Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

新国立劇場「フィデリオ」+「セビリアの理髪師」初日 立体批評第2回(No.1430)

2006-12-03 21:10:20 | その他
 本日号では「各オペラの出来」だけを書く。比較 等は明日以降です。


日本のオペラハウス新国立劇場の「レパートリーシステムは構築できたのか?」を検証する(2)



演奏日数が増えないのに『ウィーンのルーチンワークのレベルの低さ』だけを日本オペラ界に輸出したノボラツスキー


新国立劇場「フィデリオ」初日 2006年11月30日


マルコ・アルトゥーロ・マレッリ演出


コルネリウス・マイスター指揮



 演出 + 指揮 + 主役ソプラノ&バリトン が3拍子揃ってスカな新国立劇場「フィデリオ」再演。演出家はカーテンコールに出て来ない(再演演目は通常出ない)ので何も無かったが、指揮者には場内から一斉に「ブーイングだけ」が3方から浴びせ掛けられた。当然である。
 演奏日数がウィーン国立歌劇場ほど増えないのに、「最低レベルでは、再演演目はこの程度になる」ことを示すために上演したとしか感じられない出来。
  • 経験が極めて乏しい指揮者
  • 初演が悪かったのに無反省な演出
  • 「昔取った杵柄」だけで音程フラフラの レオノーレ役 = エヴァ・ヨハンソン と ピツァロ役 = ハルトムート・ヴェルカー

 ノボラツスキー芸術監督は、五十嵐喜芳前芸術監督の「ダブルキャスト」について極めて攻撃的な態度で批難していたが、「五十嵐時代の出来の悪い時のBキャスト」よりも遙かに音楽的に劣る。この「フィデリオ」は楽日終了後に、保管すれば酷税の無駄遣いになるから、即刻「燃えるゴミ」として焼却処分してほしい。


 フロレスタン役 = ステファン・グールド は悪くは無い出来。良い、と言うほどの出来ではない。結局、それだけだった。新国立劇場合唱団は珍しく声が飽和して割れたし、東京フィルハーモニー交響楽団も打点が定まらない指揮者のためか、ミス連発。14型の大きな編成だが、音程がピタッと定まらないので、和音が鳴らない。しかも「全くの音色の変化が無いベートーヴェン」であった。指揮者については、よく「ブーイング」が3方程度で止まった、と思う。伝説の新国立劇場オープニング「建(タケル)」くらいのブーイングが出ても不思議ないほどである。
 プレミエ(2005年5月28日)も演出はつまらなかったが、指揮者 + ソリスト陣 が全く別物で、良かった。

ただ全てが悪くなるだけの再演ならば、上演しない方がマシ


である。


主要4役全員 + 指揮者 の素晴らしかった新国立劇場「セビリアの理髪師」


新国立劇場「セビリアの理髪師」初日 2006年12月1日


ヨーゼフ・E.ケップリンガー演出


ミケーレ・カルッリ指揮



 オペラと言うモノは、主役陣 + 指揮者 が良ければ、「わざと反感を買うような演出でも、効果が上がる。それどころか、かえって印象深くなる」を実践してくれた「セビリアの理髪師」再演。時代背景を「フランコ政権下の1960年代スペインのセビリア」に設定。
 特に ロジーナ役 = ダニエラ・バルチェローナ が響き亘る低音を武器に「世間ずれしたロジーナ像」を見事に描き切り、演出の良さを大いに引き出していたのが見事! ミケーレ・カルッリ指揮は、「ロッシーニクレッシェンド」が「いかに囁くような緊張感あふれるピアニッシッシモから始まるか!」をこれでもかこれでもか! と言うほど陶酔させてくれる。音色のパレットも豊富。
 カーテンコールは「ブラヴォーの嵐」が吹いた。主要ソリスト全員 + 指揮者 + 合唱団。
 この「セビリアの理髪師」公演は「イタリアオペラファン」ならば、逃さず是非是非聴いてほしい。

  • ロジーナ役 = ダニエラ・バルチェローナ
  • フィガロ役 = ラッセル・ブラウン
  • バルトロ役 = マウリツィオ・ムラーロ

の3名は、歌に演技に「はまり役」。細かなアジリタも、朗々とした高音の伸ばしも堪能。
  • アルマヴィーヴァ役 = ローレンス・ブラウンリー

は演技は面白いが、声が上記3名の水準には後ちょっと。終結の大アリアがカットされたのは、誰の意向かはわからないが、無難だったと感じる。
 脇役陣も新国立劇場合唱団も東京フィルハーモニー交響楽団も、極めて生き生きと豊かな音楽を作って行く。カルッリ指揮 の腕だ。カルッリ は是非再登場頂きたい指揮者である。
コメント
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