Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

小倉貴久子のモーツァルト詳論 後編(No.2048)

2012-04-30 22:29:55 | 作曲家・モーツァルト(1756-1791

『モーツァルト時代通りの響きの再現』に全勢力を注ぐ 小倉貴久子『モーツァルトのある部屋』シリーズ



 第2点の続きである。

小倉貴久子は『詰め込んでも最大席数 約100名 の東京オペラシティ近江楽堂でシリーズを通す』が最大の魅力だろう!


 実際に第1回を聴きにいらっしゃった方ならば私高本の意見に納得してもらえる、と思う。

「近江楽堂の小倉貴久子」は、「モーツァルト姉弟が王侯貴族のすぐそばで演奏している『風景そのもの』であると同時に『響きの再現』を感じさせた!


からである。

「東京のソロリサイタル会場として最高!」と賞賛されている「東京文化会館 小ホール」でも得られなかった『濃密な 小倉貴久子 の響き』が味わえた!


 ここで、誤解無きように正確に記しておく。「モダンピアノ」であれば、東京文化会館小ホールは、一流ピアニストであれば、全員が「充分な響きが得られるホール」である。最も近い例では「上野優子のモーツァルト」でも響きは充分素晴らしかった。だが、「小倉貴久子 のフォルテピアノ」だと、容積が大き過ぎるのである > 東京文化会館小ホール

 違う側面から考えてみたい。

「フォルテピアノのCD」は私高本が知っている限り、「録音が良い」と言われているモノは『近接マイクによるオンマイク録音』


である。「オフマイクでホールトーンを録音した素晴らしいフォルテピアノCD」は、寡聞にして1枚も知らない。

理由は「フォルテピアノの細やかなニュアンス表現」は「ごく近くの聴き手」にしか伝わらないから


である。「王侯貴族 が お客様」だったからこそ、できた技かも知れない。(モーツァルト作品でも「オペラ」はもっと大雑把な感じがある。例えば「後宮からの誘拐」K.384 とか。3点Es をコンスタンツェにたっぷり張り上げて欲しいし、、、)

 また違う側面から迫ろう。

「フォルテピアノ で 最善の音響座席」は「モダンピアノ では阿鼻叫喚の大音量地獄の位置!」


 フォルテピアノ だと「可能な限り楽器に近い座席」が最善の席である。だが、モダンピアノでは(私高本くらいモダンピアノの響きが好きなヤツでさえ)楽器のすぐ脇では聴きたく無い。もちろん「佐伯周子リサイタル の マイクセッティング」の時は聴く。(オンマイク録音が好きな方だから、「サブ」は必ず「オンマイク」で録音してある。)ちなみに「マイク設定 = -10dB」の上、レコーダーレベルは(最大10で)「2台」である。これでも録音レベルが「設定最大」を越して、使い物にならなかったことが数回ある(爆涙


いろいろなタイプのフォルテピアノを使用することが「売り」の1つになっている > 小倉貴久子『モーツァルトのある部屋』シリーズ


 第3点である。この点は、私高本の「趣味の問題」の可能性も秘めているので慎重に書く。私高本は「最善の楽器で演奏して欲しい!」タイプ。ホロヴィッツ や グールド に向かって「ベーゼンドルファー弾いて欲しい」とかは決して言わない。「ニューヨークスタインウェイで弾いて下さい!」タイプ。

 だが、どうも『フォルテピアノ ファン』は全く様相が違うようだ。作曲家が違うが「ハイドン」で見ると、「視点の相違」が(モーツァルト以上に)顕著だ。

HMVの「ハイドン、ピアノ、ベストセラー」の検索結果はここ(爆



 驚異の順位がこれ!

  1. ショルンスハイム「ソロ曲全集」


  2. オールト「小品全集」


  3. コーエン「ピアノトリオ」



となっており

ブラウティハム も シュタイアー も ソロでは「上位100位」にさえ入らない(泣


が「オリジナル楽器界の常識」だからである。唖然。

ブラウティハム & シュタイアー > ショルンスハイム & オールト & コーエン が聴いて分からない人たちが「オリジナル楽器」聴き手の中心層? これは、ヒドい!


 これには「心が曇ってしまった」が偽らざる心境。あまりにも悲しい。


 私高本 は

「小倉貴久子 = ブラウティハム & シュタイアー」クラスの大ピアニスト! に感じる


 理由は「聴いた直感」である。ピアニズム はもちろん、ブラウティハム とも シュタイアー とも違う。もっと「旋律線の歌い方」に重心を置いた方向。それでいて「会場の全ての皆様に芳醇な響き」を堪能して頂く! を実行して、(全部の席で聴いた訳ではないので断言は誰もが不可能だが)演奏直後の反応からすれば、大成功に終わった! と感じる。

 実は「音楽の友」5月号発行を待って、このシリーズは書いた。これだけの名演をどのように批評しているのか? に興味あったからだ > 「音楽の友」が最も正確なことが多いから!

 だが、マネジメントの問題なのか? 批評家の問題なのか? スペースの問題なのか? は全く不明だが、「批評」は掲載されていない。これで「クラシック音楽界」は良いのだろうか?

 私高本は「猫頭」なので判断できない(爆涙


『骨太な骨格 + 精密なアーティキュレーション + 細部の仕上げ』が魅力 の「小倉貴久子 の モーツァルト」


 第4点である。これはどこにも述べられていない(泣

 骨格だけに興味のあるピアニスト(例えば、グールド)とか、細部ばかりつつくピアニスト(このタイプは多い! ファジル・サイ とか)は、「モーツァルトの魅力」が薄い。
 「小倉貴久子 のモーツァルト」は両立している稀有な例である。

 だが、「フォルテピアノ」の音は 600名規模のホールでは例え最前列で聴いても、「音が拡散してしまう」難点を持っている。この辺りの問題点を解決したのが、小倉貴久子『モーツァルトのある部屋』シリーズ だと私高本は感じる。


 私高本の認識では

小倉貴久子 の演奏水準 = ブラウティハム & シュタイアー の演奏水準


である。
 これが「猫頭ヒョーロンカの戯言」であれば、笑って下さい。もし、ご意見があれば、当ブログのコメントに書くなり、「メヌエット・デア・フリューゲル」にご連絡を! ブラウティハム や シュタイアー 程度の低いヤツと比較するようなバカな「高本みたいなバカに書かせるな!」ならば、こちらには書かないように(爆
 必ず消去しますから(爆
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東京オペラプロデュース:マスネ オペラ「エロディアード」日本初演 チラシ完成(No.2047)

2012-04-28 22:54:24 | 演奏会案内
 4月3日号にて紹介した「マスネ没後100年記念」上演オペラ =

東京オペラプロデュース:マスネ オペラ「エロディアード」日本初演


の「チラシ」が完成したので、リンクを貼っておく。
 猫頭=私高本が余計なことを書くよりも「チラシ熟読」の方が圧倒的に価値があるからなあ。

 A & B 両キャスト共に魅力的だが、Bキャスト は 二期会 や 藤原歌劇団 でも組めない豪華キャストに感じる。「女声しか紹介しない」と悪評ぷんぷんの Piano Music Japan だが、このオペラではテノールも重要なことは声を大にしておく。

  1. Aキャスト : 星洋二


  2. Bキャスト : 内山信吾



はどちらも「脂の乗った」テノールである。

新国立劇場「中劇場」を知り尽くした「東京オペラプロデュースだけが実現できる音響空間」が聴ける!


   東京オペラプロデュース の 竹中史子プロデューサー & 指揮者飯坂純 のコンビ「だけ」が繰り広げる『驚異の音響空間』が今回も聴けるハズ!!!
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小倉貴久子のモーツァルト詳論 前編(No.2046)

2012-04-27 21:29:59 | 作曲家・モーツァルト(1756-1791
 「川上敦子のモーツァルト」を終えてからと言うもの、「モーツァルトのピアノ曲」について語ることは2度と無いだろう、と思っていた。どちらかと言えば、「モーツァルトのオペラ」側面の方に興味が移りつつあったような気がする。昨年から今年に掛けての実期間が1年に満たない間に、次々といろいろと「考えさせられたモーツァルト演奏会」を5回聴いた。その中の2回が「小倉貴久子のモーツァルト」である。猫頭ヒョーロンカ = 私高本 が「フォルテピアノ演奏家」について、どこまで語り切れるかわからない。読者の皆様の評価も皆目見当が付かないし、小倉貴久子 がどう評価するか? についてはさらに分からない。本日号の評価が低ければ、2度と書くことは無いだろう。


 まず最初に述べておきたいことがある。

「オリジナル楽器評論界」は「モダン楽器評論界」よりも相当に『劣る耳の持ち主』がはびこっている!


 3月の「小倉貴久子演奏会」を聴き、久しぶりに「オリジナル楽器演奏」に興味が深く湧いたので、いろいろと調べて見て愕然。

小倉貴久子 と 「その他の有象無象フォルテピアノ奏者」がほぼ同じ程度の表現で批評されている!


 初めは「老眼が進行して、読み間違えたのか???」と思ったが、読み間違いでは無かった。

  1. 『ピアノ担当評論家』は、『フォルテピアノの魅力』が理解できていないらしい


  2. 『オリジナル楽器評論家』は、『通訳が本業』なので(全ての演奏家を)「絶賛が前提」



が最大の原因。

私高本 のように『モダンピアノ大好きで、モダンピアノで「佐伯周子 シューベルト全曲演奏会」を主催しながら、「オリジナル楽器演奏も好き!なんて、ドン・キホーテ』 クラス!


らしい。
 「モダンピアノ評論家」(って用語は見たことないが、実態は現しているぞ!)は、「不完全な楽器」と「オリジナル楽器」を思い込んでいるフシがある。違うんだがなぁ(爆涙


 『モーツァルトの演奏風景の絵』を思い浮かべて欲しい。次に『シューベルトの演奏風景の絵』を思い浮かべて欲しい。さらに『ショパンの演奏風景の絵』を思い浮かべて欲しい。これらが「オリジナル楽器としてのフォルテピアノ」の最盛期である。読者のあなたは「サントリーホール」クラスの広さを思い浮かべただろうか? 「NHKホール」クラスの広さを思い浮かべただろうか? いや、違う!!(断定)

「モーツァルト が姉ナンネルと連弾している貴族の大広間」や「シューベルティアーデ に集う仲間たち」や「パリのサロン」を思い浮かべたことだろう!


 そう、「ショパンまで」はごく近距離で「演奏家←→聴衆」は息遣いまで伝わったのだ。

「リスト が リサイタル を発明」してから、「ピアノソロもオペラ並みの遠距離まで到達させる必要性」が発生した


のである。リストの(特に)初期ピアノ曲は「訳わからんほど、大音量指定」があるが、これは「対 ショパン比」と考える、のが筋である。「パリの貴族のサロン」と同程度の音量では、後方座席のお客様に「感動」を伝えることは難しいからなあ(爆


 「通訳が本業」の人に「演奏会批評」を依頼するのは、私高本は「筋が違う」と思っている。だが、そもそもが「ヨーロッパ起源のクラシック音楽界の、さらに遡ったオリジナル楽器」については、「ヨーロッパの音楽事情に詳しい人」に依頼するのが手っ取り早い。依頼が来れば、普通は受けるわな(爆

『オリジナル楽器演奏会の酷評』は読んだことが無いが、『インマゼールのシューベルト遺作3大ソナタの愚演』を聴き、「絶賛批評」が掲載された!


怨念は、とてもとても昔のことだが、未だに「怨念がここにおんねん!!!」である。あんな「指が廻らない演奏」を聴いて、あんな批評が書けるモノだ! と当時は若かったので思っていたが、(糖尿病で明日死んでも誰も不思議に思わない今日ならば)「あぁ、通訳系ヒョーロンカがセーカツの為に書いたのね(爆」と穏やかな心で焼酎を呑んでいたことだろう(爆
 当時は「糖質たっぷり酒」ばかり呑んでいたので、激し易い性格だったのね。今は穏やかです、ハイ。


 上記のような環境の中で、

小倉貴久子 は「実力」に比較して、『音楽批評』にて「高く評価されて来た」なのか? 「低く評価されて来た」なのか?


 はっきり断言する。

「小倉貴久子 の モーツァルト」評価は不当に「音楽批評」では低い!


 ここに、猫頭 = 私高本 が「正当だと思い込んでいる」像を描く。評価は、読者の皆様と 小倉貴久子 がすることである(爆


『モーツァルトの、しかも「最高傑作」をメインに演奏するのに、「作曲家の巾を持たせる工夫」の方を前面に出している小倉貴久子』


 第1点である。「モーツァルト と コジェルフ」を聴くと、はっきり『モーツァルトの素晴らしさだけが浮かび上がった』である。コジェルフのピアノソナタは「第1楽章第2主題が短調に転じたまま、あまりにも長く短調のままで聴いていて、聴き苦しい」のである。だが、小倉貴久子 は、「コジェルフ擁護」ばかりを話す。
 私高本 は「お話はお話、演奏は演奏」と完全に切り離して聴くタイプ。実は、このタイプ少ないらしい(爆

 「小倉貴久子のトーク」を聴くと、「コジェルフは大作曲家?」と思える仕掛けになっていた。演奏は素晴らしかったのだが、私高本が聴いた感触では「やっぱ、消えた作曲家」である。

 特に嫌味な点は皆無なのだが

コジェルフ には「心を掴まれる瞬間が皆無」


 マーラー を例に取るとわかり易いだろう。マーラーの「全てのフレーズが大嫌い」と言う人は少ないだろう。だが、『あまりにも俗っぽい田舎のラッパ』などが轟くことに反感を持ち「聴きたく無い」人が多いことも事実。
 コジェルフ は真反対。BGM として聞けば誰も反感は持たないだろう。だが「モーツァルトの比肩」は、多くの人には難しい、と感じる。つまり「小倉貴久子トーク」と矛盾するのだ。
 この辺りを「レパートリーの拡大」と「中心レパートリー」のバランスをどのように取って行くのか? が今後の 小倉貴久子評価 が「実力通り」になるか? ならないか? の鍵に感じる。


『モーツァルト時代通りの響きの再現』に全勢力を注ぐ 小倉貴久子『モーツァルトのある部屋』シリーズ


 第2点である。チラシを見るとわかり難いのだが、このシリーズの『最大の売り』はここだ、と感じる(← 間違っているか?) 「モーツァルトのピアノ演奏の絵」を想像して欲しい。聴衆は(サントリーホールとかNHKホールでは絶対に実現しない)近距離を想像することだろう。これまで「CDジャケット」に幾度と無く書かれた「ヴォルフガング & ナンネル・モーツァルト姉弟 の演奏 の絵」から類推するからだ。
 だが、この点は「売り」として弱く書かれている。「第1回のプログラムノート」を書いた安田氏はどのように感じているのだろうか? 「オリジナル楽器系評論家の第1人者」としての地位を確保している方であるだけに、ご意見を伺いたいモノである。小倉貴久子から「全く相談を受けなかった可能性も極めて高い」のだが。
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2012.04.22 カンブルラン指揮読響横浜みなとみらいマチネ批評(No.2045)

2012-04-26 21:12:45 | 批評

大編成の「フランク:交響曲ニ短調」から、指揮者無しの室内楽「イベール:木管5重奏曲」まで全てが素晴らしかった読響


   う~ん、猫頭=私高本 には「聴く前」には全く意図が分からなかった演奏会である。佐伯周子を誘ったら「行かない!」と言われたし(爆


常任指揮者 = カンブルラン が「この演奏会」で求めたモノは、『アンサンブル精度のさらなる向上』による「音楽の感動」


だった、と感じる。
 前任部署(SWR)で滅茶苦茶評価の高かった「メシアン」から開始され、2曲続けてのイベール作曲「指揮者抜きの木管5重奏曲」から「サクソフォン協奏曲」に流れ、「フランク:交響曲ニ短調」のプログラムビルディング。これを「振り切る」ことができるのは、カンブルランただ1人だろう(爆


最も感銘が深かったのは「フランク:交響曲ニ短調」


   信じられないほど「細やかな情緒」を描いた演奏であり、「フランクの循環形式」だけでなく、「第2楽章が、ブラームス:ドイツ・レクイエム第2楽章を模倣した!」などもはっきり伝わる演奏。猫頭=私高本は初めて聴いた!

これほどまで、「赤裸々に細部を描き尽くした フランク」


はかつて聴いたことが無い。「フルネ + 都響」とか「デュトワ + N響」も含めて。解釈については、いろいろと「百花繚乱」になるだろう。

編成に関わらず「ぶれない読響のアンサンブル力」の仕上げに感動!


って、私高本 の 感覚が壊れているのか?
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2012.04.25 上野優子「モーツァルト・ミュンヘンソナタ集」批評(No.2044)

2012-04-25 23:50:58 | 批評
 現在「日本最高のラフマニノフ弾きピアニスト」と私高本が認識しているピアニスト = 上野優子 が「全モーツァルトプログラム」を、しかも「日本モーツァルト協会例会」で弾いた。「新境地」を開拓する、あまりにも意欲的な演奏会であり、告知されてすぐに私高本は「日本モーツァルト協会会員」になった(← マジ)
 この記念すべき演奏会について忌憚無く述べる。


上野優子の『目指すモーツァルト「ミュンヘンソナタ」理想演奏像』



  1. 「ノンペダル」を多用し、「アーティキュレーション変化」を最前面に置く


  2. 「インテンポ系」で「生き生きとしたモーツァルト」を次の「魅力」に置く


  3. 基本的に「p(ピアノ」と「f(フォルテ)」の2種類だけが『モーツァルト指示の基本』であり、ごく僅かに出る「pp」あり、を忠実に守る


  4. 「上野優子のラフマニノフ」とは全く違う「音響デザイン」を描いている


  5. 「ソナタ形式の呈示部繰り返し指示」は必ず遵守する



 これが全て実現すれば

「イングリッド・ヘブラーのモーツァルト」に近い世界が出現する!


見込みである。
 では実現したのだろうか?


99%以上は暗譜できていたのだが、「1%以下の暗譜飛び」が全プログラム(4曲)に出現してしまった!


である。「イングリッド・ヘブラー の モーツァルト」は録音だけでなく、実演も聴いた。精度の高い「着地点」が印象深い。上野優子 は、「99%は超える暗譜」なのだが、全4曲に於いて「暗譜が飛んだ」演奏になってしまった。アンコール2曲目までも「暗譜飛び」だった。


 はっきり書く。

ショパン以降は暗譜は比較的楽。シューベルト以前は暗譜は難しい。理由は「同じようなフレーズ」が余りに多く押し寄せて来るのが「シューベルト以前」!


だからである。「ラフマニノフがメインレパートリー = 上野優子」だと、理解し難いのだろうなぁ!


 「暗譜飛び」を全部記憶から消し去れるならば、この演奏会は「素晴らしかった」。だが、実際には、全曲で「暗譜飛び」が発生してしまったし、処理も(考えられる範囲内よりも)よく無かった。

 できることならば

「上野優子のモーツァルト」は『譜面を立てて演奏』して欲しい!


 切実な希望である!!
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シューベルト「美しき水車屋の娘」の最も重要な「転換点」は?(No.2043)

2012-04-24 23:43:29 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 本日号は「シューベルト」である。

 全20曲が名曲ばかりの「美しき水車屋の娘」。1曲1曲を詳細分析して行くと、『全てが名曲』となる。(← 曲目解説ではこのパターンが圧倒的!)

シューベルト「美しき水車屋の娘」の『転換点』は、第10曲 = 「涙の雨」である! をここに公言する。



 この曲は『唯一、水車屋の娘 と主人公が「目の前」で相対する場面』である。主人公は緊張して、結局「水車屋の娘」をモノに出来なかった。曲の最後は娘の「さようなら」の一方的な告知で終曲する。

 ここまでに9曲も、この後の10曲も全部重要な曲だが、

ターニングポイント = 第10曲「涙の雨」である!

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今後1ヶ月に聴きに行く演奏会予定(No.2042)

2012-04-23 21:41:27 | 演奏会案内
 これからの1ヶ月は、私高本として少々「風変わり」な選択のような気がする。「下野竜也 + 読響 : ドヴォルザーク交響曲全曲最終回」以外は、「自信を持っての一押し」と言い切れるのは無い(ような気がする、、、、)


  1. 2012.04.25(水) 上野優子「ミュンヘンのモーツァルト」(東京文化会館 小)


       おそらく「上野優子節 満開のモーツァルト」になるだろう。私高本は「上野優子のラフマニノフの大ファン」だが、「上野優子のモーツァルト」は「良き理解者」にはなれない、と思う。
     ・・・とかホザきながら「日本モーツァルト協会会員」になったのは、この演奏会を聴きたかった1心! う~ん、自分自身の心がよくわからん(泣

  2. 2012.04.28(土)堀俊輔指揮「ブラームス:ドイツ・レクイエム」(川崎市教育文化会館大ホール)


       中部フィル で確固たるポジションを確保した 堀俊輔 が古巣の 東京交響楽団 を指揮しての合唱団「アニモ KAWASAKI」の第13回演奏会。オケも指揮者も信頼置けるのだが、「会場が?????」である。う~ん。
     私高本が「川崎市教育文化会館大ホール」を聴いたのは、幼稚園生の時の「ピーターパン」公演以来。確か46年前である!!!

     音響のことは全く覚えていない。だがその後全く評判になっていないホールである(爆涙

  3. 2012.05.09(木)下野竜也指揮読響「ドヴォジャーク:交響曲全曲演奏会最終回」(東京オペラシティコンサートホール)


       これだけは自信を持ってお勧めできる。「下野竜也 + 読響 のドヴォジャーク」は間違い無く絶品。佐伯周子 と聴きに行く。
    この日は第2番だ!

  4. 2012.05.15(水)下野竜也指揮読響「シューマンを巡って」(サントリーホール)


       おそらく「良さげ」なんだが、よくわからん「下野節」のプログラム。結局「ヒンデミット」は全部聴いたが理解できなかったのが猫頭=私高本(泣
     期待はしている演奏会なんだが、、、

  5. 2012.05.16(木)西川修助ヴィオラ・リサイタル(東京文化会館 小)


       大阪で極めて人気高いヴィオラの 西川修助 が久々に東京公演を行う。しかも、『全ロシアプログラム』と言う凝ったプログラム! 「スクリャービン、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ」!!!
     さらに魅力的なのは「岡原慎也 ピアノ」である。内容的には『万人にお勧め!!!』なのだが、曲目が地味なんだよねえぇ、、、

  6. 2012.05.26(土)スダーン指揮東京交響楽団「マーラー:大地の歌」(サントリーホール)


       「マーラーの歌」をテーマにした「東京交響楽団の今期定期の音楽監督=スダーンの初登場」プログラム。「大地の歌」は「アルトの第6曲」で半分以上印象が決まる曲だが、「レンメルト」聴いたことがないような気がする、、、

 他にも数本聴く予定だが、体力 & カネ が持つのだろうか?(爆
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2012.04.19 八木寿子モーニングコンサート批評(No.2041)

2012-04-19 23:32:40 | 批評

己(おのれ)を知り尽くし、曲を知り尽くした 八木寿子 関東コンサートデビュー!


 実は私高本は八木寿子の「ソロリサイタル」を聴くのは、この日が初めてであった。「日本ドイツリート協会夏期講習会修了演奏会」と言う名の「ジョイントコンサート」の「トリ」を務めた演奏を聴き、その後はいきなり「2回のオーケストラ伴奏」を聴いた。ここで小さな声で呟くと、「八木寿子が東京音楽コンクールで確実に優勝する!」とは事前には察知できていなかったので、公開2次予選は聴きに行かなかった。う~ん、やっぱ「猫頭」だわ(涙


 この日、

八木寿子が来場頂いた聴衆の皆様に「聴いて欲しかった!」演目 = シューマン「リーダークライス作品39全曲」


 東京文化会館の告知はチラシからホームページ全般に亘り、当日までこれのみだった。そして、前日に、猫頭=私高本 が「八木寿子のシューベルトに期待する」なんて文章を書いたが、公演を聴き終えて最も感銘を受けたのは、やはり『シューマン:リーダークライス作品39全曲』だった。プログラムのトリに置かれた曲だが、これから書く。

シューマン「リーダークライス作品39全曲」の八木寿子は、『曲の表現内容』『自分=八木寿子の声質&響く声域』『伴奏ピアニスト=越知晴子 の得意』全てを掌握した演奏!


だった。サン=サーンス も シューベルト も素晴らしかったのだが、このシューマンは「さらに上の世界」を聴かせてくれた。

  1. 各曲の「言葉のニュアンス」を細やかに表現しながら


  2. 朧げにしか見えない(← 私高本の「猫頭」のせいか?)アイヒェンドルフの「詩の全体像」が『異国』などの共通語などで「赤い糸で結ばれているか!」のような歌唱


  3. ピアニスト = 越知晴子 の「それまでとは全く違った リズム感 & アーティキュレーション の明確さ」



が浮かび上がって来た。私高本は、シューマン歌曲も好きであり、「フィッシャー=ディースカウ + エッシェンバッハ 全集」とか「グレアム・ジョンソン全集」は愛聴している。ジョンソン全集では「ソプラノ = Kate ROYAL」が歌っている。それぞれ味わいのある演奏である。どちらも現役盤なので興味ある方は聴いて欲しい。

『八木寿子 + 越知晴子 の演奏』は、『フィッシャー=ディースカウ + エッシェンバッハ』や『ロイヤル + ジョンソン』を遥かに上廻る演奏だった!!!


 この曲集はこれほど素晴らしい曲だったのか! 私高本は、この日初めて「八木寿子 + 越知晴子」に教えてもらった。

信じられないほど「ノンペダルが続く 越知晴子 のピアノ」の上に、『フォルティッシモが充分に出る 八木寿子 が「絞ったピアニッシモ」を囁く』で紡ぐ!


だった。
 終演後、「東京文化会館モーニングコンサート」では珍しい「ブラヴォー喝采」が来て、アンコール。「何が来るの?」と思っていたら、シューマン「献呈」。これも心に染み入る名演だった。


 2年続きで『岡原慎也の弟子のシューマン:リート伴奏の超名演』を聴かせてもらった > 岡原慎也当人よりも素晴らしい演奏で!(ん?、また 何かマズいこと書いたか?)

 法貴彩子 に続いて、越知晴子。何と素晴らしい「シューマン歌曲」なんだろう! 私高本の「シューマン歌曲のCD」は多くは無いことは認める。だが、「DG全集 + ジョンソン全集」よりも素晴らしい演奏を聴かせるピアニストをそんなに簡単に輩出できるモノなのだろうか? 単に確率で「岡原慎也門下」にバクチのように集まったのだろうか? 私高本は猫頭なのでワカラン(泣


 前半の名演についても書かなくてはならない。サン=サーンス も シューベルト も素晴らしかったのだから。

東京音楽コンクール「本選」選曲中『八木寿子が最も信頼を寄せていた曲 = サン=サーンス:「サムソンとデリラ」から「あなたの声に心は開く』を是非是非聴いて欲しい!!!


 これが「前半の核心」であった。確か(猫頭なので表記は正確には記憶していないが)私高本は、「こんな歌い方で言い寄られたら、サムソンならずとも、ポロッと秘密を漏らしてしまう」旨を書いた。私高本は「良い女」には弱いからなあ(また、マズいこと書いたか?)


  1. 昨年8月の本選「オーケストラ伴奏」演奏


  2. 今年1月の「披露演奏会」の「オーケストラ伴奏」演奏


  3. この日の「「ピアノ伴奏」演奏


  4. 全3回を比較して『最も「息」が合っていたのは、越知晴子のピアノ伴奏!』



だった。京都市芸術大学大学院在学時からの共演、とのこと。10年以上の息長いコンビである!(あれっ、八木寿子が「トーク」で隠そうとしていた「女性年齢」をバラしたか?)
 本選も披露演奏会も素晴らしかった上に「原曲がオーケストラ伴奏」なので、意外な上に、越知晴子 のピアニズムの素晴らしさには舌を巻くばかりである。何が良かったのか? さえワカラン(← 猫頭に突っ込まないで下さい!)


 八木寿子からは「目を離せない」。東京文化会館で開催される「フンパーディング:ヘンゼルとグレーテル」公演は(佐伯周子の「マーラー:子供の不思議な角笛から1899年版」全曲演奏会2回の谷間だが)必ず聴きに行く。九州、広島、東海地方での演奏会は聴きに行きたい心は満杯だが、「聴きに行く先立つ原資金」が足りるかどうか? は、妻に相談しないとわからない > ビンボーはしたく無いモノだ(泣

 「越知晴子 のシューマン」は是非是非聴きたい。ピアノソロでも!!!
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八木寿子に期待する!(No.2040)

2012-04-18 22:18:25 | 演奏会案内
 明日は朝っぱらから「八木寿子モーニング・コンサート」である。上野の東京文化会館小ホールで 11:00 開演で、1時間プログラム。東京文化会館の表示だと曲目は明示されていないが、当 Piano Music Japan には「予定曲目全部」を掲載してある。

  1. シューマン


  2. シューベルト


  3. サン=サーンス



である。全ての演目に深く魅入られるが、中でも興味深いのが「シューベルト」。

2年前の「日本ドイツリート協会夏期講習」修了演奏会楽日のトリを務めたのが「八木寿子のシューベルト」だった!


からなあ。岡原慎也日本ドイツリート協会会長の判断だろう、まず間違いなく。それほど、「八木寿子のシューベルト」は素晴らしかった > 2年前。(ちなみに「日本ドイツリート協会夏期講習」修了演奏会初日のトリは「佐伯周子のシューベルト」だった。佐伯周子本人は、他の作曲家も素晴らしい演奏ができた! と思っていたようだが、講師の皆様からのご判断は「ちょっと違う」だったらしい(爆)


 朝が弱く(低血圧?)、滅多なことでは午前の演奏会には行かない私高本が「万難を排して」聴きに行く > 「八木寿子のシューベルト」

 当日券は相当数出るらしい > 関西のメゾソプラノだからかなあ?(泣
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2012.04.16 カンブルラン指揮読響定期演奏会批評(No.2039)

2012-04-16 22:53:15 | 批評

『バレエ,おもちゃ,パリ』をテーマに全プログラムに「ブラヴォーの嵐」が降り注いだ カンブルラン指揮読響定期演奏会


 「信じられない高み」を徹頭徹尾聴かせてくれた演奏会だった。同じ傾向のプログラムビルディングであった『全盛期(=常任指揮者時代)のデュトワ + N響』と、ドビュッシー「牧神の午後の前奏曲」とストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」が完全に重なった(カンブルランが意図的に重ねた可能性は極めて大!)プログラムだったが、

『全盛期のデュトワ + N響』をはっきり上回った『カンブルラン + 読響』をはっきり聴かせてくれた定期演奏会!


となった。この演奏会を 佐伯周子 と聴けて、本当に幸せである。


 カンブルランは「東京交響楽団音楽監督 = スダーン」と並んで、「年度プログラムのテーマ」を前面に打ち出し成功させる指揮者である。個人的には、カンブルランの方が好みに合う(爆
 理由はおそらく「1回1回の演奏会にテーマを設定する」パターンが多いからだろう。その分「詳細テーマ」を設定できるからだ。(私高本は猫頭なので、佐伯周子演奏会にて「ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」しか設定できない(爆涙)


 カンブルラン は『バレエ,おもちゃ,パリ』をテーマにこの日の「定期演奏会」を構想したハズ。

 ・・・で、読響の制作部&営業部は「何回まで、このプログラムを引き伸ばせるか?」を検討したようだ。「牧神の午後の前奏曲」+「ペトルーシュカ」は問題無かったが、「おもちゃ箱」が集客力が無い! と判断した様子。これだけ「ラロ:スペイン交響曲(ヴァイオリン:松山冴花)」に差し替えて、プラス2公演(= 計3公演)を企画した(らしい)。確かに「ドビュッシー:おもちゃ箱」は私高本はナマでは初めて聴く曲である。生誕150年なので、在京他オケでも今年度演奏されるが、極めて珍しい状況と断言して良いだろう。(・・・って、断言できるほど、「ドビュッシー」に注目していたか? > 私高本???)


『カンブルラン + 読響』は『全盛期の デュトワ + N響』を上回った「ダイナミクスレンジ と アーティキュレーション」で描き切った


ことが、あまりの衝撃だ。「デュトワ得意のドビュッシーとストラヴィンスキー」の代表作で、だからなあ。
 ストラヴィンスキーは著作権が切れていない上に、スコアの段数が余りに多いので、スコアを読んでの詳細批評では無い。ドビュッシー は(女性から恨まれたのか?)長生きしなかったので、とっくの昔に著作権が切れている(爆
 「私高本の批評」が正当か? 不当か? は、「2012.12.20 に 日本テレビ地上波にて放映予定」とデカデカとサントリーホールに掲載されていたので、時間がまどろっこしいだろうが、確認可能である。8ヶ月後の放映にて是非是非確認して欲しい。


 「カンブルラン + 読響」には、任期延長をさらに続けて欲しい。これだけの高みに達した在京オケは、私高本が聴く限り、「東京初」である。来週の「フランク:交響曲ニ短調」が楽しみでならない。
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2012.04.14 西川典子ピアノリサイタル批評(No.2038)

2012-04-15 17:59:38 | 批評

「和声感」の充実を聴けた 西川典子 のドビュッシー


 全ドビュッシープログラムで、「版画」から開始され、「前奏曲集」抜粋、「ベルガマスク組曲」、「練習曲集」抜粋、「レントより遅く」、「喜びの島」のプログラムに、アンコールに「アラベスク」第1番、「動き」、「装飾音のために」が演奏された 西川典子ピアノリサイタル。

 西川典子 はドビュッシーの「和声の移ろい」に重点を置いた演奏を堪能させてくれた。

隠し味は「ペダル踏み替え」時に全部外さずに、少々響きを残して踏み直すことにより、「低音の保持音を残しながら」「旋律ライン」の透明度を保つペダリング


である。
 この「低音保持音」の処理は、『ピアニストのドビュッシー観』を大きく左右する。センターペダルを使うピアニストもいる。(少なくない)
 西川典子 の「和声感」は、私高本の感性に共鳴した。前奏曲集全2巻 などを聴いてみたいモノである。
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2012.04.14東京交響楽団川崎定期演奏会批評(No.2037)

2012-04-14 23:19:25 | 批評

圧倒的な存在感を示した 大友直人指揮東京交響楽団「スクリャービン:交響曲第2番ハ短調」



「スクリャービン」は「作品の大半がピアノ曲」であり、主力のソナタでは最大時間が25分に達する作品が1つも無い「中小品作曲家」


である。「24の前奏曲集」や「12の練習曲集」などもあることにはあるのだが、ショパンに比べても規模が小さい。さらに加えれば、『スクリャービン交響曲中、唯一頻度高く演奏される第4番「法悦の詩」も時間的には「ハイドン交響曲クラス」』プロオーケストラ定期演奏会の後半を占める大曲はプログラムに乗ること自体が珍しい。

大友直人指揮東京交響楽団は、スクリャービン交響曲第2番ハ短調を「楷書風」に極めて丁寧に細部を詰めて、しかし充分なダイナミクスレンジ巾を持たして演奏に臨んだ


 私高本がこれまで持っていた「スクリャービン交響曲第2番」像は、(東京でナマ演奏に遭遇しなかったので)スヴェトラーノフ指揮盤とムーティ指揮盤であったが、どちらも「スクリャービンの官能」側面を強調しており、特に良い演奏に感じられなかった。他の演奏を聴いたことが無かったので、「曲の問題か? 演奏の問題か?」はこれまで全くわからなかった。

 大友直人 は、「金管楽器の咆哮」を許さない。1番トランペットと1番ホルン&4番ホルンにアシスタントを付けて、疲れが出て無闇に吹くことを予め防止する準備の入れよう! 東京交響楽団の金管楽器は「パートのまとまり」がうまい上に、ひっくり返ることがほとんど無い「超絶スーパー金管楽器」集団。大友直人 は「ピアニッシッシモ」を金管楽器に狙わせることはしなかったが、これは 大友直人 の解釈なのか? スクリャービンの指示なのか? は即断は出来ない。
 さらに、「打楽器を不必要に鳴らさない」も徹底。出番が多くは無いだけに、張り切り易い、と思うが、これも「リズムを添える」に徹していた。

スヴェトラーノフ と ムーティ スクリャービンは「ワーグナーのオーケストレイションを模倣して失敗した始めの3つの交響曲」


をイメージさせる録音。

大友直人 は、チャイコフスキー や リムスキー=コルサコフ のオーケストレイションを彷彿とさせる解釈


 聴く限り、『大友直人 + 東京交響楽団』の方が存在感が大きく、説得力が深い。東京交響楽団について、金管と打楽器について書いたが、木管楽器は「旋律の受け渡し」が極めて滑らか、弦楽器は「コントラバス から 順に上に積み上げて行く和声作り」で、在京オケの中でも相当上位に上がって来た。(「シューベルト」がテーマの年は、まだ現在の演奏水準には達していない「過程途上」だった。)

 終演後、きちんと余韻を感じた後、盛大な拍手とブラヴォーが掛けられたが、「滅多に演奏されない隠れた大曲」としては、珍しいことだろう。それだけ素晴らしい名演であった。


 私高本期待の「マーラー : 子供の不思議な角笛から抜粋7曲について。

バリトンの トーマス・バウアー が低音で響きが無くなる上に、声量が 横浜みなとみらい大ホールには不足気味で、スクリャービンに比較すると「小粒の演奏」に終始してしまった



 バウアー は「濃く表情を付けたがった」が、本人の声量が小さめなので、「オケが声にかぶさらない」範囲にしかフォルテ方向が伸ばせない。「天上の生活」間奏など「オケだけ」の箇所を(スクリャービン並みの)大音量で鳴らせば「このバリトンは声が小さいですよ!」と晒してしまうことになるので、大友直人 は「バウアーの声量」で全体設計をした。
 バウアーの「歌」自体は、よく歌い込まれた感じであり、好感が持てる。演奏直後にブラヴォーも飛び出したほどだった。できることならば、同じ マーラー「子供の不思議な角笛から」をピアノ伴奏で、大きくても紀尾井ホールまでの「リサイタル向けホール」で再度聴いて見たいものだ。


 最後に、冒頭演奏されたラフマニノフ「ヴォカリーズ」について。私高本は「声楽版」が最も好き。オーケストラ版の良さは猫頭なので未だにわかっていない(涙
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東京交響楽団の「マーラーの歌曲」シリーズ開始!(No.2036)

2012-04-13 21:31:19 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

2012年度の『東京交響楽団定期演奏会のテーマ = マーラーの歌曲』


である。2014年3月で任期満了になる「音楽監督=スダーン」が毎年「その年のテーマ」を設定して来たが、「オーケストラ伴奏歌曲」をテーマにしたのは、今回が初めてであり、他のオーケストラでも類を見ない。

 ・・・なので、万難を排して「マーラーの歌曲」の回は聴きに行く予定。(マーラー歌曲無くても興味のある回はもちろん聴きに行く。)尚年に拠って「テーマ作曲家」が違うので、「シューベルト」の年は随分聴いたのだが、「シェーンベルク」だった昨年度はほとんど聴かなかった、、、

 今年度はよろしくお願い申し上げます。
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私高本の猫頭「スクリャービン批評」(No.2035)

2012-04-12 20:48:04 | 作曲・スクリャービン(1872-1915
 これから書くことは、「酔っぱらいの戯言」の可能性大。焼酎呑んでいるし(爆

 また「元々の頭の容量が小さ過ぎた」可能性も否定できない。何せ「猫頭」だからなあ > 私高本

 しかも、きっかけが「佐伯周子 の リスト」を聴いて書く、ってのは「バカそのもの」としか客観的には書けない。だが書く。やっぱ、私高本 は バカ だわw


スクリャービン中期 = 作品30~57 は本当か?


 よくわからん。「佐伯周子の同日」には、誰も聞かなかったし(爆

 何で「佐伯周子のリスト」聴いて「スクリャービン」を想起したのかさえ全くワカラン。猫頭だと「前にもらったエサしか覚えていない」との動物学者発言もあるが、猫ならばもう少しは前のことまで覚えているような気がする(爆


 「私高本 = 猫頭」である。本人も認めているし、佐伯周子も認めている。猫よりは「1歩だけ前を歩んでいる」と信じたいが、実態は「猫と同じ土俵でシコを踏む」状況。やっぱ、「猫頭」である(泣


スクリャービン = 世界クラスの大作曲家


は「正しい認識」である。それが個々人の「好み」に「合う」「合わない」を別にして。だが、スクリャービン は「先細りの作曲家」であった。初期は人気あった。中期も人気を保っていた。後期は人気が消え失せていた > 実態


 音楽だけ「猫頭」が批評する。

「作品29 交響曲第2番ハ短調」を挟んだ「作品28 幻想曲ロ短調」と「作品30 ピアノソナタ第4番嬰ヘ長調」で様相が異なっているが、「作品29」がどちら側に付くか全く判らない


である。土曜日に「東京交響楽団川崎定期演奏会」にて聴くが、「交響曲の位置付」もよく判らない作曲家である。交響曲第4番「法悦の詩 作品54」だけは演奏頻度が非常に高い名作扱いなのだが。



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佐伯周子のピアニズム(No.2034)

2012-04-11 18:09:12 | ピアニスト・佐伯周子
 ちょっと前に同一条件で「佐伯周子のピアニズム」聴くチャンスに恵まれた。(シューベルト連弾演奏会ではない)
 私高本が主催したワケでは無いので「客観的」に聴くチャンスに恵まれたことになる。聴いた作曲家はシューベルトでは無いし、よくわからん曲(詳細批評はできないよ~ん!)もあったので、「印象批評」である(爆


佐伯周子の「ピアニズムの特徴」



  1. ダイナミクスレンジが「ピアニッシッシモ」方向に無限大に近く大きく、巾広い


  2. ペダリングの種類が豊富


  3. 「中心レパートリー = リスト」の可能性大?


  4. 「作曲家の指示」に忠実(だと思う → 帰宅後、楽譜を「眺めて」)


  5. 「緊張 と 開放」の切り替えがはっきり伝わる


  6. 「大曲嗜好」





 う~ん、「佐伯周子のレパートリーの中心」はシューベルトだとばかり信じていたのだが、、、
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