Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

本年のPMJ トップニュース その3(No.1517)

2007-12-31 19:27:56 | ピアノ音楽全般
 第3位は、9月に掲載して置きながらその後そのままになっている

グールドのゴールドベルク1955年盤『ゼンフ再創造』盤


が「CD界最大のエポック」である。 2008年には書くぞ(爆


 私高本の2007年の個人的なことを、年末にチョットだけ記す。今年は「前年 = 2006年」に比べれば、交通事故にも遭わなかったし、その他のことも悪くないようには思える。 松の内に遭った「首が廻らない」も、その後の措置が良かったのか今では後遺症は無い(ように思う)。ありがたい限りである。
  一昨日に書いたが『佐伯周子のシューベルト幻想ソナタD894』の演奏は素晴らしかった! 来年は、佐伯周子の D894 の水準をさらに多くの曲で、1人でも多くの人に聴いてほしい!
 これだけが願いである。
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本年のPMJ トップニュース その2(No.1516)

2007-12-30 21:16:38 | ピアノ音楽全般
 この記事がトップになってもおかしくない。契約が昨年(2006年)11月だったので、私高本の「脳の容量」問題で、個人的に「今年のこと」との認識がやや薄かったかもしれない(爆



ヤマハセミコンサートグランド自動再生装置付き C7LA-XP購入


  搬入して貰った後、3ヶ月以上悪戦苦闘したピアノであるが、いろいろな特徴(+ 欠陥)を超えて、素晴らしいピアノだと思う。PMJって、このような素晴らしいピアノを紹介するのが当初の目的だったのでは?(爆
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本年のPMJ トップニュース その1(No.1515)

2007-12-28 21:42:53 | ピアノ音楽全般
 年の瀬も押し詰まった。

 今年の『PMJ トップニュース』を順位上から書く。おそらく、3つか4つ。大晦日まで本日を含めて4日しか無いからだ。


佐伯周子 シューベルト「幻想曲全曲演奏会」をおそらく世界初で演奏


  トップニュースはこれしか無い! 「幻想ソナタ ト長調 D894」と「モーツァルト幻想曲 ハ短調 D2E」の素晴らしい演奏に感動した。このような素晴らしい「シューベルト弾き」と「ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」を実行している幸せを感じた瞬間だった。
 【全集演奏】を目指している 佐伯周子 のシューベルト幻想曲は素晴らしかった。ベーゼンドルファーインペリアルの「ツボ」を心得たかのような自在な演奏だった。

 これで、「さすらい人幻想曲 D760」がリハーサル時程度に演奏されていれば、画期的な演奏会になったのだが。
 来年(= 2008年)の【佐伯周子のシューベルト】にはご注目下さい。
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読売日本交響楽団「第9」演奏会批評 (No.1514)

2007-12-20 23:36:15 | 批評
 本日は、読売日本交響楽団の本年の「第9」演奏会の初日。ドヴォルザークなどで名演続きの両者の顔合わせの上、「新国立劇場合唱団」が(確か)8年ぶりに在京オケの「第9」に出演する、と言うのでかなり前から期待していた。
 期待を遙かに超える演奏に出会えた。以下、素直に「私高本の心」に従った批評である。

徹底して美しい音の第9、下野竜也の 深い読みが全て実現する 読響!


  私高本は「第9バカ」で、以前12月に15回くらい「ナマで第9」を聴いて、即日批評を書いていたこともある。過去に素晴らしい名演を何回も聴いて来た。しかし、これだけは断言できる。

下野 + 読響 の今日の「第9」は、日本最高の「第9」である!

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佐伯周子の新たな一断面(No.1513)

2007-12-14 23:47:52 | ピアニスト・佐伯周子
 スクールコンサートも時間的には、ミニコンサートと同じなので「同一プログラム」で演奏するとばかり思っていた > 私高本

 私高本が特にバカとも思えない。大概の演奏家(ピアニストに限らない)は『同じプログラムを使い廻す』のが常。

 ・・・で聴いてみると、佐伯周子「世界音楽舞踏巡り」は「ウマい!」のだ。行ったことのあるポーランドやオーストリアがうまいだけでなく、ノルウェーやブラジルやアメリカもうまい! 佐伯周子は、直前記載の3ヶ国には行ったことは無いと思うぞ(爆
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佐伯周子の新たな一断面(No.1512)

2007-12-13 22:19:10 | ピアニスト・佐伯周子
 昨日の 宮崎日日新聞 に(小さくであったが) 「佐伯周子 ミニコンサート」の記事が掲載された。Web上には無いので、読者の皆様には「宮崎日日新聞」実物を読んで頂くしか確認の方法は無いのだが、首都圏での購入方法はちょっと思い浮かばない。

 佐伯周子のピアノの恩師 = 宮村京子先生 のおかげである。「師匠はありがたい存在」とは先人の教えだが、まさに至言である。 2004年8月のデビュー以来、首都圏のみで演奏活動を続けてきた 佐伯周子 にとって『初の首都圏以外での演奏』となる。
 ハーフプログラムなのだが、気合いが相当に入っているようである。

  1. シューベルト : 幻想曲ハ長調「さすらい人幻想曲」D760 作品15

  2. ショパン : 「英雄ポロネーズ」作品53

  3. ドビュッシー : 「月の光」

  4. 伊福部昭 : 「日本狂詩曲」より第2曲「祭」


である。 宮崎駅から日豊本線で3駅の「清武町文化会館 半九ホール」で 12/16(日) 午後の予定。 PMJ読者の方は、首都圏の方が多いので、おそらくナマで聴くことは難しいだろうが、もしお近くの方がいらっしゃたら、是非聴きにいらっしゃって下さい。無料です。

 ・・・で、佐伯周子 が最近練習している曲が上記の曲か? と言うと、確かに上記4曲を弾き込んでいるのだが、相当に毛色の変わった曲も、聞こえて来る。「アンコール」にしては曲数が多いように思えた。尋ねてみたところ

宮崎市で上記コンサート以外に、スクール・コンサートがあり、「世界ダンス音楽巡り」を弾く


とのことであった!
 もちろん「シューベルトのダンス曲」も入っているのだが、まさに「世界音楽巡り」と言って差し支え無い堂々たるラインナップであった。
 明日、この曲についてさらに語りたい。『佐伯周子の新たな1面』である。
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2つの「天国と地獄」6月15日東京オペラプロデュース&11月22日二期会(No.1511)

2007-12-11 19:10:57 | 批評
本日、朝4時51分にコメントを頂いた。「続きを楽しみにしています。」と書かれては、「寒さに体が付いていけない」との言い訳ができないでは無いか!? 4時51分には完全熟睡状態です、毎日。(寒くて04:51 は起きていられない!)
 「天国と地獄」批評の完結編を本日書きます。明日は「ピアニスト:佐伯周子」を掲載予定。「シューベルト一筋」と(私高本が勝手に思っていただけかもしれない)佐伯周子の新たな1面をレポートの予定。

『オペラの本質』を掴めるか? 掴めないか? これが最重要



 二期会「天国と地獄」公演は、歌唱に関しては「高い水準」を維持した公演であった。主役2名だけでなく、例えばハンス・スティックス役 = 羽山晃生 なども「歌は上手かった」のである。
 だが『有機的な面白さ & 感動』は何も無かった。なぜか?

二期会「天国と地獄」公演の問題点



  1. 原台本に従わず、「訳詞台本」に従った(訳詞とは情報量が減るのが原理原則である)

  2. 訳詞の際に「情報量」が激減し、オッフェンバックオリジナルにならなかった

  3. 「他人の作業」を信じるモノは救われない。『全てを自己完結で責任を持つ人』だけが、『作曲家の意図』を再現できる


ということである。当たり前と言えば当たり前なのだが、これが実行できることは少ない。「東京オペラプロデュース公演 オッフェンバック : 天国と地獄」の素晴らしさは、事前の(信じられないほどの「原台本の読み」の)研究が生かされたのだと思う。


 ここで、私高本自身の経験を述べる。勿論「主観の固まり」である。

  1. 訳詞上演の際には「原語と原台本をきちんと調べない」と、日本語の音節の関係で情報量が 1/2 以下になる

  2. 「聴衆の理解」と「作曲家の意図」を天秤に掛けるのは難しいが、できることならば「作曲家の意図」を全て伝えたい


 これが基本である。 なかなか「原語の意図通りの訳詞」は難しい。 『音節と音符』の制約があるからだ。ここが「訳詞上演派」の乗り越え難いポイントのようだ。今回の二期会「天国と地獄」公演で明らかになったことだろう。東京オペラプロデュース公演は『原台本の徹底的な掘り下げ』があったことはここに明記しておく。私高本は、仏語は聞き取れない & 読み切れない でも「英語は時間を掛けて読めば理解できる」程度の頭だからだ。 マンコフスキー指揮盤(EMI)のブックレットを読めば、全てが理解できるだろう。(私高本程度のアタマがあれば、充分である(爆

 私高本としては、これに懲りずに二期会には「天国と地獄」公演を続けて欲しい。また東京オペラプロデュースには「天国と地獄」公演再演を期待する。
 しかし、根源に戻って

二期会は前回「なかにし礼訳詞 &演出」公演 を越えられなかった



ことは残念だ。「なかにし礼演出」は

  1. 現台本尊重では無く「なかにし礼の意図のママ」に改変された台本であった(これが私高本が頭に来た原因であった!)

  2. しかし「演出したい意図」は極めて明確に表出されており、『一貫性』は極めて高かった


ことが挙げられる。逆から見れば

今回二期会「天国と地獄」公演は「一貫性が保たれなかった」


のである。原因の『根源』は不明である。 歌手陣に無いことだけは明言する。 演出なのか? 公演監督なのか? 理事長なのか? 全くわからない。複合した要因の可能性が最も高いだろう。尚、阪哲朗指揮 『強引に阪のテンポにソロでも引き摺り込む』ことがあったことはココで指摘しておきたい。ソリスト陣はそんなに信頼できない出来だったのだろうか? 澤畑? 高橋? 羽山?

 「当初の構想」でオペラは 70% 決まる。団体の大きさは(有利にはなるが)絶対的なモノではない。 明日のオペラはどこがいいか? は(私高本には)わからない。 二期会は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」などで素晴らしい公演を聴かせてくれた。 地力はある。次回は(今回の比でない)名演をまた聴かせてくれることを信じている。
 一方の 東京オペラプロデュース は、「歌手の地力」には(対 二期会比 や 対 藤原歌劇団比では)少々欠ける。 しかし、「歌手陣の地力」を超える『松尾洋代表の 透徹した読み』がある。 次回公演「ワーグナー : 妖精」と次々回公演「ビゼー : 美しきパースの娘」が 楽しみでならない。松尾洋代表の手腕には、舌を巻くばかりだ!!!

 最後に「私高本の反省」を明記する。

  1. 「オペラの出来」は訳詞公演とか原語公演だけでは決まらない

  2. いかに『原台本 + スコア』を読むか? がほとんど全てを決める(特に 東京オペラプロデュースの松尾洋代表の今回公演)

  3. オリジナルが良ければ「その通りに上演できれば必ず、聴衆を感動させる」


 気付かせてくれた 東京オペラプロデュース と 二期会 の皆様には、深く深く感謝するばかりである。

 あぁ、今回の4回の連載は言い過ぎた(書き過ぎた?)かも知れない(爆
明日からは「ピアノ」について、静かに語る予定である。(う~ん、随分毛色が違うような気がしてならないではないか!!!)
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2つの「天国と地獄」6月15日東京オペラプロデュース&11月22日二期会(No.1510)

2007-12-04 22:13:22 | 批評
 オペラ批評が3日連続になってしまいました。何だか止まらない感じです。

「台本+スコア」から何を読むか? で オペラは 70%決まる


 まずは東京オペラプロデュース公演について。

  1. スコアは「そのママ演奏するのが最上 = 原語上演」
  2. 原台本について「骨組みがしっかりしている」信頼があり、『神に名を借りた人間風刺が徹底的』を再現
  3. 「スコア+原台本」が『大きな流れ』となっており、「演出 → 指揮」の順に意思疎通がスムースに為されている

 次に二期会公演について。

  1. スコアは「聴衆の理解最優先 = 訳詞上演」
  2. 原台本について「1場面づつの最適」を、真面目に実行。
  3. 「スコア+原台本」は、指揮者と演出家の「分担作業」になっている

 スコア処理については、昨日明記したように私高本は「訳詞上演」に肩入れしている。私高本が原語フランス語を「聴いて理解」できないからだ(爆
 訳詞さえ適切であれば『状況説明は日本語公演の方が上』になる。「音」として聴いての感想は別である。今回の二期会公演小林訳詞は、特に気になる点は無かった。(賞賛する点も無いが)極めて「オリジナルに忠実」と感じる。

 最も印象深いキャストは「世論」である。

  1. 東京オペラプロデュース公演の 弥勒忠史(6月15日)と 丸山奈津美(16日)は、それぞれの特色を生かしながら「世論という儚いモノ」を具現化
  2. 二期会公演の 岩森美里 は「きちんと口上を述べた」だけ

であった。「歌唱だけ」を取れば、3人の中で岩森の声が通ったように聞こえた。だが、最も説得力が無かったのである。なぜか?
 岩森個人には全く責任は無い、と私高本は感じた。「世論」の登場の仕方がオペレッタ全体の中で、「何が何だかわからない」ように感じたからである。これは、歌手個人の問題では無く、その前の問題である。

公演計画段階で「世論」の性格付けが曖昧だった、のが今回二期会公演


だった、と思えるのである。「世論」だけではなく、他の配役についても「以下同文」である。
(以下、さらに明日へ続く)
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2つの「天国と地獄」6月15日東京オペラプロデュース&11月22日二期会(No.1509)

2007-12-03 21:41:38 | 批評
 昨日の続きである。

「天国と地獄」を見据える『眼力』が出来の70%以上を決める


 私高本は

これまではオペレッタ訳詞上演推進派


であった。昨年の新国立劇場「こうもり」を台詞まで全部原語ドイツ語で素晴らしい出来で上演して「もしかしたら、原語上演の方がいいかも?」と疑念を抱いた。しかし「こうもり」はごく最近までウィーン国立歌劇場が「唯一のレパートリー」にして来た演目なので、他のオペレッタでは「訳詞上演優位」と思っていた。
 私高本は、24年前の二期会「天国と地獄」は見ていないが、その後(二期会主催ではないのだが)1990年「なかにし礼・二期会提携公演スーパー・オペレッタ 天国と地獄」を17年前に聴いている。初日の神奈川県民ホール公演だ。後日NHKホール公演はLDにもなった。(DVDにはなっていないと思う)
 また、2004年の 東京オペラプロデュース公演(松尾洋の初演出)も聴いている。なかのZEROホールだった。
 バーデンバーデン市立劇場の来日公演を聴いている。みなとみらいホールだった。
 首都圏で聴ける限りの公演は全て聴いて来たと思う。新国立劇場はまだ上演していないし、日本オペレッタ協会もなぜか上演していない。藤原歌劇団が上演するはずもない。


 オペラ批評は、ピアノ批評よりも難しい点がある。ピアノリサイタルであれば、出来不出来の原因は(ピアノの整調整音調律も含め)ピアニストが全ての責任を負う。最小に言っても「東京の主要ホールの公演」であれば、これは間違いない。
 一方オペラ公演は、出来不出来が

  1. 芸術監督の「構想」段階(← 訳詞公演 or 原語公演 なども含む)
  2. 演出
  3. キャスティング
  4. 指揮
  5. 練習日程の無駄ムラ無理
  6. 直前での体調不良(風邪の蔓延などによる)
  7. オーケストラの練習不足

などなど、なかなか特定できないことが多い。評論家は、そのような中で批評しているのである。私高本も含めて(爆


 『今年の2つの天国と地獄』を見比べ & 聴き比べた時に、はっきり言い切れることは

「天国と地獄」を見据える『眼力』が出来の70%以上を決める


の事実。言葉を換えれば

  1. 東京オペラプロデュースの松尾洋は「天国と地獄」を見据える眼力があった
  2. 二期会公演のトップ陣(理事長?公演監督?演出?指揮?)は眼力が無かった

である。 私高本としては 17年前の二期会提携公演は、いろいろと反撥を感じる瞬間が多々あった公演であるが、とても感動した公演である。私高本が音楽評論家になろうとしたきっかけの1つかも知れない(← マジ)
 その、なかにし礼演出を破棄しての新演出というので大いに期待していたのであったが、

  1. 台本 ← 原台本に忠実かに見える
  2. 訳詞 ← 小林一夫
  3. 演出 ← 佐藤信

の3点セットで全ての点で「なかにし礼公演」に劣っていた。何のための新演出だったのだろうか?

 一方、東京オペラプロデュース公演は

  1. 台本 ← 原台本に忠実かに見える
  2. 訳詞 ← 歌は原語(仏語)だが、台詞は日本語。おそらく松尾洋訳詞だろう。
  3. 演出 ← 松尾洋

は、「皮肉だらけのオッフェンバックの息吹」を見事に伝えた。
 この差は何か?

  1. 東京オペラプロデュース代表=松尾洋は「天国と地獄」を把握しているが
  2. 二期会今回公演代表陣は把握していない

に尽きる、と感じる。二期会は ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」などで素晴らしい公演を聴かせてくれているだけに「イタリアオペラだけでなくドイツ物なども得意」と思っていたが、なかなか全てにはうまくいかない様子である。(明日へ続く)
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2つの「天国と地獄」6月15日東京オペラプロデュース&11月22日二期会(No.1508)

2007-12-02 18:53:46 | 批評
 最も書きたかった演奏会批評である。私の「オペラ観」が根底から覆された演目である。6月から書きたかったのだが、11月二期会公演まで書けなかった、私高本は間抜けかも知れない。数回に分けて書くことになるだろう。

オペラは「構想+キャスティング+演出」の骨組み段階で 70%以上決まっている!


 日本を代表する二期会が24年ぶりにオッフェンバック「天国と地獄」主催! と言うことで大いに期待した公演だったが、全ての面で 6月東京オペラプロデュース主催公演を下回る結果となった。二期会公演では

  • ユーリディス : 澤畑恵美
  • プルート : 高橋淳

の主要2役は「歌唱は充分」だったのだが、それだけだった。一方、6月東京オペラプロデュース公演では上記2役の歌唱自体は、澤畑や高橋よりもやや小粒なのだが、

今ここに「オペレッタが産まれた!」感触が、針生美智子 と 島田道生 にはある!



 根源に立ち戻って見ると

  1. 東京オペラプロデュース : 松尾洋 代表 & 演出
  2. 二期会 : 栗林義信理事長 + 中村健公演監督 + 佐藤信演出

の『差』である。
 東京オペラプロデュース側は「松尾洋」1人が(良くも悪くも)矢面に立っている。二期会側は誰がどのように責任を持っているのかは全くわからない。 ただはっきり断言できるのは

  • 澤畑恵美のユーリディス + 高橋淳のプルート でも聴衆を説得できなかったこと

である。 その根源について論評したい。
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