Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

東京オペラプロデュース シャルパンティエ「ルイーズ」2018.09.22初日批評(No.2546)

2018-09-22 23:34:17 | 批評

あまりにも「安全運転」に走ってしまった 飯坂純指揮 シャルパンティエ「ルイーズ」再演


 飯坂純指揮 は、東京オペラプロデュースオペラデビュー シャブリエ「エトワール」から、東京オペラプロデュース公演は全ての演目を聴いて来た。他の団体のオペラ公演も出来る限り聴いて来た。シャルパンティエ「ルイーズ」日本初演公演も聴いた。その全ての中で、これほどまでに「オペラの魅力」を引き出せなかった公演は未だかつて無かった。飯坂純は私高本58才よりも相当に若いハズだが、老化したのだろうか? それともどこか体が悪いのだろうか? 今まで、飯坂純指揮 を追い掛けて来たが、本日で休止するかも知れない。


 これまで、日本人オペラ指揮者としては 飯守泰次郎に次ぐ 名指揮者 と感じていた 飯坂純 だが、信じられない「安全運転」に走り、ソリストの魅力を大巾に減じてしまった演奏に終始してしまった。主要4役  ルイーズ:菊地 美奈、ジュリアン:高田 正人、 父:米谷 毅彦、母:河野めぐみ 全てが声量豊富であった上、ワンフレーズしか歌わないような端役メンバーまで、きちんと歌えていたのに、

ソリストが歌う時は全て弦楽器を p 以下に抑えて、『ソリストに被せないように音量を下げた』ために、『オケが全く鳴っていない』状況が3時間半に亘って続いたから


である。 弦楽器奏者はソリストが歌っている時は、弓を半分以下しか使っていない。合唱の時はフルに動かしていたので、オケメンバーの問題は皆無。指揮者=飯坂純 の指示である。


馬場 紀雄演出は良かった。音楽しか頭に残らない 猫頭ヒョーロンカ=私高本 は、東京オペラプロデュース日本初演時と、どこが同じでどこが違うか? を明言出来ない><

 主役だけでなく脇役まで、「登場から幕切れまで同じ衣裳を着せる」手法は、脇役数が多いので、とてもわかり易かった。大道具を回転舞台で時計廻りにだけ動かす、という 東京オペラプロデュース流 の演出技法は今回も守られ、一貫性を保っていた。衣裳だけでなく、大道具も小道具も良い。
 菊池美奈 の2幕2場 のアリアは、歌は最高、なのだがオーケストラ伴奏がスカなので全く映えない。これではソリストはツラ過ぎだろう。3幕エンドの 父親のシーンも全く盛り上がらなかった。こんなことは過去1度も 飯坂純指揮 では無かったのだが。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡原慎也指揮シリーズ vol.7 2018.09.05 批評(No.2545)

2018-09-12 23:43:23 | 批評

14年ぶりに出会った衝撃のピアニスト&指揮者=坂口航大、法貴彩子、岡原慎也


  私高本の58年の音楽人生で、心の底から全身を揺さぶられた演奏家が4名いる。出会った順に 岡原慎也+ディートリヒ・ヘンシェルのシューベルト「冬の旅」、川上敦子のリスト「ダンテソナタ」、佐伯周子のシューベルトピアノソナタ第15番「レリーク」D840 である。4名の演奏家の内、ドイツ人のヘンシェルを除き、日本人の3名は「初めて聞いた演奏家ではない」のが共通点。最も遅い 佐伯周子シューベルト が2004年8月22日 だったので、14年前となる。1997年の 岡原慎也;ヘンシェル が初めてであり、7年の間に次々に出会った。その後で合わないのは、私高本の感性が老化しているのだろう、と思っていたが、どうも違う。演奏会を聴く回数が大巾に少なくなっているために、出会い頻度が下がっていたようだ。
 坂口航大の指揮はこの日が初めて聴いたが、坂口航大のピアノ、法貴彩子のピアノ、岡原慎也の指揮 は既に聴いたことがある。皆素晴らしい演奏であったのだが、「心の底から揺さぶられる演奏」とはならなかった。演奏の質が高くなった可能性が大きいが、もしかすると、私高本の感性が「特定の作曲家」にしか反応しない可能性も高い。現在、完全全曲演奏会を佐伯周子で実行しているシューベルトが最も好きな作曲家を不動としているが、2番目に好きな作曲家は直前に名演を聴いた作曲家である。リスト、モーツァルト、グリーグ は大好きである。他には、伊福部昭、シャブリエ、チャイコフスキー、プロコフィエフ、ハイドン、シューマン などが挙げられる。この日、ブラヴォーが最も多かった 松井萌 の ラフマニノフピアノ協奏曲第2番には感動したが、坂口航大、法貴彩子 ほど心を動かされなかったのは、おそらく私高本の感性が「ラフマニノフには不向き」だった可能性が高い、ことをここに明記しておきたい。


 「岡原慎也指揮シリーズ」は記憶を辿ると第2回を聴いた。ベートーヴェンピアノ協奏曲第2番が最後で、その前にモーツァルトピアノ協奏曲が2曲。トランペットとティンパニの無い曲を選曲していた。その時の岡原慎也指揮を見ていると「音量を絞ってピアノを消さない」棒を振っているように感じたのだが、棒が悪いのか?、リハーサルが悪いのか?、集めた奏者の技量が悪いのか? は全くわからないが、音が膨らんでいて、「ピアニストの余芸」と感じたので、その後、聴きに足を運んでいなかった。
 坂口航大のピアノと、法貴彩子のピアノも既に聴いている。どちらも素晴らしい技巧で、作曲家の意図する深部をえぐり取る素晴らしいピアニストである。だが、この日の演奏は全く予想だに出来なかった。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする