Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

Piano Music in Tokyo 10周年を辿る(No.1434)

2006-12-07 22:54:50 | ピアノ音楽全般
 昨日号の続き。昨日のペースで書き続けると、10年書くのに10日程度掛かりそうなので、「特急」モードにする(爆
 今、聴いているCDは、アルベニス「イベリア」。伊福部昭先生もアルベニスは好きだったことを思い出す。


20世紀の転機(私高本の場合)


 20世紀は、『1901~2000年』だ。吉松隆のように、2000年 = 21世紀の氣分 とか言う人も多いので、ご注意頂きたい。
 旧 Daily Classical Music Critique in Tokyo 時代 の20世紀に、3度「転機」が来た。元々「オーケストラ中心」で批評&評論を重ねる、と宣言していたホームページにもかかわらず、3度ともオーケストラでは無かった。1回はオペラ、次の1回はドイツリート、最後の1回はピアノソロである。う~ん、この辺りの流れはよくわからない(藁


転機1:新国立劇場オープニング=團伊球磨「建(タケル)」に出会い『歴史の証人』となる


 忘れもしない。あれは1997年10月10日だった。産まれた時から「体育の日 = 10月10日」だったのに、この事件が起こった直後の国会で「体育の日」が変えられてしまった。それほど『社会的にインパクトのあった事件』である。もう9年も前のことなので、憶えていない方や知らない方も多いことだろう。振り返ろう。
  • オペラ関係者悲願の「新国立劇場」が1997年10月10日「体育の日(← 当時)」にオープン
  • 日本政府は念には念を入れ、「1階&2階は全部招待(← 今、文部科学省で問題になっている全国各地の『サクラ』と同じと考えて、大体の方向は同じ)」で占有
  • 2階席正面は、天皇夫妻&橋本首相が2幕以降来臨
  • 「大絶賛のブラヴォーの嵐」で終わるハズだったのに
  • 3&4階席の「ごくわずかだけ売り出された一般席の聴衆」が
  • 終演までは全く静かにしていたにも関わらず
  • 終演と同時に「作曲&演出&指揮」に向かって『ブーイングの嵐』を吹き荒らした

 その現場に立ち会ったのである。「史上初の天覧ブーイング」かも知れない。全部 = 招待 にしてしまうと「非公開演奏会」扱いになる。 シェーンベルク1派が頻繁に行った手法。 シェーンベルク1派が「個人的に非公開演奏会開催」は(個人のフトコロなので)何も問題ないが、クニのゼニをツッ込むとなると、少々違う。『ゲネプロ扱い』されてはダメ。
 ・・・と言うことで、チケットは売り出された。オペラファンが殺到して発売直後に売り切れた、と記憶している。3&4階だけだったからなぁ。買えなかったら「ふざけるな、新国立劇場!」とかのキャンペーンを張った可能性は極めて大なのだが、なぜか買えた。そして聴いた。ブーイングも聞いた。

オペラの中心は聴衆!


をはっきり国内外に示した瞬間だった。
 私高本は興奮して、寝ずに批評を書いた。何が何だかわからない内に、いろいろな人が 旧デイリー を引用していた。1円ももらわなかったが、アクセス数がガーンと上がった瞬間だった(藁


転機2:岡原慎也+ヘンシェル「シューベルト:冬の旅」


 1998年12月、新国立劇場「建」の1年2ヶ月後である。新国立劇場のスケジューリングがスカで、「ヘンゼルとグレーテル」公演で日程変更が生じた。昔々から、スカだったのね(藁
 ・・・で、1日空いた。その日に シューベルト「冬の旅」が、今はほとんど誰も利用しない「音楽の友ホール」で開催された。地下鉄東西線のノイズが ピアニッシモの時にわずかだが聞こえるホールである(爆

 岡原慎也は、数年前に同一曲目 = 「冬の旅」 でプライ独唱時に聴いていた。結構クセのある プライ にうまく合わせていた記憶が(強くなく)残っていた。「冬の旅」は私高本が大好きな曲目なので、『あの岡原慎也が伴奏するならば、悪くは無いだろう』くらいの気持ちで『推薦コンサート』にした。

 岡原慎也は、1曲目「おやすみ」の前奏から『別人』のように素晴らしかったし、プライ は知っていたが全然しらない ヘンシェル と言うバリトンも(信じられないことに)プライよりも数倍感銘を受けた。
 ・・・というよりも、F=ディスカウ 以上に感銘を受けた。自分の心の中で「天と地がひっくり返った瞬間」だった、と振り返って今思う。 この演奏会を聴かなかったら、その後の私高本の活動全ては無かったと思う。 川上敦子 & 佐伯周子 を含めて、である。
 ・・・というよりも「今の私高本秀行」自体が無かったのでは? と思う。岡原慎也 と ヘンシェル には「音楽の本質」を教えて頂いたことについて、言葉が尽くせないほどの感謝がある。


転機3:1999年7月の多摩川花火大会の日


 『花火と言えば、ドビュッシー!』 が「ピアノファンの常識」と思うが、非常識な(?)私高本は違う道を歩んだ(爆
 その前年に 岡原慎也の真価 を知った私高本は、当時知っていた在京有望アーティストを『夏の花火大会』に招待した。(岡原慎也 は 関西人なので招待していない)酒を呑まないアーティストばかりなのは、今振り返ると不思議。
  • ソプラノ → 日比野景
  • ピアノ → 川上敦子

を中心に花火をツマミに、酒(&貧弱な食い物)で『将来』を語り合った。その中には、柳津みちよ も居たので、おそらく私高本の脳内では「オペレッタ中心」の構想が事前にあったような気がする。その日のために、オペレッタのスコアも購入した形跡とレシートが残っている(レハール「メリー・ウィドゥ」)。

 ・・・で、この日の結論として「川上敦子のリスト」をプロデュースする方向で私高本の心は決まった。川上敦子の「ダンテを読んで」の演奏が素晴らしかったからだろうか? 上がった花火が「リスト風」だったからだろうか? よくワカラン。 この日から 旧デイリー は「批評よりも、演奏会プロデュース優先」の方針に移った。創刊から 3年も経過していないそんな真夏の日の出来事である(爆
 21世紀になってからの6年間の続きはまた明日
コメント
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