伯の演奏開始直後に「前の演奏家を応援している人の声」が聞こえたのはちょっと残念だった。


 こうして振り返ると「作品解釈」「佐伯周子の演奏」に重点を置いていた。これでもっと無名な作曲家(例えば、メノッティ とか)ならば、もっと「作曲家」方向に興味が高い。サントリーホールや新国立劇場が開場直後は、「ホール」に興味深かった。「ヤマハ CFX」発売直後は「ピアノ」に興味深かった。

 この範囲で「聴き手」は音楽に興味を感じて、演奏会に足を運ぶ。

多くの場合「作品 + 演奏家 → 演奏解釈を含む」を聴きたい、と思い演奏会に足を運ぶ


 昨日の「推薦コンサート」もまさにこの基準で選んでいることをここに明記したい。
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今後1ヶ月余の演奏会予定(No.1927)

2011-09-02 23:15:54 | 演奏会案内
「酷暑」だった夏を何とか何も起こさずに過ごせた > 私高本

アホ父(私高本と同じ糖尿病患者です、ハイ)が、歩行中に「熱中症で救急車に運ばれる」なんて、予想外に実家に足を運ぶこともあり、結構大変な夏が2年連続続いた感じがする(泣

 台風来襲で気温が下がったことは(個人的には)歓迎。多摩川の増水は相当量なので、奥多摩地方は降雨量多いんだろうなあ

 今後1ヶ月余の演奏会予定を記載する。はっきりと「テーマ」が3ヶあり、その他の演奏会が1ヶ。その他は私高本個人の好みの問題かも(爆


今後1ヶ月余の推薦コンサート



  1. 堺シティオペラ:プッチーニ「妖精ヴィッリ + ジャンニ・スキッキ」9/10&11


      「堺市」と言うのは、「仁徳天皇陵」があるほど古来から日本史の中心だった都市であり、「鉄砲伝来」以来の伝統ある近代大都市であることは日本史で教わっていたが「現代史」でも「オペラ」の世界では目が離せない存在であることを昨年初めて知った。「老田裕子のヴィオレッタ1点狙い」で聴きに行ったのだが、『全体の出来の素晴らしさが藤原歌劇団以上』だったことに唖然! マジかよ???
      今回は 老田裕子 が出演しないので、土地勘の無い私高本はどちらのキャストが「より良いか?」は全く分からないので、両日聴くことにした。チケットはまだある様子。PMJ読者は首都圏近郊のお住まいの方が多い、と推測されるが、関西圏の方は是非是非聴いてほしい。

  2. カンブルラン指揮読響 9/5 & 9/12 & 9/18


      世界の大指揮者 = カンブルラン が再来日。プログラムはよくわからんところもあるが、全3プログラム聴くことにした。尚、佐伯周子も、この3プログラムは全部聴くことにした。座席は飛んでいたりする(爆

  3. 下野竜也指揮 9/16神奈川フィル & 10/4読響


      この期間、大阪フィルも別プログラムで振る。全部違うプログラム。「下野竜也の世界」全部知りたい気持ちはあるのだが、カネが続かないので、神奈川フィル + 読響 にした(泣
      神奈川フィル とは「作曲家:グルダ の最高傑作との評価もある = チェロ協奏曲」。この曲はいろいろと問題あるが名曲なので、絶対に聴きに行く、と決めていた。
      読響とは「ドヴォルザーク交響曲全曲演奏会のラスト前」である。ここまで全部聴いて来た「下野のドヴォルザーク」は全部が全部交響曲は良かったので、聞き逃せないよなぁ

  4. 上野優子 と N響の仲間たち 10/1


      佐伯周子と全く違うレパートリーのピアニスト=上野優子。毎回、知恵を絞った工夫があることも興味をそそられる。今回は、ソロ ~ ピアノ5重奏曲 まで、「構成の異なる曲」を演奏する。前回公演が圧倒的な名演だったので、期待は極めて大きいぞ!!!

 この1ヶ月は最良の収穫になる予感!
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