5/13(水)に サンブリヂ汐留 にて、シューベルト ピアノ小品集を演奏することになった。シューベルト作品群から、「ピアノ小品集」が欠けたら、どんない寂しいことだろうか!!!
これが全貌である。
これらの作品が皆無だったら、シューベルトの名声は今ほど高く無かったに違いない。多くの音楽学者は「ピアノ小品集の起点は即興曲集第1集 = 作品90 = D899」と考え、ヘンレ版(1948年編集)もウィーン原典版(1969年編集)もトップに据えているが、ベーレンライター新シューベルト全集だけは「楽興の時」を先に据えている。
上記の通り、「楽興の時」は「即興曲集」に先行して当時人口20万人の都市だった ウィーン に、新風を起こす。だが、新風を起こしてからの シューベルトの余命は1年無かった(爆涙
・・・の事実にも関わらず、メンデルスゾーン & ショパン & シューマン & リスト & ブラームス & ヴォルフ に直接的な感銘と影響を与えたのがシューベルトである。
5/13当日は、「シューベルトピアノ小品集」の最初の作品から最後の作品までから(1時間の時間の範囲で)佐伯周子が演奏する!
是非是非、お時間が許す方は聴いて欲しい演奏会である。
シューベルトが出版しようと企画した「ピアノ小品集」全体像
「ロシア風の歌」ヘ短調 作品番号無し(D780/3) 1823.12.19 ザウアー&ライデスドルフ出版
「吟遊詩人の嘆き」変イ長調 作品番号無し(780/6) 1824.12.11 ザウアー&ライデスドルフ出版
「ロシア風の歌」&「吟遊詩人の嘆き」作品番号無し(D780/3&6) 1825.12.09 ザウアー&ライデスドルフ出版(再版)
ピアノソナタ『第4番』ト長調を「幻想曲、アンダンテ、メヌエット、アレグレット」と言う「4曲の小品集」として 1827.04.11 ハスリンガー出版(作曲は1826.10)
題名も日付も無い3曲からなる小品集(ハ短調、ハ長調、ハ短調)D899/1, D916B, D916C 生前出版されず
即興曲集第1集(第1曲から第4曲で構成)生前にハスリンガーに4曲セットで売り渡され、前半2曲が 1827.12.11 ハスリンガー出版 作品90(D899)。作曲は出版直前と自筆譜から推測される。自筆譜に作曲年月もタイトルも無し。
即興曲集第2集(第5曲から第8曲で構成)生前出版成らず。作品101の予定でハスリンガー以外の出版社から販売を試みたが余命が足りなかった。(D935)1827.12 に「第5曲~第8曲 1827.12」の署名の自筆譜が遺された
「楽興の時」全7曲作曲。ライデスドルフから出版されていた(再版されたほどの人気作!)「ロシア風の歌」と「吟遊詩人の嘆き」を組み込む。全7曲構成は ベートーヴェンバガテル作品33 を手本にした。だが、技巧的に難しい第7曲は取り外され、「6曲構成」で 1828.07.11 ライデスドルフ出版。第1~6番自筆譜無し、第7番自筆譜現存、日付&タイトル無し D946/3
「ピアノソロ組曲変ホ短調 D946/1 & 2」と「ピアノ連弾組曲イ短調 D947 & D951」を 1828.05-06 作曲。組曲出版でもバラ売り出版でも可、と交渉して結局 D951 のみが生前に出版契約が完了した(アルタリア 作品107)。D946/1 & 2」と「D951」自筆譜は現存する。
これが全貌である。
これらの作品が皆無だったら、シューベルトの名声は今ほど高く無かったに違いない。多くの音楽学者は「ピアノ小品集の起点は即興曲集第1集 = 作品90 = D899」と考え、ヘンレ版(1948年編集)もウィーン原典版(1969年編集)もトップに据えているが、ベーレンライター新シューベルト全集だけは「楽興の時」を先に据えている。
上記の通り、「楽興の時」は「即興曲集」に先行して当時人口20万人の都市だった ウィーン に、新風を起こす。だが、新風を起こしてからの シューベルトの余命は1年無かった(爆涙
・・・の事実にも関わらず、メンデルスゾーン & ショパン & シューマン & リスト & ブラームス & ヴォルフ に直接的な感銘と影響を与えたのがシューベルトである。
5/13当日は、「シューベルトピアノ小品集」の最初の作品から最後の作品までから(1時間の時間の範囲で)佐伯周子が演奏する!
是非是非、お時間が許す方は聴いて欲しい演奏会である。