Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

本日8月13日佐伯周子ピアノリサイタル中止(No.2551)

2020-08-13 17:26:23 | シューベルト:作品大系&詳述

本日8月13日 佐伯周子ピアノリサイタル中止


です。チケット払い戻しご連絡は 08055283281 タカモトまでお願い申し上げます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出版企画で初めて作曲されたドイツ舞曲集=17のドイツ舞曲Ms.45(No.2515)

2017-01-25 02:56:21 | シューベルト:作品大系&詳述
「魔王」が1821年4月2日にカッピ&ディアベリ社から「作品1」として出版以来、1822年12月13日に「作品14」歌曲集までが傍目には順調に出版されていたかに映っていた。
 が、実態は「シューベルティアーデ最盛期の友人たち」が費用を全額負担する、と言う契約だった。つまり、シューベルトはいくら出版しても収入にはならなかったのである。『シューベルトに対して作曲代金を支払う出版社』を見付け出す必要に迫られ、ウィーン中の音楽出版社と交渉したことだろう、ついに

ザウアー&ライデスドルフ社が、3つのドイツ舞曲D971 を1823年1月10日から出版した(作品番号なし)、続き4月10日に歌曲集作品20も出版


 この前に「さすらい人」幻想曲作品15 と 舞曲集作品18 がカッピ&ディアベリ社から出版されたので、作品16-17&19 はこの時点で欠番になった。この後は人気ある歌曲(ドイツリート)は「作品22」5月27日、「作品21」6月19日、「作品23」8月4日、「作品24」10月27日 「美しき水車小屋の娘 作品25第1部」1824年2月17日 と次々にザウアー&ライデスドルフ社のみから出版される。
 シューベルト作品で人気があったのは、舞曲集とリートであった。難しいピアノ独奏曲や、重唱曲、連弾曲は需要がそれほど大きく無かった。舞曲集は特徴があり何でも売れる訳では無かった。ワルツ集かレントラー集は単独でも人気が高いが、エコセーズは退場用として付録でしか売れなく、状況はシューベルトの生涯に亘り全く変わらなかった。
 ザウアー&ライデスドルフ社からD971が出版された直後から、ドイツ舞曲集は「17のドイツ舞曲集」Ms.45,「12のドイツ舞曲」Ms.47 D790,「11のドイツ舞曲集」Ms.51 の3群が作曲した。新作リートは次々と出版を続けるのだから、「ワルツ集も出版してくれる=作曲代金が入る」だろうと期待したのだが、ライデスドルフは別の目論見があった。『人気のシューベルト作品と抱き合わせで自分や他の群小作曲家舞曲を売る』であり、まさに D971 で実行した方式でのみ、終生舞曲では付き合わなかったのである。
 ライデスドルフは「ディアベリ変奏曲」にシューベルトと並んで作品が出版され残っているが、後世に伝わったのはこの1曲だけであった。
 Ms.51 には愛着が特に強く、7曲はシューベルト生前出版され、残り10曲は没後直後に唯一出版された「20の最新ワルツ集」作品127 に全て収められた。ディアベリ社は、残った舞曲の中で、最も愛着の深い曲集がどれか、を正確に把握していたと推察される。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シューベルトが終生手本にしたベートーヴェンピアノソナタ第27番ホ短調作品90と幻想ソナタD894(No.2514)

2017-01-24 23:52:49 | シューベルト:作品大系&詳述
 シューベルトは、27才年上のベートーヴェンを尊敬しており多くの作品からエッセンスを、自らの養分として吸収して行った。ベートーヴェン晩年の弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130 の「新しい終楽章」までも手本にしている。最も早い時期から手本にしたのが、ピアノソナタ第27番ホ短調作品90 であった。出版された1815年6月は、シューベルトピアノソナタ第1番を同年2月18日に開始したばかりの時期だった。テンポ&表情を読んで欲しいが、「速過ぎず」のみがテンポであり、残りは全て「表情豊かに」をいかにすれば実現できるか? を事細かに支持している。テンポは速過ぎずだけでなく「遅過ぎ」も表情を殺してしまう。腹に入れて、シューベルトは早速9月にピアノソナタ第2番ハ長調D279を作曲した。この後、作曲順に、ピアノソナタD459,D506,D566,D567,D459A,D664,D575,D613, 交響曲D759「未完成」,弦楽四重奏曲D804,連弾ソナタD823,ピアノソナタD840 と作曲した。未完成作品とされる曲が多いのも事実。そこで、D567の改作=D568 を経て、究極に仕上げたのが ピアノソナタ第18番ト長調「幻想」D894 である。「生き生きと、徹底して感情を込めて、表情をもって」「性急過ぎず、よく歌い込むように」をまさにベートーヴェン以上に広大な空間を構築できたのだ!
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1815-1818の「シューベルティアーデ立ち上げ時」のシューベルトピアノソロ作品(No.2485)

2016-07-19 23:58:52 | シューベルト:作品大系&詳述
1815-1818年は、『シューベルティアーデ最盛期』と言って良かった。

  1. 「シューベルティアーデ参加者の詩」にリート(歌曲)を附曲した


  2. 踊るための「ピアノソロ舞曲」を書いた


  3. シューベルティアーデで「交響曲の代理としてのピアノソナタ」を作曲した


  4. 「シューベルティアーデ参加者の器楽曲」を主題とした変奏曲を作曲した!



が実績。
 「シューベルティアーデ参加者」は、ミサ曲第1番D105初演以降に集まった仲間。大半が「糸を紡ぐグレートヒェン」D118 以降の歌曲を聴いて、感動して、「自分の詩に糸を紡ぐグレートヒェン以上のリート(歌曲)を附曲して欲しい!」と思って集まった人たちだった。詩の水準が「糸を紡ぐグレートヒェン」の作者=ゲーテと並ぶ! ということは無かったが、集まった仲間の詩の水準はそれなりに高いモノであった。何曲かの名曲も産まれている。

 ・・・で、「相対的に観た」時に、「1815-1818のシューベルティアーデ最盛期」は他の時期に比べて、何が少なかったのだろうか?

  1. ピアノ連弾曲がほとんど無い


  2. オペラが少ない



だろう。シューベルトはこの時期、「シューベルティアーデの仲間の詩に優先的に附曲し、仲間の輪を広げて行った」状況である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐伯周子:シューベルト「自筆譜に拠る舞曲演奏会」第1回チラシ(No.2383)

2014-05-20 23:59:14 | シューベルト:作品大系&詳述
期日が迫っておりますが、チラシ作成致しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シューベルト:作品 大系&詳述 6(No.2376)

2014-02-18 21:53:23 | シューベルト:作品大系&詳述

SCHUBERT : Compendium and full discussion of Composition  No.6
シューベルト:作品 大系&詳述 6


第4期(中期後半)1822.10 - 1825.02 『試行錯誤の規模拡大期』 D759 - D832 2年4ヶ月(25才 - 28才)続き


シューベルト第4期作品で最も重要なのは 「美しき水車小屋の娘」作品25 D795 全20曲である。


  それまでにも「竪琴弾き」3部作作品12 D478 で連作歌曲 には着手していたが、規模が全く桁違い! 「第4期のシューベルト」は、「大交響曲作曲家」または「大オペラ作曲家」を一直線に目指していたので、文字上の証拠が少ないのだが

専属出版社 = ザウアー&ライデスドルフ社 が遅々として全20曲の内、9曲しか出版していないことの苛立ちの手紙 が遺されている


 実は、

シューベルトが「出版の遅延」について愚痴を述べている文章は、「美しき水車小屋の娘」だけ!


なのである。

出版遅延が著しかったシューベルト楽曲一覧



  1. 「美しき水車小屋の娘」作品25 D795 第10曲以降


  2. 連弾ソナタ第3番ホ短調 作品63 & 作品84 D823 第2楽章以降


  3. 即興曲集第1集作品90 第3曲以降



 3番目の「即興曲集」に至っては、生前に印刷楽譜を目にすることが出来なかったにも関わらず、愚痴は一切残っていないのである><

 「美しき水車小屋の娘」については、ゲオルギアーデス や フィッシャー=ディースカウ に素晴らしい解釈が残されているので興味ある方は是非是非ご覧頂きたい。

「美しき水車小屋の娘」 = シューベルト歌曲の最高傑作 は、『「魔王」と並んで』の注釈付きで私高本も全面同意である。




劇音楽の最高傑作も、「怒涛のオペラ期 = 第3期」ではなく、この第4期に作曲された。「ロザムンデ」D797。第3曲b = アクサのアリア が生前に作曲後すぐに 作品26 として出版された。これはシューベルト劇音楽声楽曲で生前出版された唯一の曲


 前号に掲載した「声楽曲を元にした器楽曲」も全てが全て名曲。さらに、

単独リートに関しても、リュッケルト、シューベルティアーデの一員 = コリーン 詩の名曲が次々に産み出のが、シューベルト第4期


である。第2期 の活気を完全に「単独リート」でも取り戻した上に、「美しき水車小屋の娘」が生まれた豊穣の時期である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シューベルト:作品 大系&詳述 5(No.2375)

2014-02-17 22:28:26 | シューベルト:作品大系&詳述

SCHUBERT : Compendium and full discussion of Composition  No.5
シューベルト:作品 大系&詳述 5



第4期(中期後半)1822.10 - 1825.02 『試行錯誤の規模拡大期』 D759 - D832 2年4ヶ月(25才 - 28才)



ミサ曲第5番完成直後に大交響曲「未完成」ロ短調D759 に着手する。


 大交響曲は、オーケストラスコアは 1822.10.30着手だが、その前段階のピアノスケッチが大々的に残っている。第3楽章スケルツォは主部が112小節で完成しており、トリオ部は16小節残っている状態でオーケストラスコアに着手したので、トリオ部は短い予定だったのだろう。オーケストレーション開始して数日が経ち11月に入ったところで、それまでのシューベルトには無かった「好条件の作曲依頼」が舞い込んで来た。

ピアニスト=リーベンベルク から、「出版費用を負担した上での作曲依頼 → 「さすらい人幻想曲」作品15 D760


  作品14 までの出版は「シューベルティアーデの友人たち」が費用負担をした「自費出版」だったので、この条件は破格! すぐに着手 → 完成させ、何と 1823.02.23 には出版にまで漕ぎ着ける超スピード!!

 ・・・で、「さすらい人幻想曲」完成時には、大交響曲ロ短調への興味を失っていた、と言うのが ヒルマー たちの学説であり、私高本も賛同する。

「さすらい人幻想曲」は、シューベルト自作のリート(または劇音楽)から大器楽曲を創作する、と言う新たな手法


を産み出した。第4期のこのタイプの楽曲を一覧しよう。

  1. 「さすらい人幻想曲」ハ長調作品15 D760 1822.11作曲 ← リート「さすらい人」D489作品4/1, 1816.10作曲(シュミット詩)


  2. ピアノソナタ第14番イ短調D784 1823.02作曲 ← 4重唱「自然の中の神」D757 1822.08作曲(クライスト詩)


  3. 「鱒」ピアノ5重奏曲イ長調D667 1823夏作曲 ← リート「鱒」作品32 D550 1816末 - 1817.07間に作曲(シューバルト詩)


  4. 「萎んだ花」変奏曲ホ短調D802 1824.01作曲 ← 連作歌曲集「美しき水車小屋の娘」第18曲「萎んだ花」1823.10 - 11作曲(ミュラー詩)


  5. 8重奏曲ヘ長調D803 1824.02作曲 ← オペラ「サラマンカの友人たち」第12曲ラウラとディエゴの2重唱D326/12 1815.11.18 - 12.31作曲(マイヤーホーファー台本)


  6. 弦楽四重奏曲第13番イ短調「ロザムンデ」D804 1824.03作曲 ← 第2楽章:劇音楽「ロザムンデ」第5曲「間奏曲」D797/5 1823.10.03以降 - 12.19作曲(シェジー台本) & 第3楽章:リート「ギリシャの神々」からの断片D677 1819.11作曲シラー詩)(断片の呼称はシラーの長い長い詩の1部を取った、の意味で完成した曲)


  7. 弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」D810 1824.03 - 作曲 ← リート「死と乙女」D531作品7/1 1817.02作曲(クラウディウス詩)



 この第4期に集中しており、第5期には 1827.12 に即興曲集第2集のD935/3 と 「わが挨拶を送らん幻想曲」D934 の2曲が出現するだけである。

 古くは1815年末の「サラマンカの友人たち」(「魔王」と同時期!!!)から、新しいところでは 1823年末の、しかも未出版の「美しき水車小屋の娘」D795作品25 や 「ロザムンデ」D797作品26 までが駆使されている。シューベルト自身に拠る選択眼にかなった作品ばかりである。

ミュラー や シラー の詩は「変奏曲主題」や「楽章主要主題」に起用されるが、ゲーテ は起用されない


は大切な点。「ゲーテの詩」は主張が強すぎる、とシューベルト はこの第4期から感じていたのである。これは第5期に至るとさらに進行する。

 ここに挙がった曲は左側だけでなく、右側も大切な曲。シューベルト自身が劇音楽では「サラマンカの友人たち」と「ロザムンデ」を名作! と感じていたこと、などがはっきり理解できる。尚、「アルフォンソとエレストレッラ」は「冬の旅」で借用されるので、同等以上の扱いであることもここに付記しておきたい。

 1つ注釈を付けておく。弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」はおそらく1823.03着手だが、完成は5月か6月まで掛かった様子。6月着手の連弾ピアノソナタ第2番ハ長調D812 までに1曲の4重唱しか存在しないからである。自筆原稿は第2楽章の第142小節までしか残っていないので、5月か6月かまでは再発見されない限り断定できない。

「鱒」ピアノ5重奏曲 は、1823年の作曲である。チェロパート と コントラバスパート の分離は、ミサ曲第5番D678着手1819.11以降しかあり得ない、からである。



 1819夏に チェロパート と コントラバスパート を分離した曲を作曲、はシューベルトにはあり得ないのである。

「シューベルト研究」は「ベートーヴェン研究」や「モーツァルト研究」に比較して「楽譜を重視」していない事実


をここに明記する。第3期の最重要作品を「リート派」も「器楽派」も全く研究していないのである><


 ・・・で、この第4期で最も重要な作品は、「歌曲や劇音楽を主題に持つ器楽曲」では無い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シューベルト:作品 大系&詳述 4(No.2374)

2014-02-16 08:44:13 | シューベルト:作品大系&詳述

SCHUBERT : Compendium and full discussion of Composition  No.4
シューベルト:作品 大系&詳述 4



第3期(中期前半) 1818.09 - 1822.09 『怒涛のオペラ期』 D624 - D758 4年(21才 - 25才)


 この4年間に、7本もの舞台音楽が作曲され、3本が上演されたことは、シューベルトファンの間でもほとんど知られていない事実である。まず7本の舞台音楽全貌を見てみよう。

  1. オペラ「双子の兄弟」D647 (ホフマン台本) 1818 - 1819.01 6回上演


  2. オペラ「アドラスト」D137 (マイヤーホーファー台本) 1819 未完成


  3. オペラ「魔法の竪琴」D644 (ホフマン台本) 1819 - 1820.08 7回上演


  4. オラトリオ「ラザロ」D689 (ニーマイヤー台本)1820.02 未完成


  5. オペラ「シャクンタラー」D701 (ノイマン台本)1820.10 - 未完成


  6. エロールのオペラ「魔法の鈴」への挿入曲2曲D723 1821 8回上演


  7. オペラ「アルフォンソとエレストレッラ」D732 (ショーバー台本) 1821.09.20 - 1822.02.22



 シューベルト のリートが極めて「劇的効果」を持っていることは読者の皆様はご存知のことだろう。だが、シューベルトの劇音楽は「劇的効果が薄い」のが特徴。「穏やかなリートを拡大した」感触なのである。「魔王」と言うよりも、「鱒」に近いのである。また、台本が マイヤーホーファー1本、ショーバー1本 と「シューベルティアーデの仲間たち」が加わっていることにも注目して欲しい。特に「アルフォンソとエレストレッラ」D732 は、少なからぬ人が「シューベルトオペラ最高傑作」と称する作品である(ショーバー台本)。
 この時期は「リート」は谷間の時期に当たる。「春の想い」D686(ウーラント詩)のみが目立っている程度である。器楽曲も 4手連弾フランス歌曲の主題による8つの変奏曲ホ短調作品10 D624 が重要作品であるだけ。尚、「鱒」ピアノ5重奏曲D667 と ピアノソナタD664 はこの時期の作曲では無い。この件は後に詳述する。
 では、何がこの時期の重要作品なのか?

ミサ曲第5番変イ長調D678 が 1819.11 -1822.09 と2年10ヶ月も月日を要した大作であり、最も重要な作品。このミサ曲で、チェロパートとコントラバスパートを初めて分離して作曲した。


 この重要なことを記載した文章は私高本は1度も見たことが無い。ベートーヴェンで言えば、7重奏曲変ホ長調作品20 でチェロパートとコントラバスパートを分離して作曲後に、交響曲第1番ハ長調作品21 に取り組んだ時であり、モーツァルトで言えば、弦楽四重奏曲ト長調「春」K.387 で、弦楽4部のバランスを組み立てなおしてから、ピアノ協奏曲3部作 K413, K.414, K.415 や リンツ交響曲 K.425 に取り組んだ時に相当する。(ベートーヴェン と モーツァルト は書かれている。)

 上記オペラでも、「魔法の竪琴」以降の作品は、チェロパート と コントラバスパート が分離して作曲されている!

シューベルト:ミサ曲第5番変イ長調D678 は、同時期のオペラなど劇音楽に比較してはっきりと「劇的」!


  ミサ曲第4番D452 以前には無かった「劇的なミサ曲」がここに誕生した。


「シューベルティアーデ」が第3期に、シューベルトに働き掛けて実行した出来事



  1. 1819.09 シューベルト作曲オペラ上演の約束を取り付ける


  2. 1820.06.17 オペラ「双子の兄弟」D647 & 「魔法の竪琴」D644 を上演に漕ぎ着ける


  3. 1821.04.02 「魔王」作品1 を皮切りに、「作品番号付き」出版を開始



 どれも「作曲家シューベルト」にとって、極めて大きな収穫。第3期のシューベルティアーデの大活躍が無かったら、「歌曲だけの作曲家」としてしか名が残らなかったことは間違い無し!

 弦楽四重奏曲第12番ハ短調「弦楽四重奏断章」D703 も、この時期の作品だが、ミサ曲第5番変イ長調D678 の作曲開始後の着手であり、きっかけになっている訳では無い。また、曲の冒頭を省略しての「ソナタ形式再現部開始」も ピアノソナタ第13番ヘ短調D625第1楽章にて既に 1818.09 に実現している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シューベルト:作品 大系&詳述 3(No.2373)

2014-02-15 19:01:58 | シューベルト:作品大系&詳述

SCHUBERT : Compendium and full discussion of Composition  No.3
シューベルト:作品 大系&詳述 3



第2期(初期) 1814.10.19 - 1818.08 『単独リート全盛期』 D118 - D623 3年10ヶ月(17才 - 21才)


  「ドイチュ番号」の進み方を見て頂きたい。3年10ヶ月で、 505 も進んだ! 

特に最初の1年(1814.10.19 - 1815.10.19)は D118 - D319 と 201 も進んだ! しかも最終日 = 1815.10.19 は D311 - D319 の9曲のリートが一挙に作曲されている!!!


 「多作家」と言われる シューベルト だが、これほどまで多作だった時期は第2期だけである。この時期は父親の経営する学校で助教員をしていたのだから、作曲時間はむしろ少なかった、はずなのだが。


ゲーテとの出会い、「シューベルティアーデの仲間たち」との親密な会合


  それまで、シラー と マティソン ばかりに附曲していた シューベルト。まさに ミサ曲第1番公開演奏の前後に『偉大な現代詩人』に出会う。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749年8月28日 - 1832年3月22日)だ! シューベルト よりも 48才年上だが、シューベルト没後3年半以上の人生だった。

 ミサ曲第1番初演から3日後 = 1814.10.19 に「天啓」がシューベルトの身に降りて来た。

ゲーテ詩「糸を紡ぐグレートヒェン」D118 を ミサ曲第1番ソプラノソロ演奏の テレーゼ・グロープ 演奏の想定で作曲!


  ゲーテ詩も素晴らしい。テレーゼ・グロープ のソロにも魅せられた! の相乗効果だろう、これまでの全ての作品を越える曲が誕生した。さらに

「シューベルトの友人たち」の意味の「シューベルティアーデ」が開催されるようになり、「詩の朗読会」で(ゲーテ などの詩に交じって)友人たちの詩が読まれ、シューベルトが作曲するようになった


  その最初の成果が マイヤーホーファー「湖にて」D124 である。なんと、ミサ曲第1番公開演奏の1ヶ月半後の 1814.12.07 に作曲されている。マイヤーホーファー だけではない。ショーバー や コリーン などの「シューベルティアーデの仲間たち」から数々の名曲が生まれるようになった。多くのヒョーロンカが「シューベルティアーデの友人たちの稚拙な詩」に作曲した「詩の選別眼の無いシューベルト」と言う大馬鹿なことを書いているが、マイヤーホーファー詩「双子座の星に寄せる舟人の歌」D360、ショーバー詩「音楽に寄す」D547、コリーン詩「小人」D771 「夜と夢」D827、などが名曲に感じられないのだろうか? 暴論ヒョーロンカには憤りを感じる次第である。


 第2期は「単独歌曲全盛期」である。

「糸を紡ぐグレートヒェン」D118 は、それまで作曲された全ての「歌曲」を凌駕する曲であり、ベートーヴェン+モーツァルト+ハイドンをも凌いだ名作


 しかも「糸を紡ぐグレートヒェン」と肩を並べる名作リートが、この第2期に大量に作曲される。

  1. 「糸を紡ぐグレートヒェン」D118


  2. 「羊飼いの嘆きの歌」D121


  3. 「憩いなき愛」D138


  4. 「恋人の近く」D162


  5. 「さすらい人の夜の歌」D224


  6. 「漁師」D225


  7. 「最初の損失」D226


  8. 「野薔薇」D257


  9. 「魔王」D328


  10. 「トゥーレの王様」D367


  11. 「狩人の夕べの歌」D368


  12. 「馭者クロノスに」D369


  13. 「竪琴弾きの歌、第1、第2、第3」D478(これより上は ゲーテ詩)1816.09


  14. 「さすらい人」D489(シュミット詩)


  15. 「子守歌」D498(詩人不明)


  16. 「死と乙女」D531(クラウディウス詩)


  17. 「ガニュメデス」D544(ゲーテ詩)


  18. 「音楽に寄す」D547(ショーバー詩)


  19. 「鱒」D550(ショーベルト詩)


  20. 「タルタルスの群れ」D583(シラー詩)


  21. 「エルラフ湖」D586(マイヤーホーファー詩)



 これほどの名作がわずか3年10ヶ月に産み出された。注目して頂きたいのは、13番目の「竪琴弾きの歌」までの全てが「ゲーテ詩」と言う点。他の詩人にも曲を付けているのだが、1814.10.19 - 1816.09 の2年間は、「ゲーテに専念」に近い状態だった、を意味する。

 翌月1816年10月から様子が一変する。シュミット詩「さすらい人」に始まり、「死と乙女」「鱒」など後に器楽曲の変奏曲主題に用いられる曲が3曲もされ、3曲とも別の詩人であった。


「シューベルティアーデ」が第2期に、シューベルトに働き掛けて実行した出来事



  1. 1816.04 ゲーテに「シューベルト作曲ゲーテ歌曲集」楽譜を献呈するも、返事無しに返送されて来た。


  2. 1816.10.03直後 交響曲第5番変ロ長調D485 がどこかで初演された


  3. 1818.01.24 マイヤーホーファー詩「エルラフ湖」D586 が雑誌の付録の形で出版される


  4. 1818.03.01 序曲ハ長調D591 が初演される


  5. 1818に入った頃から シューベルト作曲オペラをウィーンで上演できるよう奔走



  「ゲーテ献呈」の話は、「魔王」の3連符を2連符に易しく弾けるようにした改訂楽譜が写真版であちこちに掲載されていることで有名。シューベルティアーデの友人たちは、ゲーテの威光を借りることを真っ先に思い付いたのだが、これは失敗に終わったと言って良い。
  交響曲第5番が初演されたことは間違い無い。兄フェルディナンド・シューベルト が「演奏用パート楽譜」を作成している。シューベルトの全交響曲中、ティンパニ と トランペット が存在しない小さい編成は 第5番だけである。この交響曲を境に、「ゲーテ専念」は終焉する。
  「シューベルティアーデ詩人」のマイヤーホーファー詩「エルラフ湖」が初出版に至ったことは、この出版は友人たちの努力の賜物だった証。

 「いつものシューベルティアーデ」は、シューベルトの弾くピアノの廻りに友人たちが集まり、歌い、踊った。

「交響曲の代用品」として「ピアノソナタ」を作曲開始したのも、第2期!


 しかし、交響曲作曲家 または 宗教音楽作曲家 または オペラ作曲家 として、大成したかったシューベルトの意向を友人たちは熟知していた。機会を作っては、交響曲や序曲を演奏に至らしめていたが、次なる飛翔として「オペラ作曲家」を目指した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シューベルト:作品 大系&詳述 2(No.2372)

2014-02-14 20:04:14 | シューベルト:作品大系&詳述

SCHUBERT : Compendium and full discussion of Composition  No.2
シューベルト:作品 大系&詳述 2



第1期(学習期) 1810.04.08 - 1814.10.16 『弦楽四重奏曲の時代』 D1 - D117 4年6ヶ月(13才 - 17才)



  この時期は 4年6ヶ月で ドイチュ番号 が 116 進むだけであり、他のいかなる時期よりも『作曲速度』が遅いことが特徴。弦楽四重奏曲 が D8A, D18, D94, D32, D36, D46, D68, D74, D87, D103, D112 と11曲にもなり、量だけでなく質もリートに比べて高く、『弦楽四重奏曲の時代』と呼ぶのがふさわしい。他の分野の傑作は、交響曲第1番ニ長調D82, ミサ曲第1番ヘ長調D105 の2曲である。
  シューベルトの弦楽四重奏曲と交響曲は、ベートーヴェン,モーツァルト,ハイドン を手本に作られており、手本の影響が強大な曲と少ない曲があり、影響微小の 弦楽四重奏曲変ホ長調D87 は、この時期では ミサ曲第1番と並ぶ名曲である。「さすらい人幻想曲」作品15 D760 で顕著になる「循環ソナタ」の原型がここにある。
 弦楽四重奏曲は「シューベルト家」で、父と兄2人とシューベルト自身で演奏された。父のパート=チェロ が簡単に作曲されているのは、兄2人やシューベルト自身に比べて、父親の演奏技巧がまずかったからである。

シューベルト第1期(学習期)の歌曲の詩人



  1. Schiller シラー 26曲


  2. Matthisson マティソン 16曲


  3. Hoelty ヘルティ 2曲


  4. Kotzebue コツェブ 2曲(内1曲はオペラ)


  5. Schuecking シュッキング 1曲


  6. Mikan ミカン 1曲


  7. Pope ポプ 1曲


  8. Rustenfeld ルステンフェルド 1曲


  9. Schaeffer シェッフェル 1曲


  10. Fouque フケ 1曲


  11. Schubert シューベルト 1曲



 以上が全てである。シラー と マティソン ばかりに曲を付けていた、と言って過言では無い。やたら長い曲が多く、「バラード」を目指していたようだ。15分を超える曲が何曲もある。

シューベルトが ヨハン・ルドルフ・ツムシュテーク(Johann Rudolf Zumsteeg, 1760年1月10日 ザクセンフルーア - 1802年1月27日 シュトゥットガルト)を手本にリート作曲を始めた


は間違い無いことだが、多くの伝記であまりにも重きを置き過ぎている。

シューベルトは、歌曲を ツムシュテーク を手本に開始したが、ベートーヴェン+モーツァルト+ハイドン手本の弦楽四重奏曲に比べて見劣りする曲しか残せなかった、の方が重要


 第1期の歌曲については、誰がどのように演奏したのか? が不明である。シューベルト自身がピアノを弾き、自ら歌った、の可能性が高い。第2期以降は、「シューベルトがピアノを弾き、シューベルティアーデの仲間たちが歌う」が定着したのだが。

シューベルト第1期:「家族で演奏する弦楽四重奏曲」の出来映え > 「弾き語り(?)だった 歌曲」の出来映え


が実態。
 尚、第1期 は「ピアノソナタ & ヴァイオリンソナタ」が1曲も作曲されなかった! も異常事態、と感じる。


 13才から17才までの4年6ヶ月の間、シューベルトは自身の音楽感性を研ぎ澄まし、目標としていた ベートーヴェン+モーツァルト+ハイドンに追いつき追い越すことを夢見ていた。どのような経緯かは全く不明だが、

ミサ曲が公開演奏されることが 1814.05.17 直前に決まった。演奏日は 1814.10.16



 ミサ曲第1番D105 は第1期の最高傑作だが、このミサ曲着手後の曲(歌曲&弦楽四重奏曲)に特に変化は現れない。だがミサ曲が公開演奏されることに拠り、大きな飛翔をもたらしたのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シューベルト:作品 大系&詳述 1(No.2371)

2014-02-13 22:29:21 | シューベルト:作品大系&詳述

SCHUBERT : Compendium and full discussion of Composition  No.1
シューベルト:作品 大系&詳述 1


 シューベルトの「音楽全体像」と焦点となる作品についての詳述を今回開始する。あくまで「作品」について光を当てるので、シューベルトの人生についてはさらっと書く。

 シューベルトの「作曲人生の区切り」については、器楽曲派 と リート派 では見解が異なることが多い。

  1. 器楽派 : 弦楽四重奏曲第12番ハ短調D703 から後が後期、前が前期
  2. リート派 : 「糸を紡ぐグレートヒェン」D118 より前が前期、「美しき水車小屋の娘」D795 着手前までが中期、D795以降が後期

 器楽派は、バドゥラ=スコダ、ブレンデル など。リート派は、ゲオルギアーデスなど。同じ「シューベルト」が作曲した作品であり、ベートーヴェン や モーツァルト ではこのような「ねじれ」は21世紀までは引き摺っていない。(昔あったかどうかも定かでない)ベートーヴェンならば、作品47「クロイツェル」までが前期、作品53「ワルトシュタイン」から作品98「遙かなる恋人たち」までが中期、チェロソナタ作品101からが後期、と定説がある。記述の通り、器楽曲だけでなく、声楽曲も併せての「作曲時代区分」である。


シューベルト:作曲時代区分



  1. 第1期(学習期) 1810.04.08 - 1814.10.16 『弦楽四重奏曲の時代』 D1 - D117 4年6ヶ月(13才 - 17才)


  2. 第2期(初期) 1814.10.19 - 1818.08 『単独リート全盛期』 D118 - D623 3年10ヶ月(17才 - 21才)


  3. 第3期(中期前半) 1818.09 - 1822.09 『怒涛のオペラ期』 D624 - D758 4年(21才 - 25才)


  4. 第4期(中期後半)1822.10.30 - 1825.02 『試行錯誤の規模拡大期』 D759 - D832 2年4ヶ月(25才 - 28才)


  5. 第5期(後期)1825.03 - 1828.10 『自由出版期』D833 - D965A 3年7ヶ月(28才 - 31才)



 上述の「器楽派」「リート派」のご意見と一致するのは、「リート派のD118」だけ。D703 も D795 も「区分」に出てこない><

 各期の詳述は明日以降。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする