Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

「日本狂詩曲」について(No.1593)

2008-08-30 22:05:52 | 作曲家・伊福部昭(1914-2006)
う~ん、「日本狂詩曲」のピアノトランスクリプション版を「お願い」したマネジャーとして、できる限り1人でも多くの人に「曲の良さ」を体感してもらって、「伊福部昭音楽の偉大さ」を実感してほしい! と念じている。


 そんな本日、『2年前の佐伯周子の「伊福部昭追悼演奏会」録音を聴いた』のが本日。う~ん、マネジャーの私高本が聴いても唸る名演だわ。 例えば「日本狂詩曲 ピアノソロトランスクリプション版」の演奏も、川上敦子 とは違う。

  1. 川上敦子 は「伊福部昭の指示通りに弾く」

  2. 佐伯周子 は「宮崎訛で弾く」


だろう。えっ? 川上敦子の方が上か? ですか? 何とも言えませんね。「川上敦子の伊福部昭」も素晴らしいし、「佐伯周子の伊福部昭」も素晴らしいですから。
 この2人が生まれ育った土地は、余りにも対照的(泣

  1. 川上敦子 は 明治以降に開拓された「北海道音更」の育ち

  2. 佐伯周子 は 魏志倭人伝で「倭国」と思われている「宮崎県」の育ち


である。どちらも「素晴らしいピアニスト」であるが、感触は随分違う。2名とも「天才ピアニスト」だ!!!


 伊福部昭「日本狂詩曲」だけに絞って書きたい。

  1. 佐伯周子 が絶賛されている シューベルトD960/2 に比べても同等の名演!

  2. 伊福部昭先生は「川上敦子以外は絶対に無理」と思っていた曲 = 「日本狂詩曲ピアノソロ版」を演奏したのは「伊福部昭の想定外」

  3. 有象無象の「ブラスバンド編曲者」を全て退けた「日本狂詩曲ピアノソロ版」はオリジナル版と並ぶ名曲


と思う。 日本狂詩曲について1言だけ言えば「佐伯周子の上行グリッサンド」は「1935年の伊福部昭の思い」を実現した名演。譜面でみると簡単そうなのだが、実際には極めて難しい技巧の駆使だ。佐伯周子の演奏を聴く前は「エラそうにホザいている私高本」も判っていなかったことをここに記す(泣
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伊福部昭「日本狂詩曲」について(No.1592)

2008-08-28 18:44:26 | 作曲家・伊福部昭(1914-2006)
 一昨日の「井上道義 + 読響」の『日本狂詩曲』名演を聴いて、思い出したことがあるので本日綴りたい。

伊福部昭の神髄は「日本狂詩曲」だった!


 映画「ゴジラ」の音楽を担当するなど「ポピュラー音楽」の世界では大人気の伊福部昭。多くの作品が愛され、多くの人に演奏され、多くの作品が(伊福部昭先生の手で無い)「他人の編曲」で広まって行った。シューベルトの「悲しみのワルツ 作品9/2 D365/2」がツェルニーたちにパクられながら広まっていった世界に極めて近い。20~21世紀の方が「著作権」がキチンとしていたのだが(爆


 伊福部昭の「交響的大規模作品」は意外なことに少ない。その中で「協奏的作品」を全部除くと、代表作は次のようになる。

  1. 「日本狂詩曲」1935年

  2. 「交響譚詩」1943年

  3. 「タプカーラ交響曲」1954/1979年

  4. 「日本組曲」1991年(1933年「日本組曲(ピアノ版)」がオリジナル


のわずか4作品である。信じられない少なさであり、『長生きしたのに 作品の少ない』では、ベルギーの大作曲家 = フランク としか、並べられないように感じる。



・・・で、上記伊福部昭4作品の内、「日本狂詩曲」を除く3作品は「ブラスバンド編曲」を中心に極めて頻度高く演奏されている。演奏会でもコンクールでもだ!!
 なぜか「日本狂詩曲」だけが「ブラスバンド編曲」にはされていない。 その理由は生前の伊福部昭先生から伺っているのでここに記す。

編曲の「著名捺印」を求めて来る人がいても「日本狂詩曲」だけは(印鑑を)捺さなかった!


 う~ん、一昨日の「井上道義 + 読響」の演奏聴いたら改めて伊福部昭先生の言葉の重みがわかったように思う。「オリジナル作品」自体が既に、ラヴェルやベートーヴェンやバッハ並みの高い境地に達しているんだもんね!

伊福部昭先生が「69年ぶりにピアノトランスクリプション」したのは、『川上敦子の伊福部昭音楽の再現能力の高さ』を評価してのこと


だった! とはっきり感じる。伊福部昭先生は「川上敦子特注品」を作曲してくれたのだ。伊福部昭先生も川上敦子も私高本も「川上敦子しか弾けない」と思った作品であった!


  1. やたら難しい
  2. 原曲では聞こえない難しいパッセージが存在する!

は、楽譜を頂いた瞬間から思っていた。CDでは聞き取れない。楽譜を 東京文化会館資料室に読みに行っても(異なる楽器間での受け渡しがありかもしれないが)私高本程度の読譜力では読み切れなかった。一昨日の 「井上道義 + 読響」でも聞こえて来なかった。

伊福部昭「日本狂詩曲(ピアノ独奏版,2003年)」には、オリジナル版に存在しないパッセージが盛り込まれた!


と考える方が良いようだ。
 ちなみに、川上敦子 が家業に専念した以降、佐伯周子 が「伊福部昭音楽」を継承してくれていることは頼もしい。やたらと難しいパッセージも、再現してくれている。今度はいつ聴けるのだろうか? > 佐伯周子の伊福部昭
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読売日本交響楽団第505回名曲コンサート批評 (No.1591)

2008-08-27 19:41:13 | 批評
「名曲コンサート」と書いてあったので気軽に行った(佐伯周子と行った)ら、『素晴らしい音楽の饗宴』だった昨夜。名演の多い読響でもこれほどの演奏会は久しぶり!

「ラプソディー って面白いだろ?!」を証明した 井上道義 + 読響


 「ラプソディー = 狂詩曲」と言う楽曲は、何となくわかったような気もする1面があるとともに、はっきりした形式(=例えば、ソナタ とか 変奏曲 とか)は無いような気がする。
 思い起こせば、F.リスト が「ハンガリー狂詩曲」を(ピアノ版で)作曲し、大当たりを取ってオケ版に拡大したのが誕生の経緯。その後、「リストの後継者」たちが大いに盛り上げてくれたジャンル。
 ・・・だが、(同じリストが開発した)「交響詩」ほどは「ヒョーロンカ」から高く評価されないまま今日に至っている。しかし『名曲の宝庫』であったではないか!


 私の記憶が正しければ(少々不安である)、全く同じプログラムを 井上道義 は名古屋以西で数年前に1回は振っていると思う。「私高本が 伊福部昭音楽 に非常に興味を持った」以降のことなので、2003年6月以降だったように思う。当時も今もビンボーなので、「チケット代金は出せるが、旅費と宿泊費が捻出できなかった」記憶がある(藁
 拠って聴いていない。今考えるとカネを借りても聴いておけば良かった!


 昨日8月26日の演奏批評。

  1. ラヴェル「スペイン狂詩曲」をトリに、ラヴェルを手本にした伊福部昭「日本狂詩曲」を『つかみ』に配置した絶妙なプログラムビルディングで

  2. 「狂詩曲創始者 = リスト」の最人気狂詩曲 = 第2番 と、「信じられないほど手本に忠実でありながら国民性を露出した エネスコ作曲 = ルーマニア狂詩曲第1番」を並べ

  3. フォルテが大優勢な4曲の合間に「ピアノ優勢の狂詩曲 = ディーリアス作曲 = イギリス狂詩曲」を配し

  4. 『ラプソディック とは、どんなものかな? 共鳴してもらえたかな?』を実現した『高い完成度』


が全てに行き亘っていた。井上道義の指揮は、特に 伊福部昭「日本狂詩曲」 と ラヴェル「スペイン狂詩曲」で熱かったが、これは スコアの内容と、編成の大きさが原因だろう。ややこぶりの3曲も「作曲家の意図」を見事に再現してくれていた。


 伊福部昭の「日本狂詩曲」。これが最高だった! 以前、ナマで全く同じオケ版(=オリジナル版)を聴いたことがあるのだが、インパクトは「井上道義 + 読響」が数十倍上! 第1楽章「夜曲」冒頭の「ビオラソロ + 打楽器伴奏」だけで「何だか妖しげな伊福部音楽」に引き込まれてしまった上に、第2楽章「祭」の華やかで楽しいこと!!!
 21才の伊福部昭が「世界に向けて堂々と『日本音楽は素晴らしい』を発信」した瞬間を再現してくれたかのようだ。クラリネットなどには、やたら難しいパッセージがあるのですね!(リストにもあった!!)


井上道義の最大の武器は『全体把握の精度の高さ』


である。この人「両手をグルグル廻して指揮するパフォーマンス」とかに惑わされてはいけない。

「声部の受け渡しの正確さ」は、信じられない精度


である。指揮者の要求は(もしかしたら通常のオケでは応えられないほど、高いのかも知れないが)昨日の読響は「ほぼ全て応えていた」ことは特筆に値するだろう。もし、「井上道義の要求に対して足りなかった点」を言えば、リスト「ハンガリー狂詩曲第2番」の1番クラリネット奏者の「跳躍音質のスムーズさ」が「他の曲に比べると不充分だった」くらいかな?
 誤解を招くといけないので、正確に書くと

  1. 「1番クラリネットの負担がやたら大きかった 全狂詩曲プログラム」で

  2. 他の4曲は完璧だったのに

  3. リスト「ハンガリー狂詩曲」では、「リードの振動が遅くなった」が「聴きどころ」で一瞬出てしまった


と言う範囲。「狂詩曲 =クラリネットに頼る曲」かも知れない。 他の4曲では万全の演奏を聴かせてくれた 藤井洋子 に感謝!


 他には 伊福部昭「日本狂詩曲」の オケ版(=オリジナル版)と ピアノ版の違いについても、正直大いに気になった。 う~ん、以前 東京オペラシティ で聴いた時は「何も感じなかった」のだが。 それだけ 今回の「井上道義 + 読響」が良かったのである。


井上道義 = ラプソディー指揮者の第1人者


と言って間違いないだろう。「ラプソディー指揮者」と言って、「オペラ指揮者」や「古典派交響曲指揮者」と同じように格付けされるとは思えないが(爆

井上道義 = 伊福部昭「日本組曲」世界初演指揮者


と言うほど(最小に言って)伊福部昭の信頼は得ていた指揮者なのだ。

伊福部昭が「井上道義を信じて オケ版『日本組曲』を作曲した」


気持ちが分かったような気がした。私高本が「ナマ」を聴いていない「山田一雄指揮 伊福部昭作曲 『日本狂詩曲』日本初演』に比べても、良い演奏のように聞こえた。「音楽はナマ演奏が最高」だからかも知れないが、伊福部昭作品だけで、充分にチケット代は「元が取れた演奏会」に感じた。リストもエネスコもラヴェルも良かったぞ!!!

 もう1度書く。「名曲コンサート」ではなく「定期演奏会レヴェルでも最高の演奏会」だった。曲順は「ラヴェルが最初で、伊福部昭が最後」の方が私高本はうれしかったが。本年最高の演奏会である。
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ピアノソナタ第17番ニ長調「第2大ソナタ」作品53 D850(No.1590)

2008-08-24 21:05:20 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 D850 は、はっきり言えば「楽譜読んでますか?」に対して、(大半のピアニストが)悲惨な結果を産んでいる1曲。

  1. ベーレンライター新シューベルト全集が「廉価版」も発行しないので、説明しても大半の人には理解し難い、ので

  2. 同じ方向で校訂&編集されている ヘンレ版 を使って説明したい

  3. ベーレンライター新シューベルト全集 も ヘンレ版 も「自筆譜優先」編集


である。
 ベーレンライター社は「シューベルトピアノソロ」に関しては

  1. ピアノソナタ第1巻と第3巻は「廉価版(黄色い本)」を出しているが

  2. ピアノソナタ第2巻は「廉価版無し」で約4万円出さないと購入不可能


 これ何とかなりませんか? > ベーレンライター


第1楽章第1主題に「全4楽章の動機」が内在された循環ソナタ = D850


 第1楽章第1主題 = 第1小節~第39小節である。その内主題呈示は 第1小節~第15小節であり、さらに

重要な動機 = 第3小節 までに全て呈示されている!


楽曲である。大切な動機は

  1. 第1小節2拍目~第2小節1拍目(2/2換算) = 同音連打

  2. 第2小節1拍目 = 「4分音符 + 8分音符 + 8分休符」

  3. 第3小節2拍目 = 「3連8分音符」


 この3種類である。「たった3小節で35分はたっぷり越える名曲」を産み出したのだ!



  1. 第1楽章第2主題(第40小節~第94小節) → 上記「2」で始まり「3」が延々と伝承される

  2. 第2楽章主要主題(第1小節~第8小節) → 上記「3」で始まり「2」が第3小節ではっきりと再現される

  3. 第2主題副主題(第41小節2拍目~第50小節) → 上記「1」

  4. 第3楽章スケルツォ → 上記「1」があふれて来る

  5. 第3楽章トリオ → 上記「1」のロマンティックな表情

  6. 第4楽章主要主題 → 左手上声部 = 上記「1」 であり、4小節目に「2」がはっきり現れ、10小節後半に「3」がきちんと現れる

  7. 第4楽章第1副主題 → 上記「2」がきちんと再現され(第31小節前半)上記「3」がきちんと再現される(第31小節後半)

  8. 第4楽章第2副主題 → 上記「1」が響き(第105小節)、同時に「2」の変形(8分音符同士のスラー)が鳴る


である。
 「ブレンデルのCD」聴いてもはっきり聞こえて来ないぞ(爆
 「ブレンデルはシューベルトを演奏しているのでは無く、ブレンデルを演奏している」が少なくとも D850 に関してははっきりしている。ブレンデルは「D850 = 名曲」とは(少なく言って、D845,D894,D958,D959,D960 に比べれば)思っていない。「何が何だかはっきりしない第1楽章呈示部」と思っていて、アーティキュレーション が「ペダルの響きの中で不明瞭」になっている。「4分音符 + 8分音符 + 8分休符」に聞こえますか? > ブレンデルの録音


 『シューマンの罵倒』に始まった D850 の批評は(私高本を除くと)ほぼ全部と言って良いほど「否定的批評」になっている。シューマンもブレンデルも否定的! この2人に逆らってまで「断固支持」を打ち出すには勇気がいる。「野蛮」かも知れないほどの(爆

 「佐伯周子のシューベルト D850 演奏」がどのようになるのかは、まだ全曲通しては聴いていないので、断言はできない。おそらく「シューベルトの意図通り」の演奏になるだろう > 過去の演奏から推定して。

 D784 や D840 や D894 でブレンデルを遙かに超える名演を聴かせてくれた佐伯周子なので、大いに期待している次第である > 来年の 2/12
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模範演奏の亡霊(No.1589)

2008-08-21 18:14:45 | ピアノ音楽全般
 昨日号を書いていて、「あっ!」と思ったことがある。実は問題はシューベルトに限らないのだ。私高本は「公費でCDを買い込む」ことができない(← ハイハイ、大学の准教授以上はガンガンしてらっしゃいますよ!)ので、シューベルト と「シューベルトが習った大作曲家」しか知らないが、

「CD(LP)の模範演奏の亡霊」が若手ピアニストを萎縮させている!


事実だけはここに明記しておきたい。ちなみに、佐伯周子は あまりCDを聴いていないのか全く萎縮せず名演を聴かせてくれるが(爆


 いきなり「録音界の現状暴露」しちゃいますか(藁

  1. バッハ → グールド録音 丸パクリ


  2. ベートーヴェン → グルダ録音 丸パクリ


  3. シューベルト → ブレンデル録音 丸パクリ



上記3点大流行中


である。「若手ピアニストのよる意欲あふれるバッハ(← ここにベートーヴェンが来てもシューベルトが来ても完全に同じ)演奏が聴ける」のコピーに騙されて、演奏会もCDも随分聴いたが、「またモノマネかよ!」が大半である。具体名をブログに掲げると、またイチャモンが付くかな?(爆


 本稿では「シューベルト」だけに集中して見たい。「ブレンデルのシューベルト」丸パクリ演奏 は余りに多い。1974年に「第1回録音」を完成して以来34年もの年月が経過している。弟子筋のケフェレックやクーパーの演奏が「師匠譲り」なのは当然として、公演プログラムやCD演奏家紹介欄に「師匠:ブレンデル」が記載ないピアニストでも多くの人が「ブレンデル丸パクリ」している。何で『シューベルトの楽譜』を読まないのかね?(爆
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ピアノソナタ第17番ニ長調「第2大ソナタ」作品53 D850(No.1588)

2008-08-20 17:23:58 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 ニ長調ソナタ作品53D850 は、交響曲「グレート」と並ぶ「シューベルト渾身の作品」である。どこの誰もが書いていない重要な「作曲上の構成」について本日は記す。


循環ソナタで書き上げられ出版された史上初のピアノソナタ = シューベルト ニ長調ソナタ作品53D850


 シューベルトが「循環ソナタ」を指向したのは、実は若い若い頃であり、まだピアノソナタを作曲していなかった 1813年 に着手し完成している。

弦楽四重奏曲変ホ長調D87(1813.11作曲)が「最初の循環ソナタ」


である。
 その後、数曲作曲し、「さすらい人」幻想曲作品15D760 に至り、ピアノソナタ イ短調D784 → 弦楽四重奏曲 ニ短調D810 と続く。この件は以前、「佐伯周子 ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会 Vol.2」の時に プログラムノートに記した。(ブログにも記したぞ!)
 ・・・で、その時には

『ピアノソナタ ニ長調作品53D850 = 循環ソナタ』が全く見えていなかった


 あっ、「私高本のメガネが合っていなかった」からかも(爆
 老眼の進行が思っていたよりも圧倒的速かった鴨(爆
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「自動ピアノ」の性能と価格、そして発注、到着(No.1587)

2008-08-19 19:21:40 | 実録! グランドピアノ購入実戦
 ヤマハXPについて情報を集めた。もうこの時期になると「XPが第1候補」なので、なりふり構っていられない。できる限りの個所から情報を集めた。その結果。

  1. 「通常のヤマハの技術者」では扱えないこともあるらしい。「専門の技術者がいる」との情報

  2. 「XPモデル」は「XPなしモデル」とほぼ同じだが、寸法的には若干違うところがある(いろいろと追加があるためだろう)

  3. 「CFIIIS + Sモデル」 と 「Cモデル」では、値段は違うが「自動ピアノ機能 + サイレント機能」は全く同じ


との情報を得た。「サイフ」を考えると、「CモデルでサイレントアンサンブルXP(= 自動ピアノ + 消音ピアノ)」が最善だと思えた。当時も今も「カネは足りない」状態なのが原因か? (Sモデルは「費用対効果」がどうしても「私高本のサイフ」に比べて割高だった)


ヤマハミュージック横浜 では、XP技術も充分対応でき、かつ「ピアノ本来の整調&整音」も実績充分


とわかり、「Cシリーズ」で最長のC7の「LAモデル」を購入することに決定した。低音の豊かさは、このモデルがピカ1だ!

ヤマハ C7LA-XP 購入決定


である。尚、「特注品」なので、発注してから納品までに約半年(!)もかかるとのこと。これは迂闊にも考慮していなかった。しかし、C5(ノーマルタイプ)をXP納品まで使用料無料にて貸与してくれることになり、実際にスグに送って頂いたので本当に助かったことも附記しておきたい。


 予定よりも1ヶ月早くピアノが完成したとの連絡があり、5ヶ月足らずで納品された。目の前で電気的に接続し、納品調整されたが、

まさに精密機械工業と精密電気工業の積み重ね結晶!


と感じた。

再現能力の高さは驚異的で、ハーフペダルまで正確


は、思った通りであり、音のバランスも低音の豊かさが特に魅力的だ。機種選択は正解だった。
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ピアノソナタ第17番ニ長調「第2大ソナタ」作品53 D850(No.1586)

2008-08-18 20:21:43 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
昨日書いた

テンポを落とせば落とすほど、「全曲演奏時間」が長くなりピアニストの負担が増大する!


について疑問のある方がいらっしゃるようなので簡単に補足。

  1. テンポだけ落として「ダイナミクス」&「アーティキュレーション」を速いときと同じように演奏したら『単なる凡演』

  2. テンポを落としたら「ダイナミクス」&「アーティキュレーション」を『濃く』するのがプロの演奏


である。速く『弾き飛ばす』と言う言葉は、この事実を端的に言い表している。


親密な関係の『兄 ニ長調ソナタD850』と『弟 イ長調ソナタD959』


 ニ長調ソナタ作品53 D850 を理解する上で、とても参考になる曲がある。イ長調ソナタD959 である。ニ長調ソナタ作品53 D850 に遅れること3年と1ヶ月で誕生している。「どこが似ている?」ですか? では具体的に述べてみましょう。

  1. ニ長調ソナタD850 と イ長調ソナタD959 の類似点は

  2. 「全体構成」がそのまま。テンポは Allegro → Andante系 → Allegro vivace → Allegretto(Allegro moderato)。 拍子は 4/4 → 3拍子 → 3/4 → 4/4

  3. ニ長調ソナタD850 は第1楽章コーダでテンポ上げ → イ長調ソナタD959 は第4楽章コーダでテンポ上げ

  4. 第1楽章第1主題が「呈示部 = f」なのに「再現部 = ff」


 これだけ上げればよろしいでしょうか? イ長調ソナタD959 は ニ長調ソナタD850 に比べて、名演が圧倒的に多い(おそらく2桁多いかも!)ので、読者の皆様は「お好きな名演」を聴いて頂きたい。第3楽章の第7~第8小節の音以外は全く問題の無い曲であるので、お手元の楽譜を見ながら聴いて頂きたい。大体の方向で(名演ならば)楽譜の通りに演奏されているでしょ!
 ・・・なのだが、ニ長調ソナタD850 は随分と様相が違う。

楽譜とは「似ても似つかない演奏」だらけ = D850


なのだ。技術的な問題も大きいだろう。だが、それだけでは無い。

  1. ニ長調ソナタD850 には「ブレンデルの初録音以降」ブレンデルの物真似が続出(← これが大問題だわ)

  2. ブレンデルの解釈自体が(D959などと違い)シューベルト原典に忠実でない


と言う深刻な問題を抱えている。弟(= D959)は祝福されて万全な演奏をされているのに反して、兄(= D850)は祝福されていない。産児制限下で産んだ私生児並みの扱いなのだろうか? > D850
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ピアノソナタ第17番ニ長調「第2大ソナタ」作品53 D850(No.1585)

2008-08-17 18:20:52 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
本日は両端楽章について記す。


シューマンに罵倒された第4楽章


 ロベルト・シューマンが「シューベルトを崇拝していた」ことは事実である。交響曲「グレート」D944,ピアノソナタ ト長調作品78 D894,即興曲集D935 などに寄せた絶賛は有名である上

シューマン最高傑作「謝肉祭」ではシューベルトの「パクリ」がある


こともシューベルトファンは覚えておいてほしい。

  1. シューベルトファンはシューマンの曲を(シューベルトほどは)聴かない

  2. シューマン「ガクシャ」は不勉強でシューベルトの曲を全くと言って良いほど知らない


ので、あまり広く知られていないが(爆
 シューマンはシューベルトに絶賛を寄せただけでなく、罵詈雑言も多く寄せている。

一流作曲家は『全部自分の感性で創作している』ので他の作曲家への評価は極めて主観的


の事実を腹に入れておけば問題無いのだが、シューマン自身が「オレは客観的な評論家でもある!」を偽装し、多くの人が騙されている事実をここで明らかにしておきたい。(作曲家シューマンは一流の作曲家である、ことは 当ブログのカテゴリー『作曲家:シューマン』を読んでほしい)

 シューマンに拠る『ニ長調ソナタ作品53 D850 第4楽章批評』は次の通りでである。
  • 曲全体にがしっくり合いにくく、ひどく滑稽である。
  • これを本気に受け取ろうとする人は、滑稽に見えるであろう。フロレスタンはこの楽章をプライエル=ヴァンハル流のぐずぐず様式への当てつけだと呼び、オイゼビウスはコントラストの強い個所のなかに、子供を脅すときにやるしかめっ面を見いだしている。いずれの解釈もユーモアに帰着している」

とヌカしている。ちなみに

シューマン「子供のアルバム 作品68/12」でそっくりそのままパクったことを ブレンデルはDVDで披露している!


ので、興味ある方は是非購入して見て頂きたい! 『罵倒するだけしておいて、パクる』がシューマンの作曲人生なのだが、名曲もたくさん産んでいる作曲家なんだよなぁ(爆

 ・・・と言うシューマンの罵倒の影響で、第4楽章は「真面目に擁護する評論家」がほとんどいない。『必要なことで、他人のしないことを実行するのが私高本』が「デイリー」時代からのモットーなので、擁護の文を書く。

 ブレンデルも D850第4楽章を「子供の爛漫な気持ちで」と評している(DVD上の発言)が、超有名な大作曲家の1人は違うように考えていたようだ。

ウィーンの大作曲家マーラー は D850第4楽章 =「天使の楽章」と見なしていた


様子である。交響曲第4番と第7番の終楽章で「D850第4楽章風な終楽章」を書く。第4番でははっきり「天使」と明記している。
 マーラー と シューマン のどちらを信じるかは、「聴くあなたの感性次第」である。私高本は この楽章に関しては、圧倒的にマーラーを支持する! 『罵倒しておいてパクリ』のシューマンよりも信頼度は遙かに高い。


 さて、第1楽章について語る。

 自筆譜 と 初版楽譜 では「根本的にテンポ表示が異なる」ことは、旧シューベルト全集 以来、何度も何度も語られて来たことだが、

この楽章への罵倒の全ては「テンポ設定が速過ぎる」ことの1点だけ!


なのだ。マジ。影響が多大であった2人の発言を引用しよう。

  1. これはイ短調ソナタ(D845)よりもはるかにヴルトゥオーゾ的であって、われわれは、ボクレットを考えて書いたことが第一楽章にための構想を台無しにしたと言わざるをえない。それは形式においては因習的で、長大ではあるが、いささか内容空虚であり、ただ第二主題のあとの<ウン・ポコ・ピュ・レント>の純粋で和音的で、変化したリズムによる主題だけがビーダーマイヤー的、フンメル的シューベルトでなく、<ロマンティッシュ>なシューベルトから」生じている。(アインシュタイン)

  2. 提示部の繰り返しを守る無駄であるだけでなく、曲を台なしにすることがある。繰り返しがぜひとも必要なのはニ長調のソナタ(作品53)だけで、他の3曲(高本注 : ハ長調D840,イ短調D845,ト長調D894)はどちらでもよい。素材の出し方がもっと簡単だからである。(ブレンデル)


 う~ん、アインシュタインの言い方は腹が立つし、ブレンデルの言い方は「ニ長調ソナタの第1楽章は 複雑過ぎる出だしの上「短い」ことを指摘している。
 ・・・ので、他のソナタより圧倒的にわかり難い」の意味が直裁的に出ている。ホントかよ、、、

 もう1度、「初心に返って」シューベルトの「初版楽譜」に準じた楽譜で D850第1楽章を読んでほしい。(皮肉なことだが、「新シューベルト全集」とヘンレ版だけが「自筆譜」優先校訂で、「旧シューベルト全集」「ペータース版」「ユニヴァーサル版」「王立音楽院版」「ウィーン原典版」の5種類が「初版楽譜」優先校訂の出版) つまり

  1. 第1楽章 Allegro vivace 4/4

  2. 第3楽章 Allegro vivace 3/4

  3. 同一速度で演奏したのを聴いたことある???


である。
 テンポについて最も関心を寄せているのは、「王立音楽院版」である。シューベルト自身が「確信を持てないママ」に出版した様子を伺わせる記述である。すなわち

  1. Allegro 2/2

  2. Allegro vivave 4/4

  3. 双方はテンポ自体は全く変わらないハズ


である。つまり「テンポ自体は一定だが、ピアニストに対してどのように表現すると誤解が無いか?」が(少なくともシューベルトにとっての)最大関心事であっただろう。

 我が家には「シューベルトのピアノ曲のCDとLP」は腐るほどあるのだが、D850第1楽章について「第3楽章と同じテンポの録音」は皆無である。

全て『第1楽章のテンポ > 第3楽章のテンポ』で第1楽章が無闇に速い!


何で?

シューベルトは「テンポを厳格に守ってほしい」為に、2/2 → 4/4 に表記を変えた


と思われる。それを「プロコフィエフ : トッカータ」並みの超高速で弾かれたら、細やかな感情表現は全部消えるだろが!(怒
 ブレンデルの記述も「D850第1楽章は速く弾かれる」ことを前提にしている。ブレンデル自身相当速い演奏だ。私高本は好まないが。


 シューマンに罵倒され、アインシュタインに罵倒され、ブレンデルに皮肉られた D850。私高本は『D960に並ぶ名曲中の名曲』と思っている。但し、

テンポを落とせば落とすほど、「全曲演奏時間」が長くなりピアニストの負担が増大する!


問題がある。
 交響曲「グレート」を1人で弾く、ような負担のあるこの難曲を ブレンデル以上の名演で弾き通してくれるピアニストが1日も早く現れることをここ30年以上願って来た。(ブレンデルの旧録音を聴いてからの年月だ!)

 佐伯周子のテンポ設定はどうなるのだろうか? 近い内にインタビューしたい! と考えている。
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ピアノソナタ第17番ニ長調「第2大ソナタ」作品53 D850(No.1584)

2008-08-16 18:30:33 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 シューベルト生前に「ピアノソナタ」として出版された2曲の内の1曲であり、初版楽譜の他に 自筆譜も残っているので、問題が少ない曲だと思うのだが、実際に演奏するとなると

シューベルト全ピアノソナタ中『技巧的な難しさ No.1』


であり、名演に接する機会が極めて少ない曲である。かの ブレンデル も「実演で弾く」機会は極めて少なかったようで、来日ツアーでは1回も披露しなかったし、1970年頃から毎年招聘されているザルツブルク音楽祭でもおそらく演奏していない曲、と記憶している。「さすらい人」幻想曲作品15 D760 に比べてさえ「全曲通しての演奏」がキツい曲だろう。


交響曲「グレート」を思わせる 中間楽章が魅力的な D850


 『1825年8月 ガシュタイン』と署名した自筆譜が残っているので、作曲年月と場所は特定されている。ガシュタイン旅行滞在中の1825年8月作曲。

シューベルト交響曲『グレート D944 = グムンデンガシュタイン交響曲 D849』は現代の常識


である。交響曲着手の時期についてはいくつかの説があり、

  1. 1825年夏説(← これが現在主流)
  2. 1825年3月説(← 私高本はこちらかな、と思っている)


  1. 「グムンデンガシュタイン交響曲」と言う名前は

  2. 都市グムンデン に1825年6月後半~7月前半に滞在

  3. 都市ガシュタイン に1825年8月に滞在

  4. 手紙の中で「グムンデンとガシュタインで作曲した交響曲」と記載


から付いた名前である。

  1. 「1825年夏」説は、グムンデン で着手、と判断

  2. 「1825年3月」説は、自筆譜に「1825年3月」と書いた後に年の最後の数字を「5 → 8」とシューベルト自身が改竄、と判断


の違いである。交響曲の作曲は時間を食い、長い年月が必要だった様子。8月頃には「第2楽章と第3楽章」を ニ長調ソナタD850 と並行して作曲していたのではないだろうか? 2つの中間楽章は、とても雰囲気が似ていて、構想も大きい。

特にD850第3楽章スケルツォは、ピアノソナタに限らず「グレート」以外の舞踏楽章中最大規模!


の曲である。ちなみに

第2楽章も、時間的規模は D850 ≒ D845 で「全ピアノソナタ」中、最大規模


である。大体の演奏で12分程度。これは D960 まで破られなかったのである。D850 は、2つの中間楽章が揃って大規模であり、かつ魅力的な音楽。
 ・・・なのだが、人気はそれほど高くない。両端楽章(1&4)が昔々からあまり良く言われて来ていないのである。
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D850,D899,D976,D977,D978について(No.1583)

2008-08-15 09:12:15 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
佐伯周子シューベルト全曲演奏会の次回の曲について、何回かに分けて記載する。


佐伯周子シューベルト全曲演奏会第3回 = 「幻想曲」全曲演奏会


の時に、

  1. 「幻想ソナタ」ト長調作品78 D894 の前後の出版ピアノソロ曲は

  2. (ソナタとしての)直前が ニ長調ソナタ作品53 D850

  3. (小品集としての)直後が 即興曲集作品90 D899


ということに気付いた。「舞曲は除いて」考えた時にこのようになる。
 
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「自動ピアノ」はどこまで再現できるのか?(No.1582)

2008-08-13 17:22:19 | 実録! グランドピアノ購入実戦
 『アンサンブルピアノXP機能 = 自動ピアノ』を「基本的に購入する」ことにしてからいくつか疑問点が湧いて来た。

  1. 価格体系が 「CFIIIS ~ S4」と「C7 ~ C3」で随分違う(内容は「アンサンブル機能」と「サイレント機能」に関しては同じらしい

  2. 「非アンサンブルモデル = 通常モデル」と何が違うのか? または 全く同じなのか?

  3. メンテナンス体制は万全なのか? 万全ではないのか?


の3点。 ヤマハのカタログを読んだだけでは(私高本の頭が悪いからか?)全く理解できなかった。頭の問題? 老眼の問題?
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「サイレント機能」と「再生機能」(No.1581)

2008-08-12 17:57:53 | 実録! グランドピアノ購入実戦
 本日号からは1年ぶりに、人気の「実録! グランドピアノ購入実戦」を再開したい。


 「サイレント機能が必要」ならば、ヤマハしか選択は無い。カワイの「消音モデル」は「音が消える、のではない」から選択肢からは外れる。(← これ、タマに勘違いしている人がいるので、ご自分で確認して下さいね!)

 ヤマハは、全モデルサイレント化可能である。つまり

コンサートグランド = CFIIIS でもサイレント化OK


である。カタログを読む限りだと、コンサートグランドでもC1でもそれほど大きな差が無いように掲載されている。本当?


 (「サイレント機能」は私高本は全く興味が無かったし、今も興味が極めて稀薄であるが)

ヤマハならば「アンサンブルピアノ」機能 には大いに注目!


していた。

  1. 「アンサンブルピアノ機能」と書くと「何が何だかわからない」が

  2. 「アンサンブルピアノ機能」=「ピアノ再生装置」=「自動ピアノ」


と明示するとわかり易いだろう。 ヤマハのカタログを読んでもわかり難いし、ヤマハの店頭で尋ねても(私高本の頭のレベルでは)簡単にはわからなかったが、ヤマハの フォルテピアノ上大岡店 で根気強く尋ねたところ、やっと理解できた。昔々、スクリャービン や ホロヴィッツ が録音した「自動ピアノ」と同じ機能である。つまり

録音した内容が(スピーカからで無く)ピアノそのもので再生される!


のである。これは魅力だ!


 ヤマハ「再生機能」には、2つのグレードがあり

  1. 上位機種 = XP

  2. 下位機種 = 無印


である。これも、フォルテピアノ上大岡店 での説明で理解できたのだが

  1. 上位機種 = XP = 「離鍵」が正確に再現 + 強弱やペダルの階層が多い

  2. 下位機種 = あくまで練習用


であった。
 う~ん、「コンサートピアニスト(= 佐伯周子)の練習用」に「練習用」でいいのだろうか? を数日(私高本1人で)自問自答したが、どう考えても「買うならばXP」以外には選択肢は無い。再現した時に「細かな点が全部同じ」になるならば、買っても効果が低いからだ。
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佐伯周子 シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会 Vol.5&6(No.1580)

2008-08-10 18:55:40 | ピアニスト・佐伯周子
 佐伯周子シューベルト全曲演奏会も第6回までで1区切りとなる。

D760 - D899 主要作品全部網羅


だからだ。
 舞曲は後追いになるが、1822年~1827年秋口までの主要作品は全部揃うことになる。


 シューベルトは(ピアニストにとって)不思議な作曲家で、

  • ピアニストが演奏を開始する時に大半の人が
  • D899以降の作品(含む「楽興の時」D780)で開始する

通例がある。ポリーニ(D760&D845)やアシュケナージ(D664&D784)で開始した稀な例外もあるのだが、この2名は「中期」さえ網羅しないレパートリーである。2人ともまだ現役なので、網羅する可能性は否定できないが、可能性は極めて低いだろう。

中期で初めて中期レパートリーを網羅する世界初のピアニスト = 佐伯周子


の可能性は極めて高い。では 第5回 と 第6回 関連の「ちょっと面白いシューベルト情報」を!


 中期のソナタ2曲、出版時の名前が「第1大ソナタ 作品42(D845)」と「第2大ソナタ 作品53(D850)」は2曲を2回連続で演奏するのが当初からの予定だった。「第4ソナタ = 作品78(D894)」は21世紀の現代では確定している。

第3ソナタ はどの曲?


は実は、21世紀になっても全くガクシャ同士の説が咬み合っていない。

  1. D568決定稿(=変ホ長調版) = 第3ソナタ 説

  2.  シューベルト没年の翌年(=1829年)にマジで『第3大ソナタ 作品122』として出版されている。この説が優勢。

  3. D664 = 第3ソナタ説

  4.  D568決定稿(=変ホ長調版)より、「作品番号 = 120」が若い上、シューベルトの兄が「1825年 イ長調ピアノソナタ」のカタログを作ったことが根拠。しかし、D845(イ短調)が抜けたカタログなので、長調短調の記載ミスの可能性が極めて高い。やや劣勢だが、日本国内では 村田千尋東京音楽大学准教授 が強く推しているので「日本語著作」では優勢かも。ちなみに「作品番号」が若くても、実際に出版されたのは D568 が先です、ハイ。

 他には、D784 か D840 の可能性の指摘をしたのは、アインシュタインだった。本当はどれなんでしょうね? 「シューベルトのピアノソナタ」は多いが、本当にこの2曲に絞っていいのでしょうか?(爆


D946 は、本来どんな形だったの?


 実は、この話は フランツ・シューベルト・ソサエティ の小林会長から直々に頂いた話である。当時既に第5回が決まっていたので、第6回に D946 を入れた次第である。(最晩年=1828年の作品なので、もう少し後が当初の予定だった)


  1. D946 の自筆譜は

  2. 「標題無し」である上に

  3. 第1番と第2番は明らかに続いているが、第3番は『全く別の用紙』に書かれており

  4. 第3番が同一作品とは見なし難い! が新シューベルト全集の判断


である。う~ん、聴感上と同じ結果か、、、

 さらに D946/1 は「第2エピソード削除問題」も抱えており、どのように演奏するかは百家争鳴。佐伯周子は「第2稿で演奏 → 第1稿で演奏」するので、第2エピソードが好きな皆様は、両方聴きに来て下さい。

違う稿が明らかに存在する曲は両稿弾く


のでご安心を。


 では舞曲を。

D977エコセーズ は「本来の形」で演奏されるのは世界初かも!?


 これマジです。旧シューベルト全集で「楽譜初出版」されて以来、1回も無かったかも > シューベルトの自筆譜での演奏
 ・・・という訳で、「シューベルトファン」の皆様は聴き逃さないでね!


 さらに、「生前出版曲」なのにオリジナル通りは、初版楽譜出版以来初になるか? って曲がある。マジでホント。

作品18 の演奏が「シューベルトの指示通り」になるのはシューベルト自身の「シューベルティアーデ」を除くと世界初?!


 作品18 の楽譜は悪いこと言わないから厳選して購入してね!

  1. シューベルト 舞曲作品18 の楽譜は「最良 = ベーレンライター新シューベルト全集」(← だが「廉価版」が出ていないので無闇に高額!)

  2. 第2位 = ヘンレ版(だが相当に問題がある)

  3. 第3位 = 旧シューベルト全集(現在はドーヴァー版で安価に入手可能,ブライトコプフ版も高価な上、余計なダイナミクスが入っているが入手可能)

  4. 他は止めとけ!


と言う楽譜である。この曲集だけに関して言えば「ウィーン原典版」も「ペータース版」も悪い。どちらも購入しない方が良いだろう。


 ・・・との状況で、「佐伯周子 ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」は第5回と第6回を迎えます。 踏み込みが良い演奏(良過ぎて、タマに飛びます)なので、『曲の本質』を実感できることが多いと思います。過去の経験だと「曲が大きいほど安定して良い演奏」と言う人間工学に反したピアニストです。次回も次々回も「大きな曲」中心なので、安心してご来場下さい。
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ピアニスト 鈴木弘尚 附論(No.1579)

2008-08-09 19:11:05 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
 鈴木弘尚3部作は、久方ぶりの大作でした。昨日は疲れでブログ更新できませんでした(爆


ピアニストはピアノ音楽だけ磨き上げればいいのか?


 「鈴木弘尚論」を(これまで13年間書きたい、と思いながら書けなかったのに)書き上げることが出来たのは、実は 8/1(金)の 『佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会 Vol.4』で、リスト「ローレライ S532」の 9/8 の箇所(第33小節)に入ってスグのところだった。佐伯周子の演奏は

  • やや低めのテノールか、ハイバリトンのソロ歌手がそこに居て
  • 佐伯周子のピアノ『伴奏』に合わせて、歌曲「ローレライ」を歌っているかのよう!

であった。

  • 楽器「ピアノ」は打楽器の一種なので、アクセントを出したりするのは得意だが
  • 「歌う」ことはやや不得意の楽器

が通説となっている。


 この通説を乗り越えられないと「ピアニスト」にはなれないが、乗り越え方法に幾つかの違う道がある。

  1. 「とにかく歌わせる」ことだけを最優先にし、他は顧みない(→ ラフマニノフ方式)

  2. オペラや交響曲、協奏曲など「広い範囲の音楽」を身に付け、「自然に歌い」かつ「自然に伴奏」を1人で演じる(→ リスト方式)


 私高本は「リストの方が、ラフマニノフより好き」だが、『ラフマニノフ編曲モノ』を聴く時に「リスト方式」を押しつけるようなアホなマネはしない。

  1. リスト編曲モノ → リスト方式

  2. ラフマニノフ編曲モノ → ラフマニノフ方式

  3. ボロドス編曲モノ → ラフマニノフ方式


と切り分けて聴く。


 鈴木弘尚の「リスト編曲シューベルトモノ」はCDでも聴ける。「デビューCD」で、シューマン「交響的練習曲」作品13 の直後に収録されている。聴き手は「交響的練習曲」並みの演奏を期待している。少なくとも私高本は。


 鈴木弘尚デビューCDは

  1. シューマン(交響的練習曲)

  2. シューベルト/リスト(「水車屋と小川」A128/2 ← サール番号不明)

  3. ラフマニノフ5曲

  4. ヒナステラ「アルゼンチン舞曲」


となっている。超名演のシューマンの直後に収録された「シューベルト/リスト」に誰もが期待するだろう!!!


 ・・・が、シューベルトファンは裏切られる。いや、シューベルトファンでなくてもリストファンも裏切られるだろう。「リストの譜面」と違う。違い過ぎる。鈴木弘尚は「ピアノがピアノとして鳴り響いている」のだ。佐伯周子(と岡原慎也の「白鳥の歌」のリスト編曲の演奏)は「ピアノが『歌』として鳴り響いた上に、ピアノ伴奏も鳴っている」だった。


 私高本のサイフを悩ませることの一つが、佐伯周子が「オペラを聴きたいのでチケット下さい」と言うことだ(涙
 岡原慎也の文章で(確か「レッスンの友」掲載だったと思うが)

ピアノを演奏するためには、ピアノだけでなく「オペラ」や「オーケストラ」を貪欲に聴くことが糧


なんてのも読んだ。岡原慎也本人に尋ねたら、相当な金額を費やして、オペラやオケを聴きまくっていたようだ。それから室内楽もね!


 もう1度「原点」に戻ろう。佐伯周子が リスト「ローレライ」を弾いた。その曲のレシタティーヴォが終わり、「アリア」相当の箇所(= 33小節)に来た時、「低めのテノール」だか「ハイバリトン」の声が聞こえたような気がした。佐伯周子が「低めのソプラノ」か「ハイメゾソプラノ」を奏でていたのかも知れませんが。
 朗々と響く歌唱。濃い表情の「ピアノ伴奏部分」。佐伯周子の演奏は「端正な中に響き亘る」演奏。岡原慎也の「白鳥の歌D957」のリスト編曲 A49(サール番号不明)も、佐伯周子 と同方向だった。「シューベルト最優先」の姿勢が!


 鈴木弘尚 の演奏は「ラフマニノフの方向」である。「良い悪い」ではない。単純に「趣味の問題」である。しかし「リスト編曲」を弾くと「リストファン」が喜び、「ラフマニノフ編曲」を弾くと「ラフマニノフファン」が喜ぶだろう。私高本は「プロデュース第1回」を「リスト」で実行した人間なので、

リスト > ラフマニノフ


と固く信じている。錯覚かも知れないが(爆


  • コンクール用の選曲 と
  • 非コンクール用の選曲

があるのかも知れない。鈴木弘尚は「危ない橋」を渡って来てくれた恩人だと感じる。 しかし、それ以上に 岡原慎也 や 佐伯周子 は「1歩踏み外せば地獄への直行便」 の演奏会を聴かせてくれていたことを実感する。「踏み込みの良さ」に関して「シューベルト」に限定するならば、数倍(数十倍?)上だったから。

佐伯周子 + 岡原慎也 の連弾 が聴きたい!


が実感。
 この2人、テンポ設定だけでも相当に揉めるかもしれないが、「ブレンデル + 女弟子」よりも数倍良い演奏してくれる可能性も高い > 伊福部昭作品の共演実績から


 ・・・が、岡原慎也も佐伯周子も「シューベルトのピアノソロ」をもっともっと聴きたいピアニストである。


 鈴木弘尚については、「シューマン、ラフマニノフ、プロコフィエフ」を聴きたいピアニストである。ヒナステラも良いぞ!


 「佐伯周子の リスト『ローレライ』を聴いた瞬間、これまで13年間書けなかった「鈴木弘尚論」が書けたことだけは、ここに記しておきたい。鈴木弘尚 と 佐伯周子(と岡原慎也) には感謝するばかりである。
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