Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

ヒョーロンカは『客足』まで自由にできるのか?(No.1599)

2008-11-05 22:13:36 | 批評の批評
表題の件は、昨日11/4読売新聞夕刊13面に掲載された

船木篤也 : 10/20 読売日本交響楽団定期演奏会批評 に対して


である。


 私高本 と 船木 の感性は遠く離れている。どちらが正しいとか正しくない、と言うことでは無く、単純に「感性が離れているだけ」である。これは全く問題無い。重松みかの声を「温かな」と感じる船木の感性は私高本には無かった。どちらかと言えば「無機質さを正確に描く」が重松みかの美点だと思う。
 こんな細かなところはどちらでも良い。


 問題は以下の1点に尽きる。

 

それにしても、客足はもっと増えて欲しいところ。未知の世界を恐れぬ気概は、聴く側にも求められよう



 こんなことを言う権利が「ヒョーロンカ」にあるのか? 私高本自身が「デイリー時代」の経験から、船木にはこの発言を許される根拠は一切無い! と断じる。理由は次の通り。


  1. 船木篤也 は「自腹でチケットを購入して批評を書いた」のか?

  2. 聴衆は「自分の好み」を選択する権利は無いのか?


以上2点である。


 基本的に

  1. 「ヒョーロンカ」は、招待券で批評を書く(→ チケット購入したら完全な赤字になるので成り立たない!)

  2. 聴衆はチケットを購入して聴きに来る → 好みに合うモノだけ聴く


である。
 私高本は 下野竜也 + 読響 の演奏が好きだ! だが前回のヒンデミットは「プログラムがどうしても興味が湧かない」ので聴かなかった。今回は「清水から飛び降りるつもり」で聴いた。正直に言って「演奏は良かったが、曲に魅力が全く無い」が偽らざる気持ちである。


 読響のチケットは A券 = 8000 である。私高本の聴いた席 = A席 である。8千円あったら、うまいモノも喰えるし、うまい酒も呑める。それと比べて「ヒンデミットの音楽」を聴きたいと思うか?どうか? これが最重要な点である。


 私高本は聴いて見ての感想として「チケットは割高だった」と感じる。音楽の内容が稀薄に感じられたからだ。
 船木の主張は根拠が薄弱だ。紙面も多いので、言いたいことがあるならきちんと根拠を書いてほしい。船木は「客足を増やしたい」なら、ご自分でチケットを購入して知人を呼んでほしい。それが最も「客足」にプラスなのだから。
 反論があれば、いつでも掲載します。
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シューベルト「即興曲集」D899(No.1598)

2008-11-02 19:22:48 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
前号に引き続きを。

展開部の無いソナタ形式 = D899/1


 

D899/1 ≠ 変奏曲


を前号では述べた。ではこの曲はどんな形式で作曲されているのだろうか?
ずばり書いたのが冒頭である。


  1. 呈示部第1主題 : 1~41小節(ハ短調)

  2. 呈示部第2主題 : 42~82小節(変イ長調)

  3. 呈示部コデッタ : 83~87小節(ハ短調)

  4. 再現部第1主題 : 88~124小節(ハ短調)

  5. 再現部第2主題 : 125~160小節(ト短調 → 終結のみト長調)

  6. コーダ : 161~204小節(ハ短調 → ハ長調)


である。
「ソナタ形式」として不規則なポイントは全て「第2主題」にある。

  1. 呈示部で「並行調 = 変ホ長調」を取らず、「3度下の長調 = 変イ長調」

  2. 再現部で「主調 または 同主長調」を取らず、「5度上の短調 = ト短調」


 これは「古典派の常識」が蔓延していた「1827年のウィーン」の人たちは、すっかりシューベルトの策略に嵌められてしまった。出版社 = ハスリンガー までもが。
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