Piano Music Japan

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作曲家論 : グルダ第4回(No.1455)

2006-12-28 05:34:10 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
グルダ作曲 チェロ協奏曲 の 自作自演(グルダ指揮)初録音盤の初出国内盤LPにて ソロを弾いた ハインリヒ・シフ の言葉が 富士田靖子 訳にて掲載されている。この曲は 国内盤CDで出たこともあるらしいが、私高本は店頭で見ていない。 輸入盤には 原文(ドイツ語) と 英訳 が掲載されているのだが、日本語訳は 読んだことの無い方が多いだろう。以下の通りである。(指示代名詞の直訳がわかり難い時が多々あるのだけが難点。後「一所懸命」と言う単語を正確に知らないのだろうか? 一生けんめい とかな漢字交じりになってしまっているのが残念。「作曲者」もフツーに訳せば「作曲家」で良い箇所である。)

グルダの「チェロとブラスオーケストラのための協奏曲」について


ハインリヒ・シフ


訳・富士田靖子

 3年前の夏、雨の降る日に私ははやる心を抑えて、フリードリヒ・グルダ邸を訪れた。私はそれまで一度だって、あまつさえ夢の中ですら、この出会いから彼との協演までこぎつけるとは思ってもいなかった。私のグルダへの、そして彼の広い分野にわたる才能への尊敬は、今に始まったことではなく、私の子供時代にまでさかのぼることになる。私の中にあった古典音楽への狭い了見を広げてくれたのも、ひとえに彼に負うところが多い。
 初対面の短い挨拶をかわしたのち、いとも自然に私立ちはグルダのあのクラヴィコードと私のチェロで短い即興演奏を始めた。私はこの思いがけないグルダとの出会いとその後の数ヶ月が、私のチェロ演奏というアイデアとその実現の基盤を強めていくことになったと思っている。つまりグルダが私のチェロと私自身を数ヶ月にわたって理解し、評価してくれたことが演奏会を可能にしたのである。加えて彼の素晴らしいインスピレーションと実行力は、2年後の1980年に開かれた私のチェロ演奏会に非常に役立ち、それによって私は個人的にも音楽的にもこの人物に大きな借りを作ることになった。
 この協奏曲の第1楽章はチェロ奏者に全く新しいチャレンジを要求している。難解な技巧がはいっているだけではなく、さらに抑えた音でテンポの速いロックのリズムをマスターしなければならないのだ。そのうえそれらは正確に、ビブラートなしで、どんなクラシック的な弾き方をとり入れることもなく演奏されなければならない。私は私達がこの目標に達することができてすこぶる満足しているし、おそらくグルダもそうであろうと思う。穏やかで叙情的な間奏をはさんでの3度にわたるテーマのくり返しは、チェロをロックやジャズに近づけたいという私の夢を実現してくれ、その上聴き手をいわゆる「ロック・ハード・テンション」の境地へとひき込んだのである。これが驚くことに第2楽章では全く逆になる。
 「Idylee イディル」とは本来は田園の風景画をさす言葉であるが、ここでは曲の美しさ、素晴らしさ、それでいて単純さという性格をひき出すことになったオーストリアのザルツカンマーグートのことである。(私自身がそこの出身であったことは全くの偶然ではあったが、そのためにそれはまたそのことを音楽で表現してみるということでの1つの挑戦でもあった。)広がりを持ちつつも単純な旋律は、私達がしばしばうしなったて捜し求めているすべてのものをよびおこしている。もし聴き手が自由な感じ方でこの音楽のエネルギーをとらえることができたならば、私達のこころみは成功したと言えるだろう。この楽章の陽気な中間部では私達に楽しい田舎風のくつろぎをおぼえさせ、そしてそこはまた、自分でもそうと意識できるほどに一生けんめいに頑張っているチェロ奏者がくつろげるための場にもなっている。ここが楽章の中央部となっている。(A-B-C-B-A形式のCにあたる。)
 コンチェルトの中間部(第3楽章)であるカデンツァの楽章はニ長調の終止和音から展開する。2つの即興の部分は容易にその性格をとらえることができる。1度目は激しい重音奏法で、2度目はグルダによれば愛らしいフラジオレッタで。これらは躊躇しつつも思索に富むモノローグ(作曲者がベースの低音を加えてくれたことに感謝!)とその典型が示される前のリズム的に回想する部分と共に互いに対照をなしている。
 聴き手は突然自分が眠っているような静寂の中にあることに気がつく。そこはメヌエット(第4楽章)の幻想的な非現実の世界であり、まるで中部ヨーロッパから東洋の夢の中にすべり込んでしまった気分になる。長調のトリオはもはやとどまることなく漂っているかに見える。
 終楽章で聴き手は勝利の幸福感にみたされる。それはせっかちで多少きどっているアルペン音楽ではなく。まさに圧倒的、確信的な歓喜である。チェロはここでブラズの名手にまじって異彩を放っている。ここでチェロはある保養地(ボヘミアか?)の有名な旋律を2度もかなでて、自らをアピールしている。中間部ではオーストリアのザルツカンマーグートのあらしのようなジャズが展開される。それに続くのは、初めは軽い「幸福感」の音楽で、それからすばらしいコーダまでソリスト達はクレッシェンドを続け、一気に終わりに達するのである。

1981年5月ウィーン コンツェルトハウス録音
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