Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

続 上野優子CD発売記念リサイタル 批評(No.1643)

2009-03-19 17:39:43 | 批評
前号で「書き尽くせなかった」思いがあるので続編を書く。テーマは

なぜ、上野優子は非コンクール型ピアニストなのか?


この1点に集中する。


 まず皆様に読んでほしい文章がある。私高本の「上野優子演奏会批評」掲載の24時間ちょっと後に書かれた

上野優子ブログ 日本語ページ最新


である。

>演奏会の前半は緊張もあり、
>練習のしすぎから来た疲労で指がもつれてしまって
>思う様な演奏が出来なかった箇所もありましたが
>後半はアクセサリーと髪型を変えて気分も一新、
>作品に没頭して演奏することが出来ました。

 冒頭の バッハ=ラフマニノフ ですね! 書かなくてもいいのに(爆
ラフマニノフの遺した録音聞いたこと無い または 楽譜 読んだこと無いひとには「ラフマニノフの編曲のせい?」と思うところなのに。私高本は、「ラフマニノフ のファン」なので、聴いてすぐ「あらら?」と思ったが(爆


 「本格日本デビューリサイタル」では、私高本が知っている限りのピアニストは「全部が全部完璧に弾けたピアニスト」はいない。全員の名前を出すのは止めておこう。現在も進行している「佐伯周子 ベーレンライター新シューベルト全集に拠る完全全曲演奏会」の第1回についてだけ簡単に記す。『シューベルト ピアノソナタ第15番ハ長調 D840』は素晴らしい演奏だったが、前半は直前までの練習の素晴らしさがどこかに飛んだ演奏だった。そのまま「全部飛んだら、第2回は無理!」と悲愴な気分で後半に臨んだのは、もう5年前か!? 前半が終わった時の憂鬱な気分は5年経っても未だに引き摺っているかも(爆


あまりにも「踏み込みが良過ぎる = 上野優子」


 最初に結論を書く。このタイプのピアニストは「コンクールでは(たった1人の例外を除外すると)コンクールでは評価されない」のが、私高本が(録音の残っている1945年以降のコンクールの録音を聴いた限りでは)はっきり言うことができるだろう。『たった1人の例外 = 1965年のショパンコンクールのアルゲリチ』である。ショパンコンクールで言えば、1975年の演奏を(NHK-FM で聴いた限りでは)1位 = ツィメルマン と 2位 = ヨッフェ は「逆の結果」が出ている方が自然に聞こえた。その後の評価は、勿論「ツィメルマン の圧倒的優勢」なのだが、その原因がコンクールなのか? 演奏評価なのか? その他の原因なのか? まで判断できるだけの材料は私高本には無い。『1975年現在の演奏』を聴く限りは

踏み込みの良い = ヨッフェ、安全路線 = ツィメルマン


である。当時「現地即売LP」があり、その後色々なレーベルからCD化されたので聴いた方も多いだろう。


コンクール向き = ミスが最少になる!


 これは、どのピアニストも知っていることだろう! もちろん「ピアニストを育てる指導者」も知っている。

  1. テンポを落とす

  2. ダイナミクスの巾を小さくする


 これでミスは激減する。悪く言えば「モデラートで全曲mfで弾く」である。先日のケフェレックの来日公演みたいな演奏である(爆
 モーツァルトのピアノ協奏曲第27番変ロ長調D595 って、あんなに退屈な曲だったか? と思った。「センプレメゾフォルテ」で弾くと、音楽の「息吹」が完全に聞こえて来なくなることがわかった演奏会である。


 上野優子は全く違う。テンポもアーティキュレーションも「狙いをピンポイントに集中し、突破しよう!」とする。つまり

踏み込みが極めて良い = 上野優子!


である。これは、

「極めて危険な賭け」であり、「(大コンクールでは)弾き出されるパターン」


である。アシュケナージ でさえ、第2位に甘んじたのが「ショパンコンクールの実績」である(爆
 ハラシェビチ(アシュケナージが第2位の時の優勝者)って、今も演奏しているのかな?(爆



上野優子の魅力は「踏み込みの良さ」である!


 プロコフィエフ ピアノソナタ第7番は「罠だらけの難曲」である。多くのピアニストが「魅力に取り憑かれ、演奏会で破綻して消えていった曲」である。 ポリーニ や 小川典子 や 上野優子 のように弾ける方が「極めて稀」なのだ! だからこそ価値がある。
 そんな 上野優子 でさえ、前半の(プロコフィエフと比べれば、激易しい)バッハ = ラフマニノフ では、引っ掛けてしまう!


踏み込みが良い → 出来不出来は「大きくなる」


 上野優子の演奏会について、バッハ = ラフマニノフ は満足行かない人が多かっただろう。だが、

  1. ボルトキエヴィッチ

  2. プロコフィエフ


の素晴らしい感動は、「それまでに通説になっていた音楽通説」さえも覆す名演であった。 この素晴らしいピアニスト  = 上野優子 が、5年後も 10年後も 50年後も 『日本の音楽界』で活躍していてほしい。「コンクールには不向きはピアニスト」であるが、音楽って「感動が最重要!」では無いですか?
 50年後には「私高本はおそらく生きていない」だろうが > 先祖の寿命が短いからね > とても残念 → 50年後の上野優子 や 佐伯周子 は 聴きたいからね(爆
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上野優子CD発売記念リサイタル 批評(No.1642)

2009-03-14 22:33:40 | 批評
 素晴らしい演奏会であった! ここに報告する。

「切り札2枚」ある若手ピアニスト = 上野優子


 若き日から、イタリア → フランス に留学している有望ピアニスト = 上野優子 が「CD発売記念リサイタル」を、東京のド真ん中 = 銀座 の王子ホールで開催した。プログラムは

  1. バッハ = ラフマニノフ : 無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番 から「前奏曲、ガヴォット、ジーグ」
  2. ラフマニノフ : ショパンの主題による変奏曲 作品22
  3. ボルトキエヴィッチ : 10の前奏曲 作品33(おそらく 日本初演)
  4. プロコフィエフ : ピアノソナタ第7番 変ロ長調 作品83「戦争ソナタ」

のラインナップ。過去の素晴らしい「国際コンクール受賞履歴」から「コンクール型ピアニスト?」とも思われるかも知れないが、

実は「非コンクール型ピアニスト = 上野優子」


を素晴らしい演奏で証明した演奏会であった!
 以下、率直な思いを綴る。



休憩後の 「ボルトキエヴィチ + プロコフィエフ」は『人が変わった?』と思う名演!


である。ボルトキエヴィチの前奏曲集作品33 は、おそらく日本初演だろうから比較対象が無い。私高本はとても素晴らしい演奏であると感じた。プログラムノートにて、上田弘子が書いていた「ラフマニノフの亜流」は、上野の演奏を聴く限りだと「誹謗」だと思う。ラフマニノフ よりも、スクリャービン に近い発想が豊かで、作曲家本人は「ショパン指向」だったと感じる。

ボルトキエヴィチの特に「左手の動き → スクリャービンに近い」


ことは、上野の素晴らしい演奏で堪能できた。なぜ「ラフマニノフの亜流」発言が横行したのだろうか? 謎である > 上野の演奏を聴く限りでは



上野優子の美点 → 音楽の絶頂をもたらす「fff」の魅力


である。「ピアノは打楽器」なので、基本的に「音が割れ易い」。上野の耳はきちんと聞き分けて臨界点を越えない。プロコフィエフ ピアノソナタ第7番は「名曲中の名曲」なので、これまでも散々聞いて来た。過去最高は 小川典子 だったが、本日の 上野優子 の演奏は 小川をも上回った感動を私高本に与えてくれた。感謝するばかりである。


 毎年毎年現れて来る「有望新人ピアニスト」は多い。(佐伯周子 もその1人か?)
 しかし、5年後 または 10年後 に生き残っているピアニストは極めて稀である。 多くのピアニストは「切り札は1曲」である。「切り札が2曲」あれば、第2回のリサイタルに廻す。 上野の場合は、はっきり2曲は「切り札」である。いきなり切って来る自信は「切り札が3枚以上ある自信」かと思う。アンコールで弾いた ヒナステラ も素晴らしかったし、昨年聴いた シューマン も ベートーヴェン も素晴らしかった。もし、可能ならば、「バッハのオリジナルチェンバロ曲」を「オリジナル通り」に聴きたかった。 ラフマニノフ編曲 や ジロティ編曲 で無くとも、バッハ には素晴らしい「鍵盤楽器曲」があると思うし、上野 であれば、「魅力を引き出せる」と思う。
 素晴らしいコンサートをありがとう!!!
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ピアノソナタ第16番イ短調「第1大ソナタ」作品42 D845 その2(No.1641)

2009-03-10 19:41:10 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
花粉症の季節になった(藁
私高本も「文明人の1人」なのか、花粉症の症状が出る。川崎の西&北方向の杉の木全部伐採してくれないだろうか?(爆
ブログ更新が滞った原因は「杉花粉」だ。


 シューベルトの曲は、分野を問わず繰り返しが多い。交響曲でも、弦楽四重奏曲でも、ピアノソナタでも、歌曲でも多い。但し、「曲全体の長さ」からすると、歌曲ではほとんど「問題発生」は起こらない。習熟期の歌曲の中には、「1曲で20分以上」の曲もあるが、「糸を紡ぐグレートヒェン D118」以降は、あまり無茶な長さの歌曲は減少し、「魔王 D328」以降は影を潜める。どちらも「出版前」である。


 「ソナタ楽曲のシューベルト」は「後期作品」まで「繰り返し」が多い。これはシューベルト作品の大きな魅力であるのだが

初版の彫刻師にとっては「耐え難い苦難」であった!


と思われる。
 ベートーヴェン以前の「ウィーンの大作曲家 = ハイドン + モーツァルト + ベートーヴェン」でシューベルトほど、「繰り返しの多い作曲家は皆無」だったからである。

シューベルト「生前出版ソナタ楽曲一覧


は次の通りである。

  1. 連弾ソナタ 変ロ長調 作品30 D617(1823.12.30出版)

  2. 弦楽四重奏曲 イ短調 作品29 D804(1824.03.14出版)

  3. ピアノソロソナタ イ短調 作品42 D845(1826.03.01出版)

  4. ピアノソロソナタ ニ長調 作品53 D850(1826.04.08出版)

  5. 連弾ソナタ ホ短調 作品63&84(1826.06.17 & 1827.07.06出版)

  6. ピアノソロソナタ ト長調 作品78 D894(1827.04.11出版)

  7. ピアノ3重奏曲 変ホ長調 作品100 D929(1828.10出版)


 そう、信じられないことに『わすか7曲』なのである。


 初めの2曲は「繰り返し問題」は無い。次の2曲(D845&D850)になると、繰り返しが余りに多くなる > 彫刻師にとって

  1. D845 は「繰り返し」を省略された

  2. D850 は「無駄な繰り返しを背負わされた」


が実績。どちらも「不幸な旅立ち」であった。ちなみに、次のピアノソロソナタ = D894 は、「繰り返しを最小限に留めた曲」である。う~ん、シューベルトもつらかっただろうな!
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ピアノソナタ第16番イ短調「第1大ソナタ」作品42 D845(No.1640)

2009-03-01 22:28:30 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
シューベルト自身が「第1大ソナタ」として、世間に評価を問い糾した作品がこの曲である。1825年5月までには作曲完了しており、ペンナウアーから1826年3月1日に出版された。
 自筆譜なし、筆写譜なし、初版の「試し刷り」と「本印刷」が残っていることが判明しており、シューベルトが大きな労力を賭けて出版した曲である。

わずか1ヶ月先行した「姉作品 = ハ長調ソナタD840」を中途で廃棄してまで「完成させたソナタ = イ短調ソナタD845作品42」


である。

D840 と D845 の第1楽章冒頭が極めて似ている


指摘は相当前から存在している。私高本も同感だ。D840 を何らかの理由で破棄して、直後に作曲開始 → 完成 した曲だと思われる。


 シューベルトの「大曲生前出版」にはいろいろと面倒くさい状況が付きまとっていたようだ。その1つに

反復が多過ぎての『誤植』問題


がある。実は D845 もこの問題に直面している。バドゥラ=スコダ が既に半世紀以上前に指摘している「古い問題」であるが、未だに「ピアニストに共有されていない」らしく、「大問題抱えた演奏続出」の状況。このピアノソナタは「のだめカンタービレ」でも使用されて人気ある曲なのだが残念なことである。問題の詳細は明日掲載予定。
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