前号で「書き尽くせなかった」思いがあるので続編を書く。テーマは
この1点に集中する。
まず皆様に読んでほしい文章がある。私高本の「上野優子演奏会批評」掲載の24時間ちょっと後に書かれた
である。
>演奏会の前半は緊張もあり、
>練習のしすぎから来た疲労で指がもつれてしまって
>思う様な演奏が出来なかった箇所もありましたが
>後半はアクセサリーと髪型を変えて気分も一新、
>作品に没頭して演奏することが出来ました。
冒頭の バッハ=ラフマニノフ ですね! 書かなくてもいいのに(爆
ラフマニノフの遺した録音聞いたこと無い または 楽譜 読んだこと無いひとには「ラフマニノフの編曲のせい?」と思うところなのに。私高本は、「ラフマニノフ のファン」なので、聴いてすぐ「あらら?」と思ったが(爆
「本格日本デビューリサイタル」では、私高本が知っている限りのピアニストは「全部が全部完璧に弾けたピアニスト」はいない。全員の名前を出すのは止めておこう。現在も進行している「佐伯周子 ベーレンライター新シューベルト全集に拠る完全全曲演奏会」の第1回についてだけ簡単に記す。『シューベルト ピアノソナタ第15番ハ長調 D840』は素晴らしい演奏だったが、前半は直前までの練習の素晴らしさがどこかに飛んだ演奏だった。そのまま「全部飛んだら、第2回は無理!」と悲愴な気分で後半に臨んだのは、もう5年前か!? 前半が終わった時の憂鬱な気分は5年経っても未だに引き摺っているかも(爆
最初に結論を書く。このタイプのピアニストは「コンクールでは(たった1人の例外を除外すると)コンクールでは評価されない」のが、私高本が(録音の残っている1945年以降のコンクールの録音を聴いた限りでは)はっきり言うことができるだろう。『たった1人の例外 = 1965年のショパンコンクールのアルゲリチ』である。ショパンコンクールで言えば、1975年の演奏を(NHK-FM で聴いた限りでは)1位 = ツィメルマン と 2位 = ヨッフェ は「逆の結果」が出ている方が自然に聞こえた。その後の評価は、勿論「ツィメルマン の圧倒的優勢」なのだが、その原因がコンクールなのか? 演奏評価なのか? その他の原因なのか? まで判断できるだけの材料は私高本には無い。『1975年現在の演奏』を聴く限りは
である。当時「現地即売LP」があり、その後色々なレーベルからCD化されたので聴いた方も多いだろう。
これは、どのピアニストも知っていることだろう! もちろん「ピアニストを育てる指導者」も知っている。
これでミスは激減する。悪く言えば「モデラートで全曲mfで弾く」である。先日のケフェレックの来日公演みたいな演奏である(爆
モーツァルトのピアノ協奏曲第27番変ロ長調D595 って、あんなに退屈な曲だったか? と思った。「センプレメゾフォルテ」で弾くと、音楽の「息吹」が完全に聞こえて来なくなることがわかった演奏会である。
上野優子は全く違う。テンポもアーティキュレーションも「狙いをピンポイントに集中し、突破しよう!」とする。つまり
である。これは、
である。アシュケナージ でさえ、第2位に甘んじたのが「ショパンコンクールの実績」である(爆
ハラシェビチ(アシュケナージが第2位の時の優勝者)って、今も演奏しているのかな?(爆
なぜ、上野優子は非コンクール型ピアニストなのか?
この1点に集中する。
まず皆様に読んでほしい文章がある。私高本の「上野優子演奏会批評」掲載の24時間ちょっと後に書かれた
上野優子ブログ 日本語ページ最新
である。
>演奏会の前半は緊張もあり、
>練習のしすぎから来た疲労で指がもつれてしまって
>思う様な演奏が出来なかった箇所もありましたが
>後半はアクセサリーと髪型を変えて気分も一新、
>作品に没頭して演奏することが出来ました。
冒頭の バッハ=ラフマニノフ ですね! 書かなくてもいいのに(爆
ラフマニノフの遺した録音聞いたこと無い または 楽譜 読んだこと無いひとには「ラフマニノフの編曲のせい?」と思うところなのに。私高本は、「ラフマニノフ のファン」なので、聴いてすぐ「あらら?」と思ったが(爆
「本格日本デビューリサイタル」では、私高本が知っている限りのピアニストは「全部が全部完璧に弾けたピアニスト」はいない。全員の名前を出すのは止めておこう。現在も進行している「佐伯周子 ベーレンライター新シューベルト全集に拠る完全全曲演奏会」の第1回についてだけ簡単に記す。『シューベルト ピアノソナタ第15番ハ長調 D840』は素晴らしい演奏だったが、前半は直前までの練習の素晴らしさがどこかに飛んだ演奏だった。そのまま「全部飛んだら、第2回は無理!」と悲愴な気分で後半に臨んだのは、もう5年前か!? 前半が終わった時の憂鬱な気分は5年経っても未だに引き摺っているかも(爆
あまりにも「踏み込みが良過ぎる = 上野優子」
最初に結論を書く。このタイプのピアニストは「コンクールでは(たった1人の例外を除外すると)コンクールでは評価されない」のが、私高本が(録音の残っている1945年以降のコンクールの録音を聴いた限りでは)はっきり言うことができるだろう。『たった1人の例外 = 1965年のショパンコンクールのアルゲリチ』である。ショパンコンクールで言えば、1975年の演奏を(NHK-FM で聴いた限りでは)1位 = ツィメルマン と 2位 = ヨッフェ は「逆の結果」が出ている方が自然に聞こえた。その後の評価は、勿論「ツィメルマン の圧倒的優勢」なのだが、その原因がコンクールなのか? 演奏評価なのか? その他の原因なのか? まで判断できるだけの材料は私高本には無い。『1975年現在の演奏』を聴く限りは
踏み込みの良い = ヨッフェ、安全路線 = ツィメルマン
である。当時「現地即売LP」があり、その後色々なレーベルからCD化されたので聴いた方も多いだろう。
コンクール向き = ミスが最少になる!
これは、どのピアニストも知っていることだろう! もちろん「ピアニストを育てる指導者」も知っている。
- テンポを落とす
- ダイナミクスの巾を小さくする
これでミスは激減する。悪く言えば「モデラートで全曲mfで弾く」である。先日のケフェレックの来日公演みたいな演奏である(爆
モーツァルトのピアノ協奏曲第27番変ロ長調D595 って、あんなに退屈な曲だったか? と思った。「センプレメゾフォルテ」で弾くと、音楽の「息吹」が完全に聞こえて来なくなることがわかった演奏会である。
上野優子は全く違う。テンポもアーティキュレーションも「狙いをピンポイントに集中し、突破しよう!」とする。つまり
踏み込みが極めて良い = 上野優子!
である。これは、
「極めて危険な賭け」であり、「(大コンクールでは)弾き出されるパターン」
である。アシュケナージ でさえ、第2位に甘んじたのが「ショパンコンクールの実績」である(爆
ハラシェビチ(アシュケナージが第2位の時の優勝者)って、今も演奏しているのかな?(爆
上野優子の魅力は「踏み込みの良さ」である!
プロコフィエフ ピアノソナタ第7番は「罠だらけの難曲」である。多くのピアニストが「魅力に取り憑かれ、演奏会で破綻して消えていった曲」である。 ポリーニ や 小川典子 や 上野優子 のように弾ける方が「極めて稀」なのだ! だからこそ価値がある。
そんな 上野優子 でさえ、前半の(プロコフィエフと比べれば、激易しい)バッハ = ラフマニノフ では、引っ掛けてしまう!
踏み込みが良い → 出来不出来は「大きくなる」
上野優子の演奏会について、バッハ = ラフマニノフ は満足行かない人が多かっただろう。だが、
- ボルトキエヴィッチ
- プロコフィエフ
の素晴らしい感動は、「それまでに通説になっていた音楽通説」さえも覆す名演であった。 この素晴らしいピアニスト = 上野優子 が、5年後も 10年後も 50年後も 『日本の音楽界』で活躍していてほしい。「コンクールには不向きはピアニスト」であるが、音楽って「感動が最重要!」では無いですか?
50年後には「私高本はおそらく生きていない」だろうが > 先祖の寿命が短いからね > とても残念 → 50年後の上野優子 や 佐伯周子 は 聴きたいからね(爆