Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

作曲家グルダの全盛期について(No.1783)

2010-08-19 23:49:03 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
好きな作曲家の1人に「グルダ」を挙げると、大概の人が「えっ? グルダってピアニストでしょ??」の反応を示す。佐伯周子もその1人だった(爆

 私高本は

グルダ = クライスラー並みのウィーンの作曲家


と固く信じている。この信念は誰も変えられない(爆


 モーツァルト とか ベートーヴェン とか シューベルト とか「昔の大作曲家」だと写真や録音が残っていないこともあり、実像が掴みにくいことは否定できない。

グルダ = 20世紀後半が産んだ「ウィーン最大の作曲家」


と私高本は信じる
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20才のシューベルト その14(No.1782)

2010-08-13 21:33:58 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 「シューベルトの早熟」を越していたのは「モーツァルトの早熟」だけであろう。
 「シューベルトの早熟」について、「初めの傑作」がどの作品なのかは意見が分かれるところだろうが

  1. 弦楽四重奏曲 ハ短調 D32/4(1812.09着手の曲)
  2. 弦楽四重奏曲 ハ長調 D46(1813.03.03着手)
  3. 弦楽四重奏曲 変ホ長調 D87(1813.11着手)
  4. ミサ曲第1番 ヘ長調 D105(1814.05.17 - 1814.07.22作曲、1814.10.16初演)
  5. 「糸を紡ぐグレートヒェン」D118作品2(1814.10.19作曲)

辺りのどれかで、納得して頂けることと思う。
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佐伯周子賛(No.1781)

2010-08-11 23:39:34 | ピアニスト・佐伯周子
 7/20佐伯周子シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会第8回の録音を聴いた。当日は客席で全プログラムを聴いたが改めて、襟を正して(爆


 「演奏会プロデューサー」の私高本が書くのも何だが

『佐伯周子のシューベルト』は、21世紀にシューベルトが降臨した感触


である。
  21世紀の今、「シューベルト弾き」と称するピアニストの大半が「ブレンデルの影響」を良くも悪くも受けまくっている。アーティキュレーションやデュナーミクなどなど。もちろん、『ブレンデルの解釈』はそれはそれで素晴らしいのだが、無批判に「音をなぞる」のはいかがなものか?(爆


後期シューベルト(1825.04- )がピアノソナタで目指したのは「ピアノ1台に拠る交響曲」像


と感じる。「未完成」交響曲も「グレート」も公開演奏されることなく、初期交響曲(第6番以前)以外は自分の交響曲の実際の音をナマで聴くことはシューベルトはかなわなかった。31才で若死にしたのが人生最大の誤算だった。

「シューベルトの人生目標」 = 「ベートーヴェンを越す器楽曲作曲家」


であった。27才年上のベートーヴェンに質&量で追い越す、のは並みの人間では考えつかないが、シューベルトは弦楽四重奏曲やピアノソナタやピアノトリオや「ヴァイオリン+ピアノ」にガンガン投入していった。
 結果、「ピアノパート」がやたら難しい曲が作曲された。中期の「さすらい人」幻想曲作品15D760 以降、「ピアノの難しい」が原因で演奏頻度が低い曲が頻出した。多くのピアニストは「右ペダル」でごまかす。


佐伯周子は、『シューベルトの楽譜通り』弾く


  特に「ベーレンライター新シューベルト全集」に忠実、と言うよりも、「シューベルトに忠実」が顕著。楽譜に何の問題も無い名曲中の名曲=ピアノソナタ第19番ハ短調D958「遺作」を聴く。ベーレンライター新シューベルトが最も見易い楽譜(← 私高本はしょっちゅう見ているから)だが、ヘンレ版、ウィーン原典版、王立音楽院版、ユニヴァーサル版、ペータース版、旧ブライトコプフ&ヘルテル旧シューベルト全集、どれでもほぼ同じ楽譜の曲。自筆譜が残っている上、初版からきちんとした楽譜が提供されて来た曲だから。
 このソナタの第1楽章の第1小節から第2小節の「16分音符+4分音符+4分音符」の音型。これは「シューベルト音型」の1つ。歌曲「タルタルスの群れ」D583 などでも出てくる印象的な音型である。
 この音型の「切れ」が 佐伯周子 は抜群にいい。呈示部1回目は「シューベルトの指示通り」に、呈示部繰り返しに2回目は「ブレンデル風に」、再現部では「シューベルトの指示通り」に弾いている。リハーサルの時には「ブレンデル風」は無かったのに(爆
 「繰り返し」の時は、「表情を変える」を実践した様子。再現部では、きちんとシューベルトの指示に戻す。余裕かましていたんだな(爆


  ベートーヴェンの変奏曲も素晴らしかった。ヤマハ「CFX」の長所 = 音の伸びが中音から高音で無限のように感じられる を生かした演奏。ここだけの話だが、マネジャーの私高本の力が不足で、7/20 前に ヤマハ「CFX」を佐伯周子は事前に弾くことができなかった。新製品で、かつ最高品質のピアノなので、絶対台数が緊迫していたのが唯一の原因なのだが。

反応が信じられないほど速い = ヤマハ「CFX」


の特徴を弾き初めて数分後に感じ、「CFXでベートーヴェン変奏曲を弾く」を真っ先に決めたが、録音を聞き直すと大正解だったようだ。これだけ反応が速いピアノが世界に生まれたことに感謝したい。


  こんな素晴らしいシューベルト弾きに出会えたことは、私高本の人生最大の幸運である。短命の家系に生まれた上に「明日死んでも誰も不審には感じない」私高本だが、「佐伯周子のシューベルト完全全曲演奏会」は「怨念がここにおんねん」で最後までプロデュースしたい。
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20才のシューベルト その13(No.1780)

2010-08-10 22:45:55 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

20才のシューベルトは素晴らしい!


  昨日号までに「シューベルト最新研究の精髄」を掲載した。多くの学者が様々な見解を述べ、その後に発見された資料や(その前に発見されていたのに見落とした資料で)論を覆されて来た。「その後発見資料で覆された学者」は『立派な学者』である。同時代で最も思索が深かったのだから。


  「20才のシューベルト」と「20才の私高本」を比較すると、余りの差に声も無い。「20才のシューベルト」に比肩できるのは「20才のモーツァルト」だけだと感じる。個人的にはシューベルトの方が上だと思うが、多数決を世界中で取ると少し不利かも知れない(爆
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20才のシューベルト その12(No.1779)

2010-08-09 19:36:15 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

スケルツォ 変イ長調D566/3 は、第3楽章か? 第2楽章か?


  本日はこの問題を追う。
シューベルトは「変イ長調の舞踏楽章」が好きな作曲家だった。

  1. ソナタ第6番 ホ短調D566 スケルツォ(=D566/3)1817.06
  2. 楽興の時第6番 変イ長調(D780/6)1824秋以前
  3. ソナタ第15番 ハ長調D840「レリーク」 メヌエット(=D840/3)1825.04
  4. 即興曲集第2集 ヘ短調D935 アレグレット(=D935/2)1827.12

 完成したD935の位置も変わっており、楽興の時では、明らかに舞踏楽章なのに終楽章にもなっている。「変則的な時」に使われることが多いように見える。

 ホ短調ソナタD566 の構成は

  1. モデラート ホ短調 D566/1 ソナタ形式
  2. アレグレット ホ長調 D566/2 ソナタ形式
  3. スケルツォとトリオ 変イ長調 D566/3 3部形式

となっている。「2番目に終楽章が書かれた楽譜」はいくつもあり

  1. 弦楽四重奏曲変ロ長調 D68
  2. ピアノソナタ嬰ヘ短調 D571+D570
  3. ピアノソナタ ハ長調 D613+D612

などは、第1楽章 → 終楽章 が続けて書かれたソナタ楽曲である。

スケルツォD566/3 を「第3楽章だ!」と固定観念を持つから、無理矢理終楽章を付けようとする


 これは、昨日号をお読み頂ければ、アホな顛末を理解して頂けることだろう。

ホ短調ソナタ D566 の楽章順



  1. 第1楽章 モデラート ホ短調 D566/1 第2稿 ソナタ形式

  2. 第2楽章 スケルツォとトリオ 変イ長調 D566/3 3部形式

  3. 第3楽章 アレグレット ホ長調 D566/2 ソナタ形式(← おそらく他のソナタの終楽章を流用)


である。 スケルツォ変イ長調D566/3 も「ソナタ ホ短調D566/1 第1稿」のために作曲されたのか? 「ソナタ 変イ長調? D557」のために作曲されたのか? これも何ともわからない。調性的には D557 に属した方が自然であるから。D557 の第1楽章と第2楽章の間、または第2楽章と第3楽章の間に挿入して聴いても、何も不自然な感じはしないだろう。(調性的には主調で終結しない違和感は相変わらず残るが)


 もし、D566/2 も D566/3 も他のソナタから流用したとするならば、何をそんなに急いだのか? D571+D570 の時と同じく

次ソナタ 変ニ長調D567 が頭に浮かんで離れなかった


と推察する。「Sonate X」と誇らしげに書き、死ぬ間際には「第3大ソナタ」として大改作した上に出版にまで漕ぎ着けた自信作である。
 シューベルトは後世の私たちからすると、時々とんでもないほど執着した曲がある。いくつか挙げると

  1. ミサ曲ハ長調 作品48 D452(第1稿1816.06-07作曲、1825.09.03出版、第2稿1828.10作曲)
  2. ピアノソナタ変ニ長調D567&変ホ長調D568(第1稿1817.06作曲、第2稿おそらく1828作曲)
  3. ピアノソナタロ長調D575(1817.08作曲、コラー嬢に作曲年を偽って捧げる)
  4. ミサ曲変イ長調 D678(1819.11-1822.09作曲)

などなど。この辺りの心情はシューベルト自身に尋ねてみないとわからないような気がする(爆
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20才のシューベルト その11(No.1778)

2010-08-08 21:06:19 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

ホ短調ソナタ D566 の終楽章は、D566/2? or D506?


 本日はこの問題を掘り下げる。
昨日号に記載した通り、

  1. 1905年 ルートヴィヒ・シャイブラーが「ホ長調ロンドD506 が ピアノソナタホ短調の終楽章説」唱える

  2. 1907年 エーリヒ・プリーガー編で D566/2 がブライトコプフ&ヘルテル社より出版


が『歴史的事実』である。まず、シャイブラー説の根拠を考察してみよう。

1905年当時の シューベルトのホ長調ソナタとホ短調ソナタ像



  1. ホ長調ソナタD157 3楽章構成 調性が主調に戻らない
  2. ホ短調ソナタD566 1楽章のみ

であった。

「5つのピアノ曲」D459(+D459/A)は、ピアノ小品集と考えられていた


時代である。
 この時に、1816年12月作曲「人生の歌」の余白に作曲されている 「ロンド ホ長調 D506」が筆写譜に「ソナタ」と書いてあれば、

D506 こそ D566/1 の終楽章だ!


と断じるのは無理ない。私高本がシャイブラーだったら、同じ主張を必ず実行する!


 ・・・で、「収まらない」のは、『D566 の自筆譜を所有していたプリーガー』である。(おそらく)高いゼニを払って、ウィストリングから購入した楽譜と推察される。(当時タダで貴重な楽譜を他人に渡すバカはいなかった)

2年後の1907年に、旧シューベルト全集を出版した権威ある ブライトコプフ&ヘルテル社から D566/2 を「プリーガー編」にて出版


した。いくら掛かったのだろうか? 相当の散財をしたと推測される。理由は「D566/3」をプリーガー自身が出版できる余力が残っていなかったから、である。


1907年段階の 「D566 = 2楽章説」当時、終楽章は D506? or D566/2? どちらが有力?


  現在の論点で欠けているのが上記テーマ。このテーマを突き詰めない為に、後世(特に1948年~2000年)に問題を撒き散らしてしまったのである。
 双方の主張に合わせて、楽譜を読みながらCDを聴いてみよう。D566/2 と D506 双方を録音してくれているピアニストの録音ならば可能である。

  1. D566/1 + D506 → ベートーヴェンピアノソナタ第27番ホ短調作品90 に似た感触の名曲
  2. D566/1 + D566/2 →  ベートーヴェンピアノソナタ第27番ホ短調作品90 に似た感触の名曲

 う~ん、困った!

D506 と D566/2 は聴感上、極めて似ている楽章!


だから。これほど似た楽章は、ピアノソナタに限らず、他の多楽章曲でも見当たらないほどだ!
 こうなって来ると、「楽譜の音楽学的考察」しか根拠が無くなる。ここで突き当たる問題が

D566/2 は、プリーガー以外の人物が1回も「シューベルトの自筆譜」を確認していない事実


である。
 しかし D566/2 が偽作とは考えられない「シューベルトの味」満載の楽章であることも事実。
 相当に無理な説を唱えるならば、「2稿あるソナタD566/1の終楽章も2稿あった」の説が出ても不思議は無い。しかし、2000年まで「D566/1 第1稿」は出版されず、また今私高本が述べたばかりの珍説も出て来なかった(爆
 ちなみに

プリーガーは ピアニスト=ドホナーニに D566/2世界初演を実行してもらった


ので、多くの聴衆は「プリーガー説」になびいたことだろう。


1925年前後の「シューベルト学者」の疑惑


  D506 と D566/2 のどちらが終楽章か? 1925年頃のシューベルト学者たちも疑念を抱いていた。バウアー(著名な学者であり、確か有名ピアニスト)が1925年にプリーガーを訪れ、自筆譜の真偽を確かめようとした。その際に実行されたことは、何と D566/2 とは全く無関係なことになってしまった(← 事実)

  1. D566/1 + D566/3(全楽章)の筆写譜作成許可


  2. D566/3(トリオのみ!) の「写真版」作成許可



 これはこれで、「ホ短調ソナタD566 に第3楽章があった!」という衝撃的事実だった。バウアーの興味は D566/3 に移ってしまったようで、D566/2 に関しての発言がほとんど残っていない様子である。
 私高本の個人的感想として

D566/1第2稿 と D566/3 は違和感無い様式で作曲されているが、D566/2 は違う様式で記譜されていた


だと推察する。
 似た様式ならば、バウアーに見せて自慢した、と思われるからである。

 プリーガーは、その後 D566/3 を自力で出版することなく(もしかしたら版権をバウアーに売却していた可能性も大)「シューベルト史上」から姿を消す。
 D566/3 は、「学者のための学会論文誌」に1928年に掲載されたのが世界初出版となった。この方法は、ピアニストにはほとんど影響を与えないが、金銭が掛からないのが最大のメリットである。


1948年現在の 学者デイルの仮説


  他の曲では一切名前の出て来ないシューベルト学者が、キャスリーン・デイル である。D566 + D506 のみで名前が出てくる。上記の1928年までの事情を詳細に調べ、このような結論に達したようだ。

  1. ホ短調ソナタの第1楽章 = D566/1第2稿


  2. 「続く楽章」第2楽章 = プリーガー説の通り D566/2


  3. 「続く楽章」第3楽章 = バウアー説の通り D566/3


  4. 最終楽章 = シャイブラー説の「終楽章」通り D506



 このような説でロンドンで楽譜を出版した。「各学者の説」を言葉尻を捉えてパズルのように組み立てた説で、楽譜出版後も誰もこのデイル説では演奏・録音しなかった様子。少なくとも

1976年ヘンレ版出版前は、全ての録音が D566/1 + D566/2 説!


をここで指摘しておく。


1966年モーリス・ブラウンがデイル説追認直後の状況


  この頃「飛ぶ鳥を落とす勢いだった ドイツ・グラモフォンレーベル」が最高のシューベルト弾き = ケンプ を起用して、『世界初のシューベルトピアノソナタ全曲録音』を開始した。1965年2月録音開始、1968年1月までは「構成に問題が一切無いソナタ」だけ録音し、1968年8月から「ヤバげなソナタ」着手、1969年1月録音完了。1965-1968年の「最新研究」通りに録音されているが、D566/1 + D566/2で1968年8月に録音。解説は、ドイツ語、英語、イタリア語にそれぞれ著名シューベルト学者を起用する力の入れようなので、下調べは万全だったと思う。英語版解説はジョン・リード。
 続く ワルター・クリーン録音も D566/1 + D566/2 であった。

モーリス・ブラウンがデイル説追認直後の状況も「ピアニストは、デイル説は無視」




1976年 パウル・バドゥラ=スコダがヘンレ版第3巻出版後の状況


  これは「笑ってしまう」ほど、「デイル説」が受け入れられた、であった。

最大の理由 = ブレンデルと並ぶ「知性派ピアニストのバドゥラ=スコダがヘンレ版楽譜にて出版」


であろう。付け加えるならば、バドゥラ=スコダ本人がベーゼンドルファーを弾いて録音したLPがリリースされたことも大きいだろう。ケンプやクリーンの録音よりも「世界が広がった」からである。
 現在は「4楽章演奏」の方が主流であるが、プラーネスやプリュデルマシェールのように D566 自体を演奏しないピアニストも多い。この問題は根深いのだ。


2000年ベーレンライター新シューベルト全集ピアノソナタ第1巻刊行されてからの変化


  これが寂しいほど全く無い(泣

 「佐伯周子」ただ1人が「新シューベルト全集」使って孤軍奮闘、ドンキホーテのように演奏しているからかも。しかも D566 はまだ演奏していない。内田光子のようにベーレンライター新シューベルトについて「廉価版」だけ購入して悪口叩くピアニストもいるし(爆涙

 佐伯周子がバドゥラ=スコダを越すと、「シューベルトピアノ曲演奏」の世界が変わるのかも!!!


 ・・・で、D506 と D566/2 のどちらが「ホ短調ピアノソナタ D566/1 の終楽章なのか?」である。

  1. 状況証拠としては、D506 = ホ長調ソナタD459A/3 の終楽章の可能性が極めて高い


  2. 状況証拠としては、D566/2 と D566/1 の「楽譜状況」が大いに違っている可能性が高いが、「一緒に保管されていた」ことは間違いない



は断言できる。

ホ短調ソナタD566/1 の終楽章は、D566/2 の可能性が極めて大。しかし楽章構成は2楽章? 3楽章? 4楽章? は断定できない


である。
 2楽章構成の終楽章と、3楽章構成の終楽章と、4楽章構成の終楽章では、随分違う感触になるのだ!
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20才のシューベルト その10(No.1777)

2010-08-07 21:07:41 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 本日は「Sonate I - Sonate VI」に於ける最後の問題 = D566 について述べる。

ホ短調ソナタD566 は何楽章構成で、楽章順はどうなのか?


 ホ短調ソナタの「楽章構成」の歴史的推移を見よう。

  1. 1888年 ブライトコプフ&ヘルテル旧シューベルト全集「ピアノソナタ」巻にて「第1楽章のみのソナタ」として出版(第2稿)


  2. 1905年 ルートヴィヒ・シャイブラーが「ホ長調ロンドD506 が ピアノソナタホ短調の終楽章説」唱える


  3. 1907年 エーリヒ・プリーガー編で D566/2 がブライトコプフ&ヘルテル社より出版


  4. 1925年 プリーガーがアドルフ・バウアーに、D566/1 と D566/3 のみ筆写譜を作成させる


  5. 1925年頃 D566/3 の「トリオのみ」の写真版作成


  6. 1928年 バウアー編で スケルツォとトリオ 変イ長調 D506/3 が「Die Musik」誌に掲載


  7. 1948年 キャスリン・デイル編で D566/1 + D566/2 + D566/3 + D506 の楽譜初出版


  8. 1966年 モーリス・ブラウンが 「4楽章説」追認「Essays on Schubert」P205-206(論文単体の初出は未掲載)


  9. 1976年 パウル・バドゥラ=スコダがヘンレ版楽譜にて「4楽章」楽譜を全集の名に於いて初出版


  10. 2000年 ベーレンライター新シューベルト全集にて D566/1第1稿 世界初出版



 これが正確な順序である。この ホ短調ソナタD566 に関しては、様々な人が様々な思いで自説を述べ、根拠の無い文章が錯綜している。「出版」だけでも150年以上の時間が経過しているから仕方ないか?(爆

ホ短調ソナタD566 に属すると推察される楽章の世界初出版一覧



  1. 1847年 D506「Adagio & Rondo」ホ長調として ディアベリ社


  2. 1888年 D566/1 第2稿


  3. 1907年 D566/2


  4. 1928年 D566/3


  5. 2000年 D566/1 第1稿 ベーレンライター新シューベルト全集



以上である。
 「錯綜した」原因を1つづつ整理してみよう。

D566/1 の「2つの稿」の問題


 実はこれが一番大きい問題である。

D566/1 を1888年に出版した時は「第2稿」を使用した


 これが誤って伝えられている文献がある。

1897年出版ブライトコプフ&ヘルテル旧シューベルト全集『校訂報告』には、「第1稿」自筆譜がベルリンにあることのみ記載


であるが、実際には全く掲載されなかった。校訂報告さえも。「第1稿」は「第2稿」よりも4小節長いのだが(苦笑
 すなわち、旧全集校訂者エプシュタインは、「第2稿」楽譜を入手していたのである。自筆譜なのか筆写譜なのかは断定は出来ないが、1897年の「校訂報告」に「別の自筆譜」が掲載されていないところから「筆写譜」であった可能性が極めて大。
 エプシュタインは D157, D279, D557 の3曲のソナタを「旧シューベルト全集にて世界初出版」しているから、信頼ある資料であれば、調性の不一致は気にせずに出版した、が実績。
 論理的に考えると、

エプシュタインは、D566/1「第1稿」自筆譜と「第2稿」筆写譜を見た。「第1稿」は単独楽章、「第2稿」も単独楽章。


と推測される。
 エプシュタインは D566/2 と D566/3 を見ていない。見ていたら(ソナタで出版したか、ピアノ小曲集で出版したかは別にして)必ず出版していたからだ。すると

筆写譜作成段階で「D566/1 第2稿」は、D566/2 や D566/3 と別扱いになっていた


と考えるのが論理的。「D625/1 + D625/2 + D625/3」と「D505」が別になっていた、と同じ状態の意味である。通称「ヴィッテチェク=シュパウンコレクション」と呼ばれる筆写譜の1つだった、と推測できるだろう。

第2稿に第1稿の楽譜を流用する時は「流用楽章を切り離し、再度は記譜しない」がシューベルトルール


からすると、D566/2 と D566/3 が第1稿から流用した可能性はある。しかし、「Sonate II = D567」が同じ1817年6月に作曲されているのだから、筆跡は同じで、五線譜も(余白を利用したとしても)続いているだろう。
 エプシュタインが「第2稿」をどのように入手したのか、記載しておいてくれたら、後世のシューベルト研究家はどれほど助かったことだろう!!!

「D566/1 第2稿の筆写譜作成者」が見た時には、D566/2 と D566/3 は見ていなかったか、別作品に見えた


ことだけが推定される。
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20才のシューベルト その9(No.1776)

2010-08-06 23:57:07 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 前号にて

>何をそんなに急いで記譜したのだろうか?

と書いた。これが「20才のシューベルトのピアノソナタを解く鍵」だと私高本は信じる。本日は「ソナタ嬰ハ短調D571 の全4楽章中、3楽章を書き飛ばしたシューベルトが急いだ先」について書く。


 「Sonate V」を書き飛ばした理由は唯1つ、「Sonate VI = D575」を書く為だった。シューベルトの頭の中では「ピアノソナタ6連作が完成する!」の情念で埋まっていたのだろう(爆

  1. D575 は「2稿」ある

  2. 1818年以降に「コラー嬢」に『作曲年を偽ってまで、献呈した自信作』


である。私高本個人の意見では イ短調ソナタD537 の方が集中力が漲る名曲のようにも感じられるのだが。
 シューベルトは「先に先に進む」作曲家だった。結果、少々仕上げが「手抜き」と(モーツァルトやベートーヴェンと比較すると)感じられる曲がいくつも残った。「ソナタ形式の再現部」はシューベルトにとっては「単なる再現部」だったが、「第1主題はどの調性で再現して、どれだけ拡大するか?」「第2主題はその調性で再現するか?」「コーダはどうするか?」などの問題は内在している。
 しかし、

シューベルトは、書き急いだからこそ31才にてD番号で965までの作品を遺した


も事実。何とも胸が痛むばかりだ。
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20才のシューベルト その8(No.1775)

2010-08-04 23:14:47 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 2010年現在、D571 の演奏は下記3パターンに集約されている。


  1. 1楽章(D571)のみ演奏 → シフ など

  2. 3楽章演奏(D571+D570/2+D570/1) → 少数派

  3. 4楽章演奏(D571+D604+D570/2+D570/1) → 多数派


 この時代背景推移を明記しておく。滅多にないぞ!

  1. 1897年 ブライトコプフ旧シューベルト全集:補巻 にて D571 世界初版。単一楽章ソナタの断片として収録

  2. 1928年 ワルター・リーベルグスが「D570 が ソナタD571 の楽章」説を初めて唱える(→ 3楽章ソナタ説の始まり)

  3. 1966年 モーリス・ブラウン が「Essays on Schubert P207」にて「D604 が ソナタD571 の第2楽章の可能性」を唱える(→ 4楽章ソナタ説の始まり)

  4. 1976年 パウル・バドゥラ=スコダ が ヘンレ版楽譜にて「D604 が ソナタD571 の第2楽章で全4楽章を唱える(→ 4楽章ソナタ説の楽譜化)

  5. 1978年 ハワード・ファーガソンが「ブラウン説追認」して楽譜出版(→ 4楽章ソナタ説強化)

  6. 1998年 マルティーノ・ティリモが「ブラウン説+バドゥラ=スコダ説」を追認し楽譜出版(→ 4楽章ソナタ説強化)


である。尚、「D604 = 1816年説」に傾いているベーレンライター新シューベルト全集は、ブラウン説についても、バドゥラ=スコダがヘンレ版楽譜で出版したことも紹介しているが、D604 は「ピアノソナタ巻」に入れなかった。「問題未解決」扱いである。


 もう1度原点に戻る。モーリス・ブラウンは「D604 が ソナタD571 の第2楽章の可能性」を示唆したが、「D604 が 1816年9月作曲序曲D470 の弦楽四重奏曲用スケッチの余白に作曲」したことも併記した。つまり、

ブラウンは「調性はピタリ合致するが、自筆譜資料からはD604は1年前の作品の可能性」の方が高い


ことも知っていた。「可能性示唆」はしたが断定はしなかった。
 10年後、バドゥラ=スコダがヘンレ版楽譜にて出版したのが転機となった。

  1. ヘンレ版
  2. 王立音楽院版
  3. ウィーン原典版

と「指遣い付き3大原典版楽譜」が揃いも揃って「D571は4楽章ソナタ」で出版されたので、大多数のピアニストは4楽章演奏(緩徐楽章=D604)に走った。仕方ないか(爆


 ブラウンが懸念していたことは、ブラウンは相当に重大視していた。つまり「D604 が 1816年9月作曲序曲D470の草稿の余白に作曲されている」である。その為、

ブラウンは『見出しでは3楽章ソナタ説』を明記し、説明文のなかで「可能性」だけ記載


であった。バドゥラ=スコダがヘンレ版楽譜で出版された後は、洪水のように「D604 を第2楽章に据えた4楽章ソナタ説」が蔓延ったのだが(苦笑


 資料的には、

  1. 「D604 ≠ ソナタD571の第2楽章」が確率が相当高く

  2. 「D348 = ソナタD571の第2楽章」が確率が極めて高い


D348 は、ソナタD459A/3 よりも後に作曲された1817年のピアノソナタの緩徐楽章の可能性が極めて高い


からであり、D575 は初稿から「現行の楽章構成(順番は違う)」が確定しているので、D571 が唯一にして最有力候補である。「D459A/3 = ソナタ第3番」としても、残りの1曲が「D664」しか考えられないのが現状。D664 には立派な第2楽章(Andante)が実在しているので、D571の緩徐楽章と考えるのが最も自然である。
 他には「D459A/3 の第2稿で廃棄された」と考えることも可能ではあるが、弾いて見るとわかるが

完成度が D348 > D349


である。
 D348 はアンスネスの名演もCD化されている。D349の名演CDは無いよ(爆


 ここから先は断定は出来ない。私高本のこれまでの研究結果である。

「Sonate V」D571 は4楽章構成で、D571, D348, D570/2, D570/1 の順である。


 特に不自然な箇所は何も無い。第2楽章の補筆完成版も容易である。第1楽章と第4楽章の補筆完成版は(これまでのバドゥラ=スコダ版、ティリモ版は少し違和感あるので)さらにより良い版が待たれる。
 もし、上記構成が正しいならば、「第1楽章、第2楽章、第4楽章が未完成」である。全ての楽章で「再現部の記譜を省略」している。何をそんなに急いで記譜したのだろうか?
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20才のシューベルト その7(No.1774)

2010-08-03 21:48:48 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 D604 が「ソナタ D459」に属する、となると不都合なソナタが存在する。「ピアノソナタ 嬰ヘ短調 D571」である。本日はこのソナタの周辺について書いてみたい。


 ソナタ 嬰ヘ短調 D571 は、随分といろいろな解釈をされて来た。

  1. 永く(1897-1928)「1楽章の嬰ヘ短調ソナタ 第1楽章」と誰も疑わずに信じられてきた。ミサ曲D324「グローリア」(1815.11.11 - )アルトパート譜の余白に作曲されている。

  2. リート「Lorma」D327(1815.11.28日付)の余白に、終楽章+スケルツォ楽章(=D570)は書かれた



リート「Lorma」は新旧シューベルト全集でも未だ出版されたことが無い曲


新全集ではいずれ出版されるだろうが、編纂者以外には全貌はわからない。「シューベルト作品主題カタログ新版」(1978)にテーマが掲載されているだけだ!

「五線紙不足が最もきつい時に作曲したピアノソナタ」の状況。緩徐楽章も「作曲されていれば、他の曲の余白」に作曲されたと推定される。若しくは緩徐楽章なしの3楽章構成。どちらなのだろうか?
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20才のシューベルト その6(No.1773)

2010-08-02 15:53:54 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 本日は昨日の続きである。

ピアノソナタ ホ長調D459 は「1稿」しか残されていない1816年8月のソナタ


である。
 この点の指摘は全く見たことがない。

理由は、「自筆譜が第1楽章全てと第2楽章第142小節まで現存しているのに、印刷楽譜は第2楽章が第231小節まで完結している」から、別の原稿が存在した『はず』


と講釈されて来た。しかし

自筆譜と初版楽譜がこれほどまで一致しているソナタは珍しい = D459


なのだ。

第2楽章第142小節までは「ソナタ形式展開部終了」なので、再現部の補筆完成版を出版社クレムが作成・出版した


と考えると筋が通る。

  1. 第188小節(第46小節対応)で4度下げて、第2主題を主調で導く
  2. 第228小節から「4小節の短い目立たないコーダ」を補筆した

の2点のみ。シューベルトが作曲した再現部ならば、もう少しは変化がある、と考えるのが妥当。

ピアノソナタ ホ長調 D459/2 は「世界初」の補筆完成版! だった可能性が極めて大


である。

シューベルトはピアノソナタ作曲時、第1楽章 → 終楽章 の順に作曲することが多い(D459, D566, D571+D570, D613+D612)


 すると、中間楽章が最低で1楽章分は残されているはずだ。有力候補は実在し、「イ長調 D604」、1816年9月作曲「序曲 D470の草稿譜」と一緒に作曲されているので、作曲時期がピタリ合致する。

D459 1稿のみ



  1. 第1楽章 ホ長調 Allegro D459/1(完成)

  2. 第2楽章 イ長調(速度指示無し) D604(完成)

  3. 第3楽章 ホ長調 Allegro D459/2(ソナタ形式展開部終了まで完成。クレムが補筆完成)


と考えられる。

要点は D459/2 = 終楽章 であり、D459/2 ≠ スケルツォ楽章


である。クレムは「トリオのないスケルツォ」と勘違いしたようで、ベートーヴェン作曲ピアノソナタ第18番変ホ長調第2楽章スケルツォ を手本とした形に補筆完成版を作成したようだ。
 ちなみに「ソナタ第1番ホ長調 D157」も「ソナタ第2番ハ長調 D279」も「疑いなき完成した終楽章」は今のところ無いと考えられているので、シューベルトは「ソナタ第3番ホ長調 D459」まで全てのソナタで「終楽章で苦労」したことになる。


 出版社クレムが入手した楽譜は2系統あり

  1. Allegro patetico ホ長調
  2. Adagio ハ長調
  3. Scherzo : Allegro イ長調


  1. Allegro moderato ホ長調
  2. Allegro ホ長調(容易に補筆できる未完成稿)

だったと推測される。
 2系統共に(クレムの眼には)終楽章が欠けていた。「5つのピアノ小品」としてクレムが出版したのは1843年。この時に「出版されていたソナタ」は次の通り。

  1. イ短調ソナタ D845 作品42(1826出版)
  2. ニ長調ソナタ D850 作品53(1826出版)
  3. 変ホ長調ソナタ D568 作品122(1829出版)
  4. イ長調ソナタ D664 作品120(1829出版)
  5. ハ短調ソナタ D958(1838出版)
  6. イ長調ソナタ D959(1838出版)
  7. 変ロ長調ソナタ D960(1838出版)

 「ト長調ソナタ D894」は「幻想曲、、、作品78」として出版されていたし(爆

「ハ長調ソナタ D840 レリーク」は第2楽章のみが1839年に出版され、全曲出版は1861年


である。シューマンが絶賛した D840 でさえ、1843年には第1楽章すら出版されていないのが時代背景である。ちなみに

D157,D279,D557,D566,D571,D612,D625,D655 のソナタが出版されたのは、ブライトコプフ旧シューベルト全集が初


なのである。1888年と1897年。
 その半世紀も前に「終楽章の欠けた2曲のホ長調ソナタ(に見えた)の原稿を購入」したクレムは何とか売らないと元手が回収できない。

2曲のソナタ第1楽章の内、終楽章に廻しても違和感の少ない D459A/3 を終楽章に廻し、「ソナタ」の名称を外して出版した


と推測される。
 ハスリンガーが「幻想曲、、、作品78」で成功した話題は、ウィーン → ライプチヒにも噂話が伝わっていたことだろう。(クレムはライプチヒの出版社)
 私高本は

クレムが早い時期に、しかも非常に質の高い補筆完成版を出版し、「シューベルト音楽を広めた」ことに感謝する


 ユニヴァーサル社版シューベルトピアノソナタ全集全2巻の第1曲に D459+D459A が1953年に掲載されて以来、「5楽章ピアノソナタ」としてではあるが、演奏頻度の高い初期ソナタの1曲になったからである!!!
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20才のシューベルト その5(No.1772)

2010-08-01 22:16:01 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

ピアノソナタ ホ長調D459A/3 と ピアノソナタ ホ長調D459


 本日はこの2曲のソナタについて述べる。


ピアノソナタ ホ長調D459A/3 は「2つの稿」が存在する1817年6~7月のソナタ


である。

「Sonate III」「Sonate IV」のどちらか


である。

第1稿



  1. 第1楽章 ホ長調 Allegro patetico D459A/3(完成)


  2. 第2楽章 ハ長調 Adagio D349(未完成)


  3. 第3楽章以降は不明



第2稿



  1. 第1楽章 ホ長調 Allegro patetico D459A/3(完成)


  2. 第2楽章 ハ長調 Adagio D459A/1(完成)


  3. 第3楽章 イ長調 Scherzo : Allegro D459A/2(完成)


  4. 第4楽章 行方不明



となっている。
 このパターンは

第4楽章は第1稿を流用した時の浄書譜パターン


である。つまり「第1稿の内、終楽章だけ手直し無しで第2稿に用いる」時には、「終楽章だけ楽譜を切り離して流用」するのである。

切り離されたD459A/3終楽章(=第4楽章) = D506 とすると、全て符号が合う


 尚、D459A/3 第1稿に「スケルツォ楽章」があったかどうかは全く不明だが、該当する楽章候補は見当たらない。D459A/2 のスケッチが見付かっていないので、第1稿=3楽章説の方が有力だろう。整理する。

第1稿



  1. 第1楽章 ホ長調 Allegro patetico D459A/3(完成)


  2. 第2楽章 ハ長調 Adagio D349(未完成)


  3. 第3楽章 ホ長調 Allegretto D506(完成)



第2稿



  1. 第1楽章 ホ長調 Allegro patetico D459A/3(完成)


  2. 第2楽章 ハ長調 Adagio D459A/1(完成)


  3. 第3楽章 イ長調 Scherzo : Allegro D459/2(完成)


  4. 第4楽章 ホ長調 Allegretto D506(完成)← 第1稿流用



 このソナタのもう1つの特徴は リート「ます」D550 の影響を大いに受けていること。

1823年にピアノ5重奏曲「ます」D667 を作曲する下敷きとなった


と言って良いだろう。
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