Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

ムソルグスキー「展覧会の絵」 2(No.2248)

2013-03-30 23:19:22 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

国際色豊かなムソルグスキー「展覧会の絵」の世界


  ハルトマンの絵の題材は幅広く、ロシアの風景だけで無かった。「相当に変わったバレエ団」「キエフ市の建築コンクール参加作品」などと並んで、

  1. イタリアの古城


  2. フランスの公園の子どもたち、市場での女性の喧嘩、地下の墓


  3. ポーランドの牛車(= 反乱軍)



などが、鮮やかに「音」で描かれている。

シューベルトに始まり、シューマン、リストで練り上げられた「ロマン派連作小品集」でも、これほど「世界」を表現した曲は無かったし、ムソルグスキー以降でもおそらく存在しない

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ムソルグスキー「展覧会の絵」 1(No.2247)

2013-03-29 23:36:17 | ピアニスト・佐伯周子

佐伯周子がムソルグスキー「展覧会の絵」を弾く


と聞かされた時、真っ先に感じたのは「えっ? そんなレパートリーも持っていたんだ!」であった。身近にいてもよくわからん><

 ムソルグスキーは、大作曲家として認められているが、実は「展覧会の絵」とオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の2作品しか、オリジナル作品は流通していない。「はげ山の一生」は編曲モノなのだ><

 2作品とも名作中の名作だが、ピアノソロとオペラと言うレパートリーの乖離により共通点は見出し難い><


ムソルグスキー「展覧会の絵」の「物語展開」


 これは有名であり、誰でも理解できる容易なモノ。

「私(=ムソルグスキー)」が亡くなった友人画家ハルトマンの回顧展示会に行く。「プロムナード」と呼ばれる回廊を渡り歩きながら10枚の絵を見入る。「絵の世界」に引き込まれてしまう「私」


 これが全て。10枚の絵を紹介しておこう。

  1. 小人


  2. 古城


  3. テュイルリーの庭 - 遊びの後の子供たちの口げんか


  4. 牛車


  5. 卵の殻をつけた雛の踊り


  6. サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ(金持ちなユダヤ人と貧乏なユダヤ人)


  7. 市場


  8. ローマ時代の墓


  9. 鶏の足の上に建つ小屋


  10. キエフの大門



 「終曲 = キエフの大門」が「プロムナードの発展形の1つ = 変奏曲」になっていることもあらかじめ知っておいた方が楽しめるだろう。


 実演もCDも「無数と言って良いほど多数ある」曲であり、私高本も相当数の演奏を聴いて来た。名演もある。だが印象深いのは

ピアノ版演奏でも、「編曲版」があまりにも多い事実


 佐伯周子は「原典版を弾く」と断言してました。

(「2」に続く)
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ラヴェル「ラ・ヴァルス」(No.2246)

2013-03-28 23:55:09 | ピアニスト・佐伯周子
 5月11日の 東京芸術祭センター第100回定期演奏会の曲目に久しぶりに戻る。(あれっ、なんだか随分前のような気がする・・・)


ラヴェル「ラ・ヴァルス」は『3つの稿=ピアノ2台版、オーケストラ版、ピアノソロ版』が存在し、この順で作曲されたのだが、誤解が蔓延しており、特に「ピアノソロ版」は解釈の差が極限まで拡大されている


を冒頭に述べる。

ラヴェルは「原曲をピアノ版、その後にオーケストラ版」の作曲家は有名


である。
 これがどういうワケだか知らないが

ラヴェル「ラ・ヴァルス」もピアノ版が先 → オーケストラ版が後 と信じ込んでいる盲信者多数


である。楽譜読めば、「ピアノソロ版 = オーケストラ版 のトランスクリプション」は誰でもわかると思うのだが > 楽器が明示されているし><


『全てのピアノソロ曲』中、最も『解釈の差』が大きく出る曲 = ラヴェル「ラ・ヴァルス」


と感じる。
 色んな演奏を聴いた。CDで聴いた。ナマでも聴いた。

ラヴェルのオリジナル版 = 3段楽譜 で「3本の手」が無いと演奏不可能な楽譜><


なのが原因。「3本の手」があっても「重なり合う」ので弾けるかどうかは大いに疑問があるのだが><


 ラヴェル「ラ・ヴァルス」をどのように捉えるか? はピアニストの感性が全てである。私高本自身は「グールドの演奏」で初めて知った曲なので、当初は「あっさり系の曲」と思っていた。また、「あっさり系」でも充分に堪能できる曲なのが魅力の1つなのだ!

 だが、歴史的事実は、「2台ピアノ版 → オーケストラ版 → ピアノソロ版(但し3段楽譜)と言う流れ。何で?(爆涙


ラヴェル「ラ・ヴァルス」は、「J.シュトラウス2世のワルツ」を手本と公言しているが、実は『シューベルトのワルツ』が直接の手本


を指摘する必要が大きい。
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三枝成彰:オペラ「KAMIKAZE-神風」世界初放送(No.2245)

2013-03-27 22:01:41 | 演奏会案内

3月30日(土)三枝成彰:オペラ「KAMIKAZE-神風」世界初放送



3月30日(土) AM1:30~AM4:05 BS朝日
http://www.bs-asahi.co.jp/kamikaze/

 私高本の耳が「大きなロバの耳」かどうかを、読者皆様がご自分で聴いてご確認下さいませ。収録日は知りません><

 情報を頂いた 「unknown様」ありがとうございました。
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オーケストラトレーナーとしての スダーン と カンブルラン(No.2244)

2013-03-22 19:21:46 | 批評
 前号で列挙した指揮者の中から、「4月からの来シーズンで任期を終える スダーン」と「全力疾走中の カンブルラン」について、感じるところを述べたい。レパートリーが重複していないように見える2人だが、私高本の目には、いろいろと重なり合う点もあるからだ。


オーケストラトレーナーが兼ね備えているポイント



  1. 「得意分野」に超越している


  2. 体力が漲っている「指揮者として元気溌剌」年代


  3. オケ団員から信頼を得る風格



 「言うは易し、行うは難し」。このポイントをクリア出来ている指揮者は数少ない。スダーン & カンブルラン は、共に「数少ない極めて有能な指揮者」であり、招聘されたオケ(スダーンは東響、カンブルランは読響)との相性も抜群に良かったのである。「相性の機微」と言うのは、他人には解り難いモノである。2回も離婚されている私高本は言及できない鴨><


 スダーン は、『13年間にわたるザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の音楽監督を経て、2004年9月に東京交響楽団の音楽監督に就任』が東響公式ページの紹介である。東響も「10年間の音楽監督」になったので、腰を落ち着けてじっくりとオケと向き合う指揮者であることがお分かり頂けるだろう。東響音楽監督就任して真っ先に目についたのは

モーツァルトの協奏的作品で、東響オケメンバーを起用しての公演


であった。これは、好評だったようで4月1日に「リニューアル・オープン」する

川崎ミューザ主催の「モーツァルト・マチネ」シリーズ に発展


したほど! オケのコンサートマスターや首席奏者は「ソロパート」を演奏することが多い。だが、「定位置で座って演奏する」のと「指揮者のすぐ脇」で(基本的に)立って演奏するのでは、「張り合い」が相当に違うのは人情。

「スダーン X 東響 のモーツァルト」は、新国立劇場「モーツァルト:皇帝ティートの慈悲」で絶賛され「年間ベストオペラ」に選ばれた! ほど


 「スダーン の モーツァルト」は小細工は無く、真正面からモーツァルトを捉える。(「カンブルラン の モーツァルト」は『あざとさ』があるのと対照的!) 来シーズン定期演奏会オープニングは「モーツァルト:レクイエム」である!!! これだけでも、音楽監督招聘の恩恵抜群だが、「モーツァルテウム音楽監督時代以上の成果」を挙げた作曲家もあった。

「スダーン X 東響 の シューベルト交響曲」は、現在東京で聴ける最高!


 『佐伯周子 の シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会』実行中の私高本が責任を持って断言する。演奏会には勿論足を運んだし、ライブCDも購入した。「真正面からシューベルトに取り組んだ スダーン X 東響」は忘れられない。スダーン自身も同じ思いのようで、

音楽監督最終公演の最後の曲 = シューベルト交響曲第2番D125(← 「糸を紡ぐグレートヒェン D118」直後の名曲)


に据えた。もうチケットは購入したよ。

 スダーン が「最終シーズン」を意識した時に、「取り上げて置きたい!」と熱望した形跡のある作曲家が(少なくとも)もう1人いる。

「スダーン X 東響 のブルックナー」であり、第4番、第9番、「テ・デウム」


を取り上げる。スダーン は(おそらく)バス・チューバが入った第4番最終稿以降の作品のみに興味があるように思う。その為、ブルックナー交響曲全曲演奏会はついに実施されなかった。だが、重心の低い響きは、とても魅力的で全ての曲を聴きに行く。


 私高本の視点では、

スダーン は、「得意のドイツの交響曲作曲家(特に、モーツァルト、シューベルト、ブルックナー)」にて 東響 の演奏水準を9年間で飛翔させた!


と感じる。


 「正攻法のスダーン」とは カンブルラン は全く異なる。

常任指揮者就任演奏会の「モーツァルト:交響曲第41番ジュピター」で「意表を突く(楽譜にない)休符」を入れて聴衆に「深々と挨拶」


が実績。オケメンバーもぶっ飛んだだろうな(爆
 メシアン、ストラヴィンスキー などで、読響 を引っ張って行く、と予想していた評論家も多かったが、「就任インタビュー」通り、「普通のプログラム」を中心に据えた。ベルリオーズ までは、想像していた人も多いだろう(CDも既にある)が、

マーラー交響曲第6番 のオケ配置と響きのステレオ効果の見事だったこと! これは予想外!!!


 私高本は「カンブルラン X 読響:マーラー交響曲全曲演奏会 & CD発売」が来年4月から開始される予感がする。

「マーラー」と言う作曲家は、「知っているようで、まだまだ(モーツァルトやベートーヴェンと比較して)知らないところだらけの作曲家


である。カンブルラン は「マーラー」を題材に 読響 に「響きを聴き合う」を呈示した様子。左から 1st Vn, Va, Vc, 2nd Vn って「隣り合うパート」が聴き難いことこの上ない><
 カンブルラン の特徴の1つに「翌日の演奏会で、さらに付け加えることがある」も新鮮。ベートーヴェン「第9」も、後の公演を聴いたら、前の公演とは打って変わったことがあった><

 4月からの来シーズンプログラムを見ると、「フランス物」「ロシア物」と「ドイツ物」「ドイツ周辺国物(バルトーク とか)」とのバランスを絶妙に取っていく方針の様子。これが、どれもが「一癖も二癖もある」演奏なんだよなあ(爆

3/24 今シーズン最終公演 = モーツァルト交響曲第39番メインプログラム も「何かやらかしそう!」


なのである。
 カンブルラン は「スダーン とは真反対」で、創意工夫を凝らしたい!! が前面に出るタイプ。聴き手の好みに合えば「最高!」になるし、合わなければ下手すると「ブーイング」もあり得るタイプ。

カンブルラン は「自己主張」以外は、「作曲家のスタイル」を遵守する。だからこそ「自己主張点」が誰の耳にも明らかになる




 スダーン と カンブルラン は、「音楽作り」は全く異なる。だが

新鮮な視点で音楽を捉え、オケメンバーに伝え、聴衆に伝える。基本的に「誰でも知ってる名曲中の名曲で」


が共通点。これが「オーケストラトレーナー」としての資質であり、根気よく続ける必要があり、スダーン はそろそろ年齢の上限に来たことをみずから察知したように感じる。「スダーンの残りのシーズン」「カンブルランのまだまだ先が長いシーズン」のどちらも聴きまくるぞ!!!
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「オーケストラトレーナー」を巡って(No.2243)

2013-03-20 22:21:52 | 批評

「オーケストラトレーナー」とは、読んで字の如く「オーケストラ」を「訓練」してくれる人


である。近過去で言えば

  1. N響 → サヴァリッシュ & デュトワ


  2. 読響 → アルブレヒト & 下野竜也 & カンブルラン


  3. 東響 → スダーン



が思い浮かぶ。他のオケには「猫頭=私高本」には思い浮かばなかった><


(この稿続く)
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カンブルラン指揮読響「マーラー:交響曲第6番」2013.03.19批評(No.2242)

2013-03-19 23:56:30 | 批評

わずか1日で『緻密な音作り』が加わった『無限に広がるかのような響き』を聴かせた「カンブルランの真面目なマーラー」


 前日の「サントリー名曲シリーズ」でも「ブラヴォーの嵐のみ」だった カンブルラン + 読響「マーラー:交響曲第6番」だったが、本日の「定期演奏会」では「ブラヴォーが3倍くらい」で、「拍手も2倍くらい」。方向性は全く同じであったが

弦楽器が「和声の積み重ね」になった時の「低弦からの豊穣な響き」が実現した!


が最大にして、画期的に良くなった点!
 昨日の「サントリー名曲シリーズ」の「ステレオ効果抜群の良さ」はそのままに、

  1. 「弦楽器の和声」が充実


  2. その上で歌う「木管楽器の響き」も、さらに豊かになった!



である。
 更に付け加えれば、(ほんのわずかなのだが)

フレーズが切り替わる際の「タメ」が深くなり、「音楽の彫り」がさらに深くなった!!!


  「読響の聴衆」は、昨日も今日も素晴らしい。演奏中も楽章間の「楽章終了直後」も「終演後」も、それはそれは「名演の余韻をいつくしみ」静寂を保つ。カンブルラン が終演後に「手を降ろす」まで静寂は保たれ、盛大な拍手が舞う。そしてカンブルランが客席を振り向いた瞬間の「ブラヴォーの盛大」なこと!!!

 だが(来月からの)読響来シーズン予定に「マーラー」は全く無い。交響曲も無ければ、歌曲も無い。

今シーズンだけで、第2番「復活」 = 下野竜也指揮、第9番 = 尾高忠明指揮、第5番 = セゲルスタム指揮、第6番「悲劇的」 = カンブルラン指揮 と全てが名演なのに(爆涙




2014年4月から『カンブルラン X 読響』のマーラー交響曲全曲シリーズ が始まる予感!!! がした「定期演奏会」だった



 是非是非、実現して欲しい! と私高本は心から願う次第である。今日のマーラーを聴けて、私高本は幸せである。
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カンブルラン指揮読響「マーラー:交響曲第6番」2013.03.18批評(No.2241)

2013-03-18 23:56:43 | 批評

『無限に広がるかのような響き』を聴かせた「カンブルランの真面目なマーラー」


  極めて自己主張の強いマーラー = カンブルランのマーラー であるが、説得力の高い演奏であり、終演後は「ブラヴォーの嵐」だけが降り注いだほど聴衆に支持された。その根源は

サントリーホールの舞台巾を目一杯利用した「左右への響きの広がり」が効果抜群であり、説得力を持っていたから


である。


 弦楽器の配置が、左から Vn1, Va, Vc, Vn2 で、隣り合うのは ヴィオラとチェロだけ。だが、この配置は、第1ヴァイオリン ←→ 第2ヴァイオリン だけでなく、(マーラー交響曲第6番で頻発する)第2ヴァイオリン ←→ ヴィオラ の『左右のピンポン』を、それはそれは鮮やかに浮かび上がらせた。

 弦楽器だけではない! 打楽器群も、第1ティンパニ(なんと右、コントラバスのすぐ左) ←→ 第2ティンパニ(打楽器群の左端)、2本のトライアングル、最大5人の「カウベル」 などなどが、左右に「ステレオ効果抜群」に配置され、効果を挙げていた。

 これほどまでに緻密に、「左右ステレオ効果」を想定しての マーラー演奏 は、猫頭の私高本は思い付かない><


  「カンブルランのマーラー」は、定評ある「カンブルランのラヴェル」「カンブルランのストラヴィンスキー」「カンブルランのメシアン」と同じく

「透明感が高く、緻密に描き込まれたマーラー = カンブルラン のマーラー」


である。言葉を替えれば「粘りつかないマーラー」である。「弦楽器のポルタメント」も極めてあっさり処理するし、リズム自体も粘りつかない。例えば「スケルツォ楽章 の 粘っこいフレーズ」も、結構あっさり処理される。
 結果として「田舎くさい」とか「俗人っぽい」と称される マーラーの一面 は表面立って来ない。これは、同じシーズンの 「尾高忠明のマーラー交響曲第9番」「セゲルスタムのマーラー交響曲第5番」に比べても、はっきりした主張。「ニューヨークフィルから招聘されたマーラー」をイメージさせる!!!


 ちなみに

「ハンマーは2回」、「アンダンテが先」、「第1楽章呈示部繰り返し実行」


であった。明日の公演が楽しみでならない。佐伯周子 と聴きに行く。
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マーラー交響曲第6番「悲劇的」の『稿問題』(No.2240)

2013-03-17 20:46:15 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 久しぶり(おそらく昨年11/4の 「老田裕子 X 佐伯周子:子供の不思議な角笛1899年版全曲」以来、と思う)に「マーラー論」を書く。この1文が書けるようになったのは、ひとえに 老田裕子 と 佐伯周子 のおかげ様である、ありがとうございます。


 マーラーは、ブルックナーと違い「稿問題」はほとんど無い交響曲作曲家である。生前に完成した全10曲の交響曲(「大地の歌」を含む)中、9曲は何も問題ない。「第6番」1曲だけが「稿問題を内在」している。明日から連日聴きに行くので、整理しておこう!

マーラー交響曲第6番「悲劇的」の「稿問題」



  1. 「スケルツォ楽章」と「緩徐楽章」のどちらが、先の第2楽章に配置されるのか?


  2. 終楽章の「ハンマー」は何回か?(2 or 3)



 この2つだけである。「ブルックナー の 稿問題」と比較すれば、相当軽いのだが、「マーラー交響曲」ではこの曲だけが唯一内在している。


 私高本は「緩徐楽章 = 第2楽章」構造で、マーラー交響曲第6番「悲劇的」を最初に聴いた。正直「?」と感じた。「マーラーらしく無い」と直感的に感じたからだ。

マーラーの他の全ての4楽章以上構成の交響曲は、「スケルツォ楽章 → 緩徐楽章」だから


 マーラー生前出版の 「カーント版」も、「スケルツォ楽章 → 緩徐楽章」で出版されている! 勿論、「緩徐楽章が先」派にも根拠があるのは知っている。だが、私高本にはどうしても違和感があるのだ > 緩徐楽章が先の第6番><


 「ハンマーの音の回数」も、作曲経過を知るとどちらとも判断できかねる。私高本は「マーラー歌曲」は詳細に調べたが、「マーラー交響曲」はよくわからん><
 詳細知っている方は教えて下さいませ。
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オーケストラ演奏の責任はどこ? 誰??(No.2239)

2013-03-16 23:23:16 | 批評
 本日号は「高本、また発狂」号鴨w
こんな文章書いている場合では無いんだよねえ(泣

 先日の「都響のこうもり」について「批評の批評」を書いたことが、1部の人の激怒を買ったようだ><
2ちゃんねる「都響スレッド」にも私高本の罵倒の言葉が数多く連ねられているし、Piano Music Japan のコメント欄にも乱入された(泣
 本日号では、

オーケストラ演奏の責任はどこ? 誰??


の1点に絞って「批評の批評」を掲載する。その際、「ソロ演奏家」についても触れながら、論点を明示した。文句あるヤツは、コメント欄でも2ちゃんねるでも好きなところに書いてくれ(爆


 あるオーケストラ演奏会で聴衆が「圧倒的な賞賛だけ」を繰り広げた時には、「指揮者」がその賞賛を一身に浴びる。「朝比奈隆のブルックナー」を演奏会場で聴いたことがある方ならば、容易に思い出せるだろう。オケは、大フィル、新日フィル、東響、N響、どこでもいいよ! 朝比奈隆が立たせた「トランペット1番奏者の方への拍手&ブラヴォー」の方が「朝比奈隆への拍手&ブラヴォー」よりも大きかった経験は私高本は1回も無かった。トランペットに限らず(以下略


 真反対の時は難しい><

誰が聴いても「明らかに変な演奏」だと、責任所在は不明確になる! を私高本は断言する!!


  私高本は「ピアノバカ」なので、基本的に「ピアノの演奏会が好き」である。(今から4回連続、オケピアノも無い演奏会だけを聴くのは、単なる順列確率の所業。根本的にはピアノ演奏会が好き。ソロも室内楽もリート伴奏も、もちろん協奏曲も)

 ある「ピアノ協奏曲演奏会」が大失敗に終わった、を聴いたことは何度もある。Piano Music Japan 前身の Daily Classical Music Critique in Tokyo 時代には、相当数聴いた。「ブログ移行」後は、

パターンがわかったので、ほとんど避けることが出来た。だが数回当ってしまった><


が実績。人間は「あまり進化しない」が実情鴨(泣

  今も評価の高い若手ピアニストの「プロオケデビュー協奏曲演奏会」を聴いたことがある。曲は「クラシック音楽ファン」ならば誰でも知っている名曲中の名曲。この協奏曲は「ピアノソリストは超絶技巧の連続で有名」だが、オーケストラパートは「特に何もコメントが無いピアノ協奏曲」である。ブラームスピアノ協奏曲みたいなことは無い。 この協奏曲で「ピアノに被せてピアニスト妨害を連発、連発」した 名古屋フィルでポジションをもっている指揮者が実在する。 私高本は猫頭なので、第1楽章呈示部では「何が起こったんだ???」状態。展開部辺りで「これ、本当にプロ指揮者???」とわかり、再現部以降は「聴くのが血圧を上げるだけの演奏会」となってしまい、休憩後の「チャイコフスキー交響曲第5番」は高いチケット代金を捨てて、アメ横でつまみを買って、自宅でやけ酒を呑んだ記憶あり。このバカ指揮者は、「チャイコフスキー:花のワルツ」をまともに振れなかった><

 「大植英次の指揮」は、大阪のホテルで特番聴いた(観た?)限りでは、このアホ指揮者と大差無い。何が問題か? と問われれば、はっきり明言できる。

アホ指揮者の特徴



  1. 「作曲家のスコア」を掴み切れていない


  2. オーケストラバランス(ソロ楽器やらソロ声楽を含む)を制御できない


  3. 『何を指示する必要があるのか?』が全然わかっていない



 う~ん、どう説明すると、読者の皆様に「わかり易い」だろうか? 私高本は「指揮経験皆無」なので、言葉を見付けるのに戸惑うばかりである。


「都響には、インバル指揮のマーラー交響曲第3番の名演」水準の演奏が実現可能である! この事実は「都響ファン」ならば知っている!


 インバルは「ムラの大きい指揮者」であるが、「マーラーツィクルス」東京公演は、前半は全席完売であったし、第3番は 空前絶後の名演だった。アルト の 池田香織 が良かったのか? 合唱が良かったのか? インバルの解釈が「この第3番だけ深かった」のか、まではわからない。だが、

都響は、本領を発揮すれば「素晴らしい演奏」を聴かせてくれるオケ


は、会場の聴衆には共有された。(朝比奈隆以来かと思われる)「参賀」も再現したし。


今回の「都響がピットの二期会:こうもり」の最大の注目点は、『コンサートマスターが2名 = 矢部達哉 & 山本友重』が降板した


である。
 これは、上記「2」の「オーケストラバランスを制御できない」が発生したことを意味する。


 (コンサートマスター以外のオケメンバーは)

バランスは指揮者が指示するモノ。「言われた通りに演奏する」を徹底。言わなければ「全くわからない」


 これが常識。大体、「目の前の楽譜 = パート譜」だからなあ(爆
 私高本が何回も「合唱団員として歌ったベートーヴェン第9」も全く同じ。大体、4番ホルンとコントラバスなんて、「位置が遠すぎ」で指示されなければわからん><


 フツーの聴衆は

指揮者は素晴らしい才能の持ち主で「演奏曲の全てを掌握している」と思い込みがち、だが、チャイコフスキー「花のワルツ」さえ掌握していない指揮者でも名古屋フィルで地位を確保、が現状


である。「花のワルツ」って、「シューベルト:ワルツ集」よりも変化が少ない曲なんだが><


二期会「こうもり」公演で、東京文化会館大ホールのピットを「浅くした」音楽責任は 指揮者 = 大植英次。浅くすれば「乾いた響き」になる!


 「音の責任者 = 指揮者」は当たり前。「関西から押し寄せた支持者」は全部責任を演出家に押し付けていたが、それは違う。単に「スコアが読めない」だけ。

 矢部も山本も「都響が響かない」を追求されたくない><

 だって「まともな指揮者」ならば「響く都響」は当たり前に聴けるのだから。「関西から押し寄せて、大統領! と叫んだ皆様」から反論ありますか?

 矢部も山本も素晴らしいコンサートマスター。「矢折れ」るまで悪戦苦闘した結果の離脱。一部報道に「ビオラの店村の陰謀」説もあるが、ビオラ首席がそんな権限あるか???

「オーケストラリハーサルの時間」は、あればあるほど「指揮者の意思」を伝えられる。チェリビダッケ のような極端な実例もある。だが、少ない時間さえ「言う言葉を失するような指揮者」も数多く実在している!!!


 特に日本だけの現象では無い。欧米でもごく普通の情景。

誰が「演奏会の費用責任」を負担しているか?


を冷静に判断して、演奏会に足を運んでほしい。
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今後聴きに行くコンサート(No.2238)

2013-03-15 21:46:47 | 演奏会案内
 これから3本続けて「佐伯周子と一緒に、有力在京オーケストラの常任指揮者 or 音楽監督が振る演奏会」ばかりを聴く。ピアノ協奏曲は無い><


  1. カンブルラン指揮読響「マーラー:交響曲第6番」2013.03.18 & 19


      昨年12月「尾高忠明のマーラー」、今年1月「セゲルスタムのマーラー」、2月「下野竜也のブルックナー」と立て続けに名演を聴かせる読響定期演奏会。「カンブルランのマーラー」定期演奏会とあっては行かなければ後悔する><
      私高本だけこっそりと前日の「名曲シリーズ」にも聴きに行く!

  2. カンブルラン指揮読響「モーツァルト:協奏交響曲&交響曲第39番 他」2013.03.24


      「偽作」とされている 読響首席奏者の木管4重奏のための協奏曲 が名指揮者 + 名演奏家 で演奏されるのだが、「偽作」が原因だろうか? 全く話題にもなっていない。結構良い作品と思うのだが、、、
     交響曲第39番は名作中の名作。

  3. スダーン指揮東響「ブルックナー:交響曲第9番 + テ・デウム」2014.04.07


      地震で崩壊した「川崎ミューザ」の復活公演。東響のHPからだと、ちょっとわかり難いのだが、川崎市民報には大々的に告知され、既に全席完売、とのこと。100万人都市 = 川崎市 なので、2000名のホールならば、満杯になるのも道理。
     ブルックナーは晩年体調が悪く、「もし交響曲第9番を完成できなかった時には、終楽章の替りにテ・デウムを演奏して欲しい」の言葉を遺している。実際には、「交響曲ニ短調」「テ・デウムハ長調」なので、調性問題があるのだが、「マーラー以降交響曲」を知っている21世紀人ならば、寛容な心で「ブルックナーの遺言」に耳を澄ませて欲しい。「チケット求む」を出しても聴いて欲しい演奏会。
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ショパン:ノクターン作品27-2(No.2237)

2013-03-14 20:23:42 | ピアニスト・佐伯周子

『ショパンのピアノ = プレイエル』で聴く ショパンノクターン


  佐伯周子 が「東京芸術センターコンクール入選」で「定期演奏会に招聘して頂ける」ことが決まった時に、真っ先に「プレイエルでショパンのノクターンを弾きたい」と言った。

「東京のホール」で「プレイエル フルコンサートグランドピアノ」が置いてあるのは『東京芸術センター天空劇場』だけ


と記憶している。コンクールでも弾いたピアノなので、とても楽しみにしている。

ノクターンは、ショパンがパリで貴婦人に囁きかけているかのような甘い雰囲気で「プレイエル」がまさにピッタリ!

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シューマン:トロイメライ(No.2236)

2013-03-13 19:41:20 | ピアニスト・佐伯周子
 シューマン「子供の情景」の中で最も有名な曲。「トロイメライ」とはドイツ語で「夢」。他の作曲家の作品で「夢」と名付けられた曲は少なくないが、このシューマンの曲だけ「トロイメライ」とドイツ語原語で呼ばれる。

シューマンがクララに語り掛ける「子供時代の夢物語」


と解釈されることが多い。

 ベヒシュタインで弾くのか? プレイエルで弾くのか? 詳細決定したらブログで報告します。
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バッハ/ブラームス:左手のためのシャコンヌ(No.2235)

2013-03-12 20:52:14 | ピアニスト・佐伯周子

超有名な「バッハ:無伴奏パルティータ第2番終曲=パルティータ」を左手ピアノに編曲した ブラームス


  「バッハ:シャコンヌ のピアノ編曲」と言えば、ブゾーニ編曲で取り上げるピアニストが大半。佐伯周子は「ブラームス編曲」を弾く。
 この2つの編曲の特徴を明記して置く。

  1. 「ブラームス編曲シャコンヌ」は、バッハ原曲を『そのままピアノに移植』した。元が無伴奏ヴァイオリンの曲なので、左手だけで弾ける


  2. 「ブゾーニ編曲シャコンヌ」は、『どこまで派手に飾り立てれるか?』を実行。「リストのオペラ名場面トランスクリプション」の方向作り



 原曲が好きな方だと、ブラームス編曲の方が好みに合う人が多い気がする。しかし、ブラームス編曲の方が技巧的に多くの音符を瞬間に弾く必要があり苦労が多い。佐伯周子 のレパートリーに ブラームス編曲シャコンヌ があるとは知らなかった><

 ベヒシュタイン使用予定。
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佐伯周子:東京芸術センター第100回定期演奏会(No.2234)

2013-03-11 21:00:22 | ピアニスト・佐伯周子

佐伯周子:東京芸術センター第100回定期演奏会


チケット希望者は、044-271-7027 ピアノミュージックジャパン まで



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