Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

ピアノソナタ D568 の稿問題6(No.1722)

2009-12-20 21:52:33 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 D568 の「稿の順序」についての最終回だ。まず基礎データを明記する。以下、ベーレンライター新シューベルトの通りである。

  1. D593/1 変ロ長調 50+30小節 → 実質 100+60+50小節 = 210小節

  2. D593/2 変ニ長調 58+30小節 → 実質 116+60+58小節 = 234小節

  3. D568/3 変ホ長調 36+30小節 → 実質 76+60+38小節 = 174小節


であり、「D593/2 トリオ」=「D568/3 トリオ」を考慮すると、どちらかがどちらかの改訂版であることは間違いないようだ。ドイチュは(死の1年前に)暫定で 「D593/2 が後」 とした。小節数が D593/2 が多いことが主たる根拠だろう。第1楽章も第4楽章も「改訂版は圧倒的に増えた」だからだ。
 「D593/2 主部」 と 「D568/3 主部」を聴き比べる。どちらの方が名曲かは断定できないだろう。「別の根拠」が必要なようだ。


 ダイナミクスについて「事実を列挙」しよう。

    D593/1 変ロ長調 : pp ~ ffz


    D593/2 変ニ長調 : pp ~ ffz


    D568/3 変ホ長調 : pp ~ mf



 これは、「D593 の2曲」と「D568/3」が全く違う! 「シューベルトは mp を書かなかった作曲家」なので、

pp → mf は2段階、pp → ffz は5段階の差


となる。
 倍以上のダイナミクスの差を「D593の2曲」は持っているので、「単独曲」としてアンコールなどで弾いた時は、D593 の方が2曲とも D568/3 よりも映える。但し「全曲バランス」から見るとどちらが良いかは「構想」に従うことになる。


 
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岡原慎也ピアノリサイタル批評(No.1721)

2009-12-15 23:03:17 | 批評
 「デイリークラシカルミュージック」から「ピアノミュージックジャパン」に衣替えしてから初めての「岡原慎也リサイタル批評」になる。歌曲伴奏は幾度となく聴いているのだが、「ソロリサイタル」を聴くのは5年以上ぶりになった。東京公演が無いので、大阪のイシハラホールにまで足を運んだ。



シューベルトとベートーヴェンの「名曲中の名曲」だけを名演で綴る岡原慎也


 「7年ぶりのソロCD発売記念」と銘打たれた岡原慎也ピアノリサイタル。曲目は以下のラインナップ。

  1. ベートーヴェン : ピアノソナタ第8番ハ短調作品13 「悲愴」

  2. ベートーヴェン : ピアノソナタ第14番嬰ハ短調作品27/2 「月光」

  3. シューベルト : ピアノソナタ第21番変ロ長調D960


である。全3曲が「名曲中の名曲」である。
 イシハラホールの演奏会は「私高本が最も関西で頻度高く聴いているホール」なのだが、入っていきなり驚愕した!

縦の通路にも横の通路にも、いっぱいいっぱいに「補助椅子」が置かれていた


からである。補助席が出されていなければ、危うく私高本は座れないところであった。「関西での岡原慎也人気」が伺われる。


 演奏については

ベートーヴェンとシューベルトの「意図通り」に、「音楽が今ここで産まれた!」かのように演奏する


で貫かれていた。例えば、シューベルトピアノソナタ第21番変ロ長調「遺作」。第1楽章の「Molto moderato」が速過ぎず遅過ぎず、第1主題は「リート」では無く「重唱 または 合唱」のように延々と綴られる。時々ピアニッシモで鳴る「低音のトリル」は「時間が止まる」かのように響く。そして、多くのピアニストと学者を巻き込んだ「D960第1楽章繰り返し問題」の箇所に辿り着く。岡原慎也は「シューベルトの意図通り」に「1番カッコ」に入る。mf と pp が繰り返され、pp からクレッシェンドして「低音のトリル」に至る。「シューベルト通りのダイナミクス」が到来し、フォルティッシモツァートのトリルが全てを覆う。4分休符のゲネラルパウゼが沈黙する。素晴らしい聴衆で、何1つ物音がしない静寂がホールを包む!
 呈示部が繰り返され「2番カッコ」に進む。たった1小節! それが何と新鮮に響くことか!!!


 誤解を恐れず批評しよう。「ウィーン派」と呼ばれるピアニストの1群が居る。ハイドン → モーツァルト → ベートーヴェン → シューベルト の少なくとも誰か1人は得意にしている。生年順に B=スコダ、デムス、グルダ、ブレンデル などが代表。彼らの演奏を金科玉条に「お手本」にしているピアニスト軍団が日本に限らず、世界を席巻している。シューベルトD960 に関して、前述4名の「ウィーン派ピアニスト」を述べれば、B=スコダを除く3名が「D960の第1楽章呈示部の繰り返しはしない」が『ウィーンの伝統』である。「シューベルトの意図通り」と「ブレンデルの物真似」のどちらが良いのだろうか?ちなみに「ブレンデルの初録音」の前に「グルダのオーストリア国営放送録音」が収録され放送された、との様子である。互いに反発しながらも、相互に影響が大きいことがわかる。


 当日の岡原慎也の演奏に戻る。第1楽章の展開部が終わり、また「ピアニッシモのトリル」が再来する。静寂が全てを包む。再現部で第1主題が短調に変わる瞬間が来る。左手が「慟哭」を打つ。一瞬だ!
 長い楽章もコーダに至る。「ピアニッシモのトリル」が再来し、静けさが全てを覆うかのように終わった。時間が止まっていたかに私高本には感じられた。
 第2楽章は「ピアノ伴奏付きリートのピアノソロ編曲」かのように鳴り始めた。3度下の音は弱め。「シューベルトの交響曲」を聴いているようだ。管楽器が「歌」い、弦楽器が伴奏に廻っているかのよう。

岡原慎也は「シューベルトの楽譜通り」を貫く


 「1番カッコの繰り返し」もシューベルトの意図通りであるばかりでなく、アーティキュレーションもダイナミクスもシューベルトの書いた通り。ちなみに「ペダリング」もだ!!


 シューベルトばかりが「作曲家の意図通り」なのではない。ベートーヴェンも同じだ。ダイナミクスの巾広さは(これまで私高本は、清水和音や横山幸雄の「ベートーヴェンソナタ全曲演奏会」は聴いているが)全曲演奏会を東京で行ったピアニストもソナタ全曲演奏会は弾いていないピアニストも含めて

「月光ソナタ」をベートーヴェンが書いた通りのテンポで弾いた! 感触が最高 = 岡原慎也


である。1言だけ加えさせてもらえれば、前回岡原慎也を京都で聴いた時にも聴いたことの無い「第3楽章の Presto の疾走感」が最高だった。第2主題がこれほど爽快に聞こえたことはかつてなかった。 > ブレンデルの東京公演でさえ!


 アンコールは4曲。

  1. シューベルト : スケルツォ 変ロ長調 D593/1

  2. シューベルト : アレグレット ハ短調 D915

  3. ベートーヴェン : ソナチネより「ロマンス」

  4. シューベルト : 即興曲 変ホ長調 D899/3


 岡原慎也は「ソリストとしてはシューベルト&ベートーヴェンに殉じる」意図は明解に伝わった。是非全ての曲を聴かせてほしい。
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ピアノソナタ D568 の稿問題5(No.1720)

2009-12-12 22:32:35 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

D568 の最大の特徴 = 全4楽章が中間スピードの「Andante - Allegretto(Allegro moderato)」間に収まっていて速度の起伏が少ないこと


である。これは「初稿 = 変ニ長調稿」D567 でも 「最終決定稿 = 変ホ長調」D568 でも全く変わらない。楽章数が「3 → 4」に増えただけである。


 「シューベルトファン」の方ならば

ト長調ソナタD894 も「Andante - Allegretto(Allegro moderato)」間に収まっている!


ことを思い出されるだろう。 名曲中の名曲の誉れ高い曲である。
 「他にないか?」と調べてみるとあるある!

ハ長調ソナタD840「レリーク」 も「Andante - Allegretto(Allegro moderato)」間に収まっている!


 ベーレンライター新シューベルト全集を含む 全ての既出楽譜で、誤って「第4楽章 = Allegro」と記載されている が自筆譜にはテンポ指定が無く、実際に弾いたピアニスト(バトゥラ=スコダ や ティリモ など)は皆「Allegro moderato」で弾いている。細かい音が多くて、Allegro では無理だ。
 ピアノソナタでは D568, D840, D894 の3曲で全てである。


 他の分野ではどうか? 交響曲は無い。弦楽四重奏曲も無い。ピアノ三重奏曲も無い。有名どころには、ピアノ五重奏曲にも弦楽五重奏曲にも無い。ピアノソナタだけに見られる事象なのだろうか?

 いやいや、もう1曲だけだけある。

弦楽三重奏曲変ロ長調ソナタD581(1817.09作曲) も「Andante - Allegretto(Allegro moderato)」間に収まっている!


 そう、D567 が作曲されたのが 1817年6月。D581 作曲が 1817年9月で、この曲は「全4楽章」構成。なかなか良い曲なのだが、編成が特殊な為か、ほとんど演奏もされなければ、録音も弦楽四重奏曲と比べると圧倒的に少ない。私高本も5枚しか持っていない。HMVで検索しても6枚しか無いから随分持っているんだな > 私高本


 整理してみたい。

シューベルト「Andante - Allegretto(Allegro moderato)」間に収まっている曲一覧



  1. 1817.06 ピアノソナタ 変ニ長調 D567初稿版(3楽章)

  2. 1817.09 弦楽三重奏曲 変ロ長調 D581(4楽章)

  3. 1825.04 ピアノソナタ第15番 ハ長調 D840「レリーク」(4楽章)

  4. 1826.10 ピアノソナタ第18番 ト長調 D894「幻想ソナタ」(4楽章)


が「作曲着想順」になる。これが全てと考えられる。「幻想ソナタ」の評価の高さと比較して、他の3曲の評価が極めて低いことは私高本の眼からは納得度が低い。


 D593 の「2つのスケルツォ」が作曲されたのは、D581 の2ヶ月後の1817年11月だったと筆写譜に記載されている。

実験的作品 = 弦楽三重奏曲D581 の後で「Allegretto or Allegro moderato」の舞踏楽章を追加を思い立つ


は自然なことに思える。

1817.11 の時期 = 交響曲第6番ハ長調D589 の作曲過程


である。つまり「初期ソナタ楽曲の総決算の時期」に当たる。「初期シューベルト」は決して「ソナタ楽曲」中心の作曲家では無かったが、ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドンを手本とした「古典派大作曲家」を目指していたようだ。オペラに傾注していたことは(中期にさらに顕著になるが)「当時の作曲家」としては当たり前であろう。


 この前提で考えた時に

D568/3 と D593/2 はどちらが先に作曲されたか?


と言う問題が「D568 最終決定稿の作曲時期」を特定する大きな要因となる。次回に詳述したい。
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佐伯周子のシューベルトの魅力(No.1719)

2009-12-11 21:06:07 | ピアニスト・佐伯周子
 私高本の「CDリストの大半 = シューベルト」である。

2004年8月 佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会開始


以来、限りあるゼニの中から購入するCDの9割方はシューベルトになり、その8割方は「シューベルトピアノ曲」である。随分あるものだ。

 「シューベルトピアノ曲録音」の特徴としては、

  1. 「ソナタ」録音タイプ
  2. 「即興曲」、「楽興の時」系 録音タイプ
  3. 「舞曲」録音タイプ

の3つに大別される。全3分野を満遍なく弾くピアニストは皆無に近い。多くのピアニストは「3」の舞曲をほとんど弾かないし、「1」のソナタについても「ブレンデル型」で弾くピアニストが大半である。


 佐伯周子の次回 1/7(木)の演奏会では、「第3グランドソナタはどの曲?」の題名で、ソナタが3曲弾かれる。2曲がソロソナタ、1曲が連弾ソナタである。

D568,D664,D823 の「どれか」が「第3グランドソナタ」


は間違いない。

「佐伯周子のシューベルト」の魅力の1つに、シューベルトが作曲した通りのダイナミクスとアーティキュレーションが再現される


がある。数多くのCD録音を聴くと、特に「ダイナミクスが再現」がほとんどの演奏で実現していない。なぜか?

「シューベルトの意図」が交響曲の演奏を1台のピアノで再現したかった


だからだと感じる。ソロ曲も連弾曲も「ソナタ」では同じ方向だ。岡原慎也と佐伯周子の合わせを聴いて、「連弾ソナタ」の方が「ソロソナタ」以上にダイナミクスの巾を要求していることが判明した。これまでの演奏やCDではわからなかったことである。
 シューベルトほど、「ピアノ曲にダイナミクスの巾」を求めた作曲家はおそらく リスト くらい。「フォルティッシモの大きさ」か、「ピアニッシモの小ささ」を求めた作曲家は多くいるのだが、両方を求めたのは シューベルト と リスト くらいであろう。リストは「シューベルトのさすらい人幻想曲」」から学んだように感じる。


 これまで「後期ソナタ」「中期ソナタ」を中心に弾いて来た 佐伯周子 の今回のプログラムは、一見すると「初期ソロソナタ中心」に見えるかも知れない。多くのCDプログラムには、D568 も D664 も「初期ソナタ」と書いてある方が多い。最低、どちらか1曲は「初期ソナタ」の可能性が「第3ソナタは1曲」からすると高いのだが、

シューベルトのピアノ曲は初期から名曲あり!


なのだ。
 連弾曲も超有名な「ヘ短調幻想曲D940」でなく、一見するとあまり有名な曲では無いように見える。しかし、最近のヨーロッパでは人気が高まって来ている2曲であり、例えば グルダの息子 = パウル・グルダ の「連弾デビューCD」は、D968A も D823 も収録されている。(D823 は第2楽章のみ)
 「佐伯周子の初期シューベルト」と言えば、

最初のピアノソロ曲 = 「モーツァルト幻想曲」ハ短調 D2E の名演


も思い出される。また

ピアノソナタ 嬰ハ短調 D655 の補筆完成版 の名演


もあった。
 後期の曲ばかりが取り上げられ易いシューベルトであるが、どの曲も佐伯周子の演奏ならば大いに楽しめるだろう。
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ピアノソナタ D568 の稿問題4(No.1718)

2009-12-07 23:53:33 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 D568最終決定稿の番号で記述する。

D568/3 と D593/2 は『トリオ』がほとんど一致している!


が原因。D279/3 と D277A が「姉妹稿」であるのと同じ理屈で、この2曲は「同一ソナタの同一楽章」である。

第3楽章は、「小節数優先」か? 「調性優先」か?


 この問題に尽きるだろう!


 ドイチュは「小節数優先」にした。他の側面では、「第3ソナタ」と「第4ソナタ」が見付からない! のも一因であった。
 しかし「調性問題」は大きい。

変ニ長調 → 変ホ長調(ソナタ完成稿) → 変ニ長調(独立させた?)


と言う変遷に「ドイチュの考え」ではなる。マジか??

シューベルトには「完成稿」から1楽章を取り出して「単独曲」にした曲は一切無い


が実績である。
 さらに「調性が元の調に戻る」と言う例も皆無。
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後藤泉リスト編曲「第9」批評(No.1717)

2009-12-06 22:03:03 | 批評
 ベートーヴェン/リスト の交響曲全9曲をレパートリーにしている、と言う伝説のピアニスト? = 後藤泉 は前から興味あった。私高本の個人的趣味もあり「初回は第9」が聴きたい! と思っていた。前回東京公演はピンポイント的にスケジュールが合わず、泣きの涙で先送りした。待てば海路の日和あり。本日聴くことが出来たのはラッキーだった!!!

有望若手ピアニスト = 後藤泉 のリスト編曲「第9」


 フランツ・リスト(1811-1886) はピアノ史上最も技巧的な曲を作曲した。その中でも以下の4曲は「極悪」と言って良い難易度の高さである。

  1. 超絶技巧練習曲 1837年稿

  2. パガニーニ練習曲 1838年稿

  3. 「巡礼の年」第1年「スイス」 初稿

  4. ベートーヴェン交響曲「第9」 ソロ版


 後藤泉 の演奏は「極めてベートーヴェンとリストに忠実」である。テンポは結構早め。やや前のめりになる。同音連打が返って来る前に打鍵する程の速さであった。「聴衆の満足度」を考えると、速過ぎだった可能性も考えてほしい。(ベートーヴェンのメトロノーム記号が速いので、難しい問題だ!)
 後藤泉は「ベートーヴェン寄りの第9」を描く。「リスト寄りでない」の意味だ。オケが「鳴っている感触」を常時醸し出す。
 これで「タメ」ができ、もう少し「静けさ」を聴かせるようになれば鬼に金棒だろう。


 ピアニストの調整不足なのか? ピアノの整調不足なのか? はわからないが、「連打」は利くハズ。さらにもう少しだけ「音色の変化」がほしいのは、ピアノの寸法が「コンサートグランド」でないからだろうか?
 「後藤泉 演奏会」で検索する限り、過去の評判はこの会場が最良だったので、大いに期待していた。7年ぶりに聴く「リスト編曲第9」は素晴らしかったが、後藤泉であればさらに1段上の世界を聴けると思う。次も聴いてみたい。
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ピアノソナタ D568 の稿問題3(No.1716)

2009-12-05 21:45:43 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 要点は簡単だ!

  1. 第1楽章、第2楽章、第4楽章の作曲順序は「順番はわかった」

  2. 第3楽章の作曲順序がはっきりしない


である。これが全てだ!

  1. 第2楽章 は、第1稿決定稿 → 最終決定稿で小節数増減無し

  2. 第1楽章 & 第4楽章 は、第1稿決定稿 → 最終決定稿で「小節数大巾増」が実績

  3. だから、第3楽章 も、「小節数増加」の方向!


ってなったのは、ある意味やむを得ないかもしれない。私高本が「1951年当時にドイチュに雇われていた」ならば、こんな方向で答申しただろうな(爆

 「第3楽章問題」は、「考え方」次第でどちらにも取れる問題だ。
私高本自身が暴露してしまうのも何だが(爆
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ピアノソナタ D568 の稿問題2(No.1715)

2009-12-03 17:37:44 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 D568問題の概要は前回記載の通りである。要点が4つしか無いのに、未だに結論が出ないのは「3」と「4」に大いに矛盾と考えられる点があるからだ。つまり

  1. 「1817年の第3ソナタと第4ソナタ」のどちらかに D568変ホ長調最終決定稿があるハズ

  2. すると D567初稿変ニ長調稿 → D568変ホ長調最終決定稿 → D593/2 で変ニ長調に戻って「スケルツォ楽章」だけ改訂?


と言うことが「誰が見ても変」になっているのだ。ちなみに、

本日号でここまでに書いたことは、ドイチュ自身の最終結論 = ドイチュカタログ(1951)の結論


である。ドイチュも生涯を賭けて、結局「暫定結論」を出さなければならなかった様子。不健康な私高本も他人事では無いので身を摘まされる思いである。


 「シューベルト研究者」として、『最も基本』に立ち返る。つまり「最小構成に基づき履歴を探る」だ! D568 の各楽章について「最終稿の名称」を用いて、履歴を辿ってみたい!!

ピアノソナタD568 第1楽章履歴



  1. 1817.06 の自筆署名 変ニ長調 D567/1 草稿(235小節)

  2. 1817.06 の自筆著名 変ニ長調 D567/1 決定稿(238小節)

  3. 1829.05.29出版 変ホ長調 D568/1(258小節)


ピアノソナタD568 第2楽章履歴



  1. 1817.06 ニ短調 D567/2 草稿(61小節で中断)

  2. 1817.06 の自筆署名 嬰ハ短調 D567/2 決定稿(122小節)

  3. 1829.05.29出版 ト短調 D568/2(122小節)


ピアノソナタD568 第3楽章履歴



  1. 1817.11記載筆写譜 変ロ長調 稿 D593/1(50+30小節)

  2. 1817.11記載筆写譜 変ニ長調 稿 D593/2(58+30小節)

  3. 1829.05.29出版 変ホ長調 D568/3(36+30小節)


ピアノソナタD568 第4楽章履歴



  1. 1817.06 の自筆著名 変ニ長調 D567/3 決定稿(167小節までが残存。後続は紛失。紛失はおそらく17小節分と推定)

  2. 1829.05.29出版 変ホ長調 D568/4(223小節)


 記載の時系列は「根拠そのまま」の通り。これが「1次資料の全て」である。私高本は何も加えていないし、削除もしていない!
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新国立劇場「トスカ」初日批評(No.1714)

2009-12-02 23:41:31 | 批評
 昔々、五十嵐喜芳芸術監督時代の2シーズン目のオープニング=プッチーニ「トスカ」が「4回目の公演(=3回目の再演)」となった。ディアツの演出で、初演時も聴衆から圧倒的に支持された公演。何と6年ぶりの再演である。前芸術監督=ノボラツスキーの「トスカ嫌い」だか「五十嵐喜芳嫌い」は、日本オペラファンにとって相当な害毒を流していたようだ。亡くなった若杉弘芸術監督が再演の英断を下したことに感謝する歌唱が続けざまに聴けた公演となった。


ソリスト中心(=偏重)の新国立劇場「トスカ」


 主要3役の歌唱は充分満足行く公演だった。

  1. トスカ = タマー

  2. カヴァラドッシ = ヴェントレ

  3. スカルピア = ルントグレン


 皆「プッチーニオペラの魅力」は堪能させてくれた。脇役陣も好演で特に

スポレッタ = 松浦健


は役柄をしっかり把握した歌唱+演技で、盛り上げてくれた。他の脇役陣も好演揃い。


 ・・・で褒めちぎれるか? と問われると問題も散見。

  1. 「オーケストラだけの箇所」で盛り上がらない(例えば、カヴァラドッシ処刑の場)

  2. 新国立劇場合唱団が久しぶりにぱっとしなかった


などである。原因ははっきりしない。指揮者の問題? オケや合唱団の問題? 予算不足で「合わせ」不充分? よくわからない。五十嵐喜芳芸術監督時代の演奏の方が遙かに説得力が(主要3役の出来うんぬんを別にすると)はっきり強かった。


「バーンとアリアをカマしてほしい」人向け = 今回の新国立劇場「トスカ」


と感じる。ディアツの演出は説得力高いし、今回の「再演演出」でも基本は損なわれていない。主要3役は良いので、気質的に上記の方(=私高本タイプ)にはお薦めしたい。最近の新国立劇場オペラには極めて珍しく、客席が詰まっていたことも併せて報告する。
 ちなみに、新国立劇場合唱団は「もっと2段階くらい上の演奏」は可能だと思う。今回の歌唱は(大した聴かせどころが無い、とは言え)消化する前の演奏を聴かせてしまったことは、深く深く反省してほしい。「合唱指揮者カーテンコール時にブーイング皆無」に甘んじていないでほしい。
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