Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

ピアノソナタ D568 の稿問題1(No.1713)

2009-11-24 19:03:12 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 シューベルトの「稿問題」が根が深いことはこれまで述べて来た通りである。ピアノソロ曲では

  1. D568
  2. D899

が特に問題が深いことは以前述べた通りである。
 「佐伯周子 ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」の次回第7回に取り上げる D568 について、今回からじっくり掘り下げて見たい。


 D568 は「ドイチュカタログ第2版 = 1978年版」情報では、「旧カタログ」と全く違う取扱になった。

  1. 変ニ長調版 : 旧カタログ D567 → 新カタログ D568

  2. 変ホ長調版 : 新旧カタログ共 D568


 新カタログが必ずしも旧カタログよりも優れているとは限らない数少ない1例である。調性の違う稿が「同じ曲」と言われても、「歌曲の移調」ではないのだから違和感大ありである。

ピアノミュージックジャパン では「変ニ長調稿 = D567」表記をする


ことをここにまず宣言しておく。


 ドイチュ自身も悩んだ D568 の問題は以下に集約される。

D568 の「稿」問題の要点



  1. 変ニ長調初稿 D567 が1817年6月作曲は確定している

  2. 変ホ長調最終稿 D568 が1829年5月27日にペンナウアーから出版されているのは確定しているが、自筆譜も筆写譜も遺っていない

  3. 1817年11月と記載の筆写譜で伝承して来た「2つのスケルツォ D593 の2曲目 = 変ニ長調スケルツォ」のトリオが「D568/3 メヌエットのトリオ」をほぼそっくり移調しただけ

  4. 1817年6-8月の「6曲のピアノソナタ」は、D566,D567,D571,D575 の4曲分しか「自筆譜で確定」した曲が無く、残り2曲(3番ソナタと4番ソナタ)の行方がわからない


 これが全てである。ここからいろいろな試行錯誤が始まった。
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連弾曲の作曲年代問題5(No.1712)

2009-11-21 21:30:43 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 シューベルトの連弾曲では、「生前最も人気があった行進曲」でさえ、いい加減な「推定作曲年」を押し付けられた。

  1. 「ブライトコプフ旧シューベルト全集編纂」の時よりも、

  2. 1951年「ドイチュカタログ初版」出版の時と、1978年「ドイチュカタログ改訂版」出版の時の方がさらに悪い


が現実である。
 来年 1/7 に 佐伯周子 + 岡原慎也 が演奏する2曲についても「何で作曲推定時期がこんなに変なの?」って感じに(最少に言って1951年「ドイチュカタログ初版」の時は)成り果てていた。

  1. ホ短調ソナタ = 作品63 + 作品84 = D823 は、1825年8月以降1826年5月以前の作品

  2. 変ロ長調変奏曲 = 作品82/2 = D968A は、1827年9月以降の作品


であるのになぜだか、ドイチュカタログ初版では

  1. D823 → 1825年頃の作品、但し 「1825年4月作品で確定している ハ長調ソナタ D840」より前の D番号
  2. D968A → 『D603』を振る大チョンボ!

を実行してしまった。あちゃー
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新国立劇場「ヴォツェック」初日批評(No.1711)

2009-11-18 22:17:17 | 批評

音楽も台本も軽視した クリーゲンブルク演出 が全てを台無しにした新国立劇場ベルク「ヴォツェック」



  1. 舞台1面に「水」が敷かれていて、主役・脇役・合唱団員・助演 が通る度に「ぴちゃぴちゃ」とノイズを聞かされる

  2. 「マリーと鼓手長が踊る」シーンが無く、ヴォツェックがなぜ突然悩むのか不明

  3. 終幕でマリーが許しを乞わない


などなど、(「無調が騒音」の意味でなく)騒音だらけの「人物描写稀薄」の舞台であった。
 終演後、「ヴォツェック役 = マイヤー」と「マリー役=シュタイネン」と「子役」3名が出て来た時は、小さいとはいえ「ブラヴォー」だけが降り注がれた。一旦3名が袖に退き、合唱団から始まるカーテンコールは、マイヤーとシュタイネンだけが「ブラヴォー」、指揮者=ヘンヒェンは良い指揮だったと私高本は感じたが、拍手もほとんど大きくならず「ブラヴォー」皆無。演出=クリーゲンブルク が袖から出てくるやいなや、天井桟敷から2ヶ所大きな「ブーイング」が出る。「ブラヴォー返し」も応戦したが、クリーゲンブルク が舞台中央に来た時、「ブーイング」圧倒的優勢となり、幕が下りたら拍手も鳴り止み再び幕は上がらなかった。
 ベルク「ヴォツェック」を上演するな、とは言わないが、これほどまでに「音楽も台本も無視した演出」で上演する必要はない。

バイエルン州立歌劇場との共同制作でちょうど1年前に上演済み


なので、悪評が伝わったのか、

初日~最終日4日目まで、S券~B券が全日余裕ありで売れ残り、3日目&4日目はC券も売れ残り


と言う状態。
 これならば、「2日公演」にしてほしい。

民主党政権下に於いて「削除対象になった新国立劇場」は、このような「国民の支持の無い公演」を4公演も垂れ流すことを早急に止めることが先決


である。
 再演は決してしないでほしい。大道具は契約があるなら、さっさとミュンヘンに返却する。「日本引き取り」になっているならば、即焼却してほしい。税金の無駄遣いは決してしないようにしてほしい。
 ベルク「ヴォツェック」を観るならば、10年以上先に「全く別の演出」でみせてほしい。
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連弾曲の作曲年代問題4(No.1710)

2009-11-16 21:42:34 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 シューベルト作曲連弾行進曲で、忘れてはならないポイントは2ヶある。

  1. 作品51 よりも 作品55 の方が先に出版されたこと

  2. 「1826年作曲の美しい行進曲」は、『作品66 = D885 大英雄的行進曲 イ短調』であり、他の曲では無い!


である。シューベルト自身は「行進曲の書き溜め」をした形跡は一切遺っていない。おそらく、

連弾行進曲は、出版社 または 依頼者から依頼されてから作曲着手した作品群


と推測される。

「1曲で作品番号1つ占有の2曲(作品55と作品66)」は名作であり、他の曲は「軽い着想」


である。「軽い着想の曲」でも名作が遺っているところが、シューベルトのスゴいところでもあるのだが。
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連弾曲の作曲年代問題3(No.1709)

2009-11-15 18:52:00 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 あぁ、筆が止まらなくなって来た(爆
 「佐伯周子 ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会Vol.7」について書かなければいけないのだが、全く関係ないことを書こうとしている私高本がここにいる(爆


 「連弾ソナタの作曲時期がおかしい」は、(自筆譜が遺っていない2曲について)前号で詳述したが、連弾曲の場合「ソナタ」だけが変なのでは無い!

『ジャンル = 連弾』全体の作曲時期が極めていい加減であり、特に「連弾出版主力商品 = 行進曲」のドイチュ番号は極めておかしい


をここに指摘したい。2009年現在「ベーレンライター新シューベルト全集」の「連弾IV(行進曲と舞曲)」が「品切再版見込み無し」になっているが、新シューベルト全集全体の中でも問題が大きい巻となっているのが原因だろう。売れている巻でも問題の小さい(または無い)巻は、今もきちんと継続して販売されているのだから。
 (佐伯周子の次回演奏会にはプログラムされていないジャンルについて、こんなに書いていて良いのだろうか? > 私高本)
 「連弾行進曲」についてだけ、本日は詳述する。


 シューベルトが遺した「連弾行進曲」は以下の通りと判明している。「ドイチュ番号を振らない状態」でまずご覧頂きたい。

  1. 3つの「英雄行進曲」作品27(1824.12.18 ザウアー&ライデスドルフ出版)

  2. 6つの「大行進曲」作品40(1825.05.07&09.21 ザウアー&ライデスドルフ出版)

  3. 3つの「軍隊行進曲」作品51(1826.08.07 A.ディアベリ出版)

  4. 「ロシア皇帝アレクサンドロス1世陛下の逝去に寄せる大葬送行進曲」ハ短調 作品55(1826.02.08 ペンナウアー出版)

  5. 「ロシア皇帝ニコライ陛下の塗油式に寄せる大英雄的行進曲」イ短調 作品66(1826.09.14 ペンナウアー出版)

  6. 2つの「性格的行進曲」ハ長調 作品121(1829.12.19 A.ディアベリが没後出版)

  7. 「子供の行進曲」ト長調(1827.10.12作曲と自筆譜に明記、出版は1870年)


 この7曲集しか、「シューベルト連弾行進曲」は楽譜が遺されていないことは、ブライトコプフ旧シューベルト全集編纂の時からはっきりしていた。(2世紀ほど経た「21世紀の今」も全く変化無し!) 上記の順序はブライトコプフ旧シューベルト全集編纂をそのまま踏襲している。
 作品51 と 作品55 の「出版時期」が逆転していることには、読者の皆様は注目して頂きたい!


 これが 1951年の「ドイチュカタログ初版」では、次のように「ドイチュ番号」を振られた。

  1. D602(1818年作曲?)
  2. D819(1824.10ツェリス作曲?)
  3. D733(1822頃作曲)
  4. D859(1825.12作曲)
  5. D885(1826春作曲?)
  6. D886(1826春作曲?)
  7. D928(1827.10.11作曲)

である。何を根拠に「作品40と作品51」の作曲順序を逆転させたか? と問えば「出版社との関係」と書いてある。「A.ディアベリとシューベルトは関係が悪くなったので、作品51は1823年以前にディアベリが受け取っていたハズ」とのこと。う~ん、作品49 と 作品50 も「同時期のディアベリ出版」であり、状況証拠からすると「新作」なのだが!

作品49は「宮廷舞踏会」で初演されたことが「ディアベリ出版初版楽譜」に明記


されているからなあ。これでは「在庫切れ再版見込み無し」は永久に続くかもしれない > 「ベーレンライター新シューベルト全集 連弾第4巻」



クリスタ・ランドンのいい加減な「楽譜編集」は、『ウィーン原典版 ハイドンピアノソナタ』で露呈した


が実績だが、どこでどう活動したのか知らないが、

ハイドン : ピアノソナタ に限って言えば、「クリスタ・ランドン版 = ウィーン原典版」が標準表記


になってしまった。ホーボーケン番号47番ソナタ など、「あちこちが破綻しかかっている楽譜」なのだが、なぜか「クリスタ・ランドン版」が主流になって来ている。ヘンレ版の方が圧倒的に良いのだが。(これが原因で「ハイドン : ピアノ曲」については、演奏会プロデュースを断念した経緯がある。私高本は「モーツァルトピアノ曲」よりも「ハイドンピアノ曲」の方が好きなのだが!)
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連弾曲の作曲年代問題2(No.1708)

2009-11-14 21:40:34 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 「1818年、1824年、1828年」に連弾曲が作曲されたことは判明している。この特定の3年に「集中的に作曲されたか?」については、根拠は極めて脆弱。

自筆譜が遺っている曲で、「1827年作曲 D908」「1819年作曲 D668」 も実在している!


からだ。「内容は無いよう」の論拠にしか、私高本には思えない → 「1818年、1824年、1828年 に連弾曲集中作曲説」


 連弾ソナタ3曲の作曲年推定は、ソロソナタに比較して根拠が無い。

連弾ソナタ第1番 変ロ長調 D617 は、1823年12月30日に出版されているので、1823年の3月~11月に作曲されたと推定するのが妥当。作品番号が大きい(30)のに早く出版されたことから、「美しき水車小屋の娘」D795 作品25 作曲直後の1823年11月、もしかしたら12月初作曲が濃厚


連弾ソナタ第3番 ホ短調 D823 は、1826年6月17日に出版されているので、1825年9月~1826年5月の作曲されたと推定するのが妥当


である。つまり、ドイチュ は「旧作を売り込んだ」と考えているのだが、私高本は「新作を出版した」と考える。前後の「出版器楽曲」を見れば「旧作」が無いこと、と考えた方が自然である。


 『ドイチュ番号』に惑わされると、かえって本質が見え難くなる。

  1. 『36のオリジナル舞曲』D365 作品9

  2. 『12のワルツ、17のレントラー、9のエコセーズ』D145 作品18


で口を酸っぱくして述べた通りである。
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岡原慎也ピアノリサイタル告知(No.1707)

2009-11-13 17:48:46 | ピアニスト兼指揮者・岡原慎也
 ちょうど1ヶ月後の12月13日(日)に大阪のイシハラホールで「ソロCD発売記念リサイタル」がある。7年ぶりのソロCDか!
 大阪の公演だが、聴きに行くことにした。

岡原慎也ピアノリサイタル


 主催元の ラプト・サウンドHP にリンクを貼っておいたので、ご覧下さい。

  1. ベートーヴェンピアノソナタ全曲演奏会

  2. シューベルト晩年1826-1828全曲演奏会


を既に弾いている岡原慎也の最良の演奏が聴ける予感がする!
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連弾曲の作曲年代問題1(No.1706)

2009-11-09 22:12:16 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 シューベルト作品が抱えている「大きな問題」の1つが「作曲年代問題」である。弦楽四重奏曲が D94 以外にはほとんど問題を抱えなかった以外は、器楽曲は多かれ少なかれ問題を抱えている。その中でも

ピアノ連弾曲の作曲年代は特に問題が大きい


ことは声を大にして読者の皆様にお伝えしたい。ピアノソロ曲に於いて「舞曲の作曲年代が大問題」と私高本は唱えて来たが、連弾曲は「ピアノソロの舞曲並みかそれ以上の問題」となっている。マジです、、、
 ピアノソロに於いては「舞曲は創作の中心では無かった」ことは(作曲年代問題が発生しているが)、「ピアノソロ曲全体像」への影響は小さい。

ソロソナタは D664 と D568最終決定稿 以外は「作曲年代問題」は、『全楽章揃って完成したソナタ』では発生していない


からだ。
 連弾曲は「ソナタ」からして作曲年代問題の渦中にある。連弾ソナタは 2/3 の作曲時期がどうやら変である(爆


 連弾ソナタ3曲の作曲時期は、「シューベルト作品主題目録 改訂版 = 1978年版」に拠ると、次の通りである。

  1. 連弾ソナタ第1番変ロ長調 D617 作品30 1818年秋(?)作曲

  2. 連弾ソナタ第2番ハ長調 D812「グランド・デュオ」 1824.06ツェリスにて作曲

  3. 連弾ソナタ第3番ホ短調 D823 作品63+作品84「フランス風ディヴェルティメント + アンダンティーノ変奏曲 + 華麗なロンド」 作曲年は断定していないが1825年を示唆


となっている。2曲目は自筆譜が遺っているので、作曲年代が特定できている希有な例である。他の2曲のソナタは、自筆譜が遺っていないので、後世の研究者に「言いたい放題」を喰らってしまっている。


 折角に機会なので、『ドイチュ自身が作成したドイチュカタログ初版』にも目を通してみよう。これまた「連弾曲に興味あるの?」って感じである。

  1. 連弾ソナタ第1番変ロ長調 D617 作品30 ブライトコプフ旧シューベルト全集では「1824年作曲」となっているが、1818年夏作曲(?)

  2. 連弾ソナタ第2番ハ長調 D812「グランド・デュオ」 1824.06ツェリス作曲

  3. 連弾ソナタ第3番ホ短調 D823「フランス風ディヴェルティメント」 1825年頃作曲


となっている。第1番の作曲時期が「旧シューベルト全集では出版時期よりも後」になってしまったのを修正しただけである。 > ドイチュカタログ初版


 ドイチュが想定した「シューベルト連弾曲作曲年代推測」は次のような理論である。

  1. 1810-1813 「調性の定まらない幻想曲」作曲

  2. 1818 第1次ツェリス連弾作曲時期

  3. 1824 第2次ツェリス連弾作曲時期

  4. 1828 最晩年傑作連弾作曲時期


である。つまり、1814年以降に限って言えば「1818年、1824年、1828年」の3年に連弾曲は集中的に作曲された、と言うことになる。マジ?
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シューベルトの「稿問題」4(No.1705)

2009-11-08 17:46:40 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

D899 初稿の全体像



  1. 速度指示無し ハ短調 D899/1 4/4 展開部の無いソナタ形式 181小節(決定稿より22小節短い)

  2. Allegro ハ長調 D916B 4/4 ソナタ形式 127小節までで再現部が無い

  3. 速度指示無し ハ短調 D916C 4/4 182小節までで再現部が無い


 「D899決定稿」と全然違うことが、シューベルトファンの皆様であれば、歴然とお解り頂けることだろう!
 D916B と D916C の楽譜は、ドブリンガー(世界初出版楽譜)とユニバーサルから出版されており、3千円程度で容易に入手できる。もちろん、ベーレンライター新シューベルト全集でも出版されており、「小品集II(BA5521)」である。
 楽譜が容易に入手できる割には、「演奏を聴く」ことは極めて難しい曲である。CDが発売されたことは国内盤のみだけでなく輸入盤も含めて皆無と思う。(発売されたら購入したいので監視している曲の1つ!)
 演奏会も、日本ではたった1回だけ、J.デムス の確か新宿文化センターでの演奏だった。

シューベルト「忘れられたソナタD916B」 J.デムス補筆完成版 日本初演


と言う演奏会だった。

  1. 第1楽章 Allegro ハ長調 D916B 4/4 241小節 デムス補筆完成版

  2. 第2楽章 Allegretto ハ短調 D900 2/4 41+12小節 デムス補筆完成版

  3. 第3楽章 All'ungherese, quasi Marcia ハ短調 D916C 4/4 284小節  デムス補筆完成版


と言う構成。1988年にデムス補筆版楽譜がユニバーサルから出版されるよりも前だったように記憶しているが、20年以上前のことなので、確固たる自信は無い。
 聴いた印象はただ1言「これ、本当にピアノソナタ?」だった。当時既に「ヘンレ版:シューベルトピアノソナタ全3巻」は出版されており持っていたし、米VOXの「クリーン盤 : シューベルトピアノソナタ全集」を聴き込んでいたので、「シューベルトのピアノソナタ」には聞こえなかった。演奏自体は良かったのだが。
 今から考えれば、

  1. 即興曲の第2曲&第3曲は「ソナタ」には聞こえない!

  2. 1978年当時既に、1822-23年頃作曲と推定されていた D900 を無理に中間楽章に入れたのは「やはり無理」


だった、と感じる。
 しかし「とても魅力的な曲!」と感じたことも事実。シューベルト自身、

「D899初稿」を改訂後に、D916B は「交響曲ニ長調 D936A」と「ピアノトリオ変ホ長調 D898 作品99」に転用


しているほどである。
 D898 は完成したが、D936A は31才で若死にしたシューベルトは「完成できなかった最後の交響曲」となってしまった。モーツァルトも若死にしたがそれでもシューベルトよりは4才長生きしているからなあ。


 原点に戻ろう。シューベルトは「即興曲集第1集」を、ハ短調 → ハ長調 → ハ短調 で作曲し、ほぼ完成していた。しかし、出版社 = ハスリンガー に渡す前に全面的な大改訂を施し、ハ短調 → 変ホ長調 → 変ト長調 → 変イ長調 の「決定版」にし第2曲以降を差し替えの上、第1曲も精密に仕上げた。
 廃棄された曲の内、D916B の方は、交響曲D936A や ピアノトリオD898 に転用された。


 D916B と D916C が「本来の位置通り」に演奏されるのは、おそらく「来年7月20日の佐伯周子」が日本初演である。もちろん「決定稿」の方が魅力は深いが、「D899初稿」も魅力ある曲である。「シューベルトファン」の方は是非聴いて頂きたい。
 
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シューベルトの「稿問題」3(No.1704)

2009-11-07 21:18:58 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 本日号では、来年7月公演で取り上げる曲について、少し早いが「稿問題」を取り上げる。

即興曲集 D899 は、「初稿」と「最終決定稿」で第1曲以外は全部差し替えられた曲で、「ブルックナー交響曲」以上に大きな「稿問題」を抱えている


が実態なのだが、なぜか全然知られていない(爆
 理由は単純で

ベーレンライター新シューベルト全集(しかも高価格の「青灰色」背表紙のみ)だけに記載されていて、他の資料では目に触れること皆無だから


である。う~ん。内田光子も読んで無い資料だからね > ベーレンライター新シューベルト全集高価格の「青灰色」背表紙
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シューベルトの「稿問題」2(No.1703)

2009-11-05 20:05:08 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
「D568初稿 = 変ニ長調稿」の中だけでもいろいろな稿があり、最低2種類は存在している。この問題は後日改めて触れる。また「初稿群 → 中間稿 → 最終決定稿」の順に作曲された可能性も極めて高い。この問題も後日改めて触れる。本日号では「最終決定稿作曲時期」について集中的に書く。



  • 1951年 : ドイチュ著「シューベルト作品主題目録」出版

  • では、「D568最終決定稿 = 1817年作曲説」を明記したのだが、直後から次々と「1826年以降説」が押し寄せて来た!

    1. 1953年 : トゥルースコット論文「シューベルトの作品122の2つのヴァージョン」

    2. 1976年 : ビゾーニ論文「フランツ・シューベルト円熟期(1817-1828)のソナタに関する文献学的所見」

    3. 1978年 : チューシド論文「シューベルトのピアノソナタ変ホ長調作品122の成立年代再考」

    4. 1984年 : トゥーザ論文「シューベルトは作品122をいつ改訂したか?」

    5. 1987年 : ジョン・リード著「シューベルト」出版

    6. 1997年 : デュル&クラウゼ著「シューベルトハンドブック」出版

    7. 1997年 : ティリモ著「ウィーン原典版220, シューベルト ピアノソナタ全集1」出版

    8. 2000年 : リッチャウア著「ベーレンライター新シューベルト全集 ピアノソナタ第1巻」出版


    と次々に「D568最終決定稿 = 1826年(以降)説」が出て来た。モーリス・ブラウンだけが「1817年11月改訂説」を唱えている(いた)が、旗色は明らかに悪い。


     「D568初稿=変ニ長調稿」と「D568最終決定稿=変ホ長調稿」を聴き比べてみよう。現在初稿版をCDで聴くことが出来るのは ヴァリッシュ盤 だけである。容易に入手でき、安価な盤なので興味ある方は購入することをお薦めする。稿の違いを聴くには充分な演奏である。

    D568 初稿と最終決定稿の大きな違い



    1. 第1楽章展開部が最終決定稿の方が圧倒的に質量共に充実

    2. 第1楽章再現部の「入り」が、最終決定稿が極めて手が込んでいて印象深い

    3. 第3楽章に「メヌエット楽章」が挿入された

    4. 終楽章が最終決定稿の方が圧倒的に質量共に充実


    の4点。第2楽章は細かな差異はあるのだが、小節数も全く同一であり、移調された以外は、差が最も小さい楽章となっている。
     「メヌエット楽章」が挿入され、『3楽章構成 → 4楽章構成』にされたことは外見上最も大きな違い。ちなみに

    「メヌエット楽章」が入っている「ソナタ楽曲」はピアノソナタに限らず、後期では「第18番ト長調D894」「第19番ハ短調D958」だけ


    であり、D894直前に「D568最終決定稿にてメヌエット楽章が改訂挿入された」と考えることは、シューベルト学者であれば自然だろう。「D894 → D958」間に作曲された、と考えても全く自然なのだが。

     『両端楽章の展開部の充実』については、「改訂すれば基本的に充実する方向」なので、改訂時期を推測する根拠とは成り得ない。

    変ニ長調稿の「終楽章再現部第1主題終結部の充実」は「そっくりそのまま」変ホ長調稿に受け継がれた


    ことをここに明記しておきたい。1817年の段階でも、シューベルトは充分に魅力的なのだ!


     「再現の入り」を最も工夫した「ソナタ楽曲」はおそらく

    1. ピアノソナタ第15番ハ長調D840「レリーク」第1楽章

    2. ピアノソナタ第16番イ短調D845「第1グランドソナタ」第1楽章

    3. 弦楽四重奏曲第15番ト長調D887第1楽章

    4. 弦楽五重奏曲ハ長調D956第1楽章


    の4曲であろう。そう、

    シューベルトが「ソナタ形式の再現部の入り」を巧妙に組み立てるのは1825年以降の「後期」の特徴の1つ


    なのである。

    「1819年11月に開始される中期」以降、シューベルトは「非対称性」を深める


    のだが、「ソナタ楽章の再現部の入り冒頭」については後期までは手を付けなかった。中期では、第2主題の方に変化が大きい曲(例えばD784)もある。初期では、「型通りの再現」が目指されている。時に「下属調での再現」もある。これは後期の交響曲「グレート」第4楽章まで残った習性でもあるのだが。


     D568 は、改訂に拠り大きく変貌を遂げた。1817年7月初稿から見ると説得力は遙かに増加したことは万人が認めるところであろう。改訂時期については、1826年以降説 が正しい様子。但し「1826年改訂を断定できる根拠」は無く、「1828年説」も相当に有力なのだ。(「シューベルトハンドブック」はシューベルトファンの方ならば、1度読むことをお薦めする。)

    「第3グランドソナタ」はどの曲? の問いに対して、D568最終決定稿は有力候補ではあるが断定はできない


    が現状の研究結果だ。「D568最終決定稿の自筆譜発見」があれば、はっきりする。できることならば見てみたいモノだ!!!
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    シューベルトの「稿問題」1(No.1702)

    2009-11-04 23:44:42 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
     シューベルトには「稿問題」が存在することは、ブライトコプフ旧シューベルト全集編纂の時から既にわかっていた。歌曲「ます」D550 が5稿あることは有名。ベーレンライター新シューベルト全集では、「ます の5稿だけの版のみを出版の別冊」出版もしている。歌の旋律線が滑らかになったり、第5稿には「前奏」が付いたりして徐々に細かな修正点が加わっている。

    「シューベルトは次々と作曲を終えると、曲を投げ出した」と言う暴論への反論として説得力ある資料である「5稿のます D550」


    となっている。「未完成交響曲」D759 を初めとする膨大な「未完成曲」を作曲したシューベルトに対する「根拠なき罵倒」に対する反証としてはとても大切な資料であった。
     反面、曲の根本から変革してしまった

    シューベルトの「稿問題」が「ブルックナー交響曲並み」の曲が実在していることを見逃す原因


    にもなってしまっている。
     ピアノ曲で「最も大きな稿問題」を抱えている曲は次の2曲である。

    1. ピアノソナタ D568

    2. 即興曲集 D899


     この2曲は非常に大きな「稿問題」を抱えている。


    佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会


    では、さまざまな問題を提起して来た。ピアノソナタ 並びに 「多楽章楽曲」では

    1. 「完成 or 未完成問題」

    2. 「稿問題」

    3. 「組合せ楽曲問題」と「楽章並び順問題」


    が『3大問題』である。「佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」は次回2010年1月7日(火)公演で第7回となる。

    1.  第1回~第2回 : 「完成 or 未完成問題」

    2.  第7回~第8回 : 「稿問題」


    を集中的に取り上げる。第1回と第2回では、

    ピアノソナタの D840 と D655 を「補筆完成版」で取り上げて、「シューベルトの頭の中では完成したと考えていた」


    ことを実際の音で聴いて頂いた。

     第7回 と 第8回 でも実際の音で聴いて頂く。まず本日号では D568 について詳述しよう。


     私高本はが、「シューベルトのピアノソナタ」を書く時に、必ず実行していることの1つに「ピアノソナタ ××長調」または「ピアノソナタ ××短調」と表記することがある。「調性」は、「曲の色彩を決定する」大切な要素とシューベルト自身が考えていたからである。「イ長調の伸びやかさ」や「ハ長調の構想の大きさ」などは、多くのシューベルトファンを魅了して来た。
     ・・・で、この D568 である。調性を書くことが出来ない!!!


    D568初稿 = 変ニ長調


    D568最終決定稿 = 変ホ長調


    となっているからである。
     この問題に初めて正面から向かい合ったのは、旧シューベルト全集である。

    ブライトコプフ旧シューベルト全集編纂では、エプシュタインがD568最終決定稿=1817年作曲、D568初稿=1817年作曲


    理由は、「D568初稿自筆譜に1817年6月の署名あり、D568最終決定稿は印刷譜のみ」だから


    である。1888年から1897年の間に意思決定が為された。この時重要視されたのは

    1. 初稿の自筆譜(1817年6月の署名入り)

    2. 最終決定稿の「1829.05.27出版の印刷譜」


    であった。
     19世紀のことを、21世紀の私高本が「科学的で無い!」と批判するのは、あまりにも過酷だ。情報量があまりにも違い過ぎる。エプシュタイン の時は、「印刷譜が1829年」で、「自筆譜が1817年」でその間について、論理的整合性が取れなかったので「可能性として最も早い1817年を最終決定稿の作曲年」に置いた、と言うことである。「初稿よりも最終決定稿は絶対に早くならない」からだろう。


     次に「大きな転換点」となっても良かったのが、「シューベルト主題カタログ」を編纂した ドイチュ である。旧シューベルト全集から、半世紀以上経過した 20世紀後半最初の年に出版されている!

    ドイチュは、D568 に関しては、ブライトコプフ旧シューベルト全集を踏襲し、初稿も最終決定稿も1817年作曲とした。「初稿=D567、最終決定稿=D568」と別番号を隣り合わせに振った



    ドイチュは、旧シューベルト全集から漏れた多くの曲」も含め、きちんと体系建てる偉業!


    に頭が集中しており、D568 は興味を惹くには惹いたが、それは「別の側面」だけだったようだ。ドイチュが惹かれた面は

    1. ホ短調ソナタ D566(1817.06作曲)

    2. 変ニ長調ソナタ D567(1817.06作曲)

    3. ???

    4. ???

    5. 嬰ヘ短調ソナタ D571(1817.07作曲)

    6. ロ長調ソナタ D575(1817.08作曲)


    の間に相当する「第3ソナタ」「第4ソナタ」の存在である。

    「ドイチュの結論」は「第3ソナタ=第2ソナタの決定稿=D568変ホ長調版」、「第4ソナタ=第5ソナタの終楽章とスケルツォ楽章=D570」


    となった。現在もこの説を信じる学者は多い。(何を研究しているのだか???)
     21世紀の現在に至っても、楽曲解説の大半は「ドイチュの孫引き」である。ドイチュは後述するいろいろな資料(第2楽章のニ短調版 など)の存在を発掘し、研究発表した偉大な業績を遺した大学者である。上記の結論については「おかしい!」と思っていた可能性も大きい。1883年生まれで1967年に没しているので、「健康上の理由」に迫られた結論の可能性も高い。(私高本も切実に感じる瞬間がある!)
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    『指揮者:飯坂純』論(No.1701)

    2009-11-02 23:42:02 | 指揮者 : 飯坂純
     昨日「指揮者論」を書いていて違和感があった。夢中で書いている時は全く気付かなかったのだが

    私高本が「個別の指揮者論」を書くのは初めて!

    だからの様子。「ピアニスト論」は数えられないほど多く書いているのだが、指揮者論は初か!
     正直、ピアニストの方が興味がある。しかし、飯坂純 だけは書かないではいられない衝動が「心の内側」から突き上げて来る。こうなってしまうと止められないんだよね。
     本当は「シューベルトのプログラムノート」を書くための資料読みの時間だったハズなんだが(爆


     昨日号で

    飯坂純は、オペレッタ「シャブリエ : エトワール」を完全に掌握していた!


    と書いた。この意味を少し噛み砕いて書く。

    1. シャブリエ「エトワール」の詳細を、微に入り細に入り掌握している

    2. 「シャブリエのオペレッタ(またはオペラを含む)」を掌握している

    3. 「シャブリエの音楽全般」を掌握している

    4. 「オペラ音楽」のツボを心得ており実践できる

    5. 初演当時の「音楽情景」について理解が深い

    6. 今回の演出と意思疎通が密に出来ている

    7. 歌手陣の長所短所を(最低限上演曲目については)把握できている

    8. オケと合唱団の長所短所を把握できている


    が全て「十全に」為されたと言うことである。書くのは簡単だが、実践は極めて難しいことばかりである。大半の指揮者は、これが実行できない。
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    『指揮者:飯坂純』論(No.1700)

    2009-11-01 18:04:22 | 指揮者 : 飯坂純
     気が付けば、1700号! 「デイリー」時代からの通算番号だが、脳梗塞発作を起こしたりしながら、よくもここまで辿り着いたモノだ。半年前に「死んでる」「半身不随になってバラ色人生終了」になっていても全く不思議は無かったのだから(爆
     「佐伯周子のシューベルトを全曲聴くまでは演奏会プロデュースするぞ!」の一念だけで生き延びて来たような気がする。大曲は名演揃いだからなー > 佐伯周子。これで小曲が「大曲並みの演奏水準」になればいいのだが、、、
     2009年10月に、私高本にとって『新たな期待の星(=エトワール)』を聴くことが出来た。名を「飯坂純」と言う。37才。聴いた「シャブリエ : エトワール」公演が「指揮者デビュー」とのこと。早いデビューでは無いだろう。だが、『大輪の花』だぞ!

    1. 川上敦子
    2. 岡原慎也 (& ヘンシェル)
    3. 佐伯周子
    4. 飯坂純

    は、私高本にとって「音楽人生を左右する音楽家」になった。飯坂は、私高本よりも13才も下か!
     とても「指揮者大成の栄光の絶頂」までは、元々がボロボロの体の私高本が聴き終えられるとは思えないが、階段を昇り詰める瞬間は是非見たい。医者の指示は遵守しているから、「ボロな体」が保ってほしい。『素晴らしい音楽を聴きたい!』だけだ。
     私高本の「シャブリエ論」は、飯坂純よりもかなり劣るだろうから、ここには恥ずかしくて書けない。あくまで「聴いた限りの指揮者論」である。



    名作オペラでデビューの指揮者 = 飯坂純 は幸運か?


     天からぼた餅が振ってくれば、喰うには困らない。指揮者に限らず、ピアニストでも歌手でも全く同じである。飯坂純が指揮者デビューした「シャブリエ : エトワール」は「名作中の名作」である。

    1. 音楽が素晴らしい

    2. 台本が『ビゼー : カルメン』に匹敵するほど、緊張感が持続している

    3. 性的に際どい表現もあるが「主役 = ラズリ」を「ズボン役」にすることで、嫌味から逃げ切っている


    などだろう。


     飯坂純の指揮について1言で表せば

    オペレッタ「シャブリエ : エトワール」を完全に掌握していた!


    に尽きる。私高本はいろんなCDを聴いていて、「カルロス・クライバーの若い時のオペレッタ演奏」なんて言うのも聴いている(爆
     「良い演奏」もあれば、「これ、本当にカルロス・クライバー???」ってなのもある。「オペラ指揮者の修業時代」はそんなモノなのだろう。「カラヤンの自伝」を読んでもすさまじい編曲なども「日常茶飯事」とのことだ。


     東京オペラプロデュース公演で「飯坂純」の名前を読んだのは、いつのことだったろうか? 随分前のような気がする。10年前? 15年前? 正直覚えていないが相当前である。


     「コレペティトゥア」とは、「オペラを支えてくれている音楽指導者」である。歌手に向けて「公演演目の稽古を付ける」が仕事。「カルメン」とか「ニュルンベルクのマイスタージンガー」だと、「このナンバーがわからん!」と言う歌手は皆無だろうが、「シャブリエ : エトワール」だと多かっただろうな > 「このナンバーがわからん!」って歌手(爆


     最近の「クラシック音楽雑誌」の特集を読むと

    私高本と同じ年代 = ざっくり言って「50才前後」の指揮者が有望!


    の記事が多い。本当か???
     私高本が聴いた限りで言えば、

    1960年前後生まれの日本人指揮者よりも、1970年前後生まれの日本人指揮者がさらに有望!


    だと感じる。「人生で10年のキャリアの差」は大きいから、言葉足らずだとおもうが、ここに明記したい。

    1. 下野竜也

    2. 飯坂純


     この2人が「日本の指揮界」を背負って立っていくだろう。10才上の世代は「不運」もあった。楽譜も不充分だったし(← あっ、私高本も同じじゃん!)海外の最新情報も「2009年」ほどは、リアルタイムでは来なかったのだから。しかし「さらに10才上の世代」よりは、はるかに整備された恩恵に浴している > 大野和士、広上淳一、沼尻竜介などなど。私高本自身が大野と完全に同世代なので、リアルタイムで「短所&長所」は感じられたと思う。いろんな「フィクサー」みたいなバカが跳梁跋扈した時代でもある。語学が堪能で、いろんな論文をパクって、超有名某大学で「準教授」まで出世したヤツもいるし(爆
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